第16話、降臨

 鳳凰の間は、宮殿の最上階にあった。

 およそ、6階建てくらいの高さだ。バルコニーがあり、王宮前の広場に面している。

 外から群集の歓声が聞こえる。 サーラたちの到着も間近なようだ。

 クインシーがバルコニーに出て、広場を見た。 僕も、クインシーのヒゲの間から顔を出し、見てみた。


 …おおう…! 既に、何百人という群集が詰め掛けている。


 階下には、バルコニーから続く長い石階段があり、階段を降りきった辺りでハインリッヒの兵たちが、必死に群集を押し戻そうとしている。 だが、膨れ上がった群集によって、逆に、階段下辺りまで押されつつあるようだ。

 驚くべき事に、あの『 フルール・リーフ 』が、群衆の中に幾つもひるがえっている。 おそらくは、家々に保管してあったものを持ち出して来たのだろう。 旗を掲げているのは、それなりの年配者たちのようだ。 多分、先の戦いに従事した者たちと推察される。


「 クインシー殿 」


 後から、クインシーを呼ぶ声がした。 宝物殿のような立派な祭壇の奥から、古めかしい木の箱を持ち出して来たアランソン。 包帯を巻き、応急処置をした左腕が、痛々しい……

「 これが『 聖なる剣 』です。 王宮警備が長かった私ですが、剣の存在は知っていても、実際に、この箱に手を触れるのは初めてです 」

 どうやら、この中に『 聖剣 』が保管されているようだ。

 …触ったら、ビリビリって来ないだろうな…?

 ココの世界の科学は、どうなっているのか、良く分からん。 クインシーを信じるしかない。

「 む…? 」

 何かを感じた、クインシー。 突然、何かから逃れるように床を転げまわった…!

 僕の、顔の目の前で、ピュン!、と風切り音がした。

「 ! 」

 殺気を感じる…!

 数回体を捻り、その場を移動するクインシー。 さすが、伝説の精霊士と称されるだけある。 身のこなし方からは、寄る年波を全く感じさせない。

 ヒュン、ヒュン、ピュン!、と、風切り音が追い掛けて来る。 誰かが、襲って来たのだ。 しかも、この音は、真剣を振り回す音……!

 風切り音から逃れたクインシーは、聖剣を抜き、構えた。


 …襲って来たのは、ハインリッヒだった。

 肩で息をし、まるで修羅のような形相だ……!


 クインシーが、静かに言った。

「 乱心したか、ハインリッヒ。 この後に及んで、まだメシヤ様に逆らうとはな 」

 剣先を震わせ、ハインリッヒが叫ぶ。

「 ぬかせっ、惑わし者めが! オレは、誰も信じぬ! 信じるは、己の… この剣だけだッ! 」

 ゆっくりと、横に移動し、バルコニーを背にするクインシー。 太陽を… 明るい方を背にするのは、武術の基本だ。

 クインシーが、小さく言った。

「 悲しいヤツよのう…… 」

「 やかましいっ! 貴様を叩っ切り、そのバルコニーから首を掲げてやるわッ! 謀反の首謀者としてな! 」

 斬りかかる、ハインリッヒ。 クインシーは後に飛び退き、刃をかわす。 ハインリッヒが、尚も斬り付ける。

 …あんま、首辺りに、斬り付けるんじゃねえよ! 危ねえじゃねえか…!

 バルコニー上に出た、2人。

 術を使えば、造作も無いのだろうが、連続して斬り付けて来るハインリッヒに、クインシーは呪文を唱えるヒマがなさそうだ。 この辺りは、ハインリッヒの精霊士に対する戦術なのだろう。 しかし、クインシーは剣術の覚えもあるらしく、巧みにハインリッヒの刃をかわしている。


 カイーン、キィーンと、交わる刃。

 飛び散る火花… 息詰まる、決闘……!


 宮殿前に詰め掛けた群衆も、バルコニー上で戦っている者がいる事に、気付いたようだ。 指をさして、口々に、叫び始めた。

「 おい! 誰かが、決闘をしているぞっ! 」

「 王宮内でか? 一体、誰だ? 」

「 …ありゃ、クインシー様じゃねえか? もう1人は、レスター様の将軍だ 」

 カイイ~ン! と、大きな音と共に、ハインリッヒの剣が折れ、刃が、バルコニーの石階段を落ちていった。

 群集からは、おおお… と言う、どよめきが上がる。

 折れた剣を、バルコニーの床に叩き付け、悔しがるハインリッヒ。

「 どうやら、決着がついたぞ! クインシー様が、勝ったようだ 」

「 さすが、伝説の精霊士だ。 老いても、剣さばきは見事だぜ 」

 群集から、拍手が上がる。

 剣を収め、クインシーは言った。

「 そこに座しておれ。 じき、メシヤ様が、おなりになられる 」

 肩で息をしながら、憎悪の表情でクインシーを見つめるハインリッヒ… しかし、ふうっと力を抜くと、その場に座り込んだ。 さすがに諦めたらしい。 力無く、バルコニーの床を、ボンヤリと見つめている。

 僕は、そっとクインシーのヒゲの中を回り、首の後から外に出た。 そのまま、背中を伝い、床に下りる。


 いよいよだ……!


 やがて、後方の群集から歓声が沸き起こった。

「 む… 御着きになられたか…… 」

 クインシーは、バルコニーから続く長い石階段の前に立ち、群集を見下ろした。 僕も、そっとバルコニーの欄干脇に行き、下を見る。

 広場後方より、群集に囲まれ、2頭の馬( のような動物 )に引かれた、白い車が広場に入って来た。 周りを取り囲み、警護しているメイスン・ピエール・ロベルトの姿が確認出来る。 群集に取り囲まれ、もみくちゃにされているようだ。

「 サーラ様、サーラ様ぁ~っ! 」

「 ピュセル・サーラ様、万歳! 」

 口々に叫び、車に殺到する民たち。 やがて車の扉が開かれ、メイスンに手を引かれながらサーラが姿を表わすと、群集の興奮は最高潮に達した。

 次々に、サーラに向けられ、投げ込まれるユリの花。 護衛していた兵士たちも、槍や剣を突き上げ、歓声を上げている。

 メイスンが両手を上げ、集まった群衆に対し、静まるようなゼスチャーをした。 徐々に、群集の声は治まり、やがて、静けさが辺りに張り詰める。


 いよいよ、メシヤの登場だ……!


 そんな期待感が、群集を支配する。

 サーラが、凛とした声で発声した。

「 民たちよ! 偉大なるアリウス皇帝陛下を解放すべく、私はここに参りました! 」

 ごおおーっ、と言うような、群集の声。

 右手を軽く上げ、声を制する、サーラ。 群集の声が、引き潮のように静まる。

 サーラは続けた。

「 アリウス皇帝陛下の解放を決意したのは、私だけの意志ではありません! メシヤ様の、お言葉を賜ったからなのです! 」

 群集からは、再び、先程よりも大きな声が沸き起こる。

「 サーラ様、万歳! 」

「 メシヤ様、お導き下さい! 」

 メシヤと言う言葉に、力無い視線で、サーラを見つめていたハインリッヒの眉が、ピクリと動く。

 再び、軽く右手を上げ、群集の声を制しながら、サーラは言った。

「 偉大なる精霊士にて、聖なる救世主メシヤ様! ご降臨下さいませ……! 」

 両手を空に向け、祈るような表情のサーラ。 群集は、固唾を呑んで事態を見守った。

 やがてサーラは、バルコニーを指差す。

 群集の視線が、一斉にバルコニー上に注がれた。 群集を押さえていたハインリッヒの兵たちも、見守っている。

 その、視線の延長線上… 長い石階段の頂上に佇む、クインシー。

 僕のボロ剣を出し、うやうやしく額に掲げた後、両膝をついて足元の石階段に置くと、傍らにいるハインリッヒに聞こえないように、欄干脇に潜んでいた僕に、小さく言った。

「 …いきますぞ、チャーリー殿……! 」


 何とでもしてくれ……


 呪文を小さく唱える、クインシー。 次の瞬間、僕の視界が高くなった。 階下の群集たちが、狂気のように叫んでいる。

「 おおおっ! 現されたぞっ…! 」

「 何という、不可思議な衣だ 」

「 あれが、メシヤ様か…! 」

 突然、ポンっと現れた僕に、群集たちは、かなり驚いたようだ。

 最高のイリュージョンである。 やっぱ、クインシー爺さん… 僕の世界へ来て、一儲けしない?


 僕は、広場に詰め掛けた物凄い数の群集を改めて目の当たりにし、かなりビビった。 当たり前の事だが、全員が、僕に注目している……!

一度に、こんな数の視線を集めた事は、生まれて初めてだ。 急速に胸の鼓動が高まり、心臓が破裂しそうである……!

 金縛りに遭ったように声を失い、唖然としている僕の目の前に、誰かが、影法師のように横から現れた。

( ハインリッヒ…! )

 放心状態のようになって座っていたが、僕の姿を見て、更に、無警戒で置いてあった剣を見とがめ、突如、逆襲に及んだのだ…! 僕の足元に置いてあったボロ剣を掴み、叫んだ。

「 うつけ者が! 何が、メシヤだ! 成敗してくれるわっ! 」

( げええッ…! )

 予想だにしなかったハインリッヒの行動に、クインシーも、慌てて叫んだ。

「 なっ… 何をするか、ハインリッヒ! 」

 ハインリッヒは、勝ち誇ったように、醜く歪んだ笑い顔で言った。

「 オレの勝ちだっ! 」

 あまりの展開に声も無く、逃げ様にも、体が動かない僕。 ハインリッヒが、ボロ剣を抜く。


 …が、抜けない。


「 ? 何だ? 抜けぬ…! 」

 また、刃こぼれが引っ掛かり、抜けないのだ。 何度も、執拗に引き抜こうとするハインリッヒ。 段々と、焦る表情…! しかし、力任せに抜こうとすればするほど、刃は引っ掛かり、抜けない……!

 事態を見守っていた群衆も、遠目に状況を理解したのか、ざわつき始めた。

「 どうしたんだ……? 」

「 剣が、抜けないらしい 」

「 メシヤ様は… どうなされるおつもりなのか? 」

 固まったままの表情の僕は、そのまま、無表情にフカシた。

「 ……そなたには、抜けぬ…… 邪悪な心では、剣は、言う事を聞き入れてはくれぬのだ 」

「 …… 」

 激上し、真っ赤になった顔で、僕を見つめるハインリッヒ。

 僕は、勇気を出し、ゆっくりと石段を1段降りた。 剣を抜こうと構えたままの格好で、1段下がるハインリッヒ。

 尚も1段降り、近付く僕。 ハインリッヒは、硬直した。

 そのまま僕は、彼に近付き、ボロ剣の柄に手を掛けた…!

 固唾を呑んで見守るクインシーが、ゴクリと生唾を飲み込む……


 剣を、鞘ごと掴んだ、僕。


 ハインリッヒは、子供のように怯え、震える手を剣から離した。

 僕は、彼の顔の前に、剣を横向きにして持ち、気付かれないように、ちょっと捻りながら、ゆっくりと剣を抜いて見せた。


 鈍く光る、抜き身……!


 その刃先の向こうには、血走った両目を見開き、怯えた表情で僕を見据えるハインリッヒの目……! 狼狽し、ハインリッヒの体中が、ガタガタと振るえ始めた。

 階下の群集から、大きなどよめきが沸き起こる。

「 おおお…! 抜かれたぞっ! いとも簡単に…! 」

「 メシヤ様の剣には、意志が宿っていらっしゃるのだ! 」

 僕は、途中まで抜いた剣を、彼の目の前で勢い良く、バシンッ! と、鞘に収めた。 音に弾かれたように、ハインリッヒは、ビクッとし、やがて、ヘナヘナと石階段に座り込んでしまった。

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