第6話
ジルエットは思わず息を呑んだ。そこにあったのは辺境の過疎の村ではありえないほど広い畑だった。
全体の大きさはどのぐらいなのか、コションの村を十個合わせても足りないのではないだろうか。奥行きはそれほど長くは無い。森が壁のように畑を遮っていた。そのかわりに横幅が広い。見える平地のほとんどが畑だ。
ジルエットが立つ場所は丘の上なので、畑と周囲の光景がよく見える。手前に畑があり、その向こうに畑よりも大きな森が広がっていて、さらに遠く高い山々が左右に伸びていた。山は大霊峰と呼ばれる長い山脈で、王国と隣国を隔てる国境となっている。その裾野に広がるのが大森林。コション村はその森に触れそうなほど近くにあった。
「こんな大きな畑は私の故郷にもないぞ」
ジルエットの故郷は平地が多く、鉱山資源は無いがそのぶん広い場所で農業が可能だった。なので農業が主な産業で、住民のほとんどが農民でいくつもの畑があった。しかしただの地方貴族なので領地がそこまで広いわけでもなく、また農地を広げていけるほどの労働力と財産を持ってもないので、農地の大きさはそこそこといったものである。
それに比べてコション村の畑は、分不相応に広すぎた。村長は村の住人が全部で百人ほどだと言っていたが、そんな人数でなんとかなる規模ではない。村の住人の多くが中年か老人なのだからさらに無理だろう。この大きさの農地を十分に使うには、コション村の倍のさらに倍は人間が必要なのではないだろうか。
呆然とジルエットが畑を見ていると、村長が愉快そうに笑った。オーク牧場の中年女性も笑顔を浮かべている。
「ほっほ。驚いてもらえたようですのう」
「いつまでもボケっとしてないでさ、行くよ騎士様」
「あ、ああ……」
緩い丘を下って畑へ近づく。畑は右半分が黄色く染まっていた。
「あれは、小麦か?」
「そうです。今年は豊作のようですのう」
伸びた小麦の穂が揺れている。まだ収穫時期には早いが、その育ち具合からたわわに実ることが保障されたようなものだった。
「どうして半分だけが育っているんだ?」
右側は穂で埋め尽くされていたが、左側は何も無い。違う作物が育っている様子も無く、ただ茶色い土しか見えない。
「今育っているのは冬小麦で、もう半分は春小麦だからですの。左側は春小麦をまくための土作りをしていますじゃ。なぜそうしているのかと言いますと、単純に手が足りないのでして。なにしろこの大きさですから、村人全員でやっても半分の収穫が限界ですのう」
半分でもコション村の人数では無理だろうとジルエットは思ったが、それを口にすることは無かった。小麦が育っていないほうの畑で作業しているものに目を奪われていたからだ。自覚しないままつぶやいていた。
「オークが土を耕している……」
そこではオーク達がクワを振り下ろして畑を耕していた。その巨体に比べてクワが小さく見えるが、それはオーク用の特注品で人間のものより倍の大きさがある。
リズミカルにクワを振り下ろす姿は人間とあまり変わらない。しかしそれこそがジルエットにとって驚きだった。クワを持っていないオークは、持ってる袋の中身を畑へまいていた。
「あれは何をしているんだ」
「ああ、あれは春小麦の種籾をまいているのですのう」
「オークが種まき……」
オークは知能が低く動物に近い。つまり人間より本能に忠実ということだ。
オークはその巨体を維持するために食欲が旺盛だ。雑食なため肉だけでなく野菜なども食べる。小麦もそうだ。オークに種籾など渡せば、その場で食べ始めてしまうだろう。人間は脱穀して火を通さなければ食べられないが、オークはそのままでも食べる。
しかしジルエットの目に映るオーク達は、種籾を食べるどころか育てるために畑へ
それをまいていた。命令する人間がいないのにだ。荷運びをさせるオークにはそれを指示する人間が常に見張っていなければならない。そうしなければ勝手な行動をしてしまうというのが常識だが、コション村のオークはそれに当てはまらないようだ。
「私は夢をみているのか……?」
思わず頬をつねるが、痛みがある。やはりこれは現実だった。
「うちのオークはすげえだろ。みんな言う事をよく聞くんだ。それに村の男達より働き者だしなあ。腰が痛い肩が痛いって文句なんか言わないしねえ」
自慢げにオーク牧場の中年女性は言うが、それはほとんどジルエットの耳に聞こえていなかった。すると誰かがこちらへ近づいてきた。
「どうしたんだ? おめえ村長なんかと一緒に……ん? こりゃあ姫騎士様じゃねえか」
「姫騎士様にうちの自慢のオークを見てもらおうと思ってなあ。あ、こっちがうちの夫で、二人でオーク牧場をやってるんでな」
「どうも、俺がいちおうオーク牧場の責任者です」
畑仕事をするオークに気を取られていたジルエットは、姫騎士と呼ばれたことに気づかず訂正もできないまま、曖昧に返事をするだけだった。
「はあ……ジルエット・ブルジェオンだ」
「昨日の歓迎会で顔は見たけど、こうやって近くで見るとほんと美人じゃないか」
「あんた、何言ってるんだ! そんなことより姫騎士様を案内するんだよ! あたしはまだ仕事があるんだからね!」
首をすくめた夫をじろりと睨むと、背中を向けてオーク牧場のほうへ戻っていった。
「ああ、おっかねえ。んじゃ姫騎士様、ついてきてくれるか?」
「わかった。それより私を姫騎士と呼ぶのはやめてくれないか」
それに男は、わかったよ姫騎士様と答え、もう一度言っても無駄だと思い、ジルエットはため息をついた。そんな様子を見ることも無く、オーク達は黙々と畑仕事を続けていた。
「この村ではずっとこうやってオークが畑仕事をしていたのか?」
「いや、昔はそうじゃなかったし、オークに村の仕事をさせるようになったのはここ数年にからだな」
その言葉に驚くと、村長が詳しい説明をはじめた。
昔は他のオーク牧場と同じで、荷運びや兵士としてオークを売っていた。そのころはオークの数も少なく十体前後である。
「人手不足での。さすがに夫婦二人だけではそれが限界じゃからのう」
「息子はとっとと村から出て行ったしな。まあ、あのころは村がこんなふうになるとは思っていなかったから、俺もあいつも反対しなかったんだ」
「では、どうして今はこんなにオークが多くなったのだ?」
「もう十年前になるか、プーレが来てからオークを増やすようになったんだよ」
その名前に聞き覚えがあった。
「プーレ?」
「お、あれを見てくれ」
男が指さしたのは、小麦畑から少し離れた場所にある建物だった。その周囲でいくつもの人影が動いていた。近づくと、それが人ではなくオークであるとわかる。
ここでまたもジルエットは絶句することとなった。
この村は一体何なのだ。そう自問するが考えはまとまらない。畑仕事ならまだ理解できたが、今目の前で起こっているこれはどういうことなのか。
「そうだ。そうやって一定の力で動かすんだ」
筋肉質な体つきの男がオーク達の中で動き回っていた。働くオーク達に話しかけている。
「釘を打つときは必ず真っ直ぐになるようにするんだ。こうやって根元を指で押さえろ」
建物の周りには十体ほどのオークが作業していた。全員が手に何かの道具を持っている。
「違う。ノコギリはこう使うんだ。それだとキレイに切れないぞ」
建物の横には太いものから細いものまで、かなりの量の丸太が積まれていた。オーク達はその丸太の加工をしていたのだ。
「違う違う! それはこうやってだな……」
あるオークは角材にカンナをかけて削り、違うオークはハンマーで釘を打って箱を作る。他にも丸太をノコギリで切断したり、木に残っている枝を切り落としたりしていた。それらの作業をするオーク達の間を動き回る男は、それぞれアドバイスをしたり見本を見せて教えている。
「オークが……大工仕事をしているだと……」
「ん? 何だ」
オーク達に大工仕事を教えていた男がジルエットたちに気づいてそちらへ顔を向けた。頭にねじり鉢巻を巻き、浅黒く厳しい顔つきはまさに大工の棟梁といった雰囲気だ。
「村長か。なんでえこんな所に?」
「こちらのジルエット様に村を案内しているだのう」
「ああ。そいつが派遣騎士ってやつか。こんな辺境にごくろうさんだな」
口調と顔つきはきついが、そこに敵意や嫌悪感といったものは無い。これが男のいつも通りなのだ。相手が騎士であっても関係ないらしい。
そんなことを気にする余裕は今のジルエットには無かった。その思考は驚愕と疑問で埋め尽くされてしまっている。
「なぜオークがナタで枝を落とし、丸太をノコギリで切っているのだ。しかもきちんと長さを揃えているだと……釘と比べて手が大きすぎる。それなのに上手く釘を打てているな……カンナが小さすぎるぞ。それでなぜ木が削れるんだ……」
大工道具は人間用の物なのだろう。オークの手の大きさに合っていない。それなのに器用に作業をこなしている。大工仕事をしているのもそうだが、人間並みに手先が器用なことが驚きだった。
「この嬢ちゃんはどうしたんだ?」
「うちのオークの器用さに驚いているんだろ」
そこでやっと我に返る。驚きが抜け切っていない顔を男へ向けた。
「な、なぜオークがこんなことをできるんだっ!」
「何でって、教えたからにきまってるだろ?」
それが何かおかしいのかという全く不思議そうでない男の表情に、思わず怒鳴りそうになる。おかしいことだらけだ。まず道具を使うことが驚きである。戦争などで武器を使うことはあるが、それはただ振り回して相手にぶつけるという単純なものだから可能なのだ。精確に同じ長さでキレイにノコギリを使って丸太を切断したり、さらにはカンナで薄く木の表面だけを削るなどオークができるような作業では無い。
「教えて出来るわけがない! 荷運びですらできずに放り投げるオークなどざらだぞ!」
ジルエットの言葉に三人はただ首を傾げるだけだ。
「そうは言ってもな……実際にできてるじゃねえか」
「うちのオークは大人しくて物覚えがいいって前から人気じゃな」
「ほっほっほ。村のオークはみんな働き者じゃからのう」
思わず頭を抱えそうになる。混乱のあまり頭痛がするような気分だ。
「イジエさん、薪小屋が完成しました」
「おお、プーレ。できたか」
大工のイジエはその声が聞こえた方向へ顔を向けた。聞き覚えのある名前にジルエットもそちらへ顔を向けた。
まず目に入ったのは緑色の両目だ。距離があるのにその色が透き通るような鮮やかさだとすぐに理解できた。
それを不思議に思うと、脳裏に浮かぶ光景があった。昨夜寝入る寸前見た、酔いつぶれた自分をベッドまで運んだ人物の顔。
「あれ、村長さんもどうしたんですか?」
近づいくるプーレの白い髪が陽光にきらめく。老人の白髪とは違う美しさがあった。
近くで見るとプーレはまだ少年と言える顔立ちをしている。肌は白に近い灰色という特徴的なものだ。そのおかげで白い髪の毛と緑色の瞳が映えて見える。
その緑の両目が向けられたとき、しばし見とれていた事を自覚して思わず目を彷徨わせた。それを不思議そうに見ながらプーレは首を傾げた。
「よし。確認に行くぞ」
そう言うとイジエはがに股で歩いていく。プーレは遠くなって行くその背中とジルエットたちを見比べて、どうすればいいのかと困惑した表情を浮かべる。
「早くこいプーレ!」
イジエが大声を出して呼ぶと、プーレは小さく頭を下げ、振り返ると小走りで走っていく。その背中に思わずジルエットは手を伸ばそうとした。
「あっ……」
中途半端に漏れた声は小さくプーレには届かない。わずかに上がった腕は伸ばされることは無く、途中で止まっている。
何を言おうとしたのか、なぜプーレを呼び止めようと思ったのか理解できていなかった。
「わしらも行ってみますかのう」
「あ、ああ……」
ジルエット達もイジエとプーレが向かった方向へ歩いていく。
「うまくできてるじゃねえか」
建物に隠れている場所からイジエの声が聞こえた。
ジルエットが建物の角から覗いて見えたのは、小さな小屋のようなものの前にいるプーレとイジエの立ち姿だった。
小屋はその他にもう一つあった。横にある建物よりかなり小さい。そのせいで最初は隠れていて見えなかったようだ。
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