第23話
足音がする。それはひどく焦っている様子だった。その音にジルエットの意識は覚醒する。寝室のすぐ外から足音は聞こえた。
乾いた涙でひきつる顔の感触を、ぼうっとした頭で感じていると寝室の扉が勢いよく開く。それを布団の隙間から空ろな目で、そこにプーレが立っているのを見た。
「ここにいたんですか、ジルエット様。村長さんから聞いて探していたんですよ」
その言葉でプーレが村長の家での事を知っていることを理解して、ジルエットは素早く顔を布団で隠すと背中を向けた。
「……どうして来たんだ」
「どうしてって……」
「私は、お前が言う立派な姫騎士なんかじゃない。それに憧れて、空回りして、そんな馬鹿なやつなんだ。尊敬されるすごい人間なんかじゃない……」
こらえきれず涙声で言うと「そんなことはありません!」とプーレの大声。ゆっくりとベッドへ近づくと、一瞬躊躇して布団に包まったジルエットの肩に手を置く。
「……僕にとってジルエット様は、本当にすごい人なんです。姫騎士と同じくらい。姫騎士の旅の、少年騎士が最初に出てくる話知ってますか。少年は街の孤児で、人さらいに捕まりそうになったところを姫騎士に助けられるんです」
ジルエットは無言。それでもプーレは言葉を続ける。
「最初にそれを読んだとき、少年がまるで自分のように思えました」
プーレはオークトのハーフという理由で、商品として産まれた時から檻に入れられ孤独だった。ある意味で孤児より悲惨だろう。
「そのころはそれが普通で辛いとも思いませんでした。でもこの村に来て、みんなから優しくされて、それでいろいろ知るようになって。でも僕はあのころを悲しいとも思いません。あまり記憶が無いんです。でも……」
そこで言葉を詰まらせる。それが気になり、ジルエットはわずかに首を動かした。
「商人さんと初めて会った時、オークのハーフだって知ると、すごい剣幕で怒ったり逃げたり、そこで人とは違うってことを強く感じて、それが辛かったです……でも、ジルエット様はそうじゃなかったですよね」
「……いや。私も最初はハーフだと知ったとき……驚いた」
つい答えてしまいはっと口をつぐむが、プーレはその声に嬉しそうに笑った。
「でも、その後は普通に話してくれましたよね」
それはジルエットがその境遇に、騎士学校での自分を重ね合わせたからからだ。それを思い出したとき、急に腑に落ちた。ジルエットがそう思ったように、プーレもそれを知って自分と似たような思いを感じたのではないだろうか。
「他の人が何て言おうと、僕はジルエット様が、好きですよ」
「プーレ……」
ジルエットは体の向きを変え、プーレへと向く。涙が浮かんだ目を、優しく見返す。そして躊躇いがちにジルエットの頭を撫でる。子供のようだなと思うと、ジルエットは自然に笑顔になった。プーレも微笑む。
「あの、不思議なんですけど、どうしてあの領主の息子さんは村に来たんでしょう? その……ジルエット様のことを言いに来ただけとは思えないんですけど」
「たしかにそうだな……」
ジルエットは布団をはねのけ、ベッドの上に上体を起こすと腕組みをする。
「なぜ村に来たのか。辺境の村にわざわざ来るような理由か……」
「村に変わったことは無いですし、村長さんも領主様に何か頼んでもいないって言ってました。だから急に来たからすごい慌てたって」
村で最近あったことといえば、数日前に商隊が来たことだ。
「商隊……そういう事か」
「どうしたんですか?」
ジルエットはプーレにあの商人たちが法外な値段で商売をしていた事、それをジルエットが気付いて適切な値段にするように言ったことを教える。プーレはそれを知ると驚く。
「そういえば、村の人たちがすごいたくさん物が買えたって喜んでいたんですけど、そういう理由があったんですか。でも、それがどうしてあの人が来る理由に?」
「おそらくあの商人たちは領主と繋がっていたんだろう。領地で不当に利益を上げていれば領主がいい顔をするわけが無いからな。もし発覚すれば大変なことになる」
プーレはよく理解できていないが、領主となればそれなりの権限がある。この場合、領地の民に損害を与えたとして商人を処分、追放や最悪死罪にもできないことはないのだ。
「商人はあの小麦で上げた利益を領主と山分けしていたんだろう。それを私が気付いたため利益が無くなり、領主の元へ入ってくる金が無くなった。それでアイツを送り込んで、私を村から追い出そうとしたんだろう。そうすればまた法外な値段で商売ができるからな」
プーレは感心した顔で何度も頷いている。
「すごいです、そんな事をすぐに思いつくなんて。それで、どうするんですか?」
「アイツや領主に私を追い出す権限は無いが、村に嫌がらせをされるかもしれないからな……何か相手を完全に黙らせる方法があればいいのだが……」
その時扉が開く音がした。すると寝室の入り口に、リーヴルがいた。
「いた! 姫騎士さまー!」
リーヴルは駆け寄ると、ジルエットの胸に飛び込んだ。
「どうしたんだ、リーヴル?」
「みんながね、領主のこどもにイジメられて泣いてるって聞いたから、なぐさめにきたの」
いじめらているか、とジルエットは情けなさに自嘲の笑みを浮かべた。ジルエットは優しい目でリーヴルの頭を撫でる。
「はいっ! これあげる」
リーヴルは両手を差し出すと、そこには赤い石が乗っていた。それはかなり大きいものだった。村人達が身につけている物はどれも指先で掴める程度のものだが、これはリーヴルの手の平より少し小さいほどの大きさだ。
「これは?」
「さっき見つけたの。これ、姫騎士さまにあげる!」
ジルエットは笑顔で受け取ると、ありがとうともう一度リーヴルの頭を撫でる。リーヴルはすごく嬉しそうだ。ふとプーレを見ると、彼も嬉しそうに笑っていた。それを見て胸が温かくなる。
コション村が好きだ。ここを追い出されるわけにはいかない。何としてでも領主やボヴァンをどうにかしなければならない。そう決意して手の赤い石を握り締める。
「あれ? ジルエット様、その石光って、ませんか?」
プーレの言葉に怪訝そうに石を握った手を見ると、たしかに手の中の石が淡く赤い光を発していた。三人とも驚きを表情に表す。プーレとリーヴルは石が光っている事自体に驚いていたが、ジルエットが驚いている意味は違っていた。
「これは……魔石じゃないか!」
魔石とはこの村にある魔石灯などに使われる材料だ。魔石はその中に魔力を貯蔵している。これを使用して様々な魔道具を作り、また魔法使いにとっては魔法の強化などに使う。
ジルエットの驚きようにプーレとリーヴルは顔を見合わせていると、ジルエットは突然ベッドから飛び下りると、寝室の片隅にある棚から本を次々と引っ張り出しはじめた。
「違う、これじゃなくて……これだ!」
ジルエットが探し当てた書物は分厚く、装丁のしっかりしたその表紙には『法令集』という題名が大きく書かれていた。
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