冬の目

ひこ(桧子)

冬の目

 キザエ君は別れを選んだ。

 虚構の墓標で、僕らの手を振り切って消えた。



 『冬の目』



 僕が少年のころ、夏下がりの日焼けくさい教室。そっと現れた転校生は、冬のように冷たいまなざし。教卓からキッとこちらを見た。彼を斜めにうかがって僕は目を逸らした。怖いな、という第一印象。

 勝手なレッテルは裏切るもので、彼はバンビじみた前歯でよく笑った。はじめからいたかのように、彼の笑顔はよく溶け込んだ。ひょうきんで冗談の上手い彼。みんなが夢中だった。



 またたく間に秋、音楽会には指揮者を決める。

 「あたし、キザエ君がいいと思う!」

 マユの快活な声にみなが賛成した。先生も納得のうなずき。キザエ君は大抵のことが得意な様子だった。


 落ち葉がつもると、師走はあっという間に駆けてゆく。いつからか、マユの幼い想いがくちぐちに秘密話となった。そうでなくてもキザエ君は人気ものだ。だれもが彼を独占したかったのかもしれない。僕らはこぞって、放課後、休日……いつか来る春休みの約束をたてていった。



 けれども彼は消えた。


 僕らが次の学年に上がるのを待たずに。

 まったく突然の告知となった。俯いたままだったのは、マユだけじゃない。たまたま僕は知っていた、みなより数日前に。雪がほこりのように舞うのを見ながら、彼は言ったのだ。


「きみたちは、永遠におれを手に入れたつもりでいただろう?おれの過去も未来も、全部、勝手に。でも、きみたちがおれから切り取れる時間は半年間。それだけだったんだよ」

「意味わかんないよ、キザエ君、なに言ってんのさ?」

「引っ越すんだ、またね。もう二度と、きみにも会えないね」


 衝撃を受ける僕なんて気にも止めないように、キザエ君は口を動かす。


「おれは何度も何度も、きみのような友だちを置きざりにしてきた、永遠にね。泣いたやつもいれば、わからずにぼんやりと別れたやつもいたよ」

「でも死にやしないんだから!……また会えるよ」

「同じだよ、死ぬのと。きみはおれがいない未来にゆく。おれも……おれは、きっと誰ともおなじ未来へゆかないと思う。きみのことも過去にしまってしまえば、まぼろしの断片になるね」


 氷のような、寂しくて冷たいまなざし。

 僕にまっすぐ向けられた最後の冬の目だった。



 キザエ君は去った。



 春休みの、来週の、あさっての果たされない僕の約束。ほかの誰かとの約束。噛みしめられたマユの想い。想像した来年の音楽会。僕たちの未来から、すうっと消えていく冬色の少年。




 いくども夏を経て、僕は大学生になった。笑顔と冗談を両手にもてば、周りにたくさんの友だちが集まってくる。あの頃のクラスメートには、ほとんど会う機会がない。マユも高校になれば知らない人だ。


 これから僕の未来には誰がゆくだろう。

 時折友だちを見ながら、僕のまなざしが冬色に染まる。数年のうちに僕も彼のように、虚構の墓標をそっと置くだろう。


 しとしと軋む雪の道をゆくよ。いくども振り返り、冬の目を探しながら。

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冬の目 ひこ(桧子) @sionedgloria

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