第9話
「ここは?」
「わたしの家だよっ」
リーヴルに連れて行かれたのは、オーク牧場の敷地にある家だった。小さく見えるがまわりのオーク小屋に比べるからで、実際は普通の家と変わらない。
中に入ると部屋にはテーブルが一つと椅子がいくつかあった。扉が奥と右手側にあり、さらにいくつかの部屋があることがわかる。間取りも普通の家と変わらないようだった。
ジルエットは言われるまま椅子へ座り、その横へ自分で椅子を持って来たリーヴルが座る。リーヴルは手に持っていた絵本をテーブルへ置いた。
「読んでっ」
「私は……」
「読んでっ!」
ジルエットはため息をついて絵本を手に取った。
最初のページを開く。描かれている絵や文章が昔自分が読んだものと違っているが、内容は変わらない。
口を開こうとしたところで動きが止まる。
「どうやって読めばいいんだ……」
子供のころに母親から何度も読み聞かせてもらった。しかし、自分が誰かに絵本を読み聞かせたことは皆無だった。
「どうする……」
額に汗が浮かぶ。母親がどういうふうに読んでいたか思い出そうとするが、あまりに昔のことで思い出せない。どのぐらいの超えの大きさで読めばいいのだろう。騎士学校で答えを求められたときと同じ様にすればいいのか。
知らず絵本を掴む指に力が入る。もしも変な読み方をすればリーヴルはどう感じるのだろう。ジルエットを笑うのだろうか。そう考えると声を出せない。
「ねえ。はやく読んでよー」
ジルエットの様子に気づかないリーヴルはそう催促する。
「……わかった」
覚悟を決めてジルエットは絵本を読み始めた。かすかに震えて裏返った声が出たが、それを気にする余裕も無く、リーヴルも気づかない。
「むかしむかし、姫騎士がいました……」
絵本というのは短い。子供は長い時間集中力が続かないのだから、絵本はどうしても短い物語になる。ゆっくり読んでも十分ほどだ。
「こうして姫騎士はドラゴンを退治しました。めでたしめでたし」
その十分でもジルエットにとってはまるで一時間のように感じた。自分の読み方は変ではないのか、そしてリーヴルの反応はどうなのかを気にしながら絵本を読み聞かせるというのは、彼女にとって騎士の訓練よりもある意味で過酷なものであった。
「おもしろかったー!」
「そ、そうか……」
ジルエットはほっと胸を撫で下ろす。これであの拷問のような絵本の読み聞かせから解放されるかと思うと、どっと疲れが押し寄せ、安堵から全身が脱力する。そのせいでリーヴルが隣の部屋へ行ったことに気づいていなかった。
「もってきた!」
「うん?」
一仕事を終えた心地でいたジルエットは、リーヴルの声に顔を上げると見えた光景に目を丸くした。
「これも読んでー」
笑顔のリーヴルの両手には、何冊も積み上げられた絵本の山。呆然とするジルエットを気にすることも無く、それをテーブルの上にドンとのせた。
積み上げられた絵本は十冊以上はあるだろう。その表紙には、姫騎士の旅という題名があった。
「姫騎士の旅はシリーズものだったな……」
ジルエットは親に頼んで全巻買ってもらったことを思い出す。姫騎士の旅シリーズはその人気もあって、絵本にしては珍しく何冊も続くものだった。先程読んだものはその最初の一冊である。
「はい」
笑顔でリーヴルが絵本を差し出すと、ジルエットは顔を引きつらせながら受け取るしかなかった。その表紙には『姫騎士の旅・魔法使いとの戦い』とある。これは二巻目だ。どうやらリーヴルは順番通りに読んでもらう気らしい。
「……何巻まであるのだったかな」
期待に目を輝かせているリーヴルの視線を感じながら、ジルエットは絶望的な気持ちで絵本を開いた。
「……こうして姫騎士は見習い騎士と一緒に旅に出ることになりました。おわり……」
ジルエットが絵本を閉じると、リーヴルが小さな手で激しく拍手をする。もう何冊も読んだというのに少女は飽きる様子は無い。その事に苦笑しながらも次の絵本を手に取る。
最初は緊張しながら読んでいたが、こう何冊も読んでいれば徐々に慣れるものだ。今ではスラスラと、抑揚をつけて臨場感を出しながら読んでいる。それに反応するリーヴルの仕草も面白く、いつしか絵本を読むのが楽しくなっていた。
絵本を開こうとしたとき、家の扉が開いた。そちらへ目を向けると、先程会ったこのオーク牧場の経営者の一人である女性が驚いた顔でジルエットを見た。
「あれ! どうして騎士様が私の家にいるんだい?」
「それは……」
「絵本を読んでもらってたの!」
リーヴルが笑顔で言うと、女性は無言で歩いてきて少女の頭に拳を落とした。痛そうな音がジルエットにも聞こえそうだ。
「いたーい!」
「何やってんだい。すみませんねえ騎士様、私の娘が無理を言ったようで」
「リーヴルはあなたの子供だったのか」
涙を浮かべながら頭を両手で押さえるリーヴルとその母親を見比べて、あまり似ていないなと失礼な感想を思い浮かべる。
「遅くにできた子供だから、つい甘やかしてしまってねえ。ちょっとばかしワガママになっちまったんだよ。ほら、騎士様にあやまりな」
母親はリーヴルの頭を押さえて頭を下げさせようとしているが、少女は抵抗してなかなか頭を下げない。その様子を見かねてジルエットは止める。
「謝らなくてもいい。ただ絵本を読んでいただけだからな」
「そうだもん……」
リーヴルがふてくされた声で言うと、母親は拳を振り上げた。それを見てさっとジルエットの後ろへ隠れる。
「こらっ!」
「そう怒らないでくれ。私も特に迷惑していないから」
足にしがみつくリーヴルの頭を、かすかに笑みを浮かべながらジルエットは優しく撫でながら言った。母親は手を下ろすと大きくため息をつく。
「騎士様が言うから許すけど、次は駄目だからね。こんな時間まで絵本を読ませるなんて」
「こんな時間?」
気づけば家の中はかなり暗くなっていた。太陽が山に隠れようとしていて、すでに夕方の遅い時刻になっている。
絵本を読むのに夢中になっていたため、どれぐらいの時間が経過しているかわからなかったのだ。かなり長い時間を絵本に使っていた。
「さーて夕食を作らなくちゃね。ほらリーヴル、絵本を片付けな」
「えー。まだ読んでないの残ってるのに」
リーヴルが持って来た絵本は、まだあと数冊残っていた。リーヴルは険しい顔で睨むが、母親に効くはずも無い。呆れた顔で母親は腰に手を当てて目を合わせる。
「ワガママ言うんじゃないよ。騎士様だって夕食の準備があるんだからね」
「いや、私はどこかの店で食べようと思うのだが」
その返答にきょとんとした顔になる母親。ジルエットもその反応に思わず同じ様な顔になってしまった。
「いや、そんなに変な事か?」
「だってねえ……この村にはそんな店なんてないよ」
ジルエットはつい目と口を開けてしまった。それ程に予想外の言葉だったからだ。
「そんなバカな……食堂や宿のひとつぐらい……」
「そう言われても、無いものは無いよ。ここは辺境の村だからねえ」
ジルエットが知らないことだが、このコション村は陸の孤島で他の場所の人間と全く交流が無い場所だった。それは村が国境近くにあるが、その国境が人が進むことができない山脈になっているので、隣の国から人がやって来ることが無い。また村には特産品があるわけでもなく、観光地になるような場所でも無いので、年に二度やって来る商人以外訪れる人間は皆無だった。
そのためコション村には旅人のための宿は無く、彼らをあてにした食堂や酒場というものも存在していない。三食の食事は全て自分達の家庭で作ることになる。
「で、では、どうすればいいんだ……」
ジルエットは貴族であり、家事は全て使用人がするものだった。部屋の掃除程度は騎士学校での寮生活でできるようなっているが、料理は全くできない。寮の食事は食堂で料理人が作ったものを食べる。
「そう言われてもねえ……村にパン屋はあるけど、朝に必要な分だけ焼くからもう残ってないと思うよ」
コション村のパン屋は他の街や村のパン屋とは違い、一日に一定数のパンしか焼かない。買う人間が村人しかいないからだ。その人数分以上焼いても残るだけなのである。村人達が一日に食べるだけの数量しか必要ないのだ。
「そんな……」
ジルエットがコション村のあまりの辺境ぶりに絶望していると、リーヴルが言った。
「姫騎士さま、食べものないの? だったら一緒に食べようよ!」
「え」
リーヴルはニコニコと笑顔で抱きつきながらジルエットを見上げている。視線をリーヴルから母親へ向けると、しょうがないなという雰囲気ながら笑顔で頷いた。
「うちで食べていきなよ。娘の相手をしてくれたお礼にもなるからね」
「ヤッター!」
リーヴルは両手を上にあげて飛び跳ねながら喜ぶ。ジルエットはまだ困惑した表情だ。
「いいのか?」
ジルエットに大きく頷いてみせる母親。しかしその後、意味ありげな笑顔を浮かべた。
「まあでも、騎士様にはちょと面倒かもしれないけどね」
「どういう意味だ?」
その時、服を引っ張られた。そちらへ顔を向けると、笑顔をリーヴルが服の裾をつかんでいる。そして服をつかんでいない方の手に持った物をこちらへ差し出す。
「これ読んで!」
絵本だった。思わず漏れる苦笑とともにジルエットは絵本を手に取った。それを見てリーヴルはパアッと笑顔になると、急いで隣の椅子へ飛び乗る。
「むかしむかし、姫騎士という強くて美しい女性がいました……」
絵本を二冊ほど読み終わると、再び家のドアが開いた。
「あっ。お父さん!」
リーヴルは椅子から飛び下りると、入ってきた人物に駆け寄って飛びついた。
「ははっ」
入ってきたのはオーク達が仕事をしていた畑で会った男性だ。彼がリーヴルの父親である。父親はリーヴルを自分の目と同じ高さまで軽々と持ち上げた。そして笑いながら顔をリーヴルの顔に擦り付ける。
「きゃー」
リーヴルは悲鳴をあげるが、それは嫌がっているのではなく喜びの悲鳴だった。ひげが伸びた頬で擦られながらも、リーヴルの顔は笑顔だ。
その様子を何ともなしに見ていると、再び家の入り口に人影が現れた。開いた扉の影と薄暗い部屋のせいで誰かわからない。
「あっちの夕食の準備終わりました。暗いですね」
入ってきた人物は壁に手を伸ばすと、そこにある何かを指で動かした。すると薄暗かった室内が突然明るくなる。いつの間にかずいぶん太陽が沈んでいたようで、その暗さに慣れていたジルエットは思わずまぶしさに目を閉じた。
目が慣れたところでまぶたを上げる。部屋を照らす光は天井からぶら下がった物体から発せられていた。その色は太陽や火とも違う白い光。その色の光を出す物をジルエットは知っていた。
「魔石灯か」
それは魔道具の一つだ。魔法力が蓄積された魔石を使い、その力で様々な効果を発生させる物を魔道具という。
魔石灯は光る魔道具である。その他の効果は無いが、これは暗闇を照らすための道具として重宝されていた。ロウソクやランプといった火を使う明かりとは違い、風や水で明かりが消えることはない。また火と違って熱くなく、倒れたり落としたりしても火事になる心配も無かった。明るさも段違いだ。
魔石灯を確認した後顔を戻したのだが、違和感があり再び頭上へ視線を向ける。頭に引っかかったのが何か考え、それがわかると思わず声をあげた。
「どうしてこれがこんな村にあるんだ!」
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