第10話、『 ラ・フルール・リーフ 』

「 お尋ね者の、マルタン・メイスン! 貴殿を、見逃す訳には参らぬ! 大人しく、我々に従ってもらおうか! 」

 メイスンとの対話を振り払うかの如く、腰に下げていた剣を抜きながら、声高に叫ぶピエール。

 メイスンは、静かに言った。

「 私に、勝てる自信はあるのか? 」

「 …… 」

 決して、勝ち誇っている訳ではなさそうである… それは、口調から察する事が出来る。 ピエールにも、メイスンの心情は理解出来ていると思われた。 だが、震える剣先をメイスンに向け、身構えながら、搾り出すような声でピエールは答えた。

「 やってみなければ、分からぬ…! 」

 メイスンは、過去を詮索するように、遠くを見るめるような目をして言った。

「 かつての、我が領主 ロレーヌ公が病没された後…… 権力争いで荒れた王宮を粛清する為、ロレーヌ・サーラ姫が、私費を投じて起こした戦いに、カレ家は呼応してくれた… 当然、その軍の中には、プーシェ家もいたはずだ。 勿論、貴殿もな 」

 ピエールは、瞼をピクリと動かし、言った。

「 …そんな、古い話を持ち出してどうする? 」

 メイスンは、声の表情を高めながら言った。

「 思い出すのだ、ピエール・ド・プーシェ…! サーラ姫の旗の下、王宮を、腐った貴族院の手から開放した、あの聖戦の日々を! 全てが、輝いていた…! 崇高な志の下、新しき秩序を求め、共に戦ったではないか。 貴殿は、その盟友の紋章に、刃を向けると言うのか? 」

「 だっ… だまれ、マルタンッ…! 」

 更に震えを増す、ピエールの剣先。 額から汗が流れ、鼻先から雫となって落ちる。

 メイスンを見据えながら、ピエールは言った。

「 もう、昔の話しなのだ… マルタン・メイスン。 気高く、我々を導いて下さったサーラ様も… 我が領主、リッシュモン卿のカレ家も… 今はもう、無いのだ! 我が一族、プーシェは、レスター卿と共にある…! さあ、剣を抜け! 勝負致すッ! 」


 …物凄い戦いになって来たようだ。


 よくは分からないが、この世界にも争いはあり、互いに骨肉の戦いをして来たようだ。 儚きは、泡沫のように散ってゆく、名も無き戦士たち……

 主を失った家は、またたく間に滅ぼされて行く。 群雄割拠、下剋上… いつの時代も、どこの世界も同じだ……


 メイスンが、マントを広げた。

 剣を抜くのか…? ピエールが、覚悟を決め、身構える。

 やがてメイスンは、マントの裏地にある内ポケットから、1枚の布を出した。

「 …? 」

 ピエールも、僕らも、メイスンの行動に注目する。

 メイスンは、布を広げた。 どうやら、何かの旗のようだ。 それを広げ、ピエールに見せる。

 目を見開き、驚いた表情のピエール。

「 …! そっ、それは…! 」

 メイスンが、微笑みながら言った。

「 覚えていてくれたか、ピエール・ド・プーシェ……! 」

 ピエールは、小さく答えた。

「 ラ・フルール… リーフ…! 」

 軍旗のようだが、意外に小さい。

 細長く、先は2つに分かれている。 青地に、金色の剣。 花のような絵柄が3つ、白色で染め抜かれている。

 じっと、メイスンのやや後で、事態を見守っていた僕ら。 僕の傍らにいたサーラが、思わず、小さく声を出した。

「 お母様の、御旗(みはた)…! 」

 母親の旗?

 僕には、何の事か分からない。

 ピエールは言った。

「 そんな… 忘れかけていたモノを持ち出して、何のつもりだ……! 」

 メイスンが答える。

「 忘れたとは、言わさんぞ? 現に今、貴殿は答えた。 『 ラ・フルール・リーフ 』とな…!  後に王妃となられた、ロレーヌ・サーラ姫の御旗だ。 一緒に、戦場を駆け巡った、希望の象徴、我々のシンボル… ラ・フルール・リーフだ! 」

「 そっ… それを、どけろッ…! 決闘を申し込む! マルタン・メイスン! 」

 ピエールが叫んだ。 メイスンは旗を掲げたまま、一際大きく言った。

「 貴殿は、この旗が王宮にひるがえった日の事を、忘れてはいまい! 我々の… 気高く、美しいサーラ様が、あの王宮の長い階段を登って行く様をっ…! 何千、何万というこの旗が、王宮広場を埋め尽くし、ひるがえっていた… 我々の、崇高な勝利の日の様をっ…! 」

「 …それを… それを、どけるのだっ…! マルタン・メイスン……! 」

 搾り出すような声で、ピエールが言った。 一雫の涙が彼の頬を伝い、カンテラの光に反射して輝く……!

 メイスンが言った。

「 この、ラ・フルール・リーフごと、私を切ってみよ! 私は、剣は抜かぬ。 盟友の貴殿とは、刃を交わす事は出来んのだ。 貴殿と争う理由は… 今もっても、何もないのだ、ピエール・ド・プーシェ! 」

「 …それを…… それを、どけてくれ……! 」

 ピエールの言葉には応じず、旗を掲げたまま、1歩、ピエールに歩み寄るメイスン。 徐々に、震えるピエールの剣先が下を向く。 メイスンは、尚も一歩、近付いた。

 嗚咽にも似たような声で、ピエールが呻いた。

「 私は… 私は……! 」

 がくり、と膝を付いたピエール。 構えていた剣は、彼の手を離れ、足元の石畳の間に溜まった砂に、ドスッと突き刺ささった。

「 …切れぬ…! その旗は、切れぬ……! ああ、気高きサーラ様…! 落ちぶれた、我が身をお許し下さい。 願わくば、あの日のように… 私を… 私を、お導き下さい……! 」

 両手をつき、額を石畳に押し付けて、呻くような嗚咽に咽る、ピエール。

 槍を構えていた兵も、その鉾先を解いて下を向き、肩を震わせている。

 メイスンは、ピエールに歩み寄ると、彼の前に片膝をついて、しゃがみ込んだ。 がっくりと、うな垂れているピエールのうなじに、旗を掛ける。

「 旗に触れるのだ。 戦士、ピエール・ド・プーシェ…… 貴殿には、触れる資格がある 」

 男泣きに、顔をくしゃくしゃにしたピエールが顔を上げ、メイスンを見た。 小さく頷く、メイスン。

 ピエールは、首に掛かっている旗に目をやり、震える右手で、そっと旗に触れて言った。

「 …ああ… サーラ様……! 」

 メイスンは、ピエールの肩に左手を置き、言った。

「 …よくぞ、聞き分けてくれた。 礼を言うぞ、ピエール・ド・プーシェ 」

 ピエールが、涙ながらに言った。

「 そこの… ロベルトにも、触れさせてやってはくれまいか? カレ家に仕えておった頃からの、私の副官なのだ。 サーラ様のお手を取り、戦場までの道程を、お送りした事もある 」

 立ち尽くしていた兵士を見やる、メイスン。

「 無論だ。 …ロベルト、来るが良い 」

 メイスンに言われると、ロベルトと言う兵士は持っていた槍を放り出し、旗の元に駆け寄った。 ピエールの首に掛かっていた、旗の端を掴む。

「 サーラ様…! お懐かしゅうございます…! 私に、道端に咲いていた、ユリの花を摘んで下さいました。 御旗の図柄と同じ、ユリの花…! 私は一生、あなた様をお忘れする事はありません! 」

 メイスンが言った。

「 旗は、それこそ何万とあったが、この御旗は、サーラ様の陣中旗として、私が持っていたものだ。 常に、サーラ様と共にあった。 王宮に入られる際は、サーラ様、自らが掲げて、あの長い階段を登って行かれたのだ 」

「 あの時の、御旗……! 」

 ピエールとロベルトは、感慨深げである。

 …どうやら展開的には、無事に収まりそうな雰囲気だ。

 ピエールは、メイスンに言った。

「 決闘を申し込んでおきながら、自己的に放棄した私の償いは大きい… 騎士道は、忘れてはおらぬ。 私への処分は貴殿に委ねるが、このロベルトには、何の落ち度も無い。 見逃してはくれぬか? 」

 ロベルトは言った。

「 隊長… いや、曹長殿! 私は、どこまでもついて行きますぞ! カレ家無き今は、ピエール殿が、私の主。 これ以上、仕えるべき主を、私は失いたくありません! 」

 ロベルトが、思わず口にした隊長、と言う呼称……

 サーラの母親と共に、戦場を駆け巡っていた時、おそらくピエールは、プーシェ家の名誉と未来を一身に背負い、カレ家の兵を率いていた騎兵隊の一隊長だったのだろう。

 メイスンが言った。

「 貴殿が仕えるべき主は、そこにおられる……! 」

 僕らの方を見やる、メイスン。 ルネは、メイスンの言葉の意味を理解したように、サーラの手を取り、ピエールたちの前にエスコートした。

「 …この少女は? 」

 ピエールが、ルネに尋ねた。 メイスンに目配せするルネ。 メイスンは、小さく頷くと答えた。

「 …うむ。 貴殿たちが探していた、幻の王女であらせられる 」

 びっくりして、目が点になったような表情の、ピエールとロベルト。

「 ピ… ピュセル・サーラ……! こ、この方が……! 」

 旗を掴んだまま、ピエールが言った。

 サーラは、左手を胸に当て、少し膝を曲げて、お辞儀をした。 多分、この国での、皇族の礼式挨拶なのだろう。 優雅だ……

「 初めまして、サーラです。 母様と共に戦って頂いた、勇敢な戦士の方々にお会い出来て、光栄です 」

 慌てて右片膝をつき、右手を胸に当て、左手の拳を地面に付ける格好をするピエールとロベルト。 これもおそらく、皇族に接する時の、拝聴の体位なのだろう。 見ていると、サーラが凄く品位ある身分の者のように感じる。 実際、そうなのだろうが…

 サーラが言った。

「 お顔を、お上げ下さい。 王宮を出た私は、今は、ただの平民です。 そのような、拝聴の仕切りは無用です 」

 顔を上げたピエールが、再び、頭を垂れて言った。

「 何卒…… 何卒、このままでお許し下さい。 このままの方が… 私たちには、心地良いのです 」

「 そうですか。 少々、恥ずかしく思います… 」

 幾分、照れ気味なサーラ。

 ピエールが、ゆっくりと顔を上げて言った。

「 シーザ・ピュセル・サーラ… トゥル・ライメル様……! あの… あのサーラ様の、お子……! ああ… お会いしとうございました。 私共、雑兵の検閲に発見される事など、あり得ないと思っておりました。 まさか… まさか私の管轄に、お出で頂くとは 」

 メイスンが、小さく笑いながら言った。

「 裏を、かいたつもりだ 」

 ピエールが、メイスンに尋ねる。

「 メイスン殿。 先程、貴殿は、仕えるべき主と申された。 サーラ様に、お仕えしろと申されるのか? 」

「 不服か? ピエール 」

 信愛の情を表す呼称呼びに対し、メイスンも同じように、ピエール、とだけで応答した。

「 とんでもない。 再び、サーラ様と呼べる方に、お仕え出来るのだ。 こんな嬉しい事はない。 ただ… 」

 じっと、メイスンを見つめるピエール。 メイスンは、頷きながら答えた。

「 …そうだ。 我々は、王宮を奪還する。 アリウス陛下を、ご救出して差し上げるのだ 」

「 やはり、陛下の奪還を……! 」

 メイスンは続けた。

「 貴殿には、主であるレスター卿を欺く事になるが… 」

 ピエールは答えた。

「 サーラ様が、お出であそばされる以上、私の主はサーラ様です。 アリウス皇帝陛下を、ご救出されると言う大義名分があるならば、尚更の事。 サーラ様の御旗を掲げ、戦えるのなら… 私にとって、これに勝るものはありません。 反逆者は、むしろレスター卿です 」

 メイスンは、ニヤリと笑って答えた。

「 聞き分けが良過ぎて、怖いくらいだ、ピエール。 これも、ロレーヌ・サーラ后のお導きか 」

 ピエールは、サーラの右手を、うやうやしく取ると、その甲にキスをした。

「 麗しき、我が王女、ピュセル・サーラ様……! お行き下さい。 我々は、あなた様について参ります……! 」

 ロベルトも、同じようにサーラの手を取ると、キスをした。

「 お母上、ロレーヌ・サーラ后様と、お顔立ちが、とても良く似ておいでです。 聖旗 ラ・フルール・リーフの御旗の下、再び、正義の為に戦える事を誇りに思います 」

 サーラは言った。

「 見ての通りの、小娘です。 皆様の、旗印になれるかどうか… くれぐれも無茶をせず、私たちが動いたら、それに呼応して下さいませ 」

「 御意……! 」

 頭を垂れる、ピエールとロベルト。

 ルネが言った。

「 さあ、参りましょう、サーラ様。 倒れている兵共は、雷に打たれているだけです。 そろそろ、目を覚まします 」

 頷く、サーラ。


 僕らは、ロワール橋を渡った。

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