第14話、斜陽・抵抗・忠義
「 何事だ! 城下の民衆は、何を騒いでおるのかっ? 」
太った赤ら顔の男が、格子窓の外を見ながら言った。
広い、執務室のような部屋である。高い天井には、豪華な装飾が一面に凝らされ、床は大理石だ。 白い、しっくいの壁には、歴代の皇族らしき肖像画が掛けてある。
傍らにいた、執事と思われる白髪の男が答えた。
「 分かりません。 ハインリッヒに、状況を視察してくるよう、先程、申し伝えは致しましたが…… 」
太った男は、執務机の椅子に腰掛けると、白髪の男に言った。
「 どうもハインリッヒは、信用ならん。 勝手に、兵を挙げおって…! ワシを、ダシに使っているような気がしてならん。 アリウス皇帝陛下には、ワシも、随分と厚意にして頂いておったのだぞ? これでは、恩を仇で返すような状況ではないか 」
ぶ厚い木製のドアが開けられ、衛兵が室内に入って来て言った。
「 レスター様、ハインリッヒ閣下が、お見えになられました 」
「 おお、早く報告をせい 」
衛兵がドアの横に立ち、敬礼する。
その前を、マントを羽織った将校が入って来た。 ヤセた頬に、ヒゲを生やし、鋭い眼光を放つ男だ。
太った男は、その将校の姿を見るなり、尋ねた。
「 ハインリッヒ! どうなっておるのだ、城下は? ここからでは、正門は見えぬ。 しかし、あの怒涛のような声… ただ事ではない! 」
将校は、レスターの前まで来るとお辞儀をし、言った。
「 どうやら、謀反の様子…… 」
「 何? 謀反だと? 」
「 いかにも。 拿捕を免れた旧皇族に関与する者共が、恐れ多くも、ロレーヌ様の御旗を掲げ、城下に押しかけている様子にて 」
「 …な、な、な、何っ…? ロ、ロ… ロレーヌの御旗だとっ…? そっ… それは、『 ラ・フルール・リーフ 』ではないのかっ? 」
「 いかにも、その様でありますな 」
レスターは、顔面蒼白になった。 椅子から立ち上がり、ハインリッヒを指差しながら言った。
「 ハ… ハ、ハ… ハインリッヒ! き、きっ… 貴様、何を他人事のように落ち着いておるのだっ! ロレーヌの御旗を掲げる事が出来るのは、ピ… ピュセル・サーラしかいないではないかっ! 」
レスターに対し、頭を下げたまま、無言のハインリッヒ。
白髪の男が、ハインリッヒに言った。
「 ピュセル・サーラが民衆を従えて登城して来る、と言う意味を、お前は理解しているのか? 」
頭を下げたまま、少し顔を白髪の男に回すと、ハインリッヒは、鋭い視線で彼を睨んだ。
レスターが言った。
「 ……我々、貴族院にとって、ブルゴーニャから発したロレーヌの1件は、触れたくも無い、苦い経緯がある…! レミールのカレ・リッシュモン卿を筆頭に、南はローゼントール、西はレンヌ… 北は、セントミュールからイセーヌ川流域にまで至る周辺諸侯が賛同したあの戦いは、異常なほどの勢いがあった。 ロレーヌは、その中心にいた名家だぞっ…! 云わば、総大将だ。 今は無き、ロレーヌ家の… かつての御旗が今、再び揚げられたのだ……! これを、何とするっ…? 」
頭を垂れたまま、ハインリッヒは、静かに補足した。
「 後の王妃になられましたな、ロレーヌ・サーラ様は…… 」
「 そっ… その娘が、母の御旗を掲げて来ようとしておるのだっ! また諸侯共も、立つやもしれぬ! うかうかしては、おれぬのだ! いいい… 一刻も早く、事態を収拾せいっ! 」
唾を飛ばしながら狼狽し、叫ぶレスター。
拳を握りつつ、表情は冷静に頭を垂れたまま、ハインリッヒは答えた。
「 そのつもりでしたが、ピュセル・サーラは、メシヤ様をお呼びになったようです 」
「 ななな、何とっ…? メ、メシヤ様だとうっ……! 」
呆然とした表情のレスター。 後の言葉が続かない。
ハインリッヒが頭を上げ、言った。
「 聖なる救世主 メシヤ様の到来を告げている以上、その真意・お言葉を拝聴せねば、民衆は、治まりますまい 」
「 …… 」
「 かくなる上は、鳳凰の間まで通し、『 聖なる剣 』を抜いて頂こうかと存じます。 剣を抜く事が出来るかどうかで、真の救世主であるかどうかが、判断出来ましょう 」
「 メシヤ様が…… 」
ドサッと、椅子に座るレスター。 だらりと両手を下げ、放心状態である。
「 聖なる、救世主様が… 現れた…! ……見ろ。 憂えいておいでなのだ… やはり、このような形で… 陛下を軽んじてはいけなかったのだ……! 」
レスターの虚脱状態を見て、苦虫を噛み潰したような表情のハインリッヒ。
「 レスター様。 ピュセル・サーラが呼んだのは、本当にメシヤ様かどうかは分かりませぬ。連中の、惑わしやもしれませぬゆえ 」
しかし、放心状態のレスターには、全く持って聞こえてはいないようだ。 視点の定まらない目で、宙を見つめつつ、震える両手で空を掴みながら、うわ言のように言った。
「 ……ピュセル・サーラが来る……! あ、あの… あの、ブルゴーニャの… ロレーヌの血を継ぐ若姫が… ここへ来るのだ……! おおお… 蒼い旗だ…! 蒼い御旗が見えるぞ…! 」
ちいっ、と口を鳴らすハインリッヒ。 踵を返すと、ドアの方へ向かって歩き出し、立っていた衛兵に言った。
「 レスター様は、ご乱心である。 部屋に鍵を掛け、外には、お出しするな。 見張りを立てよ! 」
白髪の男が言った。
「 ハ、ハインリッヒ! まさか… 親方様を幽閉するのかっ? ならんっ! ならんぞ、そのような事! お前は… 」
白髪の男を睨み付け、脅すようにハインリッヒは言った。
「 貴殿も、私室に戻り、自重申し付ける。 …何ならレスター卿と共に、この部屋で静かに、読書でも致すか? 」
「 …… 」
マントをひるがえし、ハインリッヒは、部屋を出て行った。
軍靴を鳴らし、王宮の長い廊下を急ぐ、ハインリッヒ。
傍らを従属する兵が、心配そうに尋ねた。
「 閣下、い… いかが致しましょう? 城下の群集は、物凄い数に膨れ上がっております……! 」
「 うろたえるな。 たかが平民… いくら集まった所で所詮、軍隊に敵うはずなど無いわ。 …それより、ピュセル・サーラが呼び寄せたとか言う、メシヤの方が重要だ。 姿は、発見出来んのか? 」
「 は、未だ… おそらく、ピュセル・サーラが乗っている車に同乗しているものと思われますが、何せ、車の周りは、群集が取り囲んでおりますので 」
廊下を回り、回廊に入る。
ハインリッヒは尋ねた。
「 ピュセル・サーラを護衛している裏切りの兵共は、どこの隊か? 」
「 は。 確認したところ、第2騎兵隊所属の者たちかと 」
「 専任下士官は? 」
「 ピエール曹長です 」
「 ……プーシェの生き残りか。 拾ってやったものを、裏切りおって…! さては、マルタン・メイスンに、そそのかされおったな 」
天井の高いホールに出た。 軍靴の音と共に、ハインリッヒの声が壁面に反射し、こだまする。
「 おそらく、メシヤとか名乗る者は、偽り者だ。 確認次第、矢を射よ! ピュセル・サーラは、生け捕りにするのだ。 民衆の目前で、偽りの下女・愚かな策士として裁いてくれるわ…! 」
……僕は、その響く声を、ホールの真下の通路で聞いていた。
クインシーが、上を見上げながら、小さく言った。
「 どうやらハインリッヒは、チャーリー殿を抹殺するつもりじゃのう…… 」
あのな… の~んびりと、他人事のように言ってんじゃねえよ、クインシー爺さん。
ルネが言った。
「 やはり、お姿を隠して頂いて正解でしたね 」
人の気配が無い事を確認し、クインシーは頭の上にあった鉄格子を持ち上げた。 辺りを見渡し、ホールに出る。
「 さ、ここからは、上を行きますぞ。 お早く 」
僕に続き、ルネもホールに出た。
…豪華なホールだ。
円形の高い天井には、モザイク壁画が、はめ込まれており、回廊が交差した、丁度、四つ角の交差点のような場所である。
クインシーが言った。
「 謁見の間じゃ。 外部からの訪問者は、まず、ここで衛兵の検閲を受けるのじゃ 」
観光案内はイイから、早くドコかへ隠れようぜ。 丸見えじゃん…!
クインシーが続ける。
「 まずは、幽閉されておる皇帝陛下のご様子を確認せねばならぬ。 おそらくは、王家の間じゃ…… 」
スタスタと回廊を歩き始める、クインシー。
何か… すっげ~、不安。
クインシー爺さん、フツーに歩いてんじゃんよぉ~…!
僕の心配を察したのか、ルネが言った。
「 王宮に入ってしまえば、衛兵は、数がおりません。 元々、ハインリッヒの率いる1個大隊のみの蜂起です。 そのほとんどは、城下警備。 王宮内にいるのは、せいぜい5~60人程度でしょうから 」
それでも、5~60人はいる。 そんなんが、一度に責めて来たら… 僕、死んじゃうよォ~…!
腰にブラ下げていた、ボロ剣の柄を握り締める。 こんなんだったら、もっと剣道を習っておけば良かった。 後悔、先に立たず、である。
回廊の曲がり角から頭を少し出し、様子をうかがうクインシー。
後に控える僕らの方に頭を戻し、言った。
「 衛兵が、見張りで立っておる。 やはり、ここのようじゃ、チャーリー殿 」
…僕に、報告せんでもエエよ? 存分に、やって頂戴な。
クインシーは、聖剣をシャリン、と抜くと額に構え、何やら唱え出した。 多分、電撃を食らわすつもりなのだろう。
剣を額に構えたまま、回廊の真ん中に歩み出るクインシー。
何と、大胆な…! 腕に自信がある人は、イイね……!
衛兵は、クインシーに気付き、一度こちらを見たが、再び顔を前に戻した。 慌ててクインシーを見直し、叫んだ。
「 …だっ、誰だ、貴様っ! 」
「 ハッ! 」
聖剣を振り下ろす、クインシー。 刃先から青白い閃光が走り、一直線に、衛兵に向かって行く。
「 うあぶぶっ! 」
衛兵は、手足をバタつかせながら、ひっくり返った。
…ビリビリって、来たんだろなぁ~…! ヤだな~… 絶対、受けたくない。
僕らは、扉の前に小走りで近付いた。 扉の前に転がり、気を失っている衛兵…… 何か、コゲ臭い匂いがする……
扉には、特大の南京錠が掛けてあった。 これも、聖剣を振り下ろし、破壊。 クインシーは、扉を開けて室内に入った。
「 な、何者だっ! 貴様っ…! 」
扉の近くにいた、豪華な甲冑を着込んだ高級将校らしき男が、クインシーに言った。
部屋の中には、10人ほどの人がいるようだ。 軍人に混じり、袖や襟にレースの付いた服を着た、貴族と思われる者や、ドレスをまとった貴婦人、子供もいる。 その内、部屋の奥にいた、恰幅の良い初老の男が言った。
「 クインシー・ド・レー! そなたかっ…? 」
男は、侍従らしき者たちの手を振り解き、前に出て来た。
赤地に、金の刺繍をあしらった、丸首襟の衣を着ている。 指には、幾つもの豪華な指輪… どうやら、この男性がアリウス皇帝らしい。
クインシーは、ロワール橋で、ピエールたちがしていたような体位を取り、床に傅いた。
「 ご無沙汰致しておりました、陛下 」
ルネも、同じように拝聴の体位を取る。 僕は、ズボンのポケットに手を突っ込んで、剣をクルクル回していた… と言うのは冗談で、クインシーたちの格好を、見よう見真似で真似した。
アリウスは、大そう喜んだ様子で言った。
「 おう、おおう…! 大儀であるぞ、クインシー・ド・レー! まさか、お前が駆けつけてくれようとは……! 」
他の者たちにも、安堵の表情が見られる。
クインシーが言った。
「 私のような老いぼれを、覚えておいで下さるとは… 恐悦至極に存じまする 」
クインシーの前に、片膝をついて、しゃがみ込むアリウス。 跪き、俯いたままのクインシーの肩に右手を置き、アリウスは答えた。
「 何を言う、クインシー・ド・レー! 余が、直々に、聖剣を授けたではないか。 忘れはせぬぞ? 忠義、大儀である 」
「 もったいない、お言葉…… 」
1人、凛とした顔立ちの貴婦人が、子供を連れて出て来た。
「 クインシー殿…! かような事態に、王宮を引退した、そなたが来てくれるなんて…… 何とお礼を申し上げたらよいか 」
クインシーは、頭を下げたまま答えた。
「 フェリス后様。 私は、王宮警護に、この身を捧げた男… 例え、任を解かれようとも、陛下の一大事には、馳せ参じ参る所存。 何卒、過分なるお言葉は、もったいのうございまする 」
…この女性が、現王妃、リヒャルト・フェリス皇后らしい。
彼女の手に引かれていた男の子が、クインシーに抱き付き、嬉しそうに言った。
「 久し振りだね、爺! あとで、剣術遊びしようよっ! ね? いいだろう? 」
4歳くらいの男の子だ。 明朗活発な性格らしい。 クインシーに抱き付き、キャッ、キャッと喜んでいる。
「 おおう、これは皇太子様。 大きくなられましたな 」
クインシーも、嬉しそうだ。
…ルネの話しでは、この子が生まれて、サーラは王宮を去ったと言う。 しかも、自らの意志で…
僕は、あどけない男の子の顔を見て、何となく、サーラの心情が理解出来た。
生まれた皇太子は、分別のありそうな男子だ。 皇后も、礼儀正しく、由緒ある気品がうかがえる…… おそらくサーラは、自身が女王となってこの国を統治するより、アリウスの直系の男子である、この皇太子に王位継承を譲ろうと考えたのだろう。
( サーラは、優しい娘だ…… )
僕は、そう思った。
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