第30話 日差しの中でふたたび-1

 つんざく日差しは、プラットホームに直撃していた。そこに立つ私は、じりじりと弱火で焼かれるひき肉のように、外側から熱されていく。半そでから出ている腕は、後ろに回している。


 ちらちらと周囲を見回しながら、鉄の蛇を待つ。


 軽快なメロディとともに、電車の到着を知らせるアナウンスが聞こえた。


 どこにいるのだろう、あの人は。


 轟音と共に到着したそれは、深いため息を吐きながら、しぶしぶ私を迎え入れる。


 「……」


 いつもの時間より、息がしやすいし、動きやすい。しかし、この車両には、私の探す彼女はいないようだった。どうしようか、と逡巡してから、右の車両へと移る。


 いない。


 さらに奥へと進んだ。


 いない。


 うむう。


 まあ、この電車に乗っているという確証は、実はないのだ。一度目に会った時も二度目に見かけたときも、電車が遅延していたから、ああじゃあちょっと早い電車にいつも乗っているのかな、と推測して、この時間に来てみただけだ。


 だからまあ。


 そんな諦めの理由を頭の中で組み立てていく途中で、遂に運転席が見通せた。そして、その手前に、探している彼女が、私の目に飛び込んできたのだった。


 いた。心臓が一つ跳ねる。これだけでもう顔が紅潮してしまいそうだった。


 気が早い気が早い。

 逸る心を抑えながら、何気ないふりをして、彼女の隣に立つ。


 さあ、どうする?


****

 

 駅を、二つほど過ぎた。彼女がどこで降りるかは、実は解っていた。この次だ。ここからは少し長いとはいえ、早くしないと。


 明日じゃ、きっと駄目なんだ。


 「あの…こんにちは」


 私は三度目の彼女に話しかける。陽光の中に黒い点が点在する電車内で、私は彼女だけを人間だと認識していた。他はただの色だ。ただの黒づくめだ。


 一度目の彼女は、満員電車の中だった。


 二度目の彼女は、整列位置のところだ。


 見かけた、というだけだ。いや、一度目はちゃんと話したけれど、今が二度目のコンタクトだ。にもかかわらず、私は彼女だけを人と認識して、緊張している。


 「…? こんにちは…」


 訝るように首を傾げる彼女は、逡巡して、挨拶した。いつも真顔の彼女しか見ていないので、こんな表情でも新鮮だった。


 「え…えっと…覚えて、ますか?」

 「ません」

 「ですよね」


 短く答える彼女は少し怖かった。それをきっと、彼女も自覚していて、苦虫を噛みつぶしたような顔をしてから、「ごめんね、どなた?」と言い直した。


 「え、えっと、三河田高校一年生、水上あずさです!」

 「はあ…覚えてないなあ…」彼女は首を傾げてから、「あ…でも、顔には確かに覚えがある気がする。誰だ…誰だっけな…」

 「会ったのは、三か月くらい前です」

 「ほお…三か月って言うと、四月?」

 「です。満員電車で、なんかこう、私が周りの人に押しつぶされそうになるのを、えっと、あなたが、助けて、というか、楽にしてくれた、というか…」

 「ふうん…そっか…」


 彼女はそう言って、黙ってしまった。思い出そうとしてくれているのか、私がわけのわからないことを言ったから呆れられてしまったのか、それともあるいは、やべえやつだと判断して、関わらないようにしているのか。


 いずれにしても、困る。


 「あ、あの、良ければ…」

 「ん?」

 「また、話しかけて良いですか?」

 「……」


 景色が高速で通り過ぎる間、彼女はずっとこちらを見据えていた。気持ち悪いと思われただろうか。嫌われただろうか。いや、そもそも興味が持てていないか。心底どうでもいい、みたいなことだろうか。


 知りたい。彼女の心の内を知りたい。


 「あ、あの…」

 「あなた、可愛いわね」

 「えっ」


 ようやく口を開いた彼女は、うす笑いで、そんなことを言う。そうして、私の頭を軽く触った。


 「私は高校生の時も、そんなに素直じゃなかったな」優しい目をして、彼女は言う。私は何だか恥ずかしくなり、少し俯いた。「…いいよ。あなたの好きなようにしなさい」

 「あ、ありがとうございます!」

 「うん」彼女が頷くと同時か、それより早く、次の停車駅のアナウンスが入る。 「あ、私、ここで降りる」

 「は、はい」


 ああ、何故もっと早く話しかけなかったのだろうか。どうしようか悩んでいた時間が本当に勿体ない。あの時間の分もっと長く話せていられたのに。


 停車の慣性力を感じながら、そんな後悔をする。もう降りちゃうなあ、と思いながら、ふと気づく。


 そういえば、名前。


 「あ、あの、よければ、名前、教えてもらえますか…?」私はやや早口で言う。

 「ああ…てっきり知っているものかと」彼女は言ってから、少し目を伏せて、「三浦です。じゃあね、行ってきます」


 電車は私に共感するかのように、嘆息を漏らした。

 彼女は軽く手を挙げて言って、電車を後にする。


 「い、いってらっしゃい!」


 こうして、私は再び彼女とつながる。私と彼女がどうなるかは知らない。友達かもしれない。それすらなれないかもしれない。けれど私は、あなたの隣いるってだけで、明日も生きていけるんだよ。


 なんて、初めて会った彼女には、絶対に言わないけれど。


 「…ありがとう、また会ってくれて」


 空気すら揺れない程の声で、私はそう言った。

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