第5話、異国の地にて
薄暗い部屋だ……
年代のかかっていそうな、木製の大きな執務机がある。 机の上には、火の灯るランプ。見た事も無い文字が、いっぱい書いてある紙がランプの横に置いてあり、皮製で、鍵の付いたブッ太い辞書のような本などが、幾つも重ねて積み上げてある。
黒い鳥の羽が付いたペン、インク壺、虫眼鏡……
ガラスの入った格子窓の外は、夜のようだ。 太った三日月が見える。
「 …… 」
僕は、辺りを見渡した。
およそ、20畳くらいの、割と広い部屋だ。 木の板で出来た壁には、肖像画が何枚も掛けてあった。 中世ヨーロッパの貴族たちが着ていたような衣装をまとい、皆、ヒゲを生やしている。 バッハか、ヘンデルのような、白いクリクリの髪だ。
机の正面の壁には、祭壇が設けられており、林立する幾つもの細長いロウソクには、火がついていた。
ふと、周りの床を見ると、サーラが持っていた魔法円のような図が描いてある。 僕は、その中心にいた。
鼻を、ヒクヒクさせる。エサのニオイはしなかった……
突然、ぼわん、と煙が立ち込めた。
「 な、何だ? 何が始まるんだ? 」
僕が、怯えて体をプルプル震わせていると、煙の中からサーラが現れた。
「 ゲホ、ゲホッ! ゲホンッ! 何回やっても、この煙には慣れないわ、もう~…! ゲホン! 」
程なく、部屋の隅にあったドアから、男が入って来た。 ローマ法王が着ているような司祭服をまとい、サンダル履き。 ちょっと肥満体の男だ。 年齢は、30代くらいだろうか。
男は言った。
「 やあ、サーラ、お帰り。 大変だったね 」
「 デボラ先生。 ただ今、戻りました 」
コイツが、惑星をフッ飛ばしたゴキゲン教官か……
デボラが、サーラに尋ねる。
「 で、そのワガママな人間は、どうしたのかね? 」
…僕の事か? ドコが、ワガママなんだよ、てめえ…!
サーラが答える。
「 一緒に、お連れして参りました。 ソコに、いらっしゃいます 」
床を指差す、サーラ。 デボラは、床を見たが、僕には気付かないようだ。
「 え? ドコかね? 」
「 そこです、ほら 」
腰をかがめ、やっと僕の姿を確認したデボラ。
彼は言った。
「 何と、ネズミかっ…? 」
ハムスターだよ、てめえ! 間違えんな。 しかも、ゴールデンな。 よく分からんケド……
僕は、後ろ足で立ち上がり、鼻をヒクヒクさせた。
腰をかがめたまま、デボラは言った。
「 しかしまあ、ネズミとは… キミも、物好きだねえ~…! 」
ハムスターだっちゅうに! それに、どうしても、なりたくてなったんじゃねえっ。 事の経緯を、ちゃんと把握しとんのか? オッさん。
デボラは続けた。
「 しかも、尻尾が無い…… 何とも、妙なネズミだな 」
ハムスターだっちゅうとんじゃ、コラ! 足の指、かじったろか? 図鑑(小学館)で調べて、勉強せえ。
サーラは、僕を抱き上げると言った。
「 ちょっとした手違いで、こうなっちゃったんです。 てへへっ…? 」
サーラは、頭をかいた。
…カワイイから、許す。 でも、元に戻してくれなかったら、かじったる…!
デボラは、机の上にあった資料みたいなものをパラパラとめくり、言った。
「 まあ、今回は非常事態だ。 試験は中止だから、君の成績にキズがつく事はない。 …だが、これからどうするね? しばらくは、収まりそうに無いぞ? 」
「 クインシーの所に参ります。 この方を、元に戻してもらって、異次元にお返ししなくちゃ 」
うん、うん…! サーラちゃん、よく分かっていらっしゃるね。 僕、安心しちゃったよ。 頬袋の中のタネ、食べるね ♪
サーラは、肩に僕を乗せると、祭壇の所へ行き、ロウソクの火を吹き消した。
デボラが言った。
「 そうか… では、気を付けてな、サーラ。 町には、ハインリッヒの手下共が、顔を利かせている。 お父上様の事もあるし… 心配だ 」
サーラは、少し笑顔を作りながら答えた。
「 大丈夫です、デボラ先生。 イザとなったら、クインシーに、何とかしてもらいますから 」
…サーラちゃん、そのクインシーとか言うオッさん、ホントに大丈夫なの? ご隠居様だろ? くわぁ~っはっはっはっは! とか、笑ってばっかりで、全然、役に立たないんじゃないの? 僕的には、サーラが出した精霊のジイさんみたいなイメージなんだケド…
しかし、今の所、そのご隠居様を頼るしかなさそうである。 ボケボケになっちまって、呪文を忘れていたら、どうしようか……
僕は、段々と不安になって来た。
「 早く行こう、サーラ 」
僕が、そう言うと、デボラは、びっくりしたような顔をしながら言った。
「 何と! 喋るのか? このネズミは! 」
ハムスターだ、っちゅうとんじゃ! このクソたわけがっ! あとで、かじったるからなっ? 覚えとけ!
夜の界隈は、ごった返していた。
足早に通り過ぎる、頭巾を被った婦人。 猛烈なスピードで、人ごみの中を走り抜ける、荷車。 泣き叫ぶ、子供……
赤レンガや白い漆喰(しっくい)のようなもので壁を固め、粗雑な作りの瓦を屋根に乗せた家々が軒を連ねている。 ここは、下町だろうか。 民家の間の、細く暗い路地裏まで人が溢れ、心配顔な住民たちが右往左往していた……
「 ロッシュの方が、燃えてるぞ! 」
「 レスター様の兵隊たちが、教会を襲ったそうだ! 」
口々に叫びながら、狭い路地裏を、男たちが走り抜けて行く。 飛び交う情報に、住民たちは、尚更に表情を険しくした。
軒先の縁台に、パンのようなものを並べて売っていた商店の店主らしき男が、商品を片付け始める。 果実らしき実を並べていた隣の店も、木戸を閉め始めた。 穀物のようなものが入った大きな網カゴを抱え、頭に頭巾を被った中年の女性が、慌ててレンガ作りのような建物の中に入って行く。 粗末な衣服を着た男は、子供たちを家に招き入れ、木の扉に、かんぬきを掛けた。
僕は、道行くサーラの肩に掴まりながら、そんな情景を眺めていた。
「 …何か、大変そうだね…! 」
サーラの耳元で、僕は言った。
「 事態は、思ったより深刻なようです、チャーリー様…! 一刻も早く、クインシーの所へ参りましょう 」
あのさ… チャーリーじゃねえって。 僕には、三原と言う…
その時、突然、前方で騒ぎが起こった。 馬のような動物に乗って、甲冑を着た兵士らしき数人の姿が見える。
サーラが言った。
「 ハインリッヒの手下共です! チャーリー様、私の、髪の中に隠れて下さい 」
だから、チャーリーじゃねえって… ええい、この際、後回しだ。
僕は、長いサーラの髪の中に隠れ、様子をうかがった。
「 緊急事態である! 兵糧を貸し受ける! 即刻に、食料を差し出すように! 」
馬のような動物に乗った指揮官らしい男が、民衆に向かって叫んでいる。 しかし、『 借りて 』いるのではなく、明らかに略奪しているようだ。 木戸を破壊した民家から、次々と食料を強奪している。 家の主は、槍を持った兵士に小突き回されているようだ。 幼児が、火が付いたように泣きわめいている…!
サーラは、その騒ぎを避けるように、近くにあった路地へ入った。
足早に、狭い路地を抜け、少し広い通りに出る。 立ち並ぶ家々の向こう側の夜空が、赤く染まっている。 ……煙のニオイだ。 どこかで、鐘楼の鐘のような音が打ち鳴らされている…!
( これは、マジでヤバそうだぞ? もしかして僕は、とんでもない世界に連れて来られたのでは…? )
僕は、無事に帰れるのだろうか? とりあえず、ヒマワリのタネ、食べよう……
「 サーラ様、サーラ様…! 」
路地裏を走り抜けるサーラに、太った中年の女性が、小さなガラス窓を開けて声を掛けた。
「 メラニーおばさん…! 」
サーラが答えると、女性は入り口のかんぬきを抜き、扉を開いて外へ出て来た。
暗い路地に、室内の明かりが黄色く映る……
女性は、長い金髪を真ん中で分けて、後で縛り、大きな丸襟のシャツに、青いギンガムチェックのボレロのような服を着ていた。
サーラに、メラニーと呼ばれた女性は、辺りの様子をキョロキョロとうかがいながらサーラに近寄ると、心配そうに言った。
「 今日、試験だったんですよね? 大変な事になってしまって… 案じておりました。 ご無事に、お戻りになられたんですね? 良かった…! 」
「 ディックとポーラは、大丈夫? 」
サーラが言うと、家の中から、小さな男の子と女の子が駆け寄って来た。
「 サーラ様! 僕ら、大丈夫だよ? 」
男の子が言うと、続けて、女の子が尋ねた。
「 異次元のお国のお話し、聞かせてよ、サーラ様ぁ~! 」
メラニーと言う女性が、子供たちをたしなめる。
「 また、今度だよ…! 今は、それどころじゃないんだから 」
不満そうな、子供たち。
「 ちぇっ、つまんないの~ 」
「 また今度ね。 良い子にしていなきゃ、ダメよ? 」
子供たちの頭を撫で、苦笑いするサーラ。
メラニーが言った。
「 して… サーラ様、これからどちらへ? 」
「 クインシーの所に参ります 」
「 おお、クインシー様の下へ…! それがよろしゅうございます。 クインシー様なら、良い知恵をお持ちでしょう。 お気を付けて 」
メラニーと別れたサーラは、再び暗い路地裏を、足早に歩き出した。
( …何か、変だぞ? )
僕は、先程のメラニーとか言うおばさんの言動が気になった。
単なる知人、などと言う間柄ではなさそうだ。 メラニーは、サーラに対して敬語を使っていた。 それも、近所付き合いのあるような間柄、という感じでもない。 一目、置いているような……
クインシーとか言う退役軍人も、ワケありな存在であるような喋り方してたし……
僕は、隠れていたサーラの髪を掻き分け、頭を出すと尋ねた。
「 今の人、誰? 」
サーラは、辺りの状況に目を配りつつ、小走りに路地を抜けながら答えた。
「 クインシーの部下だった衛兵連隊軍曹、オルレアンのお母さんです。 今は、オルレアンも皇帝陛下と共々、王宮に幽閉されているのでしょう… 」
軍曹の母親が、何で、サーラに敬語を?
どうも少々、謎めいて来たサーラの正体…… ただの『 精霊術士候補生 』では、なさそうである……
サーラは、元 衛兵連隊の隊士で、連隊長でもあった『 クインシー 』とか言う退役軍人の家へと急いだ。
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