第2話
それは騎士学校での野外訓練のことだ。森の中を二泊三日、数人の班で探索するというものだった。この訓練では夜の間、交代で夜警をすることになっている。
「よーし、全員地図は持ったか。それぞれの班ごとに探索する場所は別。つまり頼れるのは同じ班の人間だけだ。協力して訓練を達成するように」
威勢の良い「はい!」という多くの声。それに満足そうに頷く男性教師は班ごとに並ぶ生徒達を見渡し、ある班を見たところで眉間へしわが寄った。
その班はこれから始まる訓練に高揚と少しの不安を浮かべた他の班とは違い、見るからに不服そうな表情を浮かべていた。正確には不服そうな表情をしているのは班員五人のうちの四人だけである。残った一人は見るからに強がっているとわかる女生徒、ジルエットだ。彼女へ向けて四人の嫌そうな視線が突き刺さっていた。
「あー、お前達の班は大丈夫か?」
教師が頭をかきながら、困りきった声で言った。
「大丈夫です」
「大丈夫じゃありません」
前者がジルエットで、後者が不服顔の一人の発言だ。二人がお互いのほうへ顔を向けると睨み合う。それを見て教師は思わずため息をついた。
「はあ……こんなときぐらい仲良くまではいかなくても、もう少し歩み寄れないのか? いくらこの森が安全だからと言ってもな、もしもっていう可能性はあるんだぞ」
「私に問題はありません。四人が勝手に敵意を持っているだけです」
ジルエットの言葉に四人の男女が激昂する。
「そういう態度が気に食わないのよ!」
「勝手にだと? そもそもお前が悪いんじゃねえか!」
四人は口々にジルエットへ言葉を投げつける。それを気にしていないような表情で聞いているが、ジルエットの口元は震えているし、その両手は固く握られていた。彼女が無理しているのは明白だった。
その様子を見ている他の班の生徒たちはというと、ジルエットを気遣う者は誰一人として存在しなかった。全員が白い目で、あるいは明らかに憎しみの目で彼女を見ている。
ジルエットは数十人の視線で針のむしろだった。
「……あー、それじゃあ出発しろ。全員ケガするなよ」
それぞれの班は決められた場所に向かって森へ入っていく。ジルエットがいる班もそうだ。森へ消えていくその背中を教師は目を細めて見ていた。
「…………」
会話は無い。班の雰囲気は最悪だ。目を向けていなくても四人の悪意と敵意は、常にジルエットへ向けられていた。
会話は無くとも順調にチェックポイントを通過し、夜営地点までたどり着く。すでに森はずいぶん暗くなっている。早く夜営の準備をしなければ何も見えなくなってしまう。生徒達は黙々とテントの設営を始め、集めた枝に火をつける。
ジルエットはテントの設営を手伝おうとしたが、鋭い目で睨まれて動きを止めた。それを気にするでもなく四人は彼女を無視して作業を続ける。ジルエットはただ唇を噛む。
会話もほとんど無い味気ない夕食の後は眠りにつく。ジルエットはテントの端で他の生徒に背を向けて横になった。彼女からなるべく距離を離そうとしているが、狭いテントなのでジルエット以外の人間は体を触れ合わせた状態になっている。
テントの中にはジルエットを入れて四人。一人は外で夜警をしていた。これから交代で睡眠をとるのだ。
ジルエットは丸めた体をよじる。背中側から密やかな声が漏れ聞こえていた。どうせ私の陰口か何かだろう、そんな被害妄想めいたことを考えながら眠りに落ちた。
物音で眠りから醒める。もう交代の時間なのだろうかと、まだはっきりしない頭で目を開けようとすると、突然口元を布で押さえつけられた。驚愕に目が一気に開いたが、暗いテントの中では相手の顔がはっきり見えない。
ジルエットは払いのけようとして腕が動かない事に愕然とした。腕だけでなく足も動かない。複数の人間に体を押さえつけられていた。口を塞がれてくぐもった叫び声をあげて暴れるが、押さえつける手から逃れられない。
「くそ、暴れるな!」
その声に聞き覚えがあった。さらに「まだなの?」という女の声も知っている。それはジルエットと一緒の班である生徒の声。そう思いながら意識は徐々に薄れ、やがて気を失った。目覚めたのはすでに太陽がかなり高くなった時刻だ。
「はっ!」
ジルエットは慌てて飛び起きると、忙しなく周囲を探る。ここは昨日夜営をした場所のようだ。左腰を探ると、そこには鞘に納まった剣があった。その事に安堵する。
落ち着きを取り戻して再び周囲を観察する。場所は確かに昨日と同じ場所のようだが、たき火の痕跡しか無い。テントも、他の四人の姿も無かった。
ジルエットは音がするほど歯を噛みしめる。昨夜体を押さえつけていた人間の声は、間違いなく同じ班の生徒のものだった。彼らによってジルエットはたった一人、この森の中へ置き去りにされてしまったのだ。
「くそっ! 陰険な者どもが、それでも騎士を目指す人間かっ!」
心細さよりも先に怒りが噴出する。いくら気に食わないからといってここまでやるのか。おそらく口を押さえた布には、人の意識を失わせる薬品か何かが含ませてあったのだろう。
浮かび上がるいくつもの罵詈雑言を吐き出すと、いくらか落ち着いた。叫びすぎて荒い息を整えると、その口元に歪んだ笑みが浮かぶ。
「ふん。この程度の嫌がらせしかできない卑怯者が。お前らなどいなくても、私一人で訓練をやり遂げてみせるさ……」
自分の身につけている物を確認していたジルエットの顔が青褪める。左腰には剣があった。訓練用の革鎧も身に着けている。しかし、それ以外の物が無い。
ジルエットは鎧の内側や服の中、さらにはズボンとブーツの中まで探すが、目当てのものは見つからなかった。
「地図が、無い……」
地図は訓練のはじめに渡された、この森の全体図と班ごとのチェックポイントが記されたものである。この森は凶暴な獣などはいないがそれなりに広く、訓練が行われる程度には複雑な地形だった。これが森で初めての訓練だったジルエットには、地図が無いとどこへどう行けばいいのかなど見当もつかない。地図を覚えていればできるのだろうが、彼女は地図が全くと言っていいほど頭に入っていなかった。
「ど、どうすれば……」
呆然と左右に顔を向けるが、人間どころか動物の気配も無い。もしかしたら木々の向こうから四人が姿を見せると思ったが、しばらく待っても出てこないことで彼らが本当に自分を放置していった事実を確信する。
思わず浮かぶ涙を、唇を噛みしめることで堪えた。真っ赤な目で見えない四人を睨みつけると、そのまま地面を強く踏みつけながら森の中へ入って行った。
「見ていろ、絶対に一人で訓練を成功させてやる!」
遭難した場合の一番の対処法は何か。それはその場から動かないことだ。
二日目の夕方、続々と訓練を終えて森から出てくる生徒達の中にジルエットの姿が無いことに気づいた教師は、彼女がいるはずの班へ質問する。それに四人は悪びれない態度で言った。ジルエットを森の中に置いてきた、と。
教師は深いため息をついた。ジルエットはこの四人だけでなく、ほとんど全ての生徒達から嫌われていると言ってもいい。なのでトラブルになるのはわかっていたが、教師にとって頭痛のタネであった。
四人から事情聴取すると、夜営地点にジルエットを放置してきたという。食料と水を置いてこなかったと言ったが、この時点ではあまり危険とは思っていなかった。この訓練に入る前に、もしも迷ったらその場から動かないようにと何度も言い聞かせていたからだ。放置されたのが夜営地点ならば、彼女を見つけるのは簡単だ。
しかし夜営地点にはジルエットの姿は無かった。慌てて教師は学校へ救援を頼み、大掛かりな捜索が始まった。結局ジルエットが見つかったのは、捜索から二日目だ。飲まず食わずで二日間彷徨っていたが、脱水症状と栄養失調以外に問題は無く命に別状は無かった。
ジルエットはなぜその場で救助を待たず勝手に動いたのかと怒られ、同じ班の四人もジルエットを放置したことでかなり厳しく怒られることとなった。もしかしたら命を失うことになるかもしれなかったので、四人は数日間の謹慎処分となる。
その事でジルエットは四人を罵った。さすがに罪悪感からそれに甘んじていた四人だったが、その事に気を良くしたジルエットの言葉はどんどん酷くなっていった。我慢の限界となった四人とジルエットは壮絶な大立ち回りの末、教師から盛大なお叱りを受ける。
これによりジルエットと四人の関係は最悪なものとなり、さらにはジルエットに対して多少は同情的だった生徒達もやりすぎだと嫌悪感を持ち、結果としてジルエットの評判は大きく下降することとなるのだった。
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