第13話
夜が明け、昨日と違いジルエットは朝に目が覚める。外からは小鳥の鳴き声が聞こえていた。
「んん……ふぁあ」
ジルエットはいくらか朝が弱い。大きくあくびをしながら開ききっていない目を手でこする。
「ああ……こんな部屋なのか」
ジルエットは半分寝た頭で周囲を見回す。昨日は家の中を全て見る前に出かけ、夜まで帰らなかったため、内装をちゃんと確認できていなかった。帰ってきたときは夜で暗く、ロウソクの小さな明かりでは室内の全体を観察することはできなかった。またプーレが帰った後すぐにベッドに入ったのも原因だ。
寝室はそれほど広くない。しかし一人で暮らすのには十分だ。そもそもこの一軒家がジルエットの家なのだから贅沢すぎるほどだ。
ベッドは木製で、頑丈な作りをしている。装飾などは施されていない。これはコション村の大工、ティッキーが作ったものだった。
「ベッドはいいとして、この毛布、もしかして綿か?」
ジルエットは昨日は気にしていなかった布団を掴んで、しげしげと見つめる。膨らんだ毛布は柔らかく軽い。おそらく中身は綿だとジルエットは予想する。
綿の詰まった毛布は庶民でも使用するが、ほとんどふくらみが無いほど薄い。しかしこの毛布はたっぷりと綿が詰まっていて膨らんでいる。羽毛に比べれば安くなるが、それでもこの毛布はなかなか高級品になるはずだ。
「毛布といい魔石灯といい、驚かされる事ばかりだな……あれだけ広大な小麦畑があればそれも頷けるか」
ジルエットは布団をはねのけるとベッドから出る。
「さて、朝食は……」
そこで昨日この村には食事ができる店が無いと言われたことを思い出す。
「たしか、パン屋があると言っていたな」
ジルエットは財布にいくつか硬貨を入れ、少し迷って剣を装着した。まず何も無いと思うが、騎士であるからには常に剣を携帯していなければならない。
「顔ぐらいは洗いたいのだが」
家の周囲には井戸が無かった。おそらく村のどこかに井戸があるはずだが、その場所がわからない。昨日村長にでも聞いておけばよかったと後悔する。昨日は体を拭くこともせず寝てしまったので、その事も気になった。
「とりあえず朝食だ。パン屋はどっちだろう」
家から出ると、とりあえず家がある場所へ向かう。ジルエットの家は村の中心部から少し離れた場所にあるのだった。
「とりあえず煙の出ている方向へ向かうか。パンを焼くため煙が出るはずだ」
村へ近づくと、複数の煙が昇っているのに気付く。それぞれの家庭が朝食の準備をしているからだ。
「これではどれがパン屋かわからないぞ……」
とりあえず近づいてみようと足を踏み出すと、後ろから声をかけられた。
「あっ、姫騎士さまー!」
振り返ると同時に足に衝撃を受ける。リーヴルが衝突してきたのだ。
「リーヴルか。どうした?」
ジルエットが頭を優しく撫でると、リーヴルは目を閉じて嬉しそうな笑顔になる。
「おはようございます、ジルエット様」
その声に足にしがみつくリーヴルへ向けていた目を上げると、肩に袋を提げたプーレが立っていた。優しい微笑を浮かべている。
「プーレか。おはよう。それで、どうして二人がここにいる」
「学校にいくのー!」
リーヴルが大きな声で答えた。満面の笑顔で、学校に行くのが楽しくて仕方が無いといった様子だ。自分とは大違いだなと、思わずジルエットは苦笑する。
「学校は楽しいか?」
「たのしいー!」
「僕も学校は好きですね」
「ところでプーレ、ひとつ聞きたいのだが、パン屋はどこにある?」
「村に来たばっかりでは知りませんよね。案内します」
「あんない、するー!」
リーヴルがジルエットの手を取り、そのまま駆け出す。急な動きに思わず声を出すが、それを気にせずリーヴルは走る。子供の力と歩幅なので転ぶようなことは無いが、そのまま引っ張られて同じ方向へ行くしかない。
それを見てプーレは笑顔になると、二人を追ってゆっくりと歩き始めた。
「ここがパンやさんだよー!」
「ここか」
リーヴルに引っ張られて連れて行かれた場所は、何の変哲も無い普通の家だった。煙突から煙が出ているが、それ以外にパン屋らしき特徴は無く、看板も無い。
リーヴルが勝手知ったる様子でノックもせずに中へ入っていく。手を繋がれたままのジルエットも入るしか無い。
「パンくーださい!」
「あれ、リーヴルちゃん? さっきプーレ君がパンもらっていったと思ったけど」
家の中は外観からわかるように広くなかった。その面積一杯を使って、二つのパン窯が並んでいた。レンガを積み上げて作られたもので、ずいぶん年季が入っていることが窺える外見だ。しかしどこか壊れそうな雰囲気も無く、まだまだ現役で使えることが見てとれた。大事に使用している証拠だろう。
「あら、そちらのお嬢様は?」
エプロンをして頭に三角巾を巻いた女性がジルエットを見ると、頬に手を当てて首を傾けた。年齢はすでに中年だが、その仕草が絵になる顔立ちをしていた。
「コション村の派遣騎士として来た、ジルエット・ブルジェオンだ。パンを買いにきた」
「あらっ! あなたが噂の騎士様なのっ! アナタ、騎士様よ!」
高い裏声で驚くと、女性は後ろに向いて片手を招くように動かす。
「なんだぁ、こっちは忙しいんだよ!」
そう叫んだのは奥でパン生地をこねている中年男性だった。体は太っていて腹が出ている。しかしただ太っているだけでは無いようで、生地をこねる太い両腕は盛り上がっていて筋肉の多さが見てとれた。頭は禿頭で、汗が光っている。
叫び声に顔をしかめたあと、パン屋の女性はジルエットに顔を戻して笑顔を浮かべた。
「すいませんね、ガサツな男で。それでパンでしたね」
女性はすでに焼きあがっていたパンをいくつも積み上げる。
「こんなに食べないのだが……」
パンの数は到底一人で食べる量では無かった。それに困惑した顔をしていると、プーレが何かに気付く。
「ジルエット様、これは朝の分だけじゃなくて、一日分のパンです。三食分の量なんですよ」
「そうなのか?」
「はい。村の人数が少ないので、まとめて一回で焼くんです。そのほうが薪の節約にもなりますし。とは言っても、今はずいぶん村も豊かになったのでそこまで薪の心配をしなくてもいいんですけど。これはもう村の習慣みたいなものです」
プーレの説明を聞いて頷くと、ジルエットはパン屋の中を見回す。禿頭のパン屋の主人は今も忙しそうにパン生地をこねていた。
「そういうことなの。騎士様はこれで足りるかしら?」
「多分大丈夫だ。もし足りないと言ったら増やしてもらえるのか?」
「もちろんよ」
「では代金はいくらだ」
ジルエットが硬貨を入れた袋を取り出すと、女性は手を首を横に振る。金の受け取りを拒否する仕草にジルエットは驚く。
「代金がいらないというのか」
「ええ。パンの代金はいらないわ」
「……騎士だからといって特別扱いは必要ないぞ」
そうじゃないと笑って女性は首を振る。
「この村の住人は誰でもパンは無料なの。騎士様だけじゃなく、プーレ君もリーヴルちゃんも無料なのよ」
驚きよりも困惑が大きく、ジルエットはプーレへ説明を求めて視線を向ける。プーレはそれにしっかりと頷いて見せた。
「本当ですよ。村人にはパンをタダで配ってるんです。これは昔からそうなんです。なぜかというと、小麦を村人が総出で育てているからなんですよ。小麦は村人全員のものなので、それで作ったパンも村人全員のものというわけです」
「そうなのか。しかし私は村に来たばかりだからな」
ジルエットはそう言って硬貨を取り出すが、女性は受け取らない。
「いらないよ。騎士様はもう村の一員だからね」
プーレを見ると優しく微笑むだけだ。ジルエットは怒っているような、または困っているような表情で差し出した硬貨を袋へ戻す。そのときリーヴルがジルエットへ声をかけた。
「姫騎士様、わたしお金が見たい!」
「ん? 別にかまわないが」
不思議に思いながらも、ジルエットはリーヴルへ硬貨を乗せた手を差し出す。リーヴルは何の変哲も無い数枚の銅貨を見て目を輝かせる。
「これがお金なんだ。ねえ、さわってもいい?」
ジルエットが許可すると、リーヴルは銅貨を一枚手にとってまじまじと見つめる。まるで初めて銅貨を見たかのような反応に、ジルエットは困惑を顔に浮かべた。
「銅貨ぐらい見たことあるだろうに」
「いえ。リーヴルは初めて見たんだと思いますよ。この村は昔は非常に貧しかったと言いましたよね。なので村には全くと言っていいほど銅貨や銀貨といったお金が無かったんです。そもそもお店が無いんですから必要ありませんし」
「そうだったのか……いや、それでも商人が村に来るのだろう。その時はどうやって取引をしているのだ?」
「物々交換です。小麦をお金の代わりに使って、それで買い物をするんです。あとオークを売っていた時も、お金じゃなく食べ物とかそういった品物と交換していました」
まさか貨幣が使用できない場所があるとは思ってもいなかったジルエットは絶句する。物々交換などという前時代的な取引が今も続いているなど、まるで物語にある蛮族のようだとさえ感じられた。
これはジルエットの偏見であり、世間知らずのせいでもあった。最辺境の村は周囲と孤立しているため、まだまだ貨幣ではなく物々交換が主流の場所もまだ多い。
「これがお金かー。絵本にも出てくるから、どんなものなのかなーって思ってたの」
銅貨を様々な角度から観察していたリーヴルは、満足した様子で手に持っていたそれをジルエットへ返した。
ジルエットは受け取った銅貨を見て少し考えた後、それを再びリーヴルへ差し出した。目の前の銅貨とジルエットの顔を不思議そうに見比べるリーヴル。
「これはリーヴルにあげよう」
「えっ、いいの!」
ジルエットが頷くと、リーヴルは指先で銅貨をつまんで高く掲げると、満面の笑顔になって歓声をあげた。
「わーい!」
銅貨を頭上に高く掲げてくるくる回るリーヴルを、ジルエットはかすかに笑顔を浮かべながら見つめる。
「いいんですか、ジルエット様?」
「ああ。たった銅貨一枚だからな」
銅貨一枚はパン一個とほぼ同じ値段だ。騎士であり貴族でもあるジルエットにとって、この程度は出費のうちにも入らない。
「そういえばプーレも硬貨を見たことがないのか?」
「いえ。村長さんに見せてもらったことがあります」
村長の家にはもしものためにいくらかの硬貨が貯蓄されていた。その金額は多いとは言えないが、コション村程度なら数ヶ月は生活できる。
「でも、さすがに金貨は見たことは無いですね」
銅貨が百枚で銀貨となり、銀貨が百枚で金貨となる。一般的な人間なら銀貨までなら見ることがあるが、金貨を見ることがあるのは商人かそれ以上の地位にある人間、騎士や貴族といった人間だけだ。
「そうか。これが金貨だ」
無造作に袋から金貨を取り出したジルエット。それが最初何なのか信じられず、プーレは奇妙な表情で固まる。
「え? ジルエット様?」
「手にとって見てみろ」
言われるまま差し出した手の平に置かれる金貨。呆然としていたプーレは、手の平の金貨の冷たさに正気に戻り、そして金貨を認識すると同時に驚愕する。
「ジ、ジルエット様! き、金貨が!」
「そうだ。それが金貨だ」
プーレはその手にある金貨を握ることも、だからといって落とすわけにもいかず、右手を固定したままそれ以外の体を慌てるあまりジタバタと動かす。その様子を不思議そうにリーヴルは見上げていた。
「落ち着けプーレ」
「無理です! だって金貨ですよ、金貨!」
ジルエットにとっては金貨はそこまで慌てるような物ではない。それが高額貨幣だとはわかっているが、一枚程度で大慌てするものではなかった。これが十枚、二十枚なら別であろうが。
金貨を手の平に乗せてまるで下手なダンスをしているかのような動きに、リーヴルは思わず吹き出す。ジルエットもその滑稽な姿に頬がゆるむ。それを見ていくらか冷静さを取り戻したプーレの動きが停止する。
「……ジルエット様」
「ああ」
不貞腐れたような表情で金貨を差し出すプーレに、それを受け取りながらジルエットは思わず顔に笑顔が浮かぶ。それに情けない表情を浮かべるプーレ。年齢より幼く見えるその表情に、ジルエットは可愛いという感想が脳裏に浮かんだ。
「それなあに?」
小走りに近づいてきたリーヴルに、プーレが静止させる暇も無くジルエットは金貨を手渡してしまう。
「なにこれー? さっきのよりピカピカしてるー」
「それは金貨だ」
「えっ! 金貨って、ドラゴンが持ってたあの金貨?」
姫騎士の旅の絵本の中で、ドラゴンを倒した後に隠していた宝を見つけるのだが、その中に大量の金貨があるのだ。
「そうだ。その金貨だ」
「うわー、すごーい!」
リーヴルは再び歓声をあげると、金貨を頭上に掲げてクルクルと回り始める。それを見て慌てるプーレ。リーヴルから金貨を取り上げたいのだが、激しく動いている状態で下手に手を出せば、その手に持った金貨がどこかへ飛んでいってしまうかもしれない。
「リーヴル……ど、どうすれば」
「わーい、わーい」
青い顔のプーレと、その心労を知らず笑顔で金貨を持って回るリーヴル。その珍妙な光景に、ジルエットは思わず声をあげて笑いそうになり、慌てて口を手で押さえる。それでも笑い声がどうしても漏れてしまう。
「……フッ……クッ……」
リーヴルが満足するまでそれなりの時間がかかった。
「リーヴル! すぐにそれをジルエット様に返しなさい!」
「これももらっちゃダメ?」
リーヴルは可愛らしく上目づかいでジルエットに訴えかける。
「駄目です!」
「あっ」
プーレは素早くリーヴルの手から金貨を奪うと、ジルエットへ差し出す。それを苦笑しながら受け取った。
「さすがに金貨はあげられないな」
「当然です」
「ところで、パンはどうするの?」
パン屋の女性の言葉でここへ何のために来ていたのか思い出す。
「そうだった。ではパンをもらっていく」
「ええ。じゃあ袋を出して」
「袋?」
貴族であるジルエットは街中で買い物をしたことが無かった。もちろん何度か買い物をしたことはあるが、貴族である彼女はお付の者と一緒に買い物をするのが普通だった。買った品物を受け取るのはその人間なので、商品がどういった状態で渡されるのかなどは知らない。
さらに言うなら買い物をする場所は上流階級の人間が行く高級品が並ぶ商店なので、このパン屋のような庶民の行く商店で買い物をしたこともない。なので普通の商店で買い物をした場合は包装などされることはなく、そのために持ち運ぶための袋などの入れ物が必要なことなど知らなかった。
不思議そうな顔のジルエットを見て、申し訳ないといった表情になる女性。
「それだとパンを持って帰れないねえ」
「そうか。だったら一度戻るしかないな」
「いえ、大丈夫です。これを使ってください」
プーレが肩に担いでいた袋を手に持ってジルエットへ見せた。
「いいのか?」
「はい。袋にはまだ余裕がありますし」
プーレの袋はかなり大きく、けっこうな量があるパンを入れてもまだ余裕があった。
「入りましたね」
パンで膨れた袋をプーレは片方の肩へ担ぐ。
「またねー」
リーヴルがパン屋の女性へ手を大きく振ると、彼女も小さく手を振り返した。
三人はパン屋の外へ出る。
「じゃあジルエット様の家へ行きましょう」
「学校へ行くんじゃなかったのか?」
昨日ジルエットは村長に案内されているので、学校がジルエットの家とは反対方向にあることを知っている。なので聞いたのだが、プーレは問題ないようだ。
「大丈夫です。まだ時間がありますから」
そうプーレは言うが、ジルエットはわざわざ家まで来てもらうことに申し訳なく感じる。その時リーヴルが言った。
「えー、帰っちゃうの? 一緒に学校へ行こうよー」
リーヴルはジルエットのズボンをつかむ。
「駄目だよ。ジルエット様はお仕事があるんだから」
プーレがそう諭すが、リーヴルは頬を膨らませて強くズボンを握りながら彼を睨む。そして潤んだ瞳でジルエットを見上げた。
「だめ?」
今にも泣き出しそうなその顔を見て、ジルエットはリーヴルの頭を優しく撫でて口元に笑みを浮かべた。
「ああ。一緒に学校へ行こう」
「そんな。仕事はどうするのですか?」
心配そうなプーレを見て、ジルエットは思わず苦笑する。
実のところ、仕事と言えるような仕事はジルエットに存在しないのだった。まずは村の人口を調べて人頭税の計算をしなければならないのだが、その必要は無いだろうと思っている。なぜならこんな辺境の村のことなど誰も気にしていないからだ。実際これまでもそうなっている。
村の治安維持などする必要も無い。コション村にいるのは老人と中年、そして幼い子供だけだ。人口も少なく、争い事もまず起きないだろう。また周囲に盗賊や山賊がいるわけでもないので危険も無い。野生の獣にしても、あれだけ多くのオークが生活する場所にやって来るものはいないのだ。
ある意味でコション村は世界一平和な場所である。それこそ騎士など必要無いほどに。ジルエットが来るまで、誰一人も騎士など村にはいなかった。
「ここは平和な村だからな。慌ててやる仕事など無いさ」
複雑なジルエットの心情に気付けるはずもなく、首を傾げながらもプーレは納得したようだ。
「じゃあ、一緒に学校へ行きましょう」
「やったー!」
さっきまで涙を目にためていたのに、それが嘘のように笑顔になるとリーヴルはジルエットの腕に飛びついた。
「はやく行こっ!」
ジルエットの手を取って勢いよく走り出そうとするが、しかしジルエットはその場から動かない。
「その前に、井戸へ案内してくれないか。顔を洗いたい」
「それならこっちだよ!」
リーヴルが再び腕を引く。今度はそれに逆らわずジルエットは歩いて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます