第8話

 それは一人の狩人が獲物を求めて山の中を進んでいた時だった。優秀な狩人である彼は気配に敏感で、生き物の気配を感じそちらへ向かう。すると前方から草をかき分ける音が聞こえ、狩人は弓矢を構えた。

 しかしその矢が放たれることは無かった。現れたのが人間の女性だったからだ。

 女性の年齢は二十代半ばほど。全身は酷く汚れ、服も破かれていてほとんど裸同然である。頬はこけ、落ち窪んだ目には恐怖がありありと浮かんでいた。

 思いがけない出会いに狩人が呆然としていると、女性は狩人の胸に倒れた。

「お、おい! どうしたんだ!」

「助けて……助けて……」

 狩人は女性を抱きしめながら声をかけるが、うわ言のようなつぶやきをくり返すだけだった。

 獣かまたは盗賊か何かに襲われたのかと思い周囲を警戒するが、それらしき気配や物音もしない。再び狩人は胸元の女性へ顔を向け、その肩へ手を置こうとしたとき、触れる彼女の体の状態に気づいた。女性は妊娠していた。

 狩人は急いで村へ女性を担いで戻る。腹部の大きさからいつ産まれてもいいように思えたからだ。その懸念は正しく、村に到着したその夜には陣痛が始まった。

 産婆の小屋からは女性の悲痛な声と、それを励ます産婆の声が聞こえている。すでに真夜中だがかがり火がたかれていて周囲は明るい。

 小屋の周りでは村の女性達が産湯に使う湯を温めたりなど働いている。出産は全て女性の仕事なので、男達はそこから遠ざけられるのだ。

 やがて子供の泣き声が上がった。大きく元気な産声に周りの女性達は思わず笑顔を浮かべる。しかし次に聞こえた悲鳴に、彼女達は首をひねった。

「どうしたんですか、ババさま?」

 一人の女性が小屋の扉を開けると、産婆とその手伝いをしていた数人の女性が腰を抜かした様子で座り込んでいた。さらには逃げるように力ない手で後ろへ、小屋の壁際へと体を引きずっている。

「いったい何が……」

「み、見るんじゃ……」

 産婆が震える指で指さす先には出産を終えてぐったりとしている女性と、その広げた足の間に転び今も鳴き声を上げる乳児。

 それを見たとき違和感があった。それに気づいた瞬間、女性は思わず一歩後ずさりする。

「灰色の肌……まさか!」

「そうじゃ……この子はオークとのハーフじゃ」

 オークと人間の子供は忌むべき存在だ。女性にとっては災難ではすまない話だが、運が悪かったとしか言いようが無い。発情期の雄のオークが人間の女性を襲う確率はかなり低い。興奮状態のオークに殺される事のほうが断然多いのだ。

 オークと人間のハーフは、純潔のオーク達からも嫌われる。同族だとは思わず殺されてしまう。だからといって人間と共に暮らすことも難しい。人間達にとってオークは獣と同一だからだ。そんな獣と人間の子供など、誰もが忌み嫌う。


「普通ならオークと人間のハーフは、その場で殺されてしまうんじゃが、運がいいのか悪いのか、ちょうどその村に商人がおったんじゃのう」


 商人は旅をしながら商売をする旅商人という男だった。商人は珍しい商品があれば何にでも飛びつく。

 商人は村で産まれたオークと人間のハーフを買い取る。ハーフは珍しいので高値で取引されるという噂を知っているからだった。乳児は一度も母親の胸に抱かれること無く、何の情も無い人間へ売り渡された。

 商人は最初こそ金になると喜んでいたが、しばらくすると忌々しい目で乳児を睨むようになる。誰一人として買い手が現れないからだ。

 オークと人間のハーフだと知ると、誰もが不快な表情を見せる。さらには腰を抜かす人間や、それを連れて来た商人に怒り出す者もいた。さらには街に入る際に荷物検査されたとき、中に入ることを拒否されることもあった。

 高く売れるのではなかったのか。そう毒づきながら商人は乳児をにらむ。

 それならばこの子を捨てるなり殺すなりすればいいと思うだろうが、商人は買い取るときにそれなりの大金を払っている。なので何としてでもその金を取り戻したかった。

 しかし一年も売れ残ればその気も薄れてくる。安くてもいいから売りさばきたい。

 そんなある日、一人の商人から声をかけられた。なんとオークと人間のハーフを買いたいと言う。商人は買った時よりも安い値段だが、それでも喜んで売った。

 幼児を買い取った商人は、それを売ろうとする。しかしまた売れない。そして一年後どこかの商人から声をかけられ、さらに安い値段で売る。それが何度かくり返され、オークと人間のハーフの子供は成長しながら何人もの商人の間をたらい回しにされた。

 その結果、子供の値段は最初の値段の十分の一以下まで下がり、国のいたる場所を移動して、やがて最辺境にまでやってくる。そこがコション村だった。


「最初にあの子を見たときは目を疑いました。鉄格子の中に五歳の子供がおるんですからのう。聞くと哀れな境遇で、思わず買ってしまったのですじゃ」

 村長が痛ましい口調で語った事に何と言えばいいかわからず、ジルエットはただ無言でいることしかできなかった。

「買ったはいいものどうすればいいかもわからず、とりあえずオーク牧場に預けたんじゃが、それがうまくいきましてのう。おかげで今の村の発展があるのですじゃ」

「どういうことだ?」

 プーレが来たことと村の発展の関係性がわからない。

「当時の村には子供がおりませんで、まるで我が子のように村人みんなで可愛がりましたんじゃ。最初はわしらにおびえた様子を見せていたんじゃが、しばらくすると慣れてきましてのう。初めて笑っときの可愛さといったら……」

 まるで孫を自慢するかのような村長に、ジルエットは苦笑する。

「それで、プーレがどうして村の発展に関係するんだ」

「それはですの、プーレはオーク牧場で暮らしていたので、そこにいるオーク達とも仲良くなったのですじゃ」

 普通の場合、オークと人間のハーフとオークが仲良くなることはありえない。コション村のオークが長年ここで育てられ、温厚な気質のオークへと変化したから可能だったのだろう。

 オーク牧場はその名前の通りオークを育てている。ではそのオークをどうするかというと、商品として売るのだ。オークは労働力や戦力として需要がある。

「その時プーレがオークを売るのを嫌がったのですじゃ。仲良くなったオークがいなくなるのもそうですじゃが、多分自分の境遇と重なったんですのう」

 村長がいくらか沈んだ声で言う。

 売られていくオークと、売られていた自分。それは確かに辛いだろう。そう考えたとき脳裏に先程の悲しげなプーレの表情がよみがえり、ジルエットの顔が歪んだ。

「っ、何だ?」

 自分が顔を歪めたことに違和感を感じる。

「どうしてそのことに私が心を痛めるんだ……」

 再びプーレの表情が思い浮かぶ。そこに違うイメージが重なって見えた。それはジルエット自身の寂しげな顔。頭を振ってそれを消す。

「どうしましたかの?」

「何でもない。それよ話を続けてくれ」

「では……そういうわけでプーレの思いを無下にはできず、オークを売らないことにしたのですが、ではオークはどうしようかという話になりましてのう」

 オーク牧場はオークを売ることで収入を得ている。それができなければオーク牧場を経営する意味が無い。村人達が相談しているとプーレが言った。

「プーレは、オーク達で森を開墾しようと言ったのですじゃ。あの大森林は木の数が多く、さらにはほとんどが大木で村の少ない人数では開墾は不可能でして。わしも無理じゃと思いましたが、やるだけやってみようと思いましてのう。それでやってみたら、これがうまくいきまして」

 人間なば何十回と斧を振らなければいけない大木も、オークなら数回振るだけで切り倒せた。残った切り株も、手作業なら根を切って必死で土を掘り返して抜かなければならないが、オークの怪力なら簡単に抜くことができる。

 十ほどしかいないオーク達でも、人間ならば百人でやる仕事量をこなすことができた。森の開墾は急速に進み、新しいオークが産まれればさらに開墾作業ははかどった。オークは産まれたときは人間の子供ぐらいだが一ヶ月で人間の大人ほどまで急速に成長し、二ヶ月もすれば立派な二メートルほどの体長になる。

「五年ほどであの広い土地の開墾が終わりましてのう。おかげで小麦が多く作れるようになりまして、飢えとは無縁になりました。税を払っても大量に余って、村の備蓄用にまわしてもさらに余りましたのう。その余った小麦を商人に売れるようになったので、この村もずいぶん暮らしやすくなりましたの」

 村長は嬉しそうに笑う。

「村に余裕ができたので、子供が増えました。貧しいと育てることが難しいですからの。今村にいる子供達は、開墾が終わってから産まれた子供達ですじゃ」

 その言葉で村の子供と大人たちの年齢が離れていて、十代や二十代の若者がいない理由に納得がいく。

「では、その他の若者たちは」

「はい。もう何年も前に村から出て行きましたのう。当時はこの村もわしらの代で終わりかと思っておりました」

 話が終わったところでオーク牧場へ到着した。

「どうしますかのジルエット様。このまま村へ戻りますかの?」

「そうだな……」

 村の見るべきものは見た。あの畑や木を加工していた場所はもう一度見たい気もするが、それなりの時間歩き回っている。鍛えているので疲労はないが、それとは別に精神的な疲労がたまっていたのでもう家へ戻りたい気分だった。

 そう答えようとしたときだった。大きな声がした。

「あっ! 姫騎士さまだ!」

 顔を向けようとすると、足に衝撃を感じた。強いものではなく、ジルエットの体は揺らぎもしなかった。顔を下に向けると、ジルエットの足にしがみつく小さな子供がいる。

 困惑した目でジルエットが見ていると、見上げる目と目が合った。

 足にしがみついているのは六歳ほどの子供だ。それはジルエットが村に到着したときに見た少女だったが、そのことを思い出すことはできなかった。

「うわあ、やっぱり姫騎士様はキレイだね」

「そ、そうか」

 姫騎士と呼ばれることに抵抗があるが、キラキラと輝く目をした子供に注意することはできなかった。ジルエットは若干引きつった笑みを浮かべる。

「おや、リーヴル。ジルエット様が困っているからの」

「はーい」

 村長に注意されて足から離れたが、リーヴルという少女はジルエットの手を握った。困惑しながらリーヴルへ顔を向けると、ニッと笑顔を浮かべる。

「村長……この子は」

「この娘はリーヴルといいまして、このオーク牧場の夫婦の娘ですの」

 そう説明されて事態が変化する訳ではない。少女はジルエットの手を離さない。どうしたものかと思っていると、少女リーヴルが子供らしく元気な声で言った。

「ねえ姫騎士さま!」

「……なんだ」

 姫騎士ではなくジルエットだ。そう訂正したいが、純真な子供にそう言うのは気がとがめて言えず、そのままにするしかない。思わずため息が出る。

「この絵本知ってる?」

「ああ。姫騎士の旅か。私も読んだことがあるから知っている」

 リーヴルが片手に持っていた本を見せた。何度も読んだせいだろう、ページの角がいくつも折れ曲がり表紙や背表紙も痛んでいる。しかし大切にされているようで、表紙の題名と着色された白い馬に跨った鎧を着て長い金髪をたなびかせる姫騎士の絵ははっきり見えた。

 リーヴルはさらに目を輝かせると、ジルエットの手を離すと急にポーズを決めた。

「わたしは姫騎士! だれよりもけだかく、ほこり高いもの!」

 右手を頭上に掲げる姿は、絵本に描かれている姫騎士の姿を真似たものだ。実際はその右手に光り輝く剣を持っているのだが、リーブルは何も持っていない。しかし子供の想像力は手に剣を生み出し、その顔はまさに絵本の姫騎士のようだった。

「私も子供ころはこうだったな……」

 ジルエットは幼い頃を回想する。

 リーヴルが持っている『姫騎士の旅』は広く知られている物語だ。もともとは大人向けの小説だったが、それを子供向けにアレンジしたものである。

 内容は、美しく気高く、それでいて剣の腕前もある姫騎士が旅に出て、悪人や悪い魔法使いを倒したり、ドラゴンといった怪物を退治したりするものだ。

「私は姫騎士だよ!」

 他の子供と同じく、ジルエットもこの絵本を読んで大きく影響を受けた。父親にねだり木剣を手に入れ、それを振り回して姫騎士になりきる。

 両親や兄達はそれを微笑ましそうに見ている。ジルエットは笑顔で木剣を掲げて走っていた。

 それは楽しい記憶のはずだ。それなのにジルエットの表情は硬い。

「私は……姫騎士などでは……」

「どうしたの?」

 リーヴルが不思議そうにジルエットの顔を見ていた。きまり悪そうに咳をしてごまかすと、作り笑いを浮かべてリーヴルへ話しかける。

「なんでもない……それで、その絵本がどうかしたのか」

「うん。これを読んでほしいの!」

 笑顔でリーヴルは絵本を両手で差し出す。

「いや、私は」

「ダメなの?」

 とたんにそれまで笑顔だったリーヴルの顔が曇る。目も口も悲しげに下がり、今にも泣き出しそうに見えた。こういった幼い子供の対処に慣れていないジルエットは慌てる。

「いや、そんなことは無いが……」

「ほんとっ」

 ぱっと笑顔に変わるリーヴル。こういう急激な気持ちと表情の変化は子供特有のものだろう。それに思わずまばたきする。さっきまであれほど曇っていた表情が嘘のようだ。

 リーヴルはさっとジルエットの手をとる。

「こっちで読んでっ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 子供の手を振り払うわけにも行かず、駆け出したリーヴルに引きずられるようにして遠くなるジルエットを、村長は静かに笑顔で見送った。

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