第34話 先生の昔話Ⅱ-2

 あの、修学旅行。雪葉が私に、星空を見せてくれた、あの時。私がもしも、雪葉の唇を奪っていたなら、変わった今があったのだろうか。


 なんて、ずっとずっとそんなことを思う。


 どこかの誰かが言っていたが、悩みというのは未来の不安と、過去の後悔から来ているらしい。だから、私は、その時の後悔と、未来の私と雪葉の関係を、悩んでいるのだろう。

 私の悩みは、雪葉のことばかりだ。


 「……」


 授業中も、目で雪葉を追う。公式の定義をつらつらと書いている黒板には、興味も向かない。私の興味は常に雪葉で、それ以外なかった。

 薄い氷の上を、歩いている様だった。世界がそれしかなくなったような、嫌な感覚がある。


 「あ……」


 雪葉が顔を上げて、私が見ていることに気付いてしまった。

 どうしよう、どうしよう。私の頭の中はそれで埋め尽くされた。いや、普通なら、別に動揺しなくていいはずだ。けれど激しく緊張するのは、私にやましいことがあるからだろう。


 雪葉の自慰行為を、想像していた。


 目が合うと、そんなのを見透かされるんじゃないかと、そう心配する。


 「……?」


 雪葉が微笑んだ。その後で、声を出さず、大きく口を動かした。


 『あとでね』


 そう、言った気がした。

 あとで。

 あとで、雪葉のもとに行けばいいのかな。

 視線を窓の外へ移す。無駄な情報を頭が勝手に遮断して、考えることに集中した。


 「……」


 あの日のやり直しができるんじゃないかと。


 少し、期待した。


****


 「かーなでっ」


 昼食の時間が終わって、昼休みの時間になると同時に、雪葉は私の席まで来た。

雪葉は普段、同じ部活の人と過ごしていた。私は、愛奈と。だから、学校でもあまり話さない。そのことに悶々としていたわけだけれど、仲の良い人たちの間に割って入れるほどの度胸を私は持っていなかった。


 そんなわけで、雪葉と話すのは久しぶりで、少し緊張していたのだった。


 「雪葉。どうしたの。さっきなんか言ってたけど」

 「ああ、あれは『後でね』って言ったんだよ」

 

 あってた。

 

 「それよりさー、奏、私の事ガン見してたでしょー?」

 「あ……う、うん」やはりばれてたか、と恥じ入る。

 「やっぱりい」雪葉は言ってから、

 「ちょっと嬉しかったよ!」と変わらない笑みで言った。ああ、これも何だか懐かしい、と雪葉と話していたことが、ずっと昔のことのように思えた。

 「嬉しかった?」

 「うん。奏、私の事もう興味ないと思ってた」

 「興味って」

 「いや、なんか、中学に入ってから全然話してなかったから、もう構ってくれないのかと」

 「構う……」


 あたかも私の方が主導権を握っているかのように雪葉は言ったが、構って欲しかったのは、むしろ私の方だ。


 雪葉も気付いていると思っていた。


 それとも。


 両想い、だったりするのだろうか。


 「……私も、雪葉と話せなくて何だか寂しかった」

 「ほんと!?」

 「ほんと。このまま疎遠になったらやだなー、まで考えてたよ」


 正直に言ってみた。ちょっと気持ち悪いだろうか、と心配になったが、雪葉はさらに目を細めた。


 「うれしーなー……なんか、やっぱり奏は変わってないね。もう違う人になっちゃったかと思ったけど、やっぱり奏だなー」

 「私も、雪葉と話せて安心した……修学旅行の時」

 「え?」

 「修学旅行の時ね、雪葉と星を見たじゃん?」

 「あったねー、そんなこと」

 「あの時ね、ちゃんと雪葉のことを受け止めてたら、こんなふうにはならなかったのかな、って……ちょっと気にしててさ……」

 「あー……懐かしいな」雪葉は言ってから、「いや、感謝してるんだ、奏には……あの時、勢いに任せて変なことしなくて良かった!」

 「……変なこと?」

 「うん……ほんとはね、あの時、キスしてほしかったんだ。ほっぺじゃなくて、ここに」


 雪葉は恥ずかしがって言った。ここ、と示したのは自らの唇だった。やっぱりそうだったんだ、と心臓が跳ねたのと同時に、別の理由でも緊張が走る。


 変なこと。


 「あの時、奏とキスしてたら、ファーストキスが奏になっちゃってたでしょ? まあ、女の子同士ならノーカンかなあ?」


 ノーカンじゃ、ないよ。好き同士でキスしたなら、それはキスだよ。そんな言葉が出かけたが、怖くて言えなかった。

 この流れでいくと、『変なこと言って』と言われるのは解っていたからだ。


 「……あのね、えっと」雪葉はあたりを見回してから、「ちょっと耳貸して」

 「ん」


 嫌な予感がした。雪葉の声を間近に感じられることに、若干どきどきしながら、それを聞く。


 「わたしね、好きな人がいるの」


 死刑宣告の様だ、と言ったら大袈裟だろうか。

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