其ノ一

 さわさわと爽やかな風が吹き、そよそよと草の揺らぐ音が耳に心地よく囁く。そして瞼の裏からでも感じる暖かな日差し。


 「……ここは…極楽浄土か…いや、儂なら地獄よのぉ…だが、安らぐなぁ…これが地獄とは信じられんなぁ」


 胸いっぱいに草と澄んだ空気を吸い込む。そして閉じていた眼をゆっくり開ける。

 夜に慣れた目が突然の光に眩み無意識に右手で遮った。背中の感触と強い草の匂いで己が草の上で倒れていると判断する。


 「……眩しいな。……んむ?ここは草原か?」


 寝そべったまま顔を横に倒すと一面の緑。遠くには木々が生い茂り森が広がっている。

 片手で腹を切った部分を触り、かざしている手に視線を戻す。


 「裂いた衣はそのままだが…傷がない。しかも鷲の手皺が……消えている?クハ…やはり此処は死後の……っ!?」


 腹を摩っていた左手を移動させ、各部の確認をしていたら柔らかなモノに触れた。


 「…ふぁん…」


 艶めかしい声にギョッとして手を離して視線を下げる。


 「…ふぁ………ん、ダメじゃぁ…ムニャ…もう…食べられぬぅ……にゅふぅ〜」


 胸に覆いかぶさるように小さい尻が乗っており、それを己が撫でていたようだ。艶のある黒く長い髪は辺りに打ち上げられたワカメのように広がり、その隙間から覗く肌は白く滑らかだった。


 「な、何故に鷲の胸に尻が乗っておるんだ?んんっ……おい、儂の上から退いてくれんか?」


 声を威厳あるように低くし、そう言いながら尻をペシペシ叩く。

 

 ……起きないので抓ってみる。


 「わきゃっ!?『うぐぬっ!?』…な、なんじゃ、何事じゃ!?」


 抓った瞬間に尻の持ち主が飛び起きる。そしてぴょんと跳ねた小さな身体が信長の上に再度落ちて来る。

 そして膝が鳩尾みぞおちに着地し、激痛と圧迫感でくの字に折れ曲がりながら悶絶する。


 「む?なんぞ柔らかい物が…ん?ん〜〜?……お主、信長…か?」


  鳩尾に膝を立てたまま乱れた黒髪で覆われた顔の隙間から信長の顔を見てそう告げる。


 「ぬぐぐぐ……何故……儂の名をぉ…ぐふぉぁっ…そ、そんなことより……いい加減にどかんかぁ!」


 「んにゃっ!?」


 信長の顔を色んな角度から覗き込む度、鳩尾にくい込んだ膝をグリグリと追い討ちをかけてくる。余りの痛さと苦しさに我慢出来ず、ぐわっと立ち上がると白い尻がコロコロと転がっていくのを確認できた。


 「にゃにをすりゅんじゃ〜バカものぉ〜!」


 ガバッと立ち上がり、両手を突き上げて怒り出したが転がった所為でふらふらし、あらぬ方向を向いて怒っていた。


 「む…童女わらべか。ここは何処だ?貴様は何故ここにおる?……そもそも何故、儂の名を知っておる」


 「妾が知るはずないじゃろぅ?というか…なんじゃ、妾の主であるお主を忘れる筈など無いであろうに…お主こそまさか妾を忘れているとは言わぬじゃろうな?」

 

 目の前に立ってこちらをクリっとした目で見上げる童をまじまじと見る。見上げた事で顔に被さっていた黒髪が左右に別れ、その顔がハッキリと確認できた。

 まだ幼いが全体的に顔の作りがやたらと整っており、日本人形のような美しさと…どこか妖しげな雰囲気をまとっている。


 「…知らん。誰だ貴様は?」


 「んなっ!?…相棒を忘れるとはなんという…かくなる上は頭を叩き記憶の復元を…いや、妾だと叩き斬って…かのぅ?」


 ブツブツと頭を捻りながら恐ろしい事を呟き始めた。


 「…なんと物騒な事をのたまう童女よ…しかし…その声は何処かで聞いたような…」


 「む、誰が童女じゃと?妾は憑喪つくもの妖刀と恐れられた刀よ…そんな事も分からぬとは…若返った身体の代わりに頭は耄碌もうろくしたか…」


 「…………刀、だと?」

 

 目の前の童に刀らしい要素など何一つない。だが、その聞き覚えのある声と一つの事に思い当たった。


 「…もしや安綱……か?」


 「はぁ…やっと思い当しおったか…ってさっきから邪魔じゃのぅっ!!なんじゃ、この黒くて細い糸束わっ!………いだだだだだぁっ!!!?」


 安綱だという童女が目の前で揺れている長い髪をグイッと引っ張る。だがそれは頭から生えているので頭も同時に引っ張られブチブチと音がする。


 「いや、思い出すも何も…お主…何故に人に…童女の姿になっておるのだ?」


 「いたた………なに?………ほぅ……」


 今頃気付いたのか己の身体を見てペタペタ触ってクルクル回る。そして粗方確認し終わったのか、ひとつ頷いて…


 「なんっじゃぁぁぁっ!?こりわぁぁぁぁあ!!?」


 「遅いわっ阿呆めっ!?」


 がに股になり天を仰いで叫ぶ安綱につっこむ。

 

 「ふぅ…ふぅ………いや、まぁ…いいかのぉ?己で動けるとは素晴らしいものじゃなっ!」


 「…順応速いわ…そのいい加減さはやはり安綱だなぁ」


 腕をパタパタしながら走る安綱が目を輝かせてはしゃぐ。脱力しながら言葉使いが元に戻ってしまった。


 「ふむふむ…ほう。ほうほう?なるほどのぅ…人の身体とはこの様になっておるのか…」


 「……って、こんのど阿呆ぅっ!そういう確認は一人でせんかぃっ!」


 「ぶにゃっ!?」


 色々な所を確認しだした安綱の頭にズベシッと手刀を入れて止める。


 「…まったく…ほれ、何時までも裸でおるな。コレを着ておけ」


 「うにゅぐぐ…にゃ、にゃんという刀扱いよ…労りというものをせんかっ!」


 「労りの前に慎みって言葉を覚えるがよい…む、腹部と背中が破けておるのに血が付いておらんな、何故だ?」


 安綱に羽織りを被せるとその違和感に気付く。


 「ん?当たり前じゃろぅ。言ったではないか、主の血と魂は全て妾のモノだと。こんな布っ切れに吸わせる血なぞないわっ勿体ない!」


 「そ、そうか…なんだ…お粗末様とでも言うべきか?…って誰が粗末じゃぃっ!」


 「な、なんじゃいきなりっ?…主の血と魂は大変に美味じゃったぞ?」


 「……う、うむ。そうか?なら良いが……美味かったのか、儂…」


 いきなり激昂したが安綱のその言葉で何故か照れてしまった。


 「うぉほんっ!そんな事よりも…安綱、何故に貴様が童女の姿でここに居るんだ?ここは死後の世界だろうに…いや、まさか…砕けたのか?」


 「む?いやのぅ…妾も記憶が定かではないのじゃ。主の腹を貫き、その血と魂を喰らい己が力の高まりを感じたことまでは覚えておるのじゃが…その後がのぅ…」


 「ふむ、まぁよいか。憑喪の神でも死ねば此処に来るということにしておくか…」


 うむむむと首を捻る安綱を見るとそう言ってひとまず保留にしておく。


 「うむぅ…妾が折れる事なぞないんじゃが……む?…のぅ、主よ。あそこで倒れているのは……お乱ではないかのぅ?」


 安綱が信長の背後を見る様に身体を傾けて遠くを見る仕草をする。


 「ぬ?……おぉ、確かに乱のようだな。そうか…やはり死んだが…」


 振り返る信長の目に移ったのは少し離れた所で草原に横たわっている乱丸の姿。

 微かにこちらへ手を伸ばしたまま地へと腕を落としていた。


 「………すまぬなぁ乱。まだ年若い貴様をこんな地獄へと道連れにしてしまった…」


 乱丸へと近づき、こちらへと伸ばされた手を両手で握り顔へと持ってくる。


 温かい…死んでも体温というのは感じられるのか。


 「ぅう……んん……ふぇ?……のぶ……ながひゃま…?」


 パチリと乱丸の目が開く。そして目が合うと乱丸は寝惚けた目を擦り、手を伸ばすと信長の頬にさわさわと指を這わす。

 トロンとした目のまま微笑む乱丸の艶めかしさに信長の喉がゴクリと鳴った。


 「……ふふふ〜……のぶながしゃま〜……」


 「う、うむ。儂は信長ぞ?それより乱よ……見えておるぞ?」


 「……ふぇ?」

 

 頬をさわさわする手と乱丸の艶かしい表情から逃げるようにあえて視線を送らなかった胸元を指差す。

 遅れてその指の辿る線をなぞった乱丸の顔が正気を取り戻した。そしてその顔が真っ赤に染まると跳ね起きて胸元を隠す。


 「うひゃぁぁぁぁっ!!!?あ、ああああのあのあの!こ、ここここれこれこれれはですねっ!!?は、蜂…そ、そう蜂に刺されてしまいましてですねっ!?ボ、ボクは決してお、おなごなんかじゃっ………あれ?」


 片手で胸元を隠し、もう片手でぶんぶんと手を振りまくって慌てまくる乱丸が信長を見るとピタリとその動きを止める。


 「あ、あの……誰でしょうか?」


 「…………なん……と…」


 主君である己を誰と問う乱丸に信長が絶望の声を出す。




 


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る