第35話 先生の昔話Ⅱ-3

 私に、雪葉に好きな人ができたことを嘆く権利など、無いのだ。だって私は一度、雪葉を拒絶したのだから。雪葉が好きだったから、怖くて拒絶した、なんて、そんな理由は雪葉には関係ない。


 「あのね、部活の先輩なんだけどね……私どんくさくて。でも、その先輩はいつもいつもフォローしてくれてね。悪口言ってる人には注意してくれて、ほんとに……良い人なの」


 いつか、こんなこともあるんだろうな、とクラスメイトの浮いた話を聞くたびに想像していた。


 けれど。


 やはり実際聞くのとではわけが違う。


 雪葉は照れたように身じろぎしながら、語っている。


 「へえ、そうなんだ」


 興味を持った声を出せているだろうか。ちゃんと、笑った表情を作れているだろうか。


 「もっと仲良くなれたらいいなあ、って思って……奏、もしよければ、協力してくれない?」

 「……え?」


 同じ部活でも何でもなく、その先輩が誰かすら知らないこの私に、雪葉が協力を仰ぐなんて、思っても見なかった。

 それはまるで、当てつけの様じゃないか。


 「もしよければ、なんだけど……」

 「い、いいけど……私には何も出来ないと思うけど」

 「んーん。奏、頭いいから。きっと色んなこと思いついて、良い感じの案を出してくれるはずっ!」

 「は、はあ……」


 考えなしの雪葉を見て、私はひどくイラついた。

 しかし。

 いかにも雪葉らしい根拠のなさで、私は少し微笑ましくも思った。


 「……いいよ、協力してあげる」


 私はゆっくりそう答える。雪葉には一生、かなわないなとあきらめながら。


****

 

 それから、私と雪葉は以前のようによく話すようになった。ただし、その内容はもちろん、雪葉の恋を成就させるための、作戦についてのものだ。私は心をすり減らしながら、それでも雪葉と話せるこの時が楽しくて、うれしくて、たまらなかった。


 でもきっと、こんなことを考えているのは私だけで、雪葉にしてみればそんなことはなかったのだろう。私とこんなことをしている暇があるなら件の先輩と話したいだろうし、そうでなくても私以外の仲のいい同級生と話したいに決まっている。そう思うと、雪葉と話していること自体が、雪葉にとっては不利益なのだ。


 私はもう、雪葉の人生からいなくなるべきだろうか。


 そんなことさえ思い始めた。

 雪葉の口から直接、「もういらない」と言われる前に、私はいつまでも雪葉のことを引きずらず、きっぱりあきらめるべきなのだろうか。


 そんな風に、一人になると考えていた。


 「やっぱり奏は優しいな」雪葉が柔らかい笑顔でそう言った。「奏と、ずっと友達でいれたら……幸せかも」

 「……うん。私もそう思うよ」


 なんて。


 白々しく言葉を交わす。

 私はどうしたらいいのだろう。私は、雪葉をどんなふうに思えば、幸せになれるのだろう。


 そうしているうちに、作戦の日が訪れた。この日のために二人で準備をしてきて、ついに来たのだ。来てしまったのだ。昔に戻ったような日々も、今日で終わって、きっと雪葉は恋人を作って、また私とあまり話さないことになる。


 そう思うと、憂鬱だった。


 「練習が終わって、片付けとかもろもろ終わると、たぶん七時くらいになるんだよねえ」

 「ああ、待ってるよ」

 「ほんと?」

 「何なら迎えに行く」

 「迎えに……」

 「うん。リアルタイムで見たいし。告白してるところ」

 「う……なんか……恥ずかしいな……」雪葉はみるみる顔を紅潮させる。

 「かわいい」そんな雪葉の様子を見て、私は、つい口をついた。いった後で、あっ、と口を抑える。

 「え……あ、ありがと……」


 雪葉は困惑しつつも嬉しそうにしていた。胸がきりりと痛む。


 「うん。そんなにかわいい雪葉なんだから、きっと大丈夫だよ」

 「……ありがと、やっぱ奏は優しいね」雪葉は言ってから、「行ってきます」と、踵を返し、教室の外へ出て行った。

 「……行ってらっしゃい、雪葉」私は手のひらを見せて、見送る。


 部活動に所属している生徒は続々と校内に散らばっていく。そうでない生徒は、街へと散らばっていく。やがて、私一人が、雪葉のために居残った。


 そう。


 雪葉のために。雪葉のためだけに。


****


 いつの間にか眠ってしまっていた。益体もないことに頭を使っていたというのと、放課後のこんな時間まで残っていたのは初めてということがあり、疲労が体中を汚染して、解毒のために、体が強制的に、睡眠をとらせたようだった。


 まったく。


 自分の身体ですらままならないな。


 時計を見た。


 「……こんな時間かっ」


 今は七時二十五分。予定時刻から三十分近くも遅れてしまっている。私は寝起きの身体を無理に起こして、急いでグラウンドへ向かった。胃に負担がかかるのを感じた。果たして寝起きの低血圧によるものなのか、雪葉の告白の結果への不安なのかは、定かではない。


 雪葉の所属している部が活動している場所のだいたいの位置は聞いていた。迷うことなく、その場所に着けた。

 グラウンドにいる人はまばらだった。帰宅しているものがほとんどで、今残っているのは、いつまでも友人と駄弁っているものや、自主練をしている部員だった。


 あとは、告白を決行しているものだ。


 雪葉の姿を探すと、すぐに見つかった。体育倉庫の扉に寄りかかり、呆然と空を見上げている。


 「……」


 結果はすぐに分かった。駄目だったのだ。

 当たり前である。もしも告白が成功していたなら、きっとこんなところにはいない。


 「あ、かなでえ、遅いよお」いつもの調子で、雪葉は言った。

 「雪葉……」

 「えっへへ……ごめんね、駄目だった」

 「……どうして謝るの?」

 「だって、奏にたくさんお世話になったのに、告白、成功しなくって……ごめんね。私、先輩に、彼女としては見れない……って言われちゃって……」


 言葉を重ねるごとに、雪葉は涙ぐんでいく。嗚咽こそしなかったが、ぽろぽろと涙が伝う。

 

 「ごめんね、奏、ごめんね」

 「雪葉……!」


 私は駆け寄って、雪葉に抱き付いた。縋るようにして腕を回し、ぎゅう、と強く抱きしめる。雪葉の呼吸が、体温が、感触が伝わってきて、雪葉の悲しみまでもが私へ伝わるようだった。


 「うう……かなでえ……」

 「雪葉、雪葉、雪葉、雪葉!」


 雪葉の名前を呼ぶ度に、私の胸は締め付けられる。雪葉はどうしてそんな男を選んだのか。その男はどうして雪葉の告白を断ったのか。


 私なら、私だったなら。


 そう思った。


 そう言った。


 「私なら、雪葉の告白を断ったりしないし、雪葉のことこんなに悲しませない! 恋人になって、二人で、いろんな楽しいことするし、もっと笑顔の将来を作るし、ずっとずっと、二人で……!」


 「か、かなで?」


 雪葉は困惑する。私の様子がおかしいことに気が付いていたのだろう。けれど、私の言葉は止まらない。一度、堰を切った言葉の流れは、それが全部外へ出きるまで、止まりはしないのだ。


 どろどろと、そして、勢いよく、その言葉は流れ出す。


 雪葉へと、激流をもって。


 「ずっと、ずっと後悔してた。あの時、あの修学旅行の時、どうして雪葉の気持ちに気づいていたのに、何もできなかったんだろう、って。私は前から、雪葉のことが好きだったのに。あの時が、またとないチャンスだったのに、臆病になって、踏み込めなかった。私はあの時から、今日までずっと、雪葉のことが好きだった。一緒に計画を立ててるときだって、雪葉を送り出したときだって、私はずっと雪葉が好きだった。一時も、好きじゃなかったことなんてないから……!」


 「か、かなで……」


 雪葉は困惑しながら私の名前を呼んだ。


 「奏は、私のこと、好きなんだ……?」

 「うん、そうだよ、ずっと、誰よりも、雪葉が好きだよ」

 「友達として……だよね? かなで……」


 思えば、この質問は雪葉の優しさだった。あるいは、自己防衛かもしれないけれど。

 

 ここで私が、そうだよ、と一言いっていれば、何も問題なかった。


 けれど、そんなことはせず。


 できず。


 堤防を乗り上げ、激流は取り返しのつかないところまで、流れ込む。


 「……友達以上に、女の子の雪葉がす……」


 雪葉は、私を突き放すようにして、自分からはがした。


 私は体勢を崩しながらも、踏みとどまり、雪葉に対面する。


 「ゆき、は……?」




 「気持ち悪い」




 それだけ言った。ひきつった笑みを浮かべ、心底不快だと言わんばかりに、後ずさりで、私から距離をとる。


 「私のこと、そんな風に思ってたの……? 私たち、友達だよね……? なんでそんなこと、言うの……?」

 「ち、ちが……」

 「怖い……」

 「違うの、雪葉、私は……!」

 「私といるとき、奏はいつもそんな風な目で私を見てたの……?」

 「だって……好きなんだもん……」

 「気持ち悪い……!」

 「ゆ、雪葉」


 距離を詰めようとする私に対し、雪葉は手を突き出して制する。


 「近づかないで!」

 「雪葉、わたしは……」

 「うるさい!」


 雪葉は大きな声を出した。そこで、辺りに響いたので周りの生徒を見ると、みんながみんな、こちらを見ていた。


 こっちみないで。私を見ないで。誰か、誰か私を助けて。


 そう思った。誰も、助けてなどくれないし、観察するように、こちらを眺めるものしかいない。


 だれか殺してくれ、と。


 しまいにはそう思っていた。


 「もう、なんでよ、なんで私ばっかり!」


 雪葉はそう言って、私を置いて、走り去ってしまった。雪葉のかける音がむなしく響く。だ、だ、だ、と響くその音は、私の心臓を何度も突きさすようだった。はあはあ、と息苦しくなる。気道が狭くなったように、息が細くなる。やがて目が眩んで、思わず座り込んだ。


 私の目は何一つとしてとらえない。私の耳は何の音も拾わない。


 頭の中にはただ一つ。


 好きだった人の罵声だけが、何度も反響していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る