辺境村の姫騎士とオーク

山本アヒコ

第1話

「ぐぬう……」

 冊子へ顔を埋めるようにしている人物の口からうめき声が漏れた。それが聞こえた周りの人間の目が、声を出した者へ向けられる。

 金色の長い髪の毛を持つ女性だ。人によっては美人だと思う程度の顔立ちだが、現在の表情は眉間に深いしわができ、さらに歯をむき出しにしてうなっているので見るに耐えない状態だった。周りの人間達も顔をしかめている。

 しかし彼ら彼女らの顔に浮かんでいるのはひどい顔に対してだけではなく、その人物への嘲笑や不快感も存在していた。

 その視線に気づいた女性は手に持っていた冊子から、はっと顔を上げる。見えた顔は少女というにはとうが立ち、しかし大人というにはまだ幼いという微妙な顔立ちだ。

 目だけで周囲を探ると、誰もが白い目を向けていた。その視線から逃げるように冊子へと顔を伏せると、ついため息が出た。

 なぜこんな目にあわなければならないんだ……

 何度その言葉をつぶやいたのだろう。おそらく百や千では足りないのではないだろうか。

「はあ……」

 顔を伏せながら上目づかいに見る先には、天井からぶら下がる【就職課】というプレートがある。その下には女性職員が澄ました顔でカウンターに座っていた。その目がまるで自分を蔑んでいるかのように感じて、素早く目を冊子へ戻す。

 その冊子の表紙には【騎士向け求人情報】と大きく書いてあった。

「早く……早く見つけないと……」

 すでに騎士学校卒業まで一月ほどしかないのだ。このままでは故郷に戻るしかなくなる。それだけはどうしても嫌だった。それがどうしようもなく小さなプライドのせいだったとしても。

「できれば遠くで……自分のことを誰も知らない場所が……それで上司がいなくて、同僚もいなくて……同級生がいないのは絶対だ……」

 そんな都合のいい場所などあるはずがない。それでも彼女は探すしかなかった。そして、ついにそれを求人情報の最後のページで見つけた。

「これだ!」

 その求人情報が書いてあるページを開き、就職課のカウンターへ走り、冊子を叩きつける。女性職員が驚いた顔でこちらを見た。

「これでお願いします!」

 自分の履歴書が入った封筒を差し出す。それを受け取った女性職員は開かれたページの求人情報見ると、さらに驚いた表情になる。本気なのか? と目で問う。

「はい」

 真剣な表情で頷くと、職員はわかりましたと手続きを行う。結果は数日後になりますと言われると、無言で小さく頭を下げた。

 就職課のある部屋から出て行く彼女の背中に、ヒソヒソ声と不躾な視線が刺さる。それに負けないように胸を張って歩く。

「……これもあと一ヶ月の辛抱だ……こんな屈辱はもう終わる……」

 それから三日後、彼女の元へ一通の手紙が届く。

【騎士、ジルエット・ブルジェオンをコション村派遣騎士に任命する】


「……遠い」

 馬の背で揺られながらジルエットはうんざりした口調で言った。

 なぜこんなに遠いのだ。確かにこんな辺境の村を就職先に選んだのは自分だが……まさか、これほどまでとは……

 後悔してももう遅い。すでにジルエットは王都から北西へ二十日も進んでいた。出発した当初はまだ寒かったが、もう春が深まってきている。ただ北へ進んでいるので、気温はそのころとあまり変わらない。

 ジルエットはその気持ちと同じく重い足取りで馬を歩かせ、川沿いの道を川上へと進む。

 太陽はだいぶ傾いている。急がなければいけないのだが、どうしても気分が乗らない。ため息をつく。騎士学校を卒業して旅立ってから数日は心躍っていたのだが、たった一人で移動する寂しさはその高揚をあっという間に削り取った。

「こんなことでは駄目だ」

 思い出せ、こんなことは日常だったではないか。休み時間は友達と談笑するクラスメイトを目に入れないようにし、食事も一人で食堂の隅で食べた。学校での会話など授業で教師に答えを求められた時だけだった。

「……おおう…………」

 自分で思い出したことなのに、それに心の傷を抉られて馬に乗りながら体を倒す。首にのしかかられたのが嫌なのか、馬はいななくと首を左右に振った。

「うわっ。馬にすら相手にされないのか……」

 より一層落ち込むと、ジルエットの目から光が消えて乾いた笑いが漏れる。それは気味の悪い光景だったが、幸いなことに周りには誰もいなかった。ここはすでに王国の端、辺境も辺境で、この道の先にはジルエットが派遣される村があるだけだ。

 道と言っても馬車の車輪が通った跡がなんとか草に埋もれていない程度だった。それでも道がわかるだけで十分だ。場所によってはこの程度の道すら無い所もある。

 ジルエットはなんとか太陽が落ちきる前にコション村へたどり着く。

「ここが、コション村か……」

 すでにあたりは暗く、村の全体は見渡せない。しかしかなり小さい村だという事はわかった。なにしろ村を囲う柵すら無いのだから。

 ジルエットはゆっくりと馬を進ませる。すると幼い女の子が家の陰から姿を見せた。馬に乗ったジルエットを見て、何度かまばたきすると、その両目が真ん丸に見開かれる。

「そんちょーさまーっ! お姫さまがやってきたーっ!」

「えっ」

 訂正する間も無く、女の子は村の奥へ走り去ってしまった。

「お姫様、か……」

 自嘲の笑みが浮かぶ。それと同時に忌まわしい記憶を思い出し、胸が痛む。

 女の子の声が聞こえたのか、いくつかの家の扉が開いて村人達が姿を見せた。彼らの視線に体がかゆくなるような気がしたが、なるべく堂々とした態度で馬から降りた。

 村人達の視線に耐えてその場で待っていると、先程の女の子と一緒に杖をついた白髪と同じく白い髭をたくわえた老人がやってきた。彼が村長なのだろう。その後ろには数人の男達が続いていた。

「ほら、そんちょーさま。お姫さまでしょ」

「ほっほ。こりゃあ確かにお姫様かもしれんのう」

 ほとんど髭に隠れた口を震わせて村長は笑った。お姫様と呼ばれたことに歪みそうになる顔をなんとか制御して、威厳ある表情をジルエットは浮かべる。しかしそれは成功したとは言い難かった。

「初めまして村長。私はこの度コション村派遣騎士に任命された、ジルエット・ブルジェオンだ」

 その言葉に村長は驚き、それ以上に女の子は驚いて見開いた目でジルエットの顔を見つめる。後ろにいた男達や周囲の村人達もざわつく。

「あなた様がですか?」

「そうだ。派遣騎士が来ることは知らされていたと思うが?」

 村長は何度も頷く。

「はい。もちろんそれは手紙で知らされておりました。しかし、まさか騎士様がこんなに若い、しかも女性だとは思いもしなかったもので」

「そうか。これが任命書になる」

 ジルエットが差し出した封筒を、村長は恭しく両手で受け取ると、中身を確かめもせずに懐へ仕舞った。

「へへえ。わざわざこんな辺鄙な場所までの長旅でお疲れでしょう。とりあえず我が家までお越しください。おい、騎士様の馬をお連れしろ」

 村長の言葉に、後ろにいた一人の男が慌てた様子で駆け寄ると恐る恐る馬の手綱を握った。その顔にはやけに多くの汗が浮かんでいる。この辺境の村にはこれまで派遣騎士が来たことは無く、騎士や貴族といった身分の人間を見たことも無いのだ。緊張するのは当たり前である。もしも何か粗相をすれば罰せられる可能性があるのだから。

 その引きつった男の顔に、思わず苦笑する。

「そんなに緊張しなくても大丈夫だからな」

「は、はいっ!」

 裏返った男の声に、馬が怪訝そうに小さく鳴いた。

 ジルエットは村長の家へ招待された。奥まった一室に通され、そこへ馬に積んでいた荷物が運び込まれると、村長の妻である老婆がたらいに張った湯を持ってきた。礼を言うとやたら畏まった仕草で老婆は頭を下げて出て行く。

 初対面の人間の家で裸になるのは躊躇われたが、長旅で汚れきった体の不快感には勝てなかった。仕方なく野宿したときでも、なるべく体を川の水にひたした布で拭いたりしていたが、それだけでは不十分だ。野外で一人裸になるのは気が引けて水浴びは無理だった。

 温かい湯で体をぬぐえば、思わず声が漏れた。二十日間の旅は日々の訓練で鍛えたジルエットでも疲労がかなり蓄積している。なにしろこんな長旅は初めてのことで、さらには一人旅だったのだから。

「せめて二人ならば野宿のときの夜警も楽だったのだがな……」

 王国は治安が良いといっても、それは王都などの大都市周辺だけで、それ以外の場所は盗賊などの姿もあるのだ。しかしジルエットはそれらに出会うことはなかった。治安がいいという理由ではなく、盗賊達にとって獲物が少ない、それほどの辺境というだけだった。

 しかし盗賊はいなくても、危険な野生動物などと出会うこともありえる。なので夜は火を絶やさず、細かい睡眠と覚醒をくり返して夜を凌いだ。

「あの時の経験が役にたったな……」

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