第19話

 買い物を終えたマタンとジルエットは並んで歩く。

「そんなに不機嫌そうな顔をしないでください」

「……しかし、あれはあまりにも高すぎないか」

「はい。私もそう思います」

 一瞬聞き間違いかと思ったが、その意味を理解したジルエットは勢いよくマタンへ驚いた顔を向けた。

「さっきはあの値段で満足していたと言っていたのではないのか?」

「あれは嘘です」

 あっさりとした物言いに、ジルエットはぽかんと口を開けた。

「これは先程買った茶葉です。確かにこれはピールの茶葉ですが……決して高級茶葉ではありません。ピールは庶民の味として親しまれている、安い茶葉なのです」

「なんだって?」

「もう一つの茶葉、グリマも高級茶葉ではありません。ピールと同じく安いものです」

「つまり、あの商人は嘘をついたのだな! 文句を言ってくる!」

 怒りに目を釣り上げて戻ろうとすると、その腕をマタンがつかんで止めた。

「待ってください。私はあの値段で納得して買いました。ですから大丈夫です」

「しかし、他の村人が同じ様に法外な値段で買ったら!」

「村人は誰も茶葉は買いません。買っても一つか二つなので、問題ないでしょう。それに……下手に文句を言うと村に迷惑をかけてしまうかもしれません」

「どういうことだ?」

 マタンはいつもの優しい顔ではなく、真剣な目で語る。

 コション村に来る商人は、ある一人の商人に連なる者たちだけである。こんな辺境の村に昔から一年に一度とはいえ商人が来ていたのは、かろうじてその商人が商いをしている範囲に近かったためだ。もし商人の機嫌を損ねてしまえば、今後村へ来なくなってしまうかもしれない。そうなれば生活必需品が入手できなくなる。特に塩が手に入らなくなってしまえば、塩を村で自給することは不可能なため、村は存亡の危機に陥ってしまう。

「たしかに値段は高いかもしれませんが、それは茶葉などの嗜好品などに限られます。塩の値段は相応の値段で取引されているので、騒ぎたててそうなる事は防ぎたいのです」

「なるほどな……」

 商人はなるべく高い値段で商品を売るのが目的だ。それが詐欺同然の値段でも、それが盗難品でなければ問題は無い。しかしこの法外な値段に村人達は怒らないのだろうか。

「コション村は数年前まで、一台程度の馬車に乗った商人しか来ませんでした。持ち込む商品はいくつかの服や鍋、塩と干し肉などの保存食程度。それ以外の商品を見たことが無かったのです。なので急に他の商品が増えても、その値段が相場同様のものなのか判断できず、商人が言った値段が正しいと思ってしまうのです」

「そうか。見たことも無い商品ならば、その値段も知るはずが無いわけか……」

「はい。それに生活必需品の値段は以前と同じです。収入が増えたので、それらを買って余ったお金、ではなく小麦で好きなものを買うため不満もありません」

「むう……」

 そう考えると相場より高い値段で買い物をしていても、特に問題は無いように思える。しかし村人達を騙している訳で、コション村の人々に愛着を持ったジルエットには悔しくてたまらない。眉間にしわを作って唸る。

「だが、それでも四十袋はひどすぎる。それだと残り十袋しかないじゃないか」

 収穫された小麦は村に備蓄するもの以外を、村人達ひとりひとりに分配する。その量は、一人五十袋。村人は百人ほどいるので、それだけで五百袋という膨大な数だ。しかも備蓄分と税として払うものを除いてこの量。どれだけコション村の畑が広大なのかがわかる。

「私は茶葉以外に欲しい物はあまりありませんから、これで十分です。では」

 マタンは小さく頭を下げると去っていく。その背中を複雑な思いで見送った。

「しかし、そうか……そうなると買い物を楽しむという感じではなくなるな」

 ジルエットは賑わう臨時市場の中をぐるりと見回す。そしていくつかの商人と話をしてみた。確かに塩や食料、服といったものは多少高いが普通の値段で売られていた。しかしそれから外れた物、きれいに染まった布や絹織物などはかなり高い値段で売られている。

「これが小麦三十袋だと?」

 ジルエットは手に取った染物の値段を聞いて驚いた。それはありきたりな服で、少し違うのは緑色に染められていたことだ。しかし色は薄く、ところどころほつれも見える。おそらく古着だろう。

「古着にこの値段などありえない。しかも新品でも、銀貨一枚にもならないものだぞ……」

 小麦はその年の収穫量で相場がいくらか変動するが、小麦袋ひとつで銀貨数枚にはなる。その小麦三十袋で古着一枚などというのは、あまりにも法外すぎた。

 商人があきらかに嘘をついて服をすすめてくるが、ジルエットは無視してその場から離れた。思わずため息をつく。本当にこの場所では詐欺まがいの商売がまかり通っているらしい。ジルエットは商人たちを睨みつける。

「全く、何てことだ! しかし、マタンの話によれば騒ぎ立てるのも難しい……」

 ジルエットが腕を組んで悩みながら歩いていると、よく知った声が耳に聞こえた。

「えーっ? 買えないの?」

「そうなんだよ、お譲ちゃん。残念だけどね」

 悲しみの声をあげているのはリーヴル。彼女の隣にはプーレの姿があった。二人とも眉毛が下げて悲しそうな表情をしている。リーヴルは今にも泣きそうだ。

「前はもっと安かったはずですけど」

「前はそうだったかもしれないけど、今回はダメだ。この絵本は人気だからね。なかなか手に入らないんだよ。この機会を逃すと、もう買えないかもしれないよ」

「えーっ!」

 プーレとリーヴルは商人の言葉に衝撃を受けた様子だ。商人は申し訳無さそうに二人を見ているが、その表情にジルエットは他の商人達と同じ嘘の臭いを嗅ぎ取った。

「どうしたんだ二人とも?」

「あゅ、ジルエット様。それが、絵本を頼んでいたんですけど、僕達では高くて買えなくて……」

「わたしのおこづかいだと買えないの……」

 プーレとリーヴルは力無く肩を落とす。見ているこっちまでその残念さが伝わってくる。

「ということは、姫騎士の旅の絵本か。何冊頼んだんだ?」

「とりあえず、あるだけ頼んだんですけど、五冊しか無かったみたいで」

 姫騎士の旅シリーズは、全部で四十冊を超えるシリーズだ。これは同じ作者が書いた者ではなく、最初の作者の子供が続きを書いている。しかも微妙に内容が違うものも存在していて、これは関係ない作者が書いたものだった。著作権の存在しないこの世界では、そういう事も良くあるのだ。

「わたしのおこづかいだと、一冊しか買えないの……」

「僕も残っている小麦で帰るのは一冊だけなんです」

「それで、絵本はいくらなんだ?」

 ジルエットが商人へ顔を向けると、商売人の笑顔で見せて言った。

「一冊、小麦十袋です」

「は?」

 本はその昔では高級品だった。羊皮紙で作られ、中身も全て手書きだったからだ。しかし植物から作る紙が開発され、木版画技術により本の生産は以前より簡単になっている。そのため庶民には手が出し辛いが、それでも手が届かない商品では無くなっていた。その値段は高い物でも銀貨数枚のはずだ。

 それを知っているジルエットは抗議する。

「馬鹿な! そんなに高いわけがあるか!」

「そう言われましても……この絵本は人気で手に入らないですし、このしっかりした装丁はなかなかお目にかかれませんよ」

 商人の言葉に思わず罵声が飛び出しそうになったが、派を噛みしめて我慢する。商人の言葉はでたらめで、姫騎士の旅は確かに人気だが、それだからこそ簡単に手に入る。本屋に行けばどこでも置いてあるほどだ。さらに装丁だが、ジルエットには全く立派な物には見えなかった。表紙も背表紙も薄く、紙質も悪い。おそらく売っても銀貨一枚にもならないだろう。

「それが小麦十袋だと……」

 怒りのあまり握り締めた拳が震える。

「どうするんだい、お譲ちゃん?」

「一冊だけかあ……」

「商人さん、もう少し安くなりませんか?」

 プーレが値引きを頼むが、商人は固い表情で首を横に振る。それに悲しそうに肩を落とす。そして地面に置いている小麦袋をちらりと見た。そこにはロープで一まとめにされた物が二つある。プーレとリーヴルのものだ。

「剣を買わなかったら全部買えたのに……」

「プーレは剣を買ったのか?」

 見るとプーレは腰に剣を下げていた。ジルエットに見られたことに気付いたプーレは、顔を真っ赤にして剣を体で隠した。

「いや! あの、これは……」

「どうしてそんなに恥ずかしがる必要があるんだ?」

「あのね、プーレは騎士になりたいんだよ!」

 プーレは慌ててリーヴルの口を塞ごうとしたが、その前に全部言い切ってしまった。

「もしかして、姫騎士の旅に出てくる少年騎士か」

 姫騎士の旅には、姫騎士の仲間となる少年がいる。最初はただのお供でしかなかったが、旅するうちに鍛えられ、やがて姫騎士と同じく騎士となる少年だ。話の中では姫騎士と同じく活躍する場面もあった。

「ちがうよ。プーレはね、騎士になって姫騎士さまと仲良くなりたいんだよ!」

 リーヴルの言葉にさらに顔を赤くすると、プーレは顔を伏せてしまう。その様子を不思議に思ったが、その意味を理解するとジルエットは徐々に驚きの表情になる。

「姫騎士……私のことか?」

 プーレはさらに顔を深く伏せる。それを見て、ジルエットの顔も赤くなる。

「な、仲良くか……そ、そうだな、うん。嬉しい、ぞ……」

「あ、ありがとうございます……」

 変な雰囲気になったため、ジルエットはわざと咳払いをした。

「剣を買ったのだったな。少し見せてくれないか」

「は、はい」

 プーレは剣を鞘ごと剣帯から外してジルエットに渡した。それを見た彼女の目が細くなり、手に持った剣をじっと観察する。

「ずいぶん古いな。鞘は傷だらけだし、柄は木製で巻かれた布も破れている。手入れはされていない……」

 思わず顔を歪めてしまうジルエット。剣は騎士にとって命と同じ物で、その手入れの仕方は騎士学校で最初に叩き込まれる。剣は騎士の象徴であり、命を預ける武器だ。その剣が万全でなければ敵と戦えるはずが無い。

 ジルエットは剣を鞘から抜くと、その刃を見た瞬間さらに表情が曇った。それどころか両目には隠しきれない怒りが浮かんでいた。

「これが剣だと? 手入れがされていないから汚れてくすみ、錆すらある。刃も歪みや欠けだらけだ。一度も刃砥ぎをやっていないのか。こんな物、ただのナマクラだ!」

 最後の声は叫びになってしまっていた。それに驚いたプーレだったが、そこへジルエットの迫力ある顔が目の前に迫ってきて、さらに驚愕の表情を浮かべる。

「ぷーれ、これはいくらで買ったんだ?」

「えっと、四十袋です」

「こんな紙一枚切れない剣がそんな高いはずが無いだろうがっ!」

 あまりの怒りに叫ぶと、プーレとリーヴルはぽかんとした様子でジルエットを見つめる。我に返り気恥ずかしくなり、こほんと小さく咳払いをすると、剣を鞘に収めてプーレへ返した。

「すまないな、プーレ」

「いえ……」

「おっほん。ところで絵本はどうするんだい?」

 商人の言葉でプーレとリーヴルは顔をそちらへ向けた。そして二人は顔を見合わせる。

「どうしよう……」

「とりあえず二冊だけ買いましょう。次のときにまた買えばいいです」

 そんな相談をしていると、嘘くさい笑顔を浮かべた商人がある提案をしてきた。

「二人は手持ちが無くて絵本が買えないんですよね。だったら、小麦のかわりにそのペンダントで払いませんか? それなら全部の絵本が買えますよ」

「これ?」

 リーヴルは首に下げた紐にぶら下がっている、小さな赤い石を指でつまんだ。それに商人は頷く。

 この赤い石を使ったアクセサリーはこの村の人間が身につけている、唯一の装飾品だった。この石は村の近くの川原で採取できる。

「それをくれるなら、他の絵本もいくつか……」

「ちょっと待て。おい商人、少し話がある」

 ジルエットは商人へ近づき立ち上がらせると、プーレ達から少し離れた場所まで連れて行った。そして二人は向かい合う。

「何でしょうかお嬢さん。私の商売の邪魔をしないでもらいたいんですが……」

「その商売の事で話がある。お前、かなり法外な値段で売りつけようとしてくれたな」

「法外だなんて心外な! 私は良心的な値段を心がけていますよ!」

 商人は怒った顔で睨むが、ジルエットは冷たい無表情を崩さない。

「そうか。しかしお前は嘘を言っていた。姫騎士の旅はどこでも手に入る絵本のうえ、さっき見た物は紙質も悪く、銀貨一枚もしないだろう。それがいくら辺境へ運んできたからといって、一冊小麦十袋など法外すぎるだろう」

「何を言っているんですか。そんなはずは……」

「私はこの村の人間ではない。王都で暮らした事もあるからな、そのぐらい知っている」

 ジルエットの言葉に、商人は馬鹿にしたような表情を見せる。彼女のことを田舎者だと見下している顔だ。

「……この紋章に見覚えはないか?」

 ジルエットは服の首元から、首から提げていたネックレスを取り出す。細い鎖の先に、薄い金属性の板がぶら下がっている。

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