第31話 日差しの中でふたたび-2

 「お、おはようございます!」

 「はい、おはよう」


 プラットホームで電車を待つ三浦さんに、私はそう声をかける。三浦さんはこちらに目だけ向けて、ため息交じりに対応する。少しもやりとするが、でもまあ、朝だから仕方がないし、三浦さんは基本ため息交じりな人だから一週間もするともう慣れた。


 それに、対応してくれるということは私に関心があるということで、ひいては声をかけていいというサインである。


 そうやって考えていないとやっていられない。


 「今日も暑いですね」

 「君は半袖でいいわね」

 「三浦さんの会社はクールビズとかないんですか?」

 「あと一か月先」

 「あらまあ…」


 口に手をやって、近所のおばさんのように言う。


 「……」


 空に浮かぶ雲が、高速で流れていく。私は三浦さんを気にしながら、目を泳がせていた。


 ここ一週間、ずっとこんな感じである。


 天気の話から入って、特に盛り上がるわけでもなく、自然と会話が終わっていく。私はこんなにしゃべれない奴だったかなあ、と落胆しながらも、どうにかこうにか、挨拶だけは続けていた。


 寝付けない夜が続いていた。明日は何を話そう、とか準備していても、たいていの場合、シミュレーション通りにはいかないものだった。三浦さんと会うたび、叫びたくなるような衝動に駆られる。


 どうしたものか。考えつつ、三浦さんの横顔を見る。


 そういえば下の名前知らないなあ。


 「…何かな?」

 「え」

 「いや、ずっと見てくるから」

 「全然見てませんよ?」

 「何故嘘を…いや、ほんとに見てないのかもな。見て確認したわけじゃないし…」

 「そうですよ」


 うんうん、と私は頷く。そのタイミングで、アナウンスが聞こえた。電車が駅に到着することを報じると、数秒後に私達が乗るはずの電車が滑り込んできた。轟音が私達を支配する。月曜日の嘆息と共に開かれた扉から車内に入ると、いつも通りの位置に立つ。

 扉が閉まると、ゆっくり動き出して、徐々に加速していく。


 「…さっき」

 「ん?」

 「さっき、見てなかったと言ったのは嘘です」

 「そうですか…」


 どうしたら、三浦さんともっと距離を縮められるだろうか。普通の友達だったら、なんとなくで仲良くなるけれど、三浦さんにおいてはどうもだめだ。何が駄目って、全然はなしてこない。


 たぶん、私に心を許していないのだろう。


 「…変な子だよね、君って」

 「そうですか?」

 「意外と」

 「そうですか」

 「まあ…飽きないから良いけど」

 「三浦さんも飽きませんよ」

 「私、そんなに変?」

 「いえ。綺麗なので。美人は見てて飽きないなあって」

 「……」三浦さんはぽかーんと口を開ける。しばらくして、「部長の奥さん以外から初めて言われた」

 「えー、三浦さんモテそうなのに」

 「常套句ありがとう」

 「常套句どういたしまして」

 「モテるけど、美人って言うのは初めて言われた」


 モテるって言いきった。私はそこに引っかかる。モテるって断言したからには、三浦さんはきっと、いろんな人と付き合ってきたのだろう。しかも、向こうから告白してきて、だ。


 成る程。


 もしかして、今も付き合っている人とかいるのだろうか。

 いや、だからなにという感じだけれども。別に付き合いたいとかじゃないし。友達に、もっというなら親友になれれば良いだけだし。 


 別にショックじゃないし。


 「ま…まあ。酷いですね」

 「酷い?」

 「恋人に対して、『綺麗』とか『可愛い』とか『エロい』とか言わないのは、酷いと思います」

 「んー…まあ、最初の内は言われるんだけどねえ」

 「ふむふむ」

 「笑わないから、私。笑ってもへたくそだから。その内、気持ち悪いって言われる」


 三浦さんはいつもの調子で、ため息交じりに言った。


 「気持ち悪くなんかないですよ」


 三浦さんに向かって『気持ち悪い』とか言う人たちのことを想像して、ムカムカとした感情が沸き上がる。


 「…そう?」

 「私は、笑わない三浦さんが好きです。あと、三浦さんの笑顔も好きです。三浦さんという、存在そのものが好きです。気持ち悪いとか変なこと言うやつの気が知れないですよ」


 思わず早口になってしまい、これじゃあ私が気持ち悪いなあ、と思う。


 「…ですので! そんなん真に受けないで良いって、思います」

 「…ん」三浦さんは頷いてから、「…君、私の事好きだったんだね?」

 「え…あっ」言われて、自分の発言を思い返すと、確かに好きだと明言していた。「いや…変な意味ではなくてですね?」

 「…逆に訊くけど変な意味ってなに?」

 「何でもないです…」

 「…ここ数日、ちょっと話しただけのやつを好きになれるっていうのは、羨ましいな」

 「うぐ…」

 「ほんとに…君に好きって言われて、悪い気しないもん。っていうか、嬉しいよ、やっぱり」

 「ほ、ほんとですか…? 気持ち悪く無いですか…?」

 「ないよ…君可愛いもん。可愛い子に好きって言われて、気持ち悪いと思うはずないよ」

 「…可愛い?」

 「可愛い」

 「親戚以外に初めて言われました…」

 「ほんと? 君、モテそうだけど」

 「モテませんよ…っていうか、さっきの会話とまったく同じ…」

 「仕返し。ちょっと恥ずかしかったから」ふふん、と三浦さんは得意げになる。


 珍しい表情に、私は体内が締め付けられる感じがした。有体に言えば、キュンとした。


 「…とう、とい」

 「ん?」

 「いえ。何でもないです。こっちの話です」

 「ふむ…」

 「…私は、三浦さんが好きですよ」

 「…ほう」

 「だから、もっと仲良くなりたいです」

 「…ふむ」

 「だから、あの…えっと…その…なんだ?」


 言っている途中で、私は自分が何を求めているのか、よくわからなくなった。いや、仲良くなりたいのだけど、そのためには、何をすればいいんだっけ?

 うーんとか、あーとか、そういった呻き声で場を繋げるが、一向に続きが出てこなかった。


 「ここで、降りるのだけれど」


 次の停車駅がアナウンスされ、困ったように三浦さんは言った。


 「あ…はい、すみません。次までに考えときます」

 「…やっぱ変な子だねえ、君」


 三浦さんは口元に手を当て、くすくす笑った。それから、またね、と微笑んで、車両を後にした。

 なんだ、綺麗に笑うじゃないか。へたくそじゃないじゃないか。そんな風に思ったが、しかし、口には出なかった。


 「あー…」

 

 その仕草は、またも私の体内を締め付ける。一人になった私は、天井を仰いで、小さく呟いた。


 「えっろ…」


 こんなことを思う私は、やっぱり変なんだろうなあ。

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