第36話 冬の中の再終列車-1

 みどりさんと会ってから、数か月がたった。季節は夏から冬へと移り変わり、私たちの関係は友達と言っても差し支えないものなったと思う。私だけかもしれないけれど。


 待ち合わせなどはしてないが、午前七時二十分の電車で、いつも、私たちは乗り合わせる。


 北風が吹きすさぶこの時期は、件の時刻は、辺りはまだ少し薄暗く、夜の面影を残していた。今日に限って言うのなら、分厚い雲が太陽を隠しており、それが暗さを助長している。


 こんな時期は憂鬱になるが、しかし、今年はみどりさんがいてくれる。だから私は、意気揚々と家を出て、駅のほうへ、弾んだ足取りで向かう。


 折り畳み傘を入れたバッグがいつもより少し重かった。


****


 「……んー」


 みどりさんは、吊革につかまりながらうなだれていた。今日に限った話ではなく、寒くなってからというもの、みどりさんはいつもこんな風に体調が悪い。いわく、彼女は冬に弱いそうなのだ。


 「大丈夫? みどりさん」

 「ん、何とか」


 みどりさんは頷いたが、吐きそうだけどね、と自分の鳩尾辺りをさする。私はそのあたりに手を当てようかと少し迷ったが、体調が悪いなら、逆効果かと思い、手を伸ばしたり引っ込めたりする。

 少し奇妙な動きになってしまったのは自覚してたが、私はさらに奇妙な声を出した。


 「およよよよよよよよ」

 「いや、どういう反応?」

 「これはですね……何かしてあげたいけど何もできないときに出る音です」

 「ああ、なるほど、あるよねそういうことも」


 みどりさんは、私の奇怪な行動や言動に関して、慣れっこのようだった。私自身はそうではない。もっとクールで格好いいことができる人だと思っていたから、こんな風に馬鹿みたいなことをするのは不本意だった。


 「だって……みどりさん辛そうなのに……」

 「ははは」

 みどりさんは困ったように笑ってから、

 「あずさは私のこと、ほんとに好きだよね」

 と言いながら、私の頭に手をのせた。柔らかく触れるその手に、私の心臓は走り出す。

 「それは、まあ、もちろんですけど……」


 改めて言われると、胸の奥がくすぐったいような、ざらついたような、何かわからないが、こみ上げてくるものがあった。

 今すぐにでも表現したい気持ちだったが、みどりさんが何かを続けそうだったので、ぐっとこらえる。


 「じゃあさ、あずさ」

 「はい」

 「て、握ってくれる?」


 みどりさんはそう言って、自分の右手を差し出した。


 「……いいんですか」

 「いいんですかって、なにが?」

 「いえ……」

 「ふうん……いい?」

 「いいですよ、それくらいなら」


 それくらいなら、というよりはむしろ、ありがとうございます、と言いたい気分だった。しかしそれではせっかくのチャンスがふいになるかもしれなかったので、私は感謝をせずに、その手を取った。


 「……」


 みどりさんの手は少し乾燥しており、私の手より温度が低かった。冷たくて気持ちがいい。またそれ以上に、私はその柔らかさを堪能していた。もみもみもみ、と何度か力をこめたり緩めたりする。ああ、女の人の手だなあ、と思った。


 久しぶりだ、とも。


 「……あずさってなんかやっぱ気持ち悪いね」

 「え……あ……ごめ、ごめんなさい」

 「いやいいんだけどね、私のこと好きなんだなって思うだけだから」

 「ん……うう……」


 みどりさんと仲良くなってみて思うのは、みどりさんは意外と、素直にものをいう人なのだな、ということ。傍から見たときや、初対面のときの印象は、すこし冷たい雰囲気を持った人、という風だった。多くは語らず、最小限の会話だけで済ますような、そんな想像をしていた。


 しかし実際には違っており、みどりさんは優しく、笑顔の素敵な人だった。よく話すかと言われると、確かにそうではないけれど、かといって寡黙なわけでもない。言うべきことや、言いたいことは、ちゃんと言ってくれる人だった。


 だから私は、どんどん、みどりさんに夢中になってしまう。


 「……ありがと、あずさ」

 「へ、なな、何ですか、みどりさん」

 「いや、やっぱり人に触れてると、なんだか気持ちが和らぐなあって思ってね」

 「へ、へえ」

 「……あずさだと、なおさら、ね」


 みどりさんは悪戯っぽく、私をのぞき込むようにして、見た。


 心臓が何度も跳ねる。涙が出そうなくらいに、高揚し、今すぐにでもみどりさんに抱き着きたいような気分になった。

 しかし私はそんなことをしないで、平静を保ったふりをした。


 「……光栄です」

 「うん」


 みどりさんは満足そうにうなずいた。

 みどりさんは何事か見透かしたようで、私は少し悔しくなった。


 ともあれ、と頭を切り替える。


 私がいることで、みどりさんが少しでも元気になったのなら、誤魔化しなどではなく、本当に光栄だと思う。今こうして二人でいるのは、私のアプローチによるものであって、自然なことではない。さらに言うなら、みどりさんが望んだことではない。それにも拘わらず、みどりさんにとって喜ばしいことが起こるというなら、それはとても素敵なことだと思うし、私の行動が、存在が、みどりさんの役に立っているというのなら、私としてはこの上なくうれしいことだった。


 「あのね、みどりさん……私でいいなら、いつでも力になるから。いつでも、みどりさんの傍で……支えるから」

 「うん、ありがとね、あずさ」

 「ほんとだからねっ!」

 「わかってるよ、ありがと」


 みどりさんは、たぶん頭をなでようとして、つないだ手を解こうとしたが、私はそれを拒んで、ぎゅ、と力を込めた。

 まったくもう、と言うかのように、みどりさんは優し気にため息をついた。

 それから、いう。


 「好きだよ、あずさ」


 「……!」


 そんな真っすぐな言葉に、私は驚く。


 「……駄目だよ、みどりさん、そんなこと言っちゃ駄目……本気にする……」

 「ごめんね。でも好きは好きだから仕方ない」

 「……」


 ここじゃ何もできない。試すためのキスも、ハグも、何もできない。

 そんな中で、そんなことを言うのは、少し卑怯だと思った。


 「……みどりさん、ずるいよ」

 「ごめん」


 みどりさんは少しだけ微笑んでから、

 「……次か」

 と苦虫をかみつぶしたような表情をもっていった。

 「……大丈夫、みどりさん?」

 「うん、ありがと」みどりさんは頷いてから、「あずさのおかげで、大丈夫だよ」と、つないだ手を示した。

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