第5話
「ここが学校か? 人気が無いようだが」
建物からは人の姿も声も無い。
「学校は午前中だけですからのう。子供達も家の手伝いがありますので。まあ昔は子供達が学校に行けるのも週に一日か二日程度でしたが、今は毎日行ける様になりましてのう」
辺境の田舎の村では子供達も立派な労働力であったことを思い出す。知っている学校が騎士学校や大都市にあるものだけだったので、それと同じ様に一日中勉強できるのだと勘違いしてしまった。
村長が校舎のドアをノックした。すると小柄な老婆が顔を出した。
「どうしました、村長様?」
「村に来た騎士様を紹介しようと思ってのう」
ジルエットの姿を見た老婆の目が丸くなる。
「あらまあ。騎士と聞いていたからどんな男の方が来るのかと思っていたら、まさかこんなに美しいお嬢様だなんて。初めまして、ここで先生をしていますマタンと申します」
マタンは貴族のように優雅な仕草で頭を下げた。その時点で彼女がそれなりの教育を受けた人物であることが窺えて、ジルエットはその身分を疑うことを止める。
顔を上げてジルエットと目が合うと穏やかな笑顔を浮かべた。しわが目立つ顔だが肌は白く張りがあり、若い頃はさぞ美人であったであろう。白くなった髪の毛も手入れがされていて輝いている。まさに美老女と呼べる姿だ。
「私はこのコション村派遣騎士に任命された、ジルエット・ブルジェオンだ。これからよろしく頼む」
「これはご丁寧に。どうぞ中へ、お茶をお出しします」
先程昼食をしたばかりでのどが渇いているわけではなかったが、断る必要も無いのでジルエットはドアをくぐった。
建物は自宅と校舎をつなげたもののようだ。入って短い廊下が前に伸び、左側に机と椅子が並ぶ教室があり、右側にいくつか部屋がある。右側が居住スペースのようだ。そのうちの一室へジルエットは通された。
部屋は小ぢんまりとしているがテーブルの上に一輪挿しがあるなど、暮らしている人間の優しさが伝わる内装をしている。掃除も行き届いていてホコリひとつ無い。
そうやって室内を観察しているとマタンがトレイを持って部屋へ入ってくる。隣室が台所になっているようだ。
「粗茶ですが」
マタンがティーポットから紅茶を注ぐ。ポットとカップは白い陶磁器製で、詳しくないジルエットにはわからないが高級そうな見た目をしていた。
温かい紅茶を一口飲んだところで、ジルエットの目が驚きに丸くなる。
「美味い……」
「ありがとうございます」
マタンが恥らうように手で口元を隠すが、それに気づかないままカップへ再び口をつける。熱過ぎず、それでいてぬるくないその温度が舌に心地良い。ふわりと鼻腔をくすぐる香りは芳醇だ。そして何よりもかすかな甘みと、それにより引き立つ苦味が素晴らしい。
「紅茶に詳しいわけではないが、これはかなり良い茶葉でなないのか?」
感心した顔つきでカップの中身を見つめるジルエットを、村長がまるで自分が褒められたかのような顔で見ながら紅茶を飲んでいる。
「いいえ、そんな高い茶葉ではありませんよ。この村では高級茶葉なんてなかなか商人も運んできませんから」
「そうなのか? しかし、こんな美味い紅茶は初めて飲んだな……」
もう一口紅茶を飲んでからカップをソーサーへ置く。そして笑顔のマタンの顔を見た。
「あなたは一人で教師をしているそうだが、なぜこんな辺境の村で?」
「私の夫は教師をしていたのですが、昔から言っていたのです。もっと多くの子供達に勉強させてあげたいと。特に貧しい生活をしている子供達に。夫が亡くなったのを機会に、その願いを叶えようとそう思ったのです」
「なるほど。しかし家族は反対しなかったのだろうか?」
「私たちは子供を授かることがなかったので。そのかわりに教え子達が私たちの息子や娘のようなものだったので、全く寂しくは感じませんでしたけれど」
ジルエットが無言で謝ると、マタンは同じく無言で微笑みながら首を横に振った。
「あなたはどこの学校で教師をしていたのだろうか」
「ドロワという街ですが、学校で教師をしていたのは夫で私は違います」
「では、私塾を?」
「同じ様なものですが、私はメイドの教育をしていました」
それを聞いてマタンの紅茶が美味しい理由がわかった。
普通のメイドは屋敷の先輩メイドやメイド長に仕事を教えられる。しかし宮廷や大貴族の屋敷で働くメイドはそうではない。専属の人間が数ヶ月か数年かけてみっちり教育するのだ。なにしろそういう場所で働くメイドは相応の教養が必要となる。
そのメイド教育を任せられる人間は数少なく、彼女らは身分としては平民でありながらある意味で貴族と同等として扱われていた。なぜなら王が暮らす城で働くメイドたちも彼女が教育するのだから。
そんな彼女達は高貴なるメイド、ノーブルメイドと呼ばれていた。
「あなたは、ノーブルメイドだったのか」
「昔の話です。今はもうただのおばあちゃんですから」
どこか呆然とマタンを見る。ジルエットは貴族とは言っても地方に領地がある程度の身分なので、ノーブルメイドに出会ったのは初めてだった。その視線を受けて面映そうに笑うマタンからは、まるで少女のような可愛さを感じた。
それからいくらか会話した後、ジルエットたちはマタンのもとを辞去した。
「しかし、まさかこんな辺境にノーブルメイドがいるとは……」
ノーブルメイドは平民の女性にとって憧れの的だ。そしてノーブルメイドはそこらの貴族では一生顔を見ることもできないような大物貴族や王たちと出会うことも可能であり、ジルエットのようなただの貴族にとっても特別な存在だった。そういった貴族の女性の中には、ノーブルメイドをわざわざ目指す人間もいるほどである。
「メイドか……自分の家にメイドがいることが昔は自慢だったな……」
ジルエットの思考が過去に飛ぶ。
騎士学校は授業料が高いこともあり、貴族や大商人の子供が多く通っていた。
騎士学校内では身分の上下は無いものとされていたが、どうしても派閥や優劣が存在していた。そしてそれを振りかざす人間も悲しいことに存在していた。過去のジルエットがそうだった。
「私の家には何十人も使用人とメイドがいるぞ!」
教室で数人の生徒達が会話をしていて、その内容が耳に入ったジルエットは子供じみた優越感に満ちた口調で割って入った。聞こえた内容は「自分の家にはメイドが何人いて……」というような部分だけだったのだが、おそらくメイドの人数を競っていたのだろうと思ってジルエットは会話に割りこんだのだった。
突然の乱入者に生徒達は困惑しながら顔を見合わせている。
「ん? メイド達の数を競っていたのではないのか?」
「えっと、家にノーブルメイドの教育を受けたメイドが何人いるかって話してたんだけど」
ノーブルメイドは宮廷や大貴族のもとで働くメイドだけではなく、他の場所で働くメイドの教育を行っていた。しかしそういったメイドが教育を受けるには高額な授業料と、太い人間関係のパイプが必要だ。そのためノーブルメイドの教育を受けたメイドを雇っているというのは、その雇い主にとって自分の財力に貴族や王族との関係の深さを自慢するステータスとなるのだった。
単純な数の多さではなくもう一つ上のレベルの話をしていたことに気づき、ジルエットは顔を赤くする。生徒達はノーブルメイドの教育を受けたメイドの数を言い合い、さらにある者は昔いたメイドの一人が本物のノーブルメイドとなったと言い、他の人間から賞賛を受けていた。ノーブルメイドの教育を受けたメイドなど一人も知らないジルエットは、話を振られる前にこっそりとその場から離れることしかできなかった。
「また嫌なことを思い出した……」
急に暗い顔になったジルエットを見て、村長は不思議そうにしていた。慌てて下を向いていた顔を上げると、作り笑いを浮かべながら村長へ言う。
「つ、次はどこへ行くのだ」
「この村は小さいので見る場所なんてあと一つ、いえ二つしかありませんので。この二つは同士はすぐ近くにあるのですが、少し離れた場所にありましてのう」
村長は村の北側へ案内する。そこは緩やかな丘になっていた。この上に目的地があるらしい。
「ここですの」
「ここは何だ?」
丘の上は平地になっていて、そこに横に長く大きな建物があった。一階建ての長屋のようだが、屋根が普通の家より高い。さらにその周りを木の柵で囲まれていた。
「ここはオーク牧場ですのう」
「この村はオーク牧場があるのか!」
オークは豚の顔を持ち丸く太った体と、同じく太い手足を持った二足歩行する亜人だ。亜人と呼ばれているが見た目でそう呼ばれているだけで、人間達にとっては馬や豚といった獣と認識は変わらない。知能は子供の幼児並で教えれば多少の言葉は喋れるがそれだけだ。雑食で野生のオークは人を襲い食べることもある。
「誰かいるかのう」
「はーい」
オーク牧場の敷地内に入り、そこにある建物に向かって村長が呼びかけると女性の声が聞こえ、しばらくすると一人の中年女性が姿を見せた。顔が少し汚れている。
「おんやあ、村長じゃねえか。どうしたんだ?」
「こちらのジルエット様を村自慢のオーク牧場へ連れてきたのよ」
中年女性が村長の横に立つジルエットを見て、大げさなほどに驚きの表情を見せた。
「あれえ! 姫騎士様じゃねえか!」
「姫騎士?」
「ああすんません。うちの娘が姫騎士だ姫騎士が来たと騒いでたもんで。絵本読んだことありませんか?」
「ああ……あの絵本か。たしかに読んだことはあるが……」
ジルエットは自分の顔が苦虫を噛み潰したかのように歪むのを自覚する。
「そうですか。うちの娘は昨日馬に乗って村に来た騎士様を見たらしくて、それからずっと姫騎士だ姫騎士だと言ってるんですよう」
「私は姫騎士ではない。ジルエットだ」
「そうですか、騎士様」
思わずため息をつく。この女性は自分のペースを絶対に崩さないようだ。
「そんで何でわざわざこんな場所に?」
「これから暮らす村のことを知ってもらわないといけないからのう」
「……最初は村を知っている者に案内してもらったほうがいいからな。それに私の仕事は村の治安維持も含まれている。危険が無いか調べなくてはならない」
ジルエットは目の前にある大きな建物を観察する。木製の壁は汚れていて、ところどころに補修された場所が見て取れた。左右に長くその距離は家十件分ほどもある。
「この建物は何だ。やたら大きくて長いが」
「これはオーク達の家ですよう」
こんな立派な家がオークに必要なのかと思ったが、実家の厩舎を思い出す。ここまで大きなものではなかったが、十頭入る馬用の厩舎はそれなりに大きかった。馬にも屋根がある厩舎が必要なのだから、オークにも家は必要なのだろう。
「ここにはオークがどれだけいるんだ」
「六十と七人だね」
「そんなに多いのか!」
「前は十ぐらいだったんだけどな。牧場ができたときは一人だったんだ。森のほうから群れからはぐれたオークの子供が村にやってきて、それを育て始めたのが最初だなあ」
予想外に多いオークの数にジルエットは驚く。彼女は知らないが、普通のオーク牧場は五十より多くはいない。なぜならオークは大食いで、牛や豚、羊などよりエサ代が高くなるからだ。
さらにオークはオスメスともに身長は二メートルを優に超え、三メートルを超えるものも存在した。体重も人間の五倍はあり、体力も筋力も人間とは比べ物にならない。
牧場のオークは長年の人間の手によって穏やかな性格に育てられているが、結局は幼児並の知能しか無い獣に近い動物だ。力は人間の数倍はあるため、暴れだしたら何十人の人間で向かってもオーク一体をおとなしくさせるのは難しい。もしそんなオークが何十体と一斉に暴れられたら、百人規模の騎士隊がひつようとなる。
そんな危険なことにならないように、牧場で育てられるオークの数は少ない。コション村のオーク牧場が異常なのだ。百体ものオークが暴れたら小さな村は一瞬で壊滅する、そんな危険性に気づかぬままジルエットは感じた疑問を口にした。
「そんなに多くのオークが、この建物に入るのか?」
牧場の建物は確かに大きいが、百ものオークが入るには狭そうに思える。
「他にも家はあるからね」
中年女性は背中を向けて歩き出し、ジルエットもそれに続いた。
建物の横にまわると、そこには先程見ていたものと同じ建物が複数あることがわかった。真正面から見ていたため、その後ろに並ぶ建物が見えなかったのだ。
「これも全部オークの家だな」
オークの家は全部で三棟あった。全部木製の壁で、大きな扉が複数並んでいる。ジルエットが最初に見ていたものが一番古いらしく、他の二つは比較的新しかった。壊れた部分を補修しているようなことも無い。
「すごいな」
思わずジルエットの口から驚きの声が漏れる。高さこそ無いが、オークの家の幅は実家の屋敷よりも大きい。それが三つも並ぶ光景はなかなか壮観だった。
「本当はもう一棟ほしいんだけどな。オークが増えたら足りなくなるからねえ」
その言葉にまだ増えるのかという驚きとともに、オークがそんなに簡単に増えるのだろうかという疑問が浮かぶ。
「たしか騎士学校で教わったような……何だったか……」
「おっ、ミルでないか。どうした?」
その声にジルエットが顔を向けると、そこには二メートルを超える巨大な姿があった。
灰色の体毛が無い肌。小さな耳とアンバランスな大きく前に向いた鼻。小さな目は可愛く見えるが、その巨大すぎるふくよかな体は全く可愛げが無く、圧倒されるような迫力を感じた。体に巻かれた破れて汚れた布切れが、辛うじて胸と腰を隠している。
「ゴ、ゴンニジワ……」
「オ、オーク……」
ジルエットは大きく膨らんだ腹を両手で抱えるようにしているオークから、真ん丸く見開いた両目を離すことができなかった。オークを間近で見るのは初めてだった。
「オ、オデ、サンボ」
「そうだな、妊娠してても運動はしなきゃなあ。元気な子供産まれんからな」
中年女性は笑顔で膨らんだオークの腹を撫でる。妊娠中のオークはその言葉通りなら散歩を、ゆっくりとした足取りで再開した。その背中をジルエットは呆然と見送る。
「騎士様はオーク見るの初めてなんかなあ?」
「……こんなに近くで見たのは初めてだ」
「そうかあ。うちのオークは他のと比べて大人しくて可愛いだろう?」
可愛いかどうかはともかく、あの巨体の迫力はすごかったが攻撃されるというような恐怖感は無かった。
そこで騎士学校での授業を思い出した。野生のオークとの戦闘は、移動中でたまにあることらしい。その際にオークが妊娠および子育て中ならば注意しなければいけないという。他の獣、熊や鹿などもそうだが、妊娠中と子育て中は非常に気性が荒くなる。それらと遭遇すれば戦闘になる危険性は高い、そう教師は言っていたはずだ。
しかしあのオークからはそんな危険な雰囲気は一切発していなかった。
「……たしかに、あのオークは大人しかった、かもしれないな……」
「だろう? うちらが愛情込めて育ててるからなあ」
そう言いながら大声で笑う中年女性を、ジルエットはただ見ているだけだった。
それから中年女性の案内で建物を見学した。中年女性は夫婦でこのオーク牧場を経営していると自分の事を説明する。
この広い牧場をたった二人では無理ではないのかと質問すると、ここのオークは大人しいし言う事をよく聞くから大丈夫だと笑った。
建物の一室を覗くと、その中には多くの藁が敷かれていて、そこに巨体のオークが寝ているのが見えた。豊かな乳房を申し訳程度の布切れで隠したオークは、先程のと同じく腹部が大きく膨らんでいる。これも妊娠中だと説明された。
「もしかして、メスは全部妊娠しているのか?」
「いいや。妊娠してるのはあの二人だけさ。オークは妊娠しにくいこと知らなかったかねえ?」
ジルエットはそれで学校で教えられたオークの知識を思い出した。オークは妊娠する確率が低いため、野生のオークが大量発生することは無いのだ。もしオークに発情期が無く人間と同じ様に年中子作りを行い、さらに出産率が高ければ増えたオークたちと人間による戦争が起こっていただろうと言われている。
「そのぶん妊娠するとオークは子供をたくさん産むけどさ。三つ子より少ないことはないね。多いときは八つ子なんてのもあったよ」
「なるほど。妊娠していないオークはどうしているんだ?」
「オスのオーク達と一緒に畑仕事をしているよ。じゃあ、それを見に行くかねえ」
その言葉に首をひねる。オークと畑仕事というのが結びつかなかったからだ。
オーク牧場というものが存在するからには、そこで育てられたオークに需要があるということだ。そのオークを何に使っているかというと、重い荷物を運ばせていた。その巨体と人間よりも勝る筋力は、一体で数倍の労働力となる。商人は馬のかわりにオークを使って荷物を運ばせたりしていた。よくオークが使われるのは港町で、船の荷下ろしと積み込みには重宝されている。
もう一つは珍しい使い方だが、オークに武器を持たせて戦わせることだ。オークは人間の数倍の体力と筋力を持つので、それだけで重要な戦力となる。地方の森や山での害獣狩りや、戦争のときにオークを兵士として戦場へ送り出した。
オークはこの二つの仕事以外を任されることは無い。なぜならオークは全て知能が低いため複雑な命令を聞いて適切な行動ができないからだ。荷物を持ってついて来いや、武器を持って前にいる敵と戦ってこい、という単純な命令ならできる。しかし畑仕事となるとそうはいかない。
不可解に思いながら歩くジルエットに村長は微笑む。
「ジルエット様はきっと驚きますのう」
「ああ、そうだろうねえ。村自慢の畑だから。さ、ここがそうだよ」
「これは……!」
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