第15話

「ジルエット様、どうしたんですか?」

 様子が違うジルエットに、プーレが心配そうに声をかける。リーヴルはその様子を不思議そうに見ているが、ジルエットの状態に気付いている様では無い。

「いや……何でもない……」

 プーレは何か言いたそうだったが、結局何も言えなかった。ただ、何度も彼女の様子を確認する。しかしそれに気付くこともできないジルエット。

 教室の扉が開き、マタンが教壇へ立つ。そして口を開こうとしたところで、とある生徒が勢いよく手を挙げた。それに不意をつかれた様子でマタンが目を丸くすると、穏やかな顔でその生徒に言った。

「どうしましたか?」

「はい。姫騎士さまの話が聞きたいです!」

 目を瞬かせるマタン。そしてそれ以上に驚いたのがジルエットだった。素早く隣のプーレへ顔を向け、どういう事だと視線で問うが、僕は知りませんと首を横に振るだけだった。

「姫騎士さまって王都にいたんでしょ。どんなところだったの?」

「騎士学校って村の学校とどう違うのー?」

「姫騎士さまはドラゴンと戦ったことあるのー?」

 子供達は口々に様々な質問をぶつける。その人数は十人ほどと少ないが、その元気さにあふれた大きな声は、それ以上の騒がしさを教室にもたらした。

 それ思わず顔を歪めてしまうジルエット。

 子供達の声変わりしていない高い声は、まるで雛鳥がエサをねだるかのように途切れなく続く。それをせき止めたのは教師であるマタンの一言だった。

「はいはい、みなさん。騎士様を困らせてはいけませんよ。次の授業をはじめます」

 子供達は不満そうにしながらも、マタンの声で静かになった。

 するとマタンはふっと表情を崩した。それはまるでイタズラを思いついた子供のような笑顔だった。

「では読み書きの授業をはじめす。でも、そうですね……せっかく騎士様が来てくださったのだから、少し協力してもらいましょう。騎士様いいですか」

「は?」

 まさに寝耳に水の言葉だった。間抜けな声を出して、口を開けたままになってしまう。

 そんな様子のジルエットに構わず、マタンは有無を言わさずジルエットを立ち上がらせると、自分が立つ横に彼女を立たせた。

 一段だけだが少し高い教壇に立つと、よりいっそう教室を広く見渡せる。生徒達は全員がわくわくと気体に満ちた輝く瞳でジルエットを見つめていた。それに動揺して思わずプーレが座る場所へ目を向けると、心配そうにこちらを見ていた。しかしそれはプーレの心情の一部で、それ以上に瞳には生徒達と同じ期待が満ちていた。

 逃げ道が無いことに気付かされ、ジルエットの顔が引きつる。

「前にもこんな事があったな……」

 騎士学校に入って半年ほどのころだっただろうか。ジルエットは同じ騎士学校の生徒達とケンカをした。

 彼女の言い分としてはあちらが先にケンカを仕掛けてきて、それに反撃したとしか思っていない。しかし実際に手を出したのはジルエットだったため、全て彼女が悪いということになっている。例え相手が三人がかりだったとしても。

 ジルエットはすでに学校の問題児扱いとまではいかなくとも、生徒達からは遠巻きにされ、教師達からも面倒な人間だと思われていたため擁護されることは無かった。

 そういう理由で今ジルエットは、教師の横でジルエットは立ち尽くしている。顔を俯かせているため教室の様子は見えない。しかし生徒達の視線がまるで矢のように突き刺さるのを感じていた。

 ぐっと唇を噛みしめる。なぜ自分がこんな目にあうのかという理不尽さへの怒りと、こうやって非難の槍玉にあげられている情けなさに肩が増えてしまいそうだったが、拳を強く握ることでこらえる。

 ジルエットの髪の毛はひどく乱れていた。着ている服も土で汚れている。これは彼女がケンカ相手と揉みあった際の被害だ。幸いなことに顔に傷らしきものはなく、多少赤くなっているだけだ。

 教師がジルエットに謝罪の言葉を何度も催促していた。しかし顔は俯けたまま、一切喋らない。教師の口から思いため息が漏れる。

 ジルエットは少しだけ俯けていた顔を上げると、教室の様子が少し見えた。多くの生徒達はうんざりとしていて、早くこんな事は終わればいいのにと思っている。その中に強い目で睨んでいる生徒がいた。ジルエットとケンカをした生徒三人だ。三人ともが女子生徒で、その髪も服もジルエットと同じ様に乱れている。

 教師が再び謝罪するようにジルエットへ言う。何度言われても自分の意見は変わらない。相手がこちらへ侮辱するような言葉を投げてきたのだから、自分が謝るのは間違っている。 

 呆れた様子の教師の声。生徒達の刺さる視線。唇をさらに強く噛む。

「どうしましたか?」

 その声ではっと過去に飛んでいた意識が戻ってくる。隣に立つマタンが少し訝しげな顔でジルエットを見つめていた。マタンの声はあの時の教師とは全く違う優しい声だ。

「いや、何でもない……」

「そうですか。では騎士様に授業を手伝ってもらいたいのですが、よろしいですか?」

 そう言われても戸惑うしか無い。騎士学校で授業を受けていたのでそこで習った事ならある程度話すことはできるが、こんな幼い子ども達に何を教えればいいかなどわからなかった。

 その戸惑いに気付いた様子のマタンは、ジルエットを安心させるかのように笑顔で言う。

「難しいことではありませんよ。読み書きといってもまだまだ初歩の初歩です。まだまだ簡単な文字が読めない子供は多いですから。はい、ではみなさん教科書を開いてください。昨日やったところの続きからです。二十二ページを開いて」

 生徒達が教科書をめくる音がする。マタンも教科書を教卓の上に広げ、ジルエットを呼ぶ。肩を寄せ合うように二人は同じ教科書を覗き込んだ。

「このページのここから読んでください」

「私は……その……」

 ジルエットの事など無視するようにマタンは強引に授業を進める。

「では騎士様が読みますから聞き逃さないようにしてください。どうぞ、騎士様」

「え?」

 マタンはさっとジルエットから一歩下がる。すると教卓の前にいるのはジルエット一人となる。

「うう……」

 生徒達の視線がジルエットへ集まる。背中にじわりと汗がにじむことを自覚した。

 自分が教科書を読むことにそんな意味など無い。そう思うが期待に満ちた視線の多さにそんな事を言うわけにはいかない。

 特にプーレの視線がジルエットにとって強力だった。子供達より十歳も年上で、ジルエットより一つ下のはずなのに、向けられる視線は誰よりも期待に輝いていた。

 覚悟を決めてジルエットは教科書の一文を読み始める。

「……むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました……」

 ジルエットが数ページ読んだところでマタンが止めた。

「はい。では続きを……あなたが読んで」

「はい!」

 マタンは一人の生徒を指名すると、勢いよく立ち上がりジルエットの続きを読み始めた。

 自分の役目が終わったことでほっと息をついて脱力する。するとマタンがそっと近づいてきた。

「騎士様、上手でしたよ」

 声が震えたりしないように緊張していたので、読み方が上手だったかどうかなど気にしていなかった。そこに意識が集中していたため、読み方がそんなに褒められるものでは無かったと知っているジルエットは、恨みがましい目でマタンを睨んだ。

 まだ若いとはいえ貴族であり騎士でもあるジルエットの鋭い視線を受けても一切動揺は無く、涼しい顔で受け流せるのはさすがノーブルメイドだろう。

「はい。そこまででいいですよ。では、その続きを騎士様にお願いします」

「うえっ?」

 思わず変な声が出てしまったのは仕方が無いだろう。

 マタンの笑顔が深くなる。思わず本気で睨みつけたが、彼女には全く痛痒を感じないものだった。

 それから授業はジルエットと生徒が交代で教科書を読み進めることとなった。

 ただ読むだけではなく、生徒が読めない単語が出てくると、マタンは自分ではなくジルエットに教えるようにさせた。ただ知らない言葉を教えただけなのに、生徒は嬉しそうに大きな声でその単語を言う。その様子がジルエットにとって不思議だった。

 ジルエットは騎士学校に行くまで家庭教師に教えてもらっていた。これは貴族にとっては当たり前のようなことで、ジルエットの兄も、そして両親もそうやって教育されてきている。なのでこういった幼い子供の学校を知らないので、この授業風景は奇妙に思えた。

 生徒達は楽しそうに授業を受けている。ジルエットにとって家庭教師の授業は義務であった。貴族なのだから最低限の知識と教養が無ければならないのだ。

「なぜ子供たちはあんなに勉強するのだろうか。この村では意味が無いと思うが」

 読み書きの授業が終わった休憩時間、ジルエットはそうマタンに質問した。

 場所は同じく食事をした部屋。先ほどと違うのが、二人のほかにプーレがいることだろう。プーレが淹れてくれたお茶を二人の前に置く。

 ずいぶん喋ってのどが渇いていたのでジルエットにはありがたかった。しばらくジルエットとマタンはお茶を静かに飲み、それをプーレが観察するという状態がしばらく続いた。

「騎士様、教育は誰にとっても有用なものです」

「しかし、この村ではあまり必要とは思えないが」

 コション村は辺境であり、村人のほとんどが農民である。そういった平民に高度な教育を施す必要はあまり無いと思えた。ここが王都や大都市の近くならばそういった場所へ行くために必要かもしれないが、村は遠く離れすぎている。

 そうジルエットが言うとマタンは笑った。

「距離はあまり関係ありませんよ。意欲さえあれば何とかなります、ちゃんとその土台さえあれば。私がこうやって村へ来たように」

 マタンはお茶を一口飲む。

「たしかにここは辺境です。ですが騎士様も見たでしょう、あの小麦畑を。あの量だけを見れば、ここはちょっとした財産になるはずです」

 ジルエットは確かにそうだと思う。あの小麦の量は村の規模に比べてあまりにも生産量が多い。その原動力となっているオークだが、彼らには賃金がいらない。馬や牛といった家畜と同じ扱いだからだ。知能はあるがそこまで高度ではなく、必要なのは寝床と食料だけである。その上に人間の何倍も体力があるので、その効率は素晴らしいの一言だ。

「実際にこの村はかなり裕福になっています。ですからあの子供達が成長した頃には、かなりの額が蓄えられていると思います。それこそ子供達を王都の学校へ入学させることができるほどに」

 学校の中には入学金さえ払えれば平民でも入学できる学校がある。これは広く優秀な人材を集めるための国の事業でもあった。

「そうかもしれないが、わざわざ村から出ようとするだろうか?」

「ほとんどの子供はそうかもしれませんが、何人かは行くでしょう。そうなった時のために今私は教えています。騎士様が来ましたから、きっとそうなります」

「待て。なぜ私が関係するんだ」

「村にやってくるのは数人の商人程度で、彼らから断片的な外の情報を知るしかこれまでできませんでした。そこへ騎士様がやってきたのです。遠く離れた王都やいろいろな場所のことえお知っている、絵本から出てきたような姫騎士様が。これで興味を引かないわけがありませんから」

 自分はそんな大した人間じゃないと困惑して反論しようとする前に、プーレが言った。

「たしかにそうですね。僕もジルエット様と出会って、さらに村の外に興味が出てきましたから」

「プーレも村から出て行きたいのか?」

 プーレは首を横に振った。

「いえ……僕がこの村に売られてきたというのは知っていますよね」

 プーレは物心ついたころには、頑丈な鉄格子の中に中に入れられていた。それはオークや馬や牛といった家畜などを商品として扱う商人が使用する檻だった。

「僕は村に来るまでずっとそこに入れられていました。移動しているときは布をかぶせられるので、外はまったく見えません。移動が終わると布をとってくれるんですけど、そこは家畜を扱う商人専用の場所で、まわりは同じ様な檻や動物がいるだけでした。後で知ったんですが、そういう場所は大体村や街の外や離れた場所らしいです。たしかに動物は臭いがすごいし排泄物の問題がありますから」

 あらためてプーレの過去を聞いて、ジルエットは痛ましい思いを感じる。それと同時になぜこんな話を今するのだろうかと訝しく思った。

「僕が知っている光景はそんな場所と、コション村しか無いんです。でもその他にもいろんな場所があって、絵本にある広い湖や雲を貫くような山があるって知って、できればそんな所へ行ってみたいと思いました。それに……」

 そこでプーレはちらりと目を向けた。それに小さく眉を動かすジルエット。

「リーヴルがあの日、姫騎士様が来たって騒ぎながら絵本を持って走ってきたんです。村に騎士様がやって来るのは知っていましたけどまさか女の人だとは思わなくて、歓迎会に行ってみたら本当にリーヴルの言ったとおり、まるで絵本の姫騎士様だと思いました」

 プーレは真っ直ぐジルエットを見つめた。その尊敬と憧れに満ちた瞳に見つめられ、思わず顔が赤くなる。それを見て笑みを大きくするマタン。

「人の話や本で知っていた誰かが騎士様のように現れたら、とても嬉しいことです。そしてさらに興味が強くなる。さらにその先に想像が膨らむ。それで満足できればそれで終わるけれど、できなければ自分で行くしかありません。あの生徒たちの何人かはそうやって村を出て行くでしょう」

 そうなのだろうかと疑問に思うが、自分がこうやって辺境のコション村にやって来ていることを思い出す。その理由はそんな前向きな理由では無いが、それでもまさか自分がこんな場所へ来るなど思ってもいなかった。

 この村に行こうと思ったのは、騎士学校の求人募集で偶然見かけたからだ。そんな風にちょっとした偶然で村を出ることもあるかもしれない。しかしそれが自分だとはなかなジルエットには思えなかった。

 難しい顔をしているジルエットにマタンは笑いかける。

「そんなに考えなくても大丈夫です。もしかしたら誰も出て行かないかもしれません。それにその時のために頑張るのは、教師である私なのですから。それじゃあ次の授業に行きましょう。今日はこれで終わりです」

 三人で連れ立って教室へ向かう。マタンの姿を見ると生徒達は席へ着席する。

 ジルエットも席へ向かおうとすると、マタンに呼び止められた。嫌な予感がしながら振り向くと、意味深な微笑みと目が合った。口元を引きつらせながら、とぼとぼと教壇へと向かう。

「この授業で今日の学校は終わりです。それでせっかく今日は騎士様が来てくれたのですから、みなさん何かしやってもらいたいことはありませんか?」

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