第33話 先生の昔話Ⅱ-1

 「ゆきはー、ほら行くよー」


 雪葉の部活の友人が、そう呼ぶ。当の雪葉はと言うと、


 「ちょ、ちょっとまって、もうすぐ、もうすぐだからー!」


 と、叫びながら日直日誌を書いていた。雪葉は遅筆なので、日直の時は、毎度忙しそうにしている。

 ううー、と唸りながら必死に筆を走らせる。私はそれをじっと見る。変態っぽいなあ、と思いつつ、じっと見る。


 「……あんた何してんの?」


 一緒に帰ろうと誘ってくるのは、中学で出来た友人であるところの愛奈だった。呆れた様子で、あたかもやれやれと言いたげだったが、私は気にしないふりをして答える。


 「いや、雪葉見てるだけ」

 「そうですか……」


 雪葉は不意に、顔を上げた。私の視線を感じてのことだろうか。

 私は思わず顔を逸らしてしまう。それから、誤魔化す様に愛奈へ話しかける。


 「か、かえろうか……!」

 「そうね」愛奈は頷いてから、「毎日これやんないと気が済まないのかしら」と呟く。

 「うるさいな……」


 私達は早足で教室の外へ出る。雪葉がこちらを見ていたような気がしたが、目を向けなかったので解らなかった。

 この時目を向けていれば、何か変わったのだろうか。

 私と雪葉の関係は。

 そして、ことの顛末は。

 今嘆いても、遅すぎることだけれど。


****


 「なんなの? 好きなの? 倉科さんのこと」

 「え……」倉科とは雪葉の名字だ。


 帰路を歩きながら、愛奈が訊いた。愛奈は私より少し背が高いので、私の歩幅に合わせて、少しゆっくり歩いていた。

 私と帰る方向が同じで、私と同じく部活動をやっていなかった。そのため、愛奈と帰るのが習慣になっている。


 「好き、だけど?」

 「ふうん。反応が男子のそれだけど、やっぱりそういうこと?」

 「……わっかんない。わかんないけど……わかんない」

 「ふうん」


 愛奈は興味なさげに言った。


 「小学校のころから、ずっと、雪葉になんていうんだろう……こだわっていた、というか」

 「執着?」

 「い、言い方悪いな」

 「そう? 悪いことでは無いとおもうけれど……まあ、良い言葉ではないか」

 「ずっと一緒だったし、なんというか……落ち着かない」

 「寂しいって言いなよ」


 愛奈は見透かしたように言う。

 確かにそうなのだ。寂しい。ずっと一緒だったから、離ればなれの今が寂しい。

 でも、本当に寂しいのは、それを私だけしか感じていないのではないか、ということだった。もしかしたら、雪葉の中での私は、ごくごく小さい存在なのかもしれない、ということだ。


 片思いじゃ嫌だ。想いあっていたい。


 「どうして?」 

 「どうして……?」

 「どうして、倉科さんなの?」

 「えー?」

 「私もいるけど」言って、愛奈は立ち止まって、私を見据えた。「ねえ、奏」


 愛奈は切なげに表情を変える。「奏は、私じゃ不満?」


 「えっと……」私は言葉に窮するが、「ご、ごめんね。べつの友達の話をするのは、デリカシーがなかった」

 「いいよ」愛奈は言ってから、「でももし、倉科さんのことが私より大事なら、私は協力したい」

 「え」


 愛奈は微笑んで言う。


 「奏が寂しいのは、私も嫌」

 「それは……あ、ありがとう」

 「いいよ。でもそのときは、私にも構ってよね」

 「……うん」


 愛奈がそう言ってくれて、私は安心する。それと同時に、励ましてくれる友達がいることを、頼りに思った。

 でも、何をしたらいいんだろう。私と雪葉は、別に険悪になったわけではない。生活が食い違っているだけなのだ。昔は一緒に登校して、一緒に下校していた。しかし今は、雪葉は朝練のために早く出、部活動のために遅く帰る。さらに言うなら、友人関係も違う。そもそも話なんてあうわけがないのだ。


 「……」


 昔の私は、雪葉とどうやって接していただろうか。

 もう、わからなくなっていた。

 それならそれで、友達を変える、というか、仲の良い人と一緒にいれば良い。それなのに、私は雪葉に固執している。

 馬鹿みたい。

 なんて思わないことも、変だろうか。


 「……嫌だな、このまま関係が終わったら」

 「そう思っているなら、大丈夫でしょう? 家も隣だし」

 「そっか。そうね。ありがとう、愛奈」

 「うん」


 よしよし。


 と、愛奈は私の頭を撫でた。

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