自称魔王が異世界へ
マタタビ煮干
プロローグ
天正10年6月2日、山城国のとある寺……
「ヌハハ…ハゲめが。儂一人討つために万を超える兵を集めよって…」
鷹の様な鋭い目を眼下へ呆れたように眺め、そこに広がる数えるのも馬鹿馬鹿しくなるような敵兵の群れへと視線を滑らせ、吐き捨てる様に呟く。
キンキンと響く刀の打ち合う音に怒声に狂声、悲鳴に呻き、無念の叫び…己の兵が阿鼻叫喚の地獄へと向かい、そして血華を咲かせて散る。
「馬鹿者共が…去れと言ったであろうに」
「なりませぬ。我等は殿と最期までお供致します!」
隣で膝を付き頭を垂れる小姓、己の懐刀である者を横目で見る。
「…
乱の目を見るが梃子でも動かぬという様な目に何を言っても無駄だと悟りり、眼下の景色に再度視線を戻す。誰がどう見ても勝ち目などない、始まる前から分かりきっていた事だ。もう半刻もしない内に己を含め、皆討ち取られるだろう事が分かった。
「…
一度生を
これを
「殿…その謡は…」
己の好んでいた謡を呟き、一度夜空を見上げて覚悟を決める。
「乱よ。貴様に最後の任をくれてやろう」
「はっ!謹んでお受け致します!!」
寺の中に入り、室中や廊下を照らす行灯を蹴倒しながら進み、後ろに続く乱が油を撒いて更に火の巡りを加速させていく。
複数の部屋の中を同じように通り過ぎ、そしてやがて着いた一室の前。
「乱……いや、
その襖の前に立ち、後ろに控える乱丸に声をかけた。
「何処であろうともこの乱丸…我が殿、信長様と共に往きます」
「クハハッ!!まっこと酔狂な奴よのっ!…では任せる」
「お任せ下さい」
返ってきた言葉に呆れ、だが知らず頬が弛み笑いが洩れた。
乱丸が前に出ると襖を開け跪き、乱丸を追い越して中へ入ると首だけで振り向く。
「……乱丸よ」
「はっ」
「……いや、何でもない」
「……はっ…」
己の言おうとした言葉に小っ恥ずかしくなり、言葉を飲み込んで正面に向き直る。
背後から襖の閉まる音が聞こえると内側から
「……感謝の言葉も伝えられんとは、なんと情けないのだ儂は…」
最後に見た蘭丸は涙を堪えている様な表情をしていた。閂から手を離し、襖の向こうにいる蘭丸を見詰める様に目を細めて一つ溜息を吐く。
「ふぅ……年若い者を道連れにしなければいけないというのはなんとも…辛いなぁ」
『何を言っておるんじゃ。奴の覚悟を見たであろう?無理に逃がしたとて後を追うに決まっておろうに…』
作った態度を崩し、少し砕けた口調で呟くとそんな呆れ声が何処からか響く。だが、今更その聞き慣れたその声に驚愕などはしない。
「確かに…なぁ
『まぁ、妾の前に
「…確かにな」
『ほれ、早うせんと此処にも彼奴等がなだれ込んで来よう?』
その言葉と同時に襖の向こうから物音。そして怒声と剣戟が響く。
眼を閉じ、大きく息を吸ってから吐く。その心に溜めたもの吐き出すように深く…そしてその鷹の様な眼に力を入れて開く。
「うむ…儂の最期、しかと見届けよ」
『当然じゃ。妾が最期まで見届けてやろうぞ』
菩薩像の近くまで歩きに磨かれた木床にスッと座す。腰の一振りの太刀【童子切
「では誓い通りに安綱、貴様を割腹の刀とする」
『うむ…主の散る瞬間の血、そして命は全て妾のモノじゃ』
「クハハ…相変わらず美しいなぁ。貴様は」
『何を当然の事を言っておるのじゃ。当たり前じゃろうに…だが礼を言っておくぞ。主の生、中々楽しめた。後は妾の中でゆっくり休むがよい…織田信長よ』
口調を少し戻し安綱と最期の会話をする。そして安綱の最期の言葉と共にその切っ先を己の腹に突き立てる。
「ぬぅっ!ぐ……ぬぉ…ぉぉおおお!」
背中を中心にして少し左に傾け差し込む。身体の中を冷たいものが侵入する感触、そして背の中心から貫き出る感触に小さく呻く。
だがこれで終わりではない。走る激痛、不快感を跳ね除け叫ぶ。左に傾いた柄を腹をこじる様に右へと引く様に力を入れ、そして…………
「ぐ……ヒック…信長…様ぁ」
信長の小姓として齢十二から五年…今日までずっと付き従っていた乱丸は込み上がる涙を抑えきれず泣いていた。夢半ばで自害という結末を選んだ信長の無念。それを手助けする力が己に足りなかったという自責の念が蘭丸の心を深く抉り涙が溢れる。
整った顔をくしゃくしゃにし、零れる嗚咽を中に居る信長に聞こえないよう必死で堪える。
剣戟が近くなってきている。わずか160人程の兵で一万もの敵兵を相手にするのだ。それはまるで波に呑まれるように瓦解し、寺の内部へと入ってきたのだろう。
「だけど…絶対にここは通らせない!!殿の…信長様の最期の命令なんだ!!絶対に、絶対に護り通す!!」
ゆらりと立ち上がり、信長から譲り受けた刀【
怒声と共に蘭丸のいる部屋の襖が斬られ、蹴破られた。
「あぁぁぁぁぁぁあぁあ!!!」
瞬間、襖を蹴破ってきた先頭の敵兵へと走り出す。襖を蹴破り足を突き出したままの敵の身体を逆袈裟に斬り、吹き出す血を浴びる。
返す刃で後ろ、横と次々に切り伏せる。繰り出された刀をいなし滑らして胴を薙ぐ。だが呼吸が徐々に乱れ、その整った顔や腕、身体に刃がカスリ傷を作る。後ろで結だ髪も今は紐が斬れ、長い髪を振り乱しながら刀を振る。
疲労は溜まる一方。狭い寺内で一度に相手取る人数は少なくともそれが無限の如く繰り返されれば動きも徐々に削られる。
(だが、それがどうした!我が身は全て信長様のモノ!そして今のボクはこの襖を護る刀だ!刀に疲れなどはない!!)
己に喝を入れ、鈍ってきた動きが再度鋭さを取り戻す。それは今まで以上に鋭く、鋭利に、魂を燃やし尽くす様に……
何十人目、もしかしたらとうに百を超えているかもしれない。後続で侵入して来た者を上段で切り伏せた時、その背後の兵から無数の槍が突き出される。
全てが遅くなった。迫る槍の穂先、切り伏せた者が白目を剥いて肩から吹き出す血飛沫の珠。全てが遅く遅く………そして幼かった自分に手を差し伸ばす信長の影を見た。
知らず手を伸ばす。羅刹の如く歪んでいた顔が元の整った顔に、それはまるで少女のように微笑み…
そして槍がとうとう蘭丸の身体を貫き、襖破って信長のいる部屋へと細身の身体が吹き飛び転がる。
やがて部屋の中心で止まる。首を何とか動かしソレを見た。
俯いた信長の腹を突き破り、背中から生えた黒く艶めく刀身を……
己が主君のその姿に涙が零れる。何かを呟こうとするが漏れでるのは血のみ。
震える指先で床に爪を立て、僅かに進んだ手を信長に向け僅かに伸ばし、そして………
蛇の様に轟く炎が寺の中心、その地下にまでその舌を伸ばしていた。炎の舌は大量に保管されている大樽へと徐々に、徐々にと這いより蠢いて……やがてとうとうたどり着く。
炎で彩られた夜の
外からその様子を見ていた者は衝撃で吹き飛び転がる。内部へと侵入していた敵は炎と衝撃に焼かれ、砕かれ、苦しみもなく一瞬でその命を燃やし尽くされた。
そして……それは真上にいた乱丸と信長をも飲み込んでいった…
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