第18話
「次は小麦ではなく、違う作物を育てるのだろ」
「はい。今年は今も作ってる芋と野菜になると思いますけど、商人さんに作物の種を持ってきてもらうように頼むって村長さんが言ってました」
「そうだな。私も食材の種類が増えるのは嬉しい。さすがにそろそろ飽きてきた……」
村の食材は小麦と芋と葉野菜しか無い。これだけでは料理の種類が限定されてしまう。なのでジルエットはたまに森や山に入って狩人の真似事をやるようになった。好物の肉が手に入るのだから張り切るしかない。
「ふふっ、そうですね。ジルエット様が好きなものがあれば、それを商人に頼みましょう。小麦の刈り取りが終わってすぐ来ると思いますから」
「そうだな」
休憩で座っていた村人達が立ち上がる。刈り取り作業の再開だ。
「よし。やるぞ、プーレ」
「はい」
小麦の収穫が終わってから数日後、コション村へやって来た集団がいた。彼らは多くの馬車を伴った商隊だった。
「あれが商人か」
「はい。昔は年に一度、小麦の収穫が終わった後に来ていたそうです。でも今は新しく畑を開墾したから、年に二回来るようになってます。それと前はもっと人数も少なかったそうですよ。馬車も一台ぐらいで」
ジルエットとプーレは少し離れた位置から、商人の馬車と広げられた商品で簡易市場となった村の一角を眺めていた。そこでは村人達と商人が騒がしく商談を行っている。
市場と言ってもそんな豪華なものでは無い。屋根のある屋台ではなく地面に布を敷いてそこに商品を並べているし、商人の人数も多くない。しかし活気は普通の市場と変わりないほどである。村人達にとっては年に二回の楽しみであるのだ。
商人たちの馬車は全て商品を運ぶための荷馬車で幌が荷台を覆っている。
「あれ全部に商品が入っているのか?」
「いいえ。ほとんどは空らしいです。小麦を積まなきゃいけませんから」
二十台はありそうな幌馬車を見てジルエットが質問すると、プーレの答えに彼女はなるほどと頷いた。
ここコション村には貨幣がほとんど無い。そのため商人から品物を買うときは、全て小麦と物々交換するのだ。見ると商談が成立すると、オークが小麦の詰まった袋を渡し、それを商人の弟子か使用人が馬車に積み込んでいた。
この場所には村人と商人の他にオークの姿もある。オーク達は支払いに使う小麦袋を運ぶのと、買った商品を運ぶ仕事のためにいた。
「僕達も行きましょう」
「ああ、そうだな」
「あ、そうだ。買い物の前にいくつか小麦をもらいに行きましょう」
ジルエットとプーレは臨時市場の片隅へ向かった。
「しかし、すごい量だなこれは」
ジルエットはそれを見て呆れた様な、または感動したかの様なつぶやきを漏らした。
そこにはうず高く積み上げられた小麦袋の山が存在していた。その高さはジルエットの身長を超えている。それを巨体のオークが次々と運び切り崩している。しかし運んでも運んでも無くならないほど小麦袋は多かった。
あらためてジルエットはコション村の異常性に驚く。オークに農業をやらせるだけで、こんなに簡単に収穫量を増やせるかと。
「ジルエット様はいくつ持って行きますか? 僕が持ちますよ」
プーレがその肩にロープでまとめた小麦袋を担いでいた。自分に割り当てられた小麦の一部を受け取ったのだ。
「いや。私の分はいい。買うものが決まった後運ばせる」
「そうですか」
プーレは担ぐ小麦袋の重さを感じさせない足取りで歩いていく。オークと人間のハーフだからこその怪力だ。小麦袋は一抱えほどもあり、それを十袋ほどまとめてロープで縛ったものを担いで歩くなど、普通の人間では絶対に無理だった。
「重くないのか」
「このぐらい平気ですよ。小麦の収穫で見てましたよね」
「そうだったな」
臨時市場はかなりの人ごみだった。敷地が狭いうえに、そこへ村人が全員来ているのだから仕方が無い。だがこの程度は王都で生活したこともあるジルエットにとっては慣れたものだった。王都は外に出れば、常に同じぐらいの人間が密集している。
「僕は買うものが決まっているのですけど、ジルエット様はどうしますか?」
「私は初めてだからな。適当に見て回ろうと思う」
「そうですか。では、またあとで」
プーレは頭を下げると、小麦袋を担いだまま器用に人ごみをすり抜けて行った。
「さて……」
どこにどんな商品があるのか分からないので、ジルエットは適当に臨時市場を歩き回る。
広げられている商品は、食料品や衣料品などの生活必需品が多い。コション村のような辺境ではそういった物こそが求められる。
少し見て歩くと、そういった生活必需品以外の物も売られていることがわかった。例えば鍋や食器。鍋は穴が空いたら買い換えなければならないので理解できるが、置いてある食器の中に銀製の皿や、割れやすい陶器の皿まであった。
銀製の皿は高級品で、普通の村人が買い求める品物では無い。陶器も見た目はきれいだが割れやすく、貧乏な村人には必要ない物だ。それにこちらも木製の食器と比べて何倍も高価である。
「ふむ?」
並べられた商品のちぐはぐさに、ジルエットは首をかしげながら市場をまわる。すると見知った人物と出会う。
「あら、騎士様」
「マタンか。あなたも買い物か」
「はい。茶葉を買いに。あと他にもいくつか」
マタンは傍らにオークを伴っていた。これは他の村人もそうで、オークに金がわりの小麦袋を持たせるためだ。硬貨と違い財布に小麦袋が入るはずもなく、村ではオークを財布代わりに使っている。
「よかったら、一緒に行きませんか?」
「そうだな。邪魔じゃなければ」
ジルエットはほぼ毎日学校へ行っているため、マタンとは親しくなっていた。また穏やかで微笑を絶やさない彼女との会話は、ジルエットにとって心地良い時間でもあった。
「前に村に商隊が来たときに茶葉を注文していたんですよ。騎士様も欲しい物があれば注文したほうがいいと思います。ここでは簡単に物は手に入りませんから」
「そうだな。考えておく」
ジルエットはそう言われても、咄嗟に欲しい物が思いつかなかった。もともと騎士を目指したぐらいなのだから、華やかな衣服などに興味は無い。食事にしても慣れてきたので、あまり苦痛では無かった。
「……新鮮な牛肉は無理だろうな。干し肉を買い込むか……」
「ここですね」
「いらしゃい! 言われた茶葉を持って来たよ。他にも仕入れたから見ていってくれ!」
威勢の良い声のふくよかな商人は、低い椅子に腰掛けて地面の布に広げた商品を見せびらかすかのよう両手を横に広げた。
「頼んだものはどれですか?」
「これさ」
商人はマタンへ小さな容器を手渡した。それは手の平に隠せてしまうほどのガラス瓶で、中に茶葉が入っていた。
マタンがガラス瓶を観察している間、ジルエットは広げられた商品を見物する。数は多くない。どれもが小さなガラス瓶に詰められた茶葉だ。茶色いものや黒っぽいもの、緑がかったものなどの種類がある。しかし茶葉に詳しくないジルエットには、どれがどう違うのか判別できなかった。
「香りを確認しても?」
「もちろんどうぞ」
マタンはガラス瓶のコルク栓を抜き、そっと鼻を近付けて茶葉の香りをかぐ。数秒後小さく頷いて得心した様子だ。
「確かにピールの茶葉ですね。持って来たのはこれだけですか?」
「いえいえ。まだありますよ」
商人の笑顔がなぜかジルエットの感覚に引っかかった。しかしそれが何なのか一瞬でわからなかった。
「いやー、これを手に入れるのに苦労したんですよ。何とか仕入れましたけど、量はあんまりないんです」
背後の袋から茶葉を取り出して、振り返っていた顔を戻した商人の顔を見たジルエットは気付く。愛想よく笑顔を浮かべた顔の嘘を。にやけた目の奥のいやらしさ。弧を描いた口元の隠しきれない嘲笑。それはかつて騎士学校で見た、ジルエットに対する生徒達の表情と全く同じものだった。
「なぜだ」
そんな表情を浮かべる意味がわからず混乱していると、マタンと商人は取引を始める。
「そうですね……これ五つでいくらですか?」
「けっこう無理したからね。二十って言いたいけど、十九でどうかな?」
「高すぎませんか? 十五ではどうでしょう」
「いやいや! これは苦労して手に入れた高級茶葉だよ。そんな値段じゃ無理だね」
商人はとんでもないと慌てた様子で手を振って拒否する。しかしジルエットはその顔に欺瞞を見つける。驚愕した表情を作っているが、その口元はかすかに笑みを浮かべていた。
マタンはしばらく考え込んで、違う茶葉の瓶を指さした。
「それを見せてもらえますか」
「お目が高い! これはグリマという高級茶葉ですよ」
マタンは渡された茶葉の香りをまた確かめる。
「確かにグリマですね。これは五つでいくらに?」
「これはピールより高いからね。二十五だよ」
「二つとも買うので四十でどうですか」
「いやいや!」
それから二人は言葉という剣で試合を繰り広げた。お互い一歩も引かず、笑顔を浮かべているがそこに友好は一切無い。最終的に勝利したのはマタンだ。
「わかった……四十でいいよ……」
「ありがとうございます」
商人は意気消沈した様子でうなだれている。しかしマタンには見えていた。商人の口元が弧を描いている事に。そこに違和感を感じるジルエットだが、特に理由が思いつかないので何か言うこともできない。
「では先に二十袋渡しますね」
マタンが指示すると、オークは抱えていた大量の小麦袋を地面へ下ろした。
「残りの二十袋を持ってきてください」
マタンの言葉に頷くと、オークは背中を向けて歩いて行く。そこでジルエットは先程の会話の意味を理解した。
「支払う小麦の量だったのか。って、四十袋だと! おい商人、高すぎるだろう!」
「な、何言ってるんだ! ちゃんと適切な値段だよ!」
「そんなわけがあるか!」
小麦袋一つで一家の一月分の食事をまかなえる。それが四十袋もあって、小瓶十個分の茶葉にしかならないなど信じられない。ジルエットが鋭く睨みつけていると、商人はいくらか怯えながらもしっかりこちらの目を見て反論する。
「これは全部高級茶葉なんだ。それにこんな辺境まで運んでくるんだから、そのぶん値段が上がるのも仕方が無いだろうっ!」
「だがっ……」
ジルエットを止めたのは。マタンだった。
「いいんですよ。私はこの値段で満足しているので」
マタンの微笑みに、ジルエットは不満そうにしながらも下がった。それを見て商人は胸を撫で下ろす。するとオークが残りの小麦袋を抱えて戻ってきた。
「来ましたね。数を確認してください」
「……はい、確かに四十袋あります。これで売買成立ですね」
商人は笑顔でマタンと握手をする。その笑顔がやはり胡散臭く思えて、ジルエットは顔を歪めた。
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