第22話
七日に一度の休日であるこの日、村から離れた場所にジルエットとプーレの姿があった。二人は剣術の訓練をしている。といってもやっているのは素振りだけだが。
「……素振り三百回終わりました!」
「よし。だいぶ剣筋は良くなってきたな。ただ、まだ腕だけで振っている。体全体を使え」
ジルエットはプーレに見本を見せる。剣を振り下ろす彼女の姿を、プーレは真剣な目で見つめていた。そこには多分に憧れが含まれている。
「わかったか」
「はい!」
プーレは大きな声で答えると、再び素振りを始める。先程三百回も素振りをしたというのに疲れた様子は微塵も無い。これはプーレがオークと人間のハーフという特殊な体質のおかげで、人間とは比べ物にならない体力をしているからだ。
怪力でプーレの振る剣は音を立てて風を切る。その速度だけならジルエットを凌駕しているだろう。それを見ながらジルエットは知られないように、そっと安堵の息を漏らす。
「ふう……何とか誤魔化せたか」
何を誤魔化したかというと、プーレの素振りの指導だ。ジルエットは誰かから教えてもらったことはあっても、誰かに教えたことは一切無い。しかも彼女はかなり感覚的に剣術を覚えていて、理論や細かい動きなどははっきり言って覚えていなかった。おかげでかなり大雑把な、ああやって自分で見本を見せるという指導になっている。
プーレの素振りをしばらく観察していると、村のほうから人影がやって来た。それはリーヴルだった。ジルエットを見つけて駆け寄ってくる。
「姫騎士さまー。村長さんがよんでたよー」
「村長が? 何の用だろうか。とりあえず行ってくる」
「はい。僕はもうちょっと素振りをしています」
「あまりやり過ぎるなよ。リーヴルはどうするんだ」
「私は川で石をひろうのー!」
ジルエット達が訓練をしているのは、村から少し離れた場所にある川の手前にある場所だった。川は地面から下がった場所に流れている。地面を大きく削った光景は、その昔にはかなり大きい川だったことが窺えた。しかし今はその川も穏やかで、川原が石だらけなこと以外は危険も無い。
その転がる石の中に、探すとたまに赤い石が混じっている。磨くと鮮やかな色になる石は、この村の人々が身につけている唯一の装飾品だ。これを見つけるのはコション村の子供達の遊びの定番だった。
「そうか。気をつけるんだぞ」
ジルエットはそう一言注意して村へ向かった。リーヴル一人だと不安だが、プーレもいるので安心だ。村へ到着すると、村の様子が慌ただしい。手近にいた一人をつかまえて話を聞いてみる。
「何があったんだ?」
「あっ、騎士様。なんでもここの領主の息子さんが来たんだってよ」
その言葉にジルエットは眉を上げる。こんな辺境の村にそんな身分の人間が来ることは、まずありえないことだ。厄介事のにおいを感じ、知らず唇が曲がった。
ジルエットは村長の家へ急ぎ足で向かった。家の前には豪華な馬車があった。これに乗って領主の息子は来たのだろう。一度呼吸を整えて家へ入る。
「村長。私を呼んだと聞いたが?」
村長の家の中には、見知らぬ人間が多数いた。その多くは鎧と剣を身に着けた騎士。領主の息子の護衛だろう。その他に数人の身なりのよい人間が立っていた。彼らは小間使いだろう。そんな中で村長が肩身狭そうに椅子へ座っている。彼のテーブルを挟んで反対側、上座の位置に一段と豪奢な服を着た、若い男性が座っていた。
「やはり、派遣騎士というのはお前だったか」
「お前はっ!」
男の顔を見た瞬間、ジルエットは思わず叫んだ。その人物が見知った者で、さらにはもう会う事も無いだろうと思っていた人物だったからだ。
「自己紹介の必要は無いかも知れないが、いちおう名乗っておこう。この村を含めた領地の領主を父に持つ俺の名前は、ボヴァン・マントンだ」
「ボヴァン……!」
それは二度と聞きたくない名前だった。過去の苦い思い出がよみがえる。なぜその男がこんな所にと思っていると、それを察したのかボヴァンは薄笑いを浮かべた。
「騎士学校時代の仲間が会いに来たというのにつれないな。まあ用はお前に会うことじゃないから問題ないが」
口を開かず目で睨みつけて先をうながすと、ボヴァンは肩をすくめて話し始める。
「まあ慌てるな。さっきまでそこの村長と話をしていたんだが、お前はなかなかこの村で気に入られているみたいだな」
ボヴァンが目線を村長へ移す。
「は、はいっ。騎士様は素晴らしい方ですの。特に子供達に人気で、毎日学校で授業をしてくれていますですのう」
あれからジルエットは毎日のように学校で授業をしていた。実際は勉強では無く時間は短いが、子供達の知らない遠くの出来事を話すだけで喜んでもらえている。
「ククッ、あのジルエットが教師をしているとはな」
それが可笑しいとボヴァンは笑う。ジルエットは目を釣り上げるが、彼は痛痒を感じないようだ。暗い笑みを浮かべた目をジルエットへ向ける。
「まさか騎士学校の嫌われ者が、ここでは人気者なのだからな」
ジルエットの顔色がさっと変わる。その様子にボヴァンはさらに愉悦を覚えたニヤついた笑みに唇を曲げ、彼女ではなく村長へ話しかけた。
「村の人間達は知らないようだな。まあ、自分から嫌われ者だったなどと言う必要は無いか。仕方が無いから俺が話してやろう」
やめてくれ。そう言いたいが、ジルエットの口も体も動かない。
騎士学校に入学した当初のジルエットは、言ってみれば世間知らずだった。田舎の貴族として生まれ、両親と兄達によって甘やかされた箱入り娘だった。そうなったのは彼女が両親の後年に生まれ、二人の兄とも十才以上も年齢が離れていたからだろう。
ジルエットは幼少期にリーヴルと同じ様に姫騎士の旅という絵本に出会い、本気で騎士を目指すようになった。両親や兄も彼女を姫騎士とおだてたのも原因だろう。
そんな彼女は自分が優れた、いつかは姫騎士になるだろう人物と半分本気で信じていた。そんな自意識過剰で自信も過剰な人間は、騎士学校では浮いてしまう。
「俺も初めて聞いたときには笑ったな。自分は姫騎士になる、なんて言ったそうだ。そんな馬鹿みたいなこと本気で考えているなんて信じられないだろ」
ボヴァンはあからさまな嘲笑をその顔に浮かべた。
騎士学校には、そんな夢見がちな人間はまずいない。入学した人間は、現実的な未来を見据えている。貴族や領主であれば親の跡目を継ぐことを、それができない次男や三男は騎士として身を立てることを。騎士を目指す女性の中には、ジルエットのような貴族もいる。しかしその誰もが彼女のように夢想じみた想いを持っていない。みんな現実的な未来を見て、騎士学校へ入学し勉学に励んでいる。貴族や有力者でない子供達なら尚更だ。
そんな中に入ればジルエットは異物だ。貴族の子供であり、その後の生活の不安も無いことが、他の生徒たちの不満にも繋がった。生徒達には道楽で騎士学校に入学したと思われていたが、ジルエットは本気で騎士になろうと思っていたのだが。
「姫騎士など子供の夢物語だ。いや、物心つけばそれも忘れる。しかし、こいつはいつまでもそんな夢を見ていた。全く、度し難い馬鹿じゃないか」
侮蔑の言葉に、ジルエットの肩が反射的に震える。表情は凍ったかのように動かない。
ボヴァンは次々とジルエットの過去を暴き立てる。生徒達との軋轢と諍い。そのうち誰もジルエットと会話をしなくなり無視される。あからさまな暴力などは無いが、陰湿な嫌がらせ。野営訓練で仲間に眠らされ、森の奥深くに放置されたこと。
その一つ一つがジルエットの心を切り刻む。忘れようと思っていた数々の出来事が、連続して脳裏に浮かぶ。そんな事を誰も知らない、コション村での穏やかな生活で癒されていたジルエットの心が悲鳴をあげる。
「そんな騎士として恥ずかしい人間がいる村だなんて、誰かに知られたらどうなるんだろうね? 夢物語を信じる子供のような騎士が治める村。何とも滑稽じゃないか。きっとみんな笑って指さすんだ。あれがその村で、そこにいる騎士が噂の間抜けな姫騎士かって」
そこで我慢ができなくなったジルエットは村長の家を飛び出した。どこへ行けばいいのかもわからない。村人達の姿が騎士学校の生徒達と重なって見える。彼ら彼女らの視線が、まるで自分を嘲笑しているように感じて、目を合わせないように地面を見ながら走った。
足は知らない間に自分の住んでいるロギハウスへ向かっていた。壊れるかと思うほど乱暴に扉を開けて家へ飛び込む。そのまま寝室へ向かい、ベッドの中に頭まで布団に包まり、体を丸めて倒れた。涙は流すまいとしていたが、一筋こぼれるのを感じて、意識は消えた。
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