其ノ三

 「着いたのじゃっ!主よっはよう、はよう降ろすのじゃ!」


 「あいだだっ!?何度も暴れるでないわっ!」


 森の前へと辿り着き、肩でぽふぽふ跳ねる安綱をしゃがんで降ろす。


 「おぉ!これが人の身体で感じる森かっ!…すんすん……うむ、臭いっ!」


 「…なんという酷い感想よ」


 「これは草葉の匂いですよ安綱。どうです大きく息を吸うと落ち着きませんか?こう…すぅーっと…」


 あんまりな安綱の感想に呆れる信長。そして安綱の前に行くと目線に合わせるようにしゃがみ微笑むと目を閉じて息を深く吸う。


 「ふむ…ふすぅ〜〜………ふはぁ〜〜……ほぅ、悪くないのぅ」


 「ふふふ…よかったです」


 その後もふんすふんすと息をする安綱が満足すると「では往くのじゃっ!」といい先頭を歩き出す。


 








 「…うぅ…痛いのぅ……痛いのぅ……ぐす」


 「はしゃぎ過ぎじゃバカ者」


 「まぁまぁ信長様…安綱はまだ人の身体に慣れていないんですから」


 鼻を赤くした安綱が涙ぐみながら乱丸に手を握られていた。


 意気揚々と歩き出し、枝を拾って安綱の身長程の草をぺしぺしと叩きながら歩いていると信長達の視界から突如消えた。そしてその足元からくぐもった声。

 地面から飛び出た木の根に引っかかり顔から地面に突っ込んだのだ。


 その後、安綱は涙を溜めながら木の根を何度も蹴っ飛ばしていたが乱丸が「これから先は危ないのでボクと手を繋ぎましょう?」と言って安綱の手を引いたのだ。ぐすぐすと鼻を啜って頷き、涙を堪える安綱に乱丸の顔は蕩けそうになっていた。





 


 「ん、この音は………信長様、川が近くにあります。そこで一度休憩でもどうでしょうか?」


 「ふむ、喉も乾いたしな…丁度良いのではないか?」


 「妾も良いぞ!川か…川のぅ…にゅふふ」


 「はしゃぎ過ぎるでないぞ……」


 乱丸が微かな水の流れる音を察知し信長に伝えるとそこに休憩しに行く事になった。


 そして乱丸が先導し数分もしない内に小さい河原を見つけた。そしてその瞬間目を輝かせた安綱が駆け出し、安綱が身に付け、乱丸が整えた羽織の襟を信長が掴む。


 「ぐにゅぅっ!!?…げふっ、げふっ!?に、にゃにをするんじゃっ!」


 「バカ者、そのまま飛び込む気か。濡れた衣のまま過ごすと身体に障るぞ」


 「そうですね…安綱、少々じっとしていて下さいね?」


 乱丸が川の水を少量掬い口に含む。そして一度頷くと安綱の整えられた羽織を解きすっぽんぽんになる。そして「もう良いですよ?」と言い、その瞬間に河原へとダイブして「にゅひゃぁ〜!」と笑いながら叫ぶ安綱を見て小さく笑う。信長は脱がす間は乱丸に後ろを向かされていた。


 「…別に儂はそんな性癖なぞないんだがなぁ」


 「今の安綱は童女でも女なのですよ?信長様の性癖云々以前に当然の配慮かと」


 そういうものかと考え川の水を救い口に運ぶ。冷えた水が喉を伝う感触が心地よく何度も口に運ぶ。

 その隣で乱丸もまた両手で水を掬って口に運ぶ。同じように水の美味さと心地良さでふぅと息を洩らすと唇に付いた水をぺろりと舐めて手で拭う。


 思わずその光景を見て、またしてもゴクリと喉がなってしまった。


 「にゅふふ〜、なんじゃぁ主よ?そんな飢えた獣の様に喉を鳴らしての〜?腹が減っているのかのぅ?腹は腹でも己が内の獣が飢えて………にゅわぁぁぁあ!?」


 いつの間にか近くにいた安綱の頭を掴み、振りかぶって川へと投げ込んだ。








 「ぺぷしゅっ!…うぅ…か、身体が震えるのぅ…なんでかのぅ…」


 「それは寒いと言うのだバカ者。一刻以上も川の中ではしゃぐからそうなるのだ」


 「もう少しで薪に火が付きますのでお待ち下さい」


 歯をカチカチ鳴らせて乱丸の肩衣も上から被って丸くなる安綱。そして呆れて見る信長と笑顔で薪に火を付ける乱丸。


 乱丸の破れていた胸部分は腹巻を胸に移動させて今は隠していた。


 「ほら安綱、火がつきましたよ。こちらへ…」


 「おぉ…そこに入ればこの震えは治まるのかっ!「おっと」にゅわっ!?」


 


 火の付いた薪へ震えながら突っ込んで行く安綱を乱丸が腰を抱えて止め、そして己の膝へと座らせる。


 「流石に火の中に突っ込むと火傷してしまいますから。ほら…こうすれば背も温いでしょう?」


 腰に回している手を肩から覆い被せるように安綱の前へと持っていき、ぎゅっと抱きしめる。


 「おぉ…にゅふ〜…これはよいのじゃぁ〜…極楽じゃぁ〜」


 「ふむ、乱よ。まるで姉妹のようじゃなぁ?クハハッ」


 「まことですか!実は少々妹達の事を思い出してしまいまして…新しい妹が出来たで様で嬉しいのです。ふふふ〜安綱の頬はぷにぷにだね〜」


 「にゅにゅにゅにゅ…だ、誰がお乱の妹じゃぁっ!妾はお主らよりも遥かに長くあるのだぞ〜!や、止めんかぁぁ…ぁぁぁ〜…ぽわぽわするんじゃ〜」


 頬擦りする乱丸を安綱がパタパタして反抗するが頭を撫で、頬を擦り寄せてぎゅっと抱き締める乱丸の手腕に速攻で堕ちた。


 「………そうか、それは良かったな…」


 先程の仕返しに姉妹のようだと言ったのに喜ばれてしまい、モヤモヤっとした信長だった。

 


 





 暫く皆で焚き火にあたる。既に安綱はぷひゃ〜と寝息をたてて涎を流しており、信長と乱丸は何を言うでもなく向かい合って燃える薪を見詰めていた。


 「乱丸よ……共に死した事は詫びぬ。今は……そうだのぅ…貴様が共におり心強いぞ。また宜しく頼む」


 「……信長様…!なんと、なんと勿体なきお言葉…!ボクも…信長様と共に、またこうして話せた事を大変嬉しく思っております。……それにまさかこのような可愛らしい妹が出来るとは…死後の世界も悪くありませんね」


 「……うむ…そうだな」


 志半ばで果てた事は無念と言う他ないがもうどうしようもない事であるのは理解している。ならばこれから…死後の世ではこの二人と転生する迄は共に、と想ったのだ。


 







 「………信長様」


 「……うむ、気付いておる。何かおるな」


 「はい、周りを囲まれているようです」


 周囲に感じる微かな違和感と気配に乱丸が動かずに静かに呟く。

 信長も軽く頷き、目だけで周りを見る。


 「…ふん、だがこの臭い……獣か?」


 「そうですね…あ、あれ?死後の世には獣もいるのでしょうか?」


 「…確かに。此処は地獄界…獣は畜生界に往く筈なのだがなぁ。大罪を犯した獣でも居るのか?」


 六欲天は全ての魂が輪廻し、死後に振り分けられる。

 徳をなして崇められた者、天人や神々が住まう天上界、善にも悪にも染まる人間が住む人間界、闘争に飢え、明け暮れた者が住む修羅界、食・淫・眠のみの獣ならば畜生界、贅の限りを尽くし更に貪る者ならば餓鬼界、そして大罪を犯したものならば地獄界…と。


 「否…それはここが地獄ならば、か」


 己が地獄往きなのは分かる。だが乱丸はどうだろうか?大罪どころか飢えた者に己の芋をやり、老人に手を貸し、朽ちゆく村に涙する者だ…崇められたり仏道等へは傾倒しなかったので天上界へは上がれなくともそれでも人間界以下へと堕ちる様な者ではない。


 「だが儂がおる…何故だ?」


 「信長様……そろそろ来そうです。安綱起きて下さい!」


 乱丸のその言葉と同時に周りの草葉が揺れガサッと小柄なナニかが信長へと飛びかかって来た。


 「クハハッ!儂に挑むかっ!」

 

 腰を落とし帯に差した宗三左文字を抜き放ち、横一文字に振るう。

 己と牙を突き出してきた獣は飛びかかって勢いのまま腹から真二つに別れ、信長を通り過ぎて地へと身体と臓物をぶちまけた。


 「信長様!」


 「儂の事はよい!眼前の獣を討て!」


 「は、はっ!」


 こちらへと駆け出して来そうな乱丸の声を制する様に怒鳴り、背を向ける。

 目は鷹の様に鋭く、口は歪み歯を剥き出しにして笑みを浮かべる。


 「クハハ…獣では狩りになる、か。では地獄での初狩りとゆくかのぅ…」


 先程の一閃で出るタイミングを逃したのか草むらがバラバラに揺れる。


 左文字を片手にゆらりと無警戒に近づく。


 「ほぅれ。貴様らの餌はここにおるぞぅ?クハハッ」

 

 信長は愉しそうに笑う。だがその言葉に反応して出てきたのか姿を見せた獣の姿に信長の眉は八の字を描き、口はすぼめられた。


 「ギッ!ギギャッ!ギャー!!」


 「ギギッ!ギャーギッ!」


 「ギーッ!ギーッギギャ!」


 ガサガサと出てくる獣……と呼んでいいのか分からないモノ。


 緑の肌、長い耳に長い鼻が付いている醜悪な顔。160cm程の信長に対してその股間程しかない小柄な身体に腰蓑こしみののみを巻き、片手にボロの棍棒を持っていた。


 「……な、なんぞ?こやつらは……」


 余りの醜悪な姿と臭いに顔を更に歪ませて呟いた…


 

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