第12話

「小麦だと?」

「はい。騎士様もあの小麦畑を見ましたよね。あれだけの広さだと、たくさんの小麦がとれるんです」

 オーク達が作業していた畑は、まさに広大という言葉が似合う規模だ。そこで栽培された小麦の量は、麻袋で百袋や二百袋といった数では足りないだろう。千袋を超えているかもしれない。

「コション村の人口は少ないから、小麦がすごく余るんです。何かあったとき用の小麦をさらに余分に残しても、村のみんなで食べる量の何倍にもなります。だから残った小麦で商人さんからいろいろな商品を買うんです。それであの絵本も買ったんですよ」

 確かにそれだけの量の小麦を売れば、それなりの金額になるかもしれない。そう考えているとジルエットはあることに気付いた。

「ということは、あの小麦畑は個人ではなく村の共有ということなんだな」

 農民には種類がある。国や貴族、地主から借りた土地で農作物を育てる農民と、自分の土地で農作物を育てる農民だ。

 自分の土地を持つ農民は、その畑で採れた作物は全て自分の物になるが、その量は少ないことが多い。なぜならそういった自分の土地を持つ農民は、森や荒れた土地を自らで開墾した者達だからだ。

 開墾作業は過酷で、大人数でなければ広い土地を開拓するのは難しい。個人で作業しても猫の額程度の土地しか無理なのだ。

「はい。畑は村人みんなの共有になってます。みんなで作業しないとあの量の小麦を刈り取るなんて無理ですからね」

「ならばあの小麦畑は、村の土地ということで申請しているのだな」

 ジルエットの言葉にプーレは首をかしげた。

「さすがに村の人間は知らないか。後で村長に聞かなければ」

「あの……その申請ですか? それがないと何かまずいのでしょうか?」

「ああ。税の額が変わる」

 この国では全ての人間が払う税がある。それが人頭税だ。これは人間一人あたりが払うべき税で、これを自分が住む土地の領主に毎年一定額支払わなければならない。

 この人頭税だが、職業によって微妙に額が違う。そして同じ農民でも、個人で畑を持つ者と、土地を借りている者では税額が変わるのだ。

「そうなんですか。知りませんでした。さすが騎士様です」

 感心した様子でうなずくプーレ。その尊敬する眼差しを向けられて、まんざらでもないジルエットは、わずかに胸を張る。

「当然だ。これも私の大事な職務だからな」

 本当はこういった税の計算は税務官がやる仕事なのだが、コション村のような小さな村は重要視されていないので、領主やその村の村長や代表者がやることが多い。ジルエットが派遣騎士としてやってきたため、そして派遣されたのが彼女一人だけなのでその仕事がまわってきただけだった。

 税の取立ては重要な仕事だが、こんな辺境の村のわずかな税程度なら誰も気にしていない。その事実を知らないジルエットは誇らしげに鼻を高くし、同じく知らないプーレは尊敬の眼差しを送る。

「やっぱりそういう知識も学校で勉強するんですか?」

「そうだな。騎士学校で教えられる」

 騎士学校と聞いて、プーレの目が輝く。

「騎士学校って王都にあるんですよね。それと貴族や優秀な人しか入学できないって聞いています。そこを騎士様は卒業したんですよね。すごいです!」

 その声の勢いと、興奮して顔を近づけてきたプーレに押されて、ジルエットはわずかに背を反らす。そこで自分がジルエットに近づきすぎている事に気付くと、プーレは慌てて身を引いた。

「す、すいません!」

「い、いや……学校に興味があるのか」

「そうですね……騎士学校の他にも学校があるんですよね」

「ああ。魔法使いのための魔法学校に、文官を育てるための学校、それと新しい技術や道具などを研究する大学というのもあるな。それと学校以外でも、優秀な教師が教えてくれる私塾が王都にはいくつもある」

 ジルエットの説明を聞いて、プーレの目が子供のように輝く。プーレは背がジルエットより頭一つ以上高いが、顔立ちはまだ幼いのだが、そうやって瞳を輝かせる姿はさらに彼を幼く見せていた。

「すごいですね。そこで勉強してみたいなあ」

「試験を受けてみたらどうだ。受かるかもしれないぞ」

「無理ですよ。まだ一年しか学校に行っていませんから」

 プーレがそう苦笑するのを見て驚く。プーレの落ち着いた受け答えは、長い時間教育を受けたものだと思っていたからだ。実際に村人達と話してみた感覚でも、プーレは彼らより態度も言葉も水準が高い。

「……プーレは今何歳なんだ?」

「たぶん、十五歳です」

 自分より年下だということになぜかショックを受けるジルエット。

「それ、なぜ一年しか学校に行っていないんだ」

「村に学校できたのが一年前だからです」

 プーレによれば、それまで村に学校は存在していなかったという。こんな辺境の村では学校を作り教師を雇う余裕が無く、また子供達に勉強をさせる暇も必要も無かったのだ。

 それが変化したのはあの広大な小麦畑ができてからだった。村に余裕が生まれ、そして子供達が産まれる。そこで村人達は子供達にために学校を作ろうと考えたのだ。

「それで教師を募集したんですけど、こんな遠くの村へ来てくれる人がなかなかいなくて……でも、一年前にマタン先生が来てくれたんです」

「なるほど。確かにこんな場所で教師をしようと思う人間はいないだろうな……そう考えるとあの老人、マタンもなかなか珍しい人間だな……」

「マタン先生のおかげで絵本も読めるようになりました」

「それまで文字を読めなかったのか?」

 プーレはその言葉に恥ずかしそうに頭をかいた。しかしこれはジルエットが世間知らずなだけだ。まだまだ識字率は低く、貧しい村の人々は大人であっても文字を読めない人間が多い。文字を読める一般人は、商人やその子供、無料で文字を教えてくれる教会などがある一部の都市の人間だけである。

「まあ、それでも今から勉強すれば大丈夫だろう。騎士学校は無理だが、大人になっても入学できる学校もあったはずだ」

「……それでも僕には無理です。僕は……」

 プーレが言葉尻を切ったところで思い出す。彼がオークと人間のハーフだということを。そんな彼を受け入れてくれる学校は存在しない。

 愕然とした顔をするジルエットを見て、プーレは苦味のある笑みを見せた。

「オークと人間のハーフである僕でも、騎士様は普通に話してくれますよね。畑で会ったときはそうでもなかったのに……」

 プーレをオークと人間のハーフだと紹介されたとき、思わず表情を変えてしまい、それを見て去っていた姿を思い出してジルエットは焦る。

「あ、あれはだな、急なことで驚いてしまって……」

「普通の人はそうですね。でも今はこうして話して、一緒に歩いてもくれる。村の人たちは最初から普通に接してくれましたけど、商人さんは違いました。話すのも、近づかれるのも嫌みたいで。騎士様はどうして平気なんですか?」

 そう言われてもとっさに理由は思いつかない。が、じっと真摯な目でこちらを見つめる顔を見ていると、思い浮かんでくることがあった。

「そう、だな。プーレは私をあんな目で見てはこないからな……」

 冷たい、あるいはこちらを蔑み嘲笑う目。背後からこちらを窺い、ヒソヒソと飛び交う陰口。歩いているとどこからか感じる無遠慮な視線と、口元に浮かぶ嘲笑。

 誰もがその目に、その口に悪意を持ってこちらを見る。それは不可視の鎖、あるいは黒い空気となって体を締め付けた。その不快さと惨めさは思い出したくも無いほどに。

「どうしました?」

 いつの間にかジルエットは立ち止まっていた。俯き唇を噛んでいるジルエットを、プーレは心配そうに見つめていた。その目には心からの労りがこもっている。

 それを感じて口元が思わずほころぶ。

「……プーレは優しいな」

「えっ?」

 プーレは優しく、そして純粋だ。彼だけでなくこのコション村の村人達もそうだ。

 ジルエットはこの数年間、常に神経を張り詰め、片肘を張って生活してきた。周囲からの悪意に耐えるため、自尊心を常に防壁として体に纏う。そのストレスは知らない間に彼女の心を痛め傷つけている。

「こうやって、何も考えず人と接するのも久しぶりだ……」

 すっと全身が軽くなったような気分だった。逃げるためにコション村の派遣騎士としてやって来たが、その事に後ろめたさや敗北感がどうしても付き纏った。しかし今はそれを全く感じていない。

 沈痛な表情から笑顔に変わったジルエットに、プーレは戸惑っていた。その表情を見てジルエットの目がさらに弓なりになる。

 そうこうしているうちにジルエットの家に到着した。

「そういえばプーレについて来ただけだが、よく家の場所がわかったな」

「小さな村ですから迷ったりはしませんよ。それにこの家を建てるのは僕も手伝いましたから」

「これをプーレが建てたのか」

「ほとんどティッキーさんがやりました。僕がやったのは壁の一部分だけですよ。あっ、そうだ。騎士様は魔石灯のスイッチの場所わかりますか?」

「いや、知らないな」

 プーレとジルエットは一緒に家へ入る。明かりは無いのでもちろん暗闇だ。

「入ってすぐ横の壁にスイッチがあります。これを動かせば明かりがつきます」

 ランプに照らされた壁に設置されているスイッチを指で押す。するっと室内が白い光で満たされた。魔石灯はリーヴルの家と同じ様に天井から吊り下げるものだ。

「すいません。他の部屋には魔石灯が無いので、そこではランプかロウソクを使ってください。ロウソクと燭台は、あっ、ここにありますね」

「ああ。ありがとう、送ってくれて」

「いえ。それじゃあおやすみなさい、騎士様」

 そう言って去ろうとするプーレをジルエットは呼び止めた。

「あの、何でしょうか騎士様」

「その呼び方だ。騎士様じゃなく、私にはちゃんと名前がある。私の名前は、ジルエット・ブルジェオンだ。ジルエットと呼んでくれ」

「えっと……」

 困惑するプーレをジルエットはただ見つめている。

「ジ、ジルエット……様?」

「そうだ。これからはそう呼ぶように。わかったかプーレ」

「わ、わかりました」

 プーレは小さく頭を下げると背中を向けて帰っていく。

 そのランプの光が遠くなるまで見送ると、ジルエットは扉を閉じた。

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