第4話
「……ん? ふああ……?」
目が覚めたとき、ジルエットは自分が今どこにいるのかわからなかった。
「ここは……そうだ、コション村に到着して……歓迎会があって……」
そこで記憶は途切れている。酔っ払っていたので仕方がないが、彼女の記憶は村長にエールをすすめられたところまでしか無いのだった。
まだ酔いが抜けていないのか、ふらつく頭を振りながらジルエットはベッドから出ると、部屋の窓を開ける。窓にガラスは無く、木の板で塞がれていた。それを押すと動いたので、そのまま顔を外へ出した。太陽の光のまぶしさに思わず目を閉じる。
すでに太陽は頂点へ昇っていた。時刻は朝ではなく昼である。
「……もうこんな時間か」
はっきりしない意識で太陽を見上げていたジルエットは、そこではっとなる。
騎士は厳格さを求められる職業だ。つまりは時間厳守。これは騎士学校時代に叩き込まれた習慣だった。慌てて準備をしようとして、部屋に自分の荷物が無いことに気づく。そこでやっと気分が落ち着いた。
「……よし。今の状況を整理しよう」
今日からコション村の派遣騎士である。普通なら上官へ挨拶しに行くが、この村にいる騎士は一人だけ。つまり新人騎士一日目の自分が一番偉い。なので寝坊しようがどうしようが、誰かに叱責されるようなことは無い。
「だからといって、いつまでも寝ているわけにはいかない」
騎士の仕事は所属する部署によって分かれるが、一番有名なのはやはり治安維持だろう。コション村で唯一の騎士であるジルエットの仕事もそれだ。村で起こる争いごとに時にはその力と剣で対処する、そんな者が昼間まで寝過ごすような人間ならば誰からも頼られることはなく、また侮られてしまうことだろう。
「初日からこんなことになるとは……くそ、歓迎会なんか無ければ……」
自分が過去のトラウマを思い出したせいで酒に逃げたのが原因だというのに、そんな責任転嫁を口にしながら部屋を出る。そこで廊下や壁を見ると、ここが昨日案内された村長の家であることがわかった。そうすると廊下の角から一人の老婆が姿を見せた。村長の妻だ。
「あら、騎士様。ちょうどお昼ができたので呼びにいこうとしてたところですよ」
しわだらけの顔でにこやかに微笑む。
「あ、ああ。そうか」
「はい。こちらへどうぞ」
背中を向けて歩き始めた老婆に、いくらか躊躇したあとジルエットはその後を追った。
案内されたのは、台所と食事をする場所が一緒になった場所だった。大きめのテーブルにはすでに村長が座っていた。
「よく眠れましたか騎士様? いえ、ジルエット様」
「はい」
悪意など一かけらも無い村長の言葉だが、ジルエットは少々のばつの悪さを感じながら席へ着く。すると村長の妻が温かいスープを運んできた。
「昨日の残り物で申し訳ないですがのう」
村長とその妻が恐縮した様子で言う。
「とんでもない。わざわざ用意してもらって、私のほうが申し訳ない」
「いえいえ、そんな。どうぞ食べてください」
ジルエットは木のスプーンでスープを飲む。温かいスープが口と胃に沁みることで、自分が空腹だったことに気づく。昨夜はほとんどエールしか飲んでいないのだから当たり前だった。塩味のきいたスープがやたら美味しく感じる。
スープに入った芋と野菜をいくらか食べたところでパンに手をのばす。パンはテーブルの中央へまとめて置かれていて、自分で取って食べるようだ。なかなか大きいパンは、騎士学校で食べていたパンより固かったが、味は変わらないようだった。
二個目のパンを食べ終わり三つ目に手を出そうとしたところで、村長たちが食事の手を止めて自分を見ていることに気づく。自分が意地汚く思えて、頬の熱さを感じながら手を戻した。それを見て村長たちが笑顔を浮かべる。
「どうぞジルエット様。存分に食べてくだされ」
「いえ……二人が食べていないのに」
「いいえ、私たちはもうお腹いっぱいなんですよ騎士様。この歳になると食が細くなってしまって。このパンは騎士様がたくさん食べると思ってもらってきた物ですから」
村長の妻はそう言って笑う。
テーブルにあるパンは、確かに多かった。おそらく老人二人では食べきれないほどに。
「そうか。ありがとう。それで、その騎士様というのはやめてもらえないか。ジルエットでいい」
「わかりましたジルエット様」
まるで孫を見るかのような優しい二人の目を少し恥ずかしく感じながら、ジルエットはパンを食べる。騎士というのは過酷な訓練に耐えるために、多くの食事が必要だった。そのためジルエットに限らず騎士の全員が、程度の差はあれ誰もが大食いだ。村長たちの気遣いはジルエットにとって本当にありがたい事だった。
「ふう……」
ジルエットが腹一杯になってもパンはいくつか余っている。
「ありがとう。ご馳走になった」
「そうですか。ところでジルエット様はこの後何か予定がありますかな?」
「いや。特に無いが」
コション村へ派遣騎士が来たのは初めてのため、やる事は多くある。しかしそれを何からやるのか、その予定はまだ決まっていなかった。
「ならばまずジルエット様の家へ案内しようと思うのですがの」
「そうだな。お願いしよう」
家に出発する前に村長へ自分の荷物はどこにあると聞くと、朝のうちに家へ運んだという。金目の物があるという訳ではないが、任命書や大事な剣と鎧まで勝手に運ばれることに不快感を持った。だが村長の態度を見れば悪意を持ってやったことではないので、辺境の村特有の大らかさだと思い、何もジルエットは言わなかった。
「ここがジルエット様の家ですのう」
「これは……」
ジルエットはその家を見て絶句した。家がみすぼらしかった訳ではない。その逆だ。
家はそれほど大きなものでは無い。普通の家と同じぐらいだが二階建てとなっている。それだけでは驚くようなものではないが、この家の外見が変わっていた。
家の材料は石やレンガに木だ。村長の家のように木の柱と漆喰の壁でできたものもある。ジルエットが住むことになる家の材料は木だった。柱だけでなく壁も木でできた家はよくあるものだ。ここに来るまでに村で見た家もそうだった。しかし木で壁を作る場合、板に加工して釘などで打ちつけるなどするのが一般的だ。
しかし、この家は違った。壁が丸太でできている。それだけではなく柱も屋根も全てが丸太でできていた。それはジルエットがこれまで見たことが無い、ログハウスだった。
目を丸くしてログハウスを見ていると、村長が誇らしげに言った。
「いやあ、大工のティッキーに無理を言いましてのう。何とかジルエット様が来る前に完成しましたわ。さあ、どうぞ」
村長が開けたドアから中に入る。床はさすがに丸太ではなかった。ちゃんと木の板でできている。玄関から入ってすぐ広めの部屋になっていた。そこにはテーブルと椅子が置かれ、部屋の端にジルエットの荷物がまとめて置かれていた。
ジルエットは目を瞬かせながら家の中を見回す。新築なので汚れも無くきれいだ。
「荷物はこれで全部ですかのう?」
ジルエットは置かれていた荷物を確認する。剣と鎧はすぐにわかった。いくつかの袋に入ってる中身の確認は後回しにして、重要なものだけ確認する。金貨や銀貨のお金はちゃんとあった。そしてジルエットを派遣騎士と認めることが書かれた任命書も見つかった。
「ああ。大丈夫だ。問題ない」
「右側には台所が、左側にトイレですの。二階にも部屋がありますけど、案内はいりますかのう?」
「いや、そこまでしなくていい。後で自分で見る」
「そうですか。では村を案内しましょうかの」
ジルエットは鎧は身に着けず、剣だけを腰に下げて家を出た。その際に村長から家に鍵が無いと聞かされて、荷物をこのままにしていいのかと心配になった。
「中からドアに横木を入れれるようになってるから、心配ならそうすれば良いのう」
村長はそう言い、あまりの防犯意識の低さにジルエットは顔が引きつった。この辺境では泥棒など来ないうえに、何かあれば人口の少ない村なのですぐ犯人が見つかるからこそなのだろう。
ジルエットは覚悟を決めて鍵の無い家を後にした。
「村長、このコション村の人口は何人だ」
「たぶん、百人くらいですかのう?」
村長は自分の村の人口を把握していなかった。村についての資料はすでに渡されていたが、それをジルエットはほとんど読めていない。なぜなら資料を渡されたのが卒業式の当日であり、資料を受け取るとすぐさまコション村へ旅立ったからだ。日中はひたすら馬で駆け、夜は疲れて眠る日々。資料を読む暇など無かった。
まずは村の戸籍を調べなければならないと考える。これは非常に重要な項目だ。人口は村にかかる税に関係するからだ。村だけでなく街などの人が多い場所でも同様に取られる税がある。それが人頭税で、そこに住む人間一人あたりいくらという税金だ。なので村に住む人間の数を少なく申告していれば、脱税をしていることになってしまう。
「この村に徴税官が来たことは?」
「ありませんのう。村に来るのは商人だけですからの」
徴税官とはその名の通り税を徴収に来る人間であり、脱税をしていないか調べに来る人間だ。徴税官は王国の財を取り仕切る人間なので、優秀な人間しか任命されない。
その弊害として徴税官の人数は少なく、常に人材不足が深刻だ。そのため栄えている領地や大都市に多く派遣されるため、税収の少ない辺境の土地は無視されている。コション村のように徴税官が来たことが無い村というのは珍しくなかった。
村の中をジルエットは村長とともに歩く。小さな家が離れた場所にぽつぽつと存在する、辺境の村らしい光景だ。家の横には小さな畑があり、そこで作業している村人がジルエットたちを見つけると誰もが頭を下げた。
「むふ」
ジルエットの顔が思わず弛む。騎士学校では誰かに顔を見られると露骨に表情を歪められたり、こちらを横目で見ながら陰口を言われたりなど、そんな対応しかされていなかったため、悪意の無い好奇心の視線と自分を敬う村人の視線が気持ち良かったのだ。
「どうかしましたかのう?」
「い、いや。何でもない」
ジルエットの隠し切れない喜びの表情に気づいた村長に、慌てて表情を元に戻す。
「危ない危ない。私は騎士だからな、だらしない顔を見せるわけにはいかないんだ」
そう戒めるが、村人達に挨拶されるたびに顔は弛んでしまう。しかし幸いなことに、弛んだジルエットの表情に村長が再び気づくことは無かった。
「村長。今私たちはどこへ向かっている?」
「はい。この村の学校に行こうかと思いまして」
「学校だと?」
村長の言葉に驚く。学校というのは主に貴族や裕福な商人などが通うもので、コション村のような辺境の村にあるようなものではない。学校がある場所は王都といくつかの大都市が一般的だ。
「学校とは言っても先生は一人しかおりませんが」
私塾のようなものかと納得する。私塾とは王国が管理する学校と違い、個人が授業料を取って勉強を教える。学校の教師になるには厳しい試験か、王国の重鎮らへの強力なコネが必要となる。しかし私塾ならばそれらが必要無い。
しかしそれ故に自分を高名な研究者や学校を優秀な成績で卒業したなどと偽り、生徒やその親から法外な授業料を奪う詐欺師も数多かった。
「その者の身分は確かなのか」
「ええ。なんでも夫婦で教師をやっていたそうですのう。連れ合いの方を亡くしてから村へ引っ越してきたのです」
学校は村の端のほうへあった。他と比べると横に長い建物で、村の家と同じく木製の柱と壁でできている。見たところあまり古くは無い。
ジルエットは全体を一回眺めると、眉根を寄せた。
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