第11話
騎士学校に入学した初日。すでに学校の寮には数日前に入っていたが、こうやって校舎の教室に入るのは初めてのことだ。誰もがソワソワしていて落ち着かない。
十三歳となり騎士学校へ入学したジルエットも同じく浮き立つ心を抑えきれなかった。椅子に座ってなるべく冷静な態度を心がけているが、その口元は少し笑みが浮かんでいる。
「ふふふ、これから私も騎士だ」
正確にはまだ騎士見習いでしかないのだが、すでに騎士になった気分でいる。
教師が教室へ入ってきて、一通りの挨拶と説明が終わると、生徒達の自己紹介になった。しばらくしてジルエットの番になる。
「私の名前は、ジルエット・ブルジェオン! 姫騎士と呼んでくれ!」
胸を張り大声でそう言った瞬間、教室が静寂に包まれた。その理由がわからず教室を見回す。すると誰かが吹き出す音が聞こえ、それは徐々に数を増していき、ついに教室中は大声で笑う生徒たちの声に包まれた。
なぜ、皆が笑っているのだろうか。一人の男子生徒がこちらを指さして腹を抱えているのを見て、これが自分を笑っているのだということに気がつく。再び教室を見回すと、彼ら彼女らの視線が全て自分に向けられていることを知る。
ここで生徒達が自分を笑っている事を理解したが、しかしその意味はまだ理解できていない。ジルエットはまさに典型的な箱入り娘だった。
それをジルエット自身が自覚するのは、まだしばらくの時間が必要だった。
「…………フ」
あの時、教室で感じた生徒達の視線に似ていると、そう感じた。
騎士学校での記憶を思い出すと、急速に顔の熱が引いていく。残ったのは感情の感じられない目と、口元に浮かぶ自嘲の笑みだ。
両手が外れて見えた顔の変わりように、プーレ達が戸惑いの表情を浮かべる。
「ど、どうしたのですか?」
プーレが心配した声で言うが、それにジルエットは小さくふっと小さな息を唇から漏らすだけだった。
「何……過去の愚かさを思い出しただけだ」
「え、はあ。大丈夫ならいいんですけど」
若干変な雰囲気になったが、それを気にしないのが子供だ。リーヴルの明るい声が響く。
「ね、ね。姫騎士さまはどの姫騎士のおはなしが好き?」
わかりにくいが、前者の姫騎士がジルエットで、後者が絵本の姫騎士だ。リーヴルはジルエットにどの姫騎士の旅のエピソードが好きか聞いているのだった。
「わたしはね、姫騎士がつかまったお姫さまを助けるおはなしが好きー!」
「そうか」
ジルエットは思わず苦笑する。彼女が覚えているだけでも、姫騎士が囚われの姫を助ける展開は複数あった。それだけ誰もが好む展開だという事でもあるだろう。
「リーヴルはお姫様を助ける話が大好きだからねえ」
「うん!」
母親の言葉にリーヴルは勢いよく頷く。
「お姫さまを助けるために、盗賊や魔法使いや悪い人をギッタンギッタンにしちゃうんだよ! かっこいいー!」
そう言ってリーヴルは自分が姫騎士になったかのように、想像の剣を振り回す。その様子を両親が微笑ましく見ていた。ジルエットも思わず笑みが浮かぶ。
「ふふっ。女の子なら助けられる姫に憧れるものだがな。まあ、私も姫騎士に憧れたが」
「姫騎士かっこいいー!」
リーヴルはさらに激しく腕を動かして想像上の悪役を切り伏せる遊びを続ける。
「そうだな。格好いいな」
「うん。姫騎士さまも同じくらいかっこいいよー!」
「ん? それは私のことか?」
リーヴルはジルエットに音がするほど頭を縦に振る。そしてキラキラと輝く目で彼女を見つめた。
「はじめて見たとき、本物の姫騎士さまだって思ったもん!」
「そういえば、村に到着したときにそう言われたような。あれはリーヴルだったのか」
リーヴルは椅子から下りるとどこかへ走っていき、その手に何かを持って戻ってきた。それは姫騎士の旅の絵本だ。
「ほら、同じだよ」
リーヴルは絵本の表紙を見せる。そこには馬に乗って剣を掲げた姫騎士の絵が描かれていた。それに小さく笑う。
「同じ、か」
表紙の姫騎士は美しく描かれている。長くたなびく金髪と光り輝く鎧。力強く優美な白馬。それは村に到着したジルエットとは全く似ていない姿だろう。
ジルエットは一月におよぶ強行軍で疲れ汚れていた。鎧は金属製なので磨けば銀色に輝くが、長旅の土ぼこりで汚れた表面は茶色くくすんでいたはずだ。ジルエットは金髪だがその長さは肩ほどで、絵本のように腰に届くほどの長さではない。しかも長旅で汚れ手入れもできていないので痛んでしまいボサボサだった。
さらに跨っていた馬も白馬などではなく、安い値段で買った適当な茶色の駄馬だ。小柄で描かれた白馬の優雅さの欠片は一つも無い。
「全く違うさ……」
ジルエットが騎士学校に入学したのも、元はと言えば幼少の頃にこの絵本と出会い、姫騎士に憧れたからだ。
それが今はどうだろう。気高く美しい姫騎士とは真逆の存在だ。
姫騎士は高潔な騎士道精神を持ち、弱き者を助け、悪しきものをその剣で倒す。そして、どんな強大な敵にも逃げることはしない。
それに比べると自分はどうだ。今この村にいるのは絵本のように旅をしてきたわけではなく、ただ遠く逃げるために辺境へやってきた。誇れることなど何も無い。
「姫騎士と比べるのもおこがましいな……」
一人そんな苦悩をしていると、プーレが言った。
「確かに似ていますよね」
ジルエットは勢いよくプーレへ顔を向けた。その急な動きにプーレはびくりと体を震わせて驚いた表情になる。
「似ているって、そんな事はないだろう」
「いえ、似ていますよ。確かに絵本の姫騎士と全部一緒っていうわけじゃないですけど、少なくとも最初に僕が見たときはすごくキレイで、まるで本物の姫騎士だと思いました。」
ジルエットの顔が赤くなる。自分でもどうかと思うのだが、なるのだからしょうがない。彼女は誰かから褒められるということに免疫が無かった。
「あ、ありがとう……」
ジルエットは深く顔を俯けて、かろうじて聞き取れるほどの声をだした。
「いえ。あ、あの、すみません。こんなキレイだとか言って……」
プーレも自分がひどく恥ずかしい言葉を言ったことを思い出して赤面する。テーブルを挟んでジルエットとプーレの二人はお互いに顔を赤くして顔を俯けてしまう。まるでお見合いか何かのようだった。
そこでシャンスが何かに気づいた様子で手を叩いた。その音に二人は肩をはねさせる。
「もう夜も遅くなったからね。もう寝る時間だよリーヴル」
「えーっ! これまだ読んでもらってないもん!」
リーヴルは絵本を胸に抱きしめながら、不満の声をあげた。
「あんた、まだ騎士様に読んでもらう気だったのかい。あれだけ読んでもらったじゃないか。もう終わりだよ」
「やだー!」
リーヴルは全身を左右に振って嫌がる。しかし母親は許さない。
「お父さんに読んでもらいなさい。騎士様はもう帰るんだからね」
「やだやだ! 騎士さま、ここにおとまりしてよー」
リーヴルがジルエットの服の裾を掴み、涙目で見上げてくる。それにどうしたものかと困惑していると、ひときわ大きな母親のお叱りが飛んだ。
「コラッ! そんなワガママばっかり言ってると、今度商人が来たときに絵本買ってやらないからね!」
「それはやだー! わかった、寝る……」
リーヴルは名残惜しそうに服の裾を離すと、寝室へと歩いていく。寝室へと続く扉を開けて、その向こうへ進んだところで振り返る。
「姫騎士さま、また絵本読んでね。おやすみなさい」
そう言って可愛らしく小さな手をジルエットに向けて振る。それに同じく手を振って答えると、リーヴルは笑顔見せて扉を閉めた。
「さて、それじゃ片付けをするかねえ。プーレ、あんたは騎士様を送っていくんだよ」
「僕がですか?」
「いや、それには……」
ジルエットが言う前にシャンスが鋭い目でプーレを睨んだ。思わずジルエットも黙るほどの迫力だった。
「あんた、女の子を一人で夜道を帰すつもりかい?」
「い、いえ」
「じゃあちゃんと送っていくんだよ。ランプの場所は知ってるだろ」
シャンスの眼力に急き立てられるようにしてプーレは立ち上がり、隣の部屋へランプを取りにいく。それを言葉を挟むこともできず見ていると、シャンスがジルエットに笑顔を向けた。
「気が利かなくてごめんねえ。ああ見えても力は強いから、けっこう頼りになるんだよ」
「は、はあ」
すぐにプーレはランプを持って戻ってきた。手に持って使う吊り下げ型のランプだ。すでに火はついている。
「しっかり家まで送るんだよ」
「はい。それじゃあ行きましょうか」
「ああ……」
家から一歩出ると、外は真っ暗闇だ。空は多少雲があるが、星空がよく見える。しかし月は無く、明かりが届かない先は塗りつぶされたような黒色だ。ランプの明かりが無ければ一歩先の地面も見えないだろう。
ここは村の家が並ぶ場所から外れた場所だ。なので周囲に人の気配は無い。聞こえるのはかすかな風と、自分達が地面を踏みしめる音だけだった。
無言で二人は歩く。ジルエットは何を話せばいいかわからず、ただランプに照らされる地面を見ながら黙々と歩いた。
「ランプは魔石灯ではないのだな」
思わず頭に浮かんだ言葉を口にしてしまった。それにプーレが反応した気配を感じ、しまったと胸の内で舌打ちをする。
ジルエットは独り言が癖になってしまっていた。それは話し相手がいないという悲しい長年の習慣のせいだった。
「……な、なんでもない」
「そういえば、家の魔石灯に驚いていたみたいですが、珍しかったのですか?」
その言葉に思わず頭にきて、ジルエットはプーレを睨んだ。
「馬鹿にするな。私の屋敷にも魔石灯ぐらいある」
プーレは自分を険しい目で睨むジルエットに、慌てて首を振る。
「ち、違います! 馬鹿になんてしていません! ただ、魔石灯を見て驚いているようだったので、見たことが無かったのかなあと思って……」
ランプの明かりでもわかるプーレの青い顔に幾分か冷静さを取り戻す。それと同時にプーレをしっかり見ていることに気づき、さっと顔を背けた。
鼓動が速くなった胸に手を当てる。
「顔を見たくらいで……何だこれは……」
ジルエットの顔は紅潮していたが、焦っているプーレにそれはわからなかった。
落ち着いたところでジルエットは口を開く。
「私が驚いたのは、こんな辺境の村に魔石灯があったことに驚いたのだ。魔道具は貴族か大商人でなければ買えないほど高価な物だからな」
「そうなんですか?」
「そんな事も知らないのか」
意外そうな表情のプーレに呆れた声を出す。
「すいません。あれは僕が買ったものじゃないので。そういえばシャンスさんが嘆いてましたね。トレナールさんが勝手にあれを買ってしまって、後でその値段を聞いてケンカしていました」
その光景を思い出してか、プーレは小さく笑った。
「でも、あの魔石灯は便利ですよね。最初は怒っていたシャンスさんも喜んでいました」
「しかし、魔石灯に使う魔石も高価だぞ。半年もしないうちに魔石の魔力も切れる」
そうジルエットが言うと、再びプーレが驚いた顔になる。
一般的な魔石灯に使用される魔石は、手の平に隠れる程度の大きさだ。大粒の魔石と比べれば安いが、それでも同じ大きさの宝石と同じぐらいの値段がする。
魔石はその大きさで内蔵する魔力の量が決まり、大きければ大きいほど魔力の内臓量は多い。魔石灯は使用する魔力の量は少ないが、小さな魔石の魔力ではすぐに無くなる。
その事を説明すると、すでに一年以上あの魔石灯を使っているが問題はないとプーレが答えた。それにジルエットは、そんなはずは無いと反論する。
この意見の違いは、お互いの使用環境の違いだった。
ジルエットの屋敷で使用している魔石灯は常夜灯として使用していた。室内灯としては使用していない。屋敷の中や自室ではランプや燭台を使用していた。これは魔石灯を屋敷の入り口や敷地の門の常夜灯として使うのが貴族の見得だからだ。魔石灯は一つでも高価で、それを見せびらかすことで自分の財力や地位を相手に突きつける。貴族の悪習という
ものだが、貴族の世界ではそうやって威嚇しなければ誰かに後ろから刺される、そんな恐ろしい世界なのだ。
比べてリーヴル達の暮らす家では、魔石灯を室内灯として使用している。常夜灯というわけではなく、夜になって寝るまでしか使用しない。またランプの油やロウソクの消費を抑える長年の習慣で、夜はすぐに眠りに着く。これは村人に共通するものだ。そのおかげで魔石灯を使用する時間が短く、一年以上使っても魔石の魔力が無くならなかった。
その事を知らない二人の会話がかみ合わないのは当たり前だ。
「……まあいい。そういえば、村長の家にもあったな」
昨夜ベッドにまで運ばれたときのことを思い出す。酔った状態でうろ覚えだが、ジルエットを運んできたプーレが壁にあるスイッチを操作して部屋の明かりを点灯させていた。
そこで気付く。高価な魔道具である魔石灯がこの村に二つもある事実に。村長の家はその地位で何とか納得できるが、リーヴルの家にあるのは不思議である。
「まさか……他の村人の家にも魔石灯があるのか?」
硬い声でそう質問すると、プーレは何気ない口調で答えた。
「多分、全部の家にあるんじゃないかと思います。みんな便利だからって商人さんから買ってましたから。昨日の歓迎会をした場所にも魔石灯を使ってますよ」
ジルエットは絶句する。辺境の村の家全てで魔石灯が使用されているなど信じられない。この国の王が住む城が建つ街でも、魔石灯を照明として使用している場所は貴族の家を除けば、一流の高級宿か大商人の自宅ぐらいしかないはずだ。その他の家はランプかロウソクを使用している。
「嘘だろう……?」
呆然としながらジルエットは言うが、その様子を不思議そうに見ながら、プーレは小さく頷く。その姿から彼が嘘を言っているようには見えない。
「どうして魔石灯をそんな間単に買えるんだ……ここは辺境の村だぞ?」
「それは小麦ですね」
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