第20話
「それがどうかしましたか、って……ええっ!」
商人はそこに刻まれている紋章を見て驚愕の声をあげた。それは、この国の王家の紋章だった。王家の紋章をみだりに使ってはならない。もし許可無く紋章を使ってしまえば牢獄に入れられるだけでなく、最悪死罪もありえるほどだ。
ジルエットがネックレスは、王家から許可された物である。これは彼女が正式な派遣騎士であることを照明するものだ。金属製の板には、王家の紋章の下にジルエットの名前と『この者を王が認めた派遣騎士であると認める』と刻まれていた。
「あ、あなたは……!」
驚愕のあまり言葉を無くしてただジルエットを凝視する商人。ジルエットはそれを冷たい目で睨んだ。
「私の名前は、ジルエット・ブルジェオン。ブルジェオン家の娘であり、貴族だ。そして王より正式に任命された、コション村の派遣騎士でもある」
「あ、ああ……」
商人は思わず足から崩れ落ちそうになるが、ジルエットは腕をつかんで阻止する。
「この商隊の責任者はどこだ。案内しろ」
「は、はいっ!」
ジルエットが耳元で脅迫するように思い声でささやくと、商人は涙目で首肯した。
「プーレ、リーヴル。少しそこで待っていてくれ。この商人と少し話してくる」
プーレたちはその言葉に不思議そうにしながらも了承した。
「ここか?」
商人が案内したのは、臨時市場から少し離れた位置にある馬車だった。これは他の馬車と違って、全体が幌ではなく木でできている。これは荷馬車ではなく、人が移動するために作られた馬車だった。
商人が馬車の扉を叩くと、中から男の声が聞こえた。
「誰だ?」
「私です。すいません、ちょっとお話が……」
扉が開くと、立派な髭をたくわえた中年の男が顔を出した。男は商人を見て怪訝な顔をすると、隣に立つジルエットの姿を見てさらに首をひねった。
「こちらのお嬢さんはどなたかな?」
「こ、こちらの方は……」
「私はこういう者だ」
ジルエットが首から提げた許可証にある王家の紋章を確認した男は、声こそ出さなかったが両目を見開いて驚きをあらわにした。
「……とりあえず中へ」
ジルエットは商人とともに馬車の中へ入る。中は広く、三人は座れそうなソファーが二つあり、仕切られた壁には扉があるので、その向こうにも部屋があるようだった。
「おかけください」
向かい合わせにあるソファーにジルエットが座ると、その反対側へ男は座った。商人は男の横へ着席せずに立つ。商人の上司が男だという証だ。
「はじめまして。私はダイアンという商人で、この商隊をまかされています。それで、貴方様は一体どんな御用で?」
「私の名前は、ジルエット・ブルジェオン。コション村の派遣騎士だ」
「派遣騎士ですか。この村に騎士様はいないと思っていたのですが」
「今年からこの村に来たからな、知らないの仕方が無いだろう」
「そうですか。それで、その派遣騎士様がなぜ私に合いにいらっしゃtのでしょうか?」
ジルエットが騎士と知っても態度を崩さないダイアンは、落ち着いた顔で彼女を見ている。ジルエットは冷たい無表情で睨みながら口を開いた。
「単刀直入に言おう。村人の住人に法外な値段で物を売るのを止めてほしい」
「法外だなんて、私達はちゃんと適切な値段で……」
「はぐらかすのは止めて貰おう。私は全てでは無いが、ある程度の相場ぐらいは知っている。どこにでもある絵本が小麦十袋、なまくらの剣が小麦四十袋もするはずがないといううぐらいはな」
言っているうちに言葉には徐々にこもっていった。リーヴルがこの日をどれだけ楽しみしているか知っていた。村の子供達には小麦十袋がお小遣いとして渡されている。彼女はこれで大好きな姫騎士の旅の絵本をたくさん買えると、数日前からずっと嬉しそうに話していた。プーレもまさか騎士になりたいと思っていたとは知らなかった。それも絵本のように、ジルエットと共になど。
そんな二人の思いを踏みにじるような行為と、何より商人の笑顔の裏にある嘲笑と見下した目が何より不快だった。二人だけでなく、村人から騙し取っていることも許せない。
そんなジルエットの剣幕に押されながらも、ダイアンは笑みを浮かべていた。
「そうかもしれませんが、私達も利益が無いと。ここは辺境ですよね? もしもですよ、私達が来なくなったらすごく困ると思うのですが?」
「……私の肩書きである派遣騎士の正式名称を知っているか?」
その唐突な言葉に、ダイアンは怪訝な表情になる。
「王名勅任派遣騎士、だ。つまり私は王によってこの肩書きを与えられている。私の職務は、派遣された場所の防衛任務だけでなく、税の取立て、犯罪の取り締まり、そして村の政治経済まで権限が与えられているのだ。さらには私が問題ありとみなした事柄があれば、それを記した手紙は王に届けられることになっている」
まだ意味がよくわかっていないダイアンは、ただ困惑した顔をするだけだった。
「つまりだ、私が村人達が商人によって不当に搾取されていると手紙に書けば、それがすぐさま王に届けられるという訳だ。そうなってしまえば、お前達に王からの注意、もしかすれば騎士達に取り押さえられ牢獄へ繋がれるかもしれない。それでもいいのか?」
事態を理解したダイアンと横に立っていた承認は、顔を真っ青にさせる。そこで鋭く目を光らせていたジルエットは、ふっと表情をやわらげた。
「私はこの事をすぐに王へ届けるつもりはない。ただ、あまりにも不当な値段で村人達に商品を買わせているのが気に入らないだけだ。それに商品をタダにしろなどと言うつもりもない。多少の値上げは仕方がないと思っている。だが……それが目に余るようなば、わかっているな」
最後に一転、殺気を込めた目で睨めば、二人は震え上がって青い顔で目を白黒させる。
「もう一度言うぞ。商品の値段はどうする?」
「……商品は、値下げさせていただきます……」
「そうか。受け入れてくれて感謝する。では、行くぞ商人」
ジルエットの言葉に飛び跳ねんばかりで商人は駆け寄ってくる。馬車の外に出て扉を閉める前、ジルエットはふいに振り返ってダイアンを見た。
「これからよろしく頼んだぞ。きっとお前達とは、いい関係を築けると思うからな」
商人を連れて戻ってくると、ちゃんとプーレとリーヴルは待っていた。
「おそーい」
「すまなかったな。でも喜んでくれ、絵本が全部買えるぞ。なあ商人」
「は、はいっ。五冊で五袋でいいです……ひぃっ! や、やっぱり四袋で」
ジルエットが睨みつけると、商人は悲鳴をあげてさらに値段を下げた。それでもかなり利益はあるのだが、一冊十袋と比べれば差額は大きい。
「えっ! いいんですか?」
「ああ。少し話をしたら快く値下げしてくれたんだ。そうだろ?」
「そ、そうですっ」
「じゃあ全部買えるんだ。やったー!」
リーヴルは四袋で姫騎士の旅の絵本を五冊買った。他の絵本は買わないのかと聞くと、これが好きだから他のはいらないという返事だった。
「嬉しそうですね」
「そうだな」
絵本を抱えて体から喜びを発散させているリーヴルの後ろを二人はゆっくりと歩く。
「そうだ。プーレが剣を買った場所に連れて行ってくれないか。私も剣が見たい」
「わかりました」
プーレに案内された場所は、剣やナイフといった刃物を扱っている商人の店だった。リーヴルの姿は無い。彼女は絵本を読むために家へ帰ったのだ。
「いらっしゃい」
ジルエットは剣を貸してくれと頼む。それに疑問を感じることもなく、プーレは彼女へ買ったばかりの剣を渡した。
「これは、お前が売った物だな」
「ああ。そうだよ」
それがどうしたのかといった様子の商人に、ジルエットの眉がぴくりと動く。
「この刃を見て何とも思わないのか。歪みと欠けだらけのこの剣が、小麦四十袋だと。馬鹿にするのもいいかげんにしろ!」
ジルエットが声を荒げると、商人は目を丸くしたあと、顔を真っ赤にして怒る。
「商品にケチをつけるつもりか! ウチが扱ってるのはどれも一級品だ!」
「こんな使い古された手入れもされていない物を一級品だと。お前の目は腐ってるのか」
突然言い合いをはじめた二人に、プーレはおろおろと顔をその間で彷徨わせる。
その時、息を切らして走りこんで来た人物がいた。村人ではないので商隊の人間だろう。その男はジルエットと怒鳴り合いをしていた商人に駆け寄り、その耳元で何かを伝える。すると商人の顔色が一瞬で変わった。
その様子を薄ら笑いを浮かべて見ていたジルエットは、首元から王家の紋章が刻まれた許可証を、おもむろに取り出した。
「ところで、私はこういう者なんだが?」
「これはこれは、失礼を。どうやら間違えて不良品をお売りしてしまいましたようで」
態度を突然変えた商人に、プーレは瞬きをする。
「そちらは交換させてもらいますです、はい」
「小麦四十袋ぶんの剣はあるのか?」
商人は素早く身をひるがえすと、後ろの馬車へ向かって走って行った。そしてすぐに手に剣を持って戻ってくる。
「こちらになります」
「ふむ……」
ジルエットは外見を確認すると、剣身を抜き放つ。陽光に美しい刃が光った。
「柄まで全部鉄製だな。この輝きを見ると、おそらく合金か」
ジルエットは騎士なので、それなりに武具の見極めができる目を持っている。彼女から見てもその剣は、おそらく相応の値段の一品に思えた。
「うむ、これはいいな」
「ありがとうございます。これからもご贔屓に」
慇懃に頭を下げる商人を見ることも無く、ジルエットはプーレを即して店の前から去る。
「これがお前の剣だ」
「えっ、でもこんなに立派な。どうして……」
「話を聞いていなかったのか。さっき言っていただろう、間違えて不良品を売ってしまったと。それが元々プーレが買ったはずの剣なんだ」
「僕の剣……」
プーレは夢を見ているような目で、じっと渡された剣を見つめていた。するとその目が真剣なものに変化し、ジルエットを真っ直ぐ見据えた。
「ジルエット様にお願いがあります」
「お願い? 何だ、言ってみろ」
「僕に剣術を教えてください!」
唐突な申し出に、ジルエットは目を丸くする。その言葉が嘘では無い証拠に、プーレの瞳は真剣な輝きを放っていた。
「リーヴルが言っていたのは本当で、僕は騎士になりたいんです。僕はあの姫騎士の旅の絵本を読んでから、少年騎士に憧れていました。絵本の少年騎士は最初はただの平民の子供なのに、自分の強い意志で必死に姫騎士に頼んで、辛い修行にも耐えて騎士になりました。そこに、すごく感動したんです」
そこまで言うとプーレは悲しげな顔になる。
「僕はオークと人間のハーフです。だから騎士になんてなれないことは分かっています。でも、それでも僕は、こんな自分でも誇りを持てるようになりたいんです!」
そこでジルエットは、いつもそんな事は感じさせないプーレだが、その奥底に自分の出自に対するコンプレックスがあるのだと気付く。
村人達から人と変わらない扱いをされていても、だからこそ自分のオークと人間のハーフという存在に悩むのかもしれない。
人と相容れない存在。そこに自らの過去を重ね合わせる。全く境遇が違う二人だが、ジルエットにはプーレの気持ちが理解できるような気がした。
「わかった。剣術の訓練をしてやろう。普段はプーレの仕事があるから休日に訓練することになるが、大丈夫か?」
「はい! 頑張ります!」
やる気をみなぎらせたプーレに、ジルエットの口の端が上がる。
「私の訓練は厳しいぞ」
意地悪げに笑って言うが、プーレは生真面目な顔で頷く。
「一生懸命やって、ジルエット様を守れるように強くなります!」
「そうか。それは嬉しいな」
思わずこぼれた言葉に、小さく口を開けるジルエット。プーレも思いがけない言葉に目を丸くして驚く。二人がお互いの顔を見て、さっと顔を前に戻した。
「ま、まあ頑張って、早く強くなれるように努力するんだな」
「は、はいっ!」
プーレの顔は赤い。ジルエットも頬が薄く紅潮しているが、表情はいつもと同じ無表情だ。しかしその口元は、小さく笑みの弧を描いていた。
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