第25話 好きな私の空回り-3

 さてさて。放課後、そのまままっすぐ家に帰るような私ではない。もうそろそろ初夏がやってくるので、部活帰りの遅い時間でもまだ結構あたりは明るい。まあだから、街に出て、買い食いとかしちゃうよね。仕方ない。こればかりは仕方ない。付き合いとかあるし。たとえお母さんに怒られてしまうとしても、必要なことなのだった。


 「くれいぷう!」


 わたしとて、いつでも雫といるわけでは無い。いやまあ、部活が一緒だから他の友人と比べるなら一緒にいる割合が多いのは確かだが。


 「……」


 クレープごときでテンションの上がっているこの子は河原美紅という女の子だった。快活な性格をしているが、清楚で礼儀はわきまえている印象の、端的に言うなら人気者という人だ。この子と話しているときは、雫ほどではないけれど、あまり気を遣う必要もないから、気楽に話せる。


 だから、好きは好き、なのだけれど。


 「くれーぷ…」


 そう呟く柏木佳純さんが必ずと言って良いほどついてくるから、ほぼ百パーセント二対一になる。もちろんだが、私が一だ。いや、この子も悪い子というわけでは無い。ただ、私はあまり親しくないし、佳純さんは無口だし、ちょっと怖いんだよな。


 そもそもクラスが違うしなあ。


 「クレープって、屋台あったかね、この辺」私が訊く。

 「んー…あったよーな、なかったよーな。よく憶えてない」

 「あんたねえ…食べたいっつったのあんたでしょ?」

 「あ、それなら私、駅の辺で見た気がする」佳純さんが言う。「…と思う」

 「そっかー。柏木さん、えらいぞー」美紅が言いながら、佳純さんの頭をわしゃわしゃした。佳純さんは照れ笑い。


 おいおい、完全に二人の世界じゃねえか。完全に邪魔じゃねえか私。


 というか、毎度思うけれど、佳純さん基本クールなのに美紅を前にするとでれでれなの凄いな。


 「えっと、じゃ、案内してもらえる?」佳純さんに言う。

 「…うん。付いて来て」急に冷静さを取り戻し、鉄仮面に戻る佳純さん。

 「あ、はい…」


 本当に美紅以外に興味ないんだなあ、と半ば感心した。


 「でも久しぶりだね。だねだね。綾乃ちゃんが誘ってくれるのって」

 「あ、そうかい? そうでもないけど?」

 「いやー、最近は雫ちゃんばっかりと遊んでたからなあ」

 「あの王子様は暇だからね。付き合い良いんだよ」

 「あー。確かに私と柏木さんはいつも一緒にいるから暇では無いねえ」

 「……」


 聞いてねえ。


 「件の王子様は、今日は暇では無かったわけだ」

 「わけわけ」


 事情を詳しく知っているわけでは無い。しかしどうやら、深刻な用事があるらしい。深刻、というよりは、大事な、といった方が正解かもしれないが。


 いつも一緒にいるとはいえ、そこまで深く突っ込んで話せる仲、というわけでも無いのだ。


 まあ、学校の友達なんてそんなもんだとは思うが、なんか、なんとなく。


 「寂しい?」

 「…!」


 意外や意外、佳純さんが訊いてきたので、一瞬フリーズしてしまった。


 「…ごめん」

 「いや、いや全然いいんだけど…そうだね、ちょっと寂しいかな」

 「ちょっと解る気がするんだよね…勘違いかもしれないけど」


 いや、そこは普通にわかるでいいのでは。まあ気にすることでは無いけど。


 「かすみんが私以外の人と話してるの久しぶりに見た」

 「変なあだ名付けないで…」

 「ごめんごめん、佳純」

 「……」


 静かに赤面する佳純さん。あれか、呼び捨てにされたのがうれしかったんか。何だこいつら。付き合ってんのか。何で私は目の前でイチャコライチャコラされないといけないのだろう。勘弁してほしい。


 というか私も彼女欲しいなあ…。いや、彼氏でも良いけど。


 「……」


 おいおい、と思う。エンカウント率高くないですか、神様。


 「お、お、どうした、綾乃ちゃん?」


 急に立ち止まった私を振り返って、美紅が言った。


 「ちょ、ちょっと来て、二人とも」


 私は思わず二人を伴って物陰へ隠れた。そう、彼女がいたのだ。私が会うと

ちょっと気まずい気分になる彼女、樹希ちゃんである。


 まあ、会う確率で言うのなら、単純に近くに学校があるから、高いのか。私の家に下宿するということは、このあたりの大学に通っている、ということだから。


 にしてもさあ。空気読んでくれよ、神様。全知全能だろ。


 「どうした?」


 とりあえず付き合ってくれている佳純さんが訊く。


 「う…いや、あの、前方に知り合いがいて…。今ちょっと会いたくない、っていうか…」

 「知り合いだって? どこどこどこどこどこ」

 「何であんたのテンションが上がってんだよ」

 「…あのひとか」

 「佳純さんは佳純さんで、何であたりが付いてんのよ」

 「あの人でしょ、あの人」


 佳純さんはばっちり樹希ちゃんの方を指さした。


 「…なんでわかったし?」

 「なんとなく、というか綾乃さん、あの人のこと凝視してるから」

 「…もう人なんか見ない」


 私はそう固く誓ってから、樹希ちゃんの方を見た。結局見るんじゃねえか、と自分で突っ込む。


 心がぎゅっとなる。それはもちろん、樹希ちゃんが例の友達と一緒にいるからだった。彼女らの名前など、私はとうに忘れてしまっていた。いたけれど、気に食わない。名前も覚えてない人を見て嫌いだなんだというのは甚だ礼儀知らずだけれど、しかし、嫌いなものは嫌いだった。


 「なんか…」

 「?」


 佳純さんが何かに気付いた様子だった。な、なんだ、私が樹希ちゃんを好きなのばれたか、と思ったが、どうもそうでは無いらしい。だって佳純さん、さっきから


 私の方見ないんだもの。ばれるわけないもの。


 「…あの人、なんか変じゃない?」

 「変って…?」

 「いや…なんか、ぎこちなく笑っているような」

 「え…」


 そう言われてよく見てみる。


 なにを話しているかは、この距離ではわからない。私は目が良い方だから、たぶん佳純さんもそうなのだろうが、表情だけは読み取れた。


 わからない。他の三人の表情を見る限りでは、確かに談笑している感じだった。


 それはもちろん、四人目であるところの樹希ちゃんだってそうなのだが、何故か、樹希ちゃんだけ辛そうだった。笑顔がぎこちない。


 「あの笑顔のプロが…なにゆえ…」

 「笑顔のプロってなに?」


 しばらく見守っていると、その四人組はデパートへと入って行ってしまう。


 「あ…行っちゃったね。どうする? 追う?」


 佳純さんが訊く。


 「あ…うん…そうだなあ。まあ気になるけど、いいや。気のせいかもしれないし」

 「いや! 追おう!」


 美紅が言う。


 「え…なんで?」

 「なんか気になってそうじゃん! いいよ、暇だし! あ、私たちはいない方が良いね! 込み入った話になるかもだし。じゃああれだね、私たちはこの辺で待ってるから、あやのん行ってらっしゃいよ!」

 「あやのん…」

 「…行って来たら?」


 佳純さんがこちらを少し見て言った。


 「私たちは大丈夫だから。ここで待ってるよ」

 「そ、そう…?」


 一瞬、そこまでして様子を見る必要はあるだろうかと考えた。あとをつけるという行為自体、まずやってはいけないことだ。それに、ばれたら嫌われるかもしれない。まあ、確かに気になるのはその通りなのだけれど、ただの思い過ごしの可能性だって充分に高い。


 「あー…と」

 「だいじょうぶだよ、ここで待ってるから。…二人で。河原さんと二人で待ってるから、大丈夫」

 「……」


 佳純さんは少し俯いて、赤面しながら、照れたように笑う。


 成る程。


 「じゃ、お言葉に甘えて言ってくるね!」


 言って、その場を離れると、後ろから「名前で呼んでくれないんだ?」という美紅の声が聞こえた。


 空気を読んで退散だあ。


****


 「……」


 今日、樹希ちゃんを尾行した。いやまあ、成り行きだったし、そのことに関しては、特に罪悪感とか背徳感とかは無い。成果があったからか、正しい選択をした、という気持ちすらある。


 その成果だ。そう表現するにはあまりに腹立たしい。


 簡単に言うと、樹希ちゃんはいじめられていた。


 グルーピングはされている。それなりに対等に話している。傍から見て居ると、なんだ仲の良い友達同士じゃないかとそう思うのだが、それは違う。彼女らは喫茶店に入って、談笑していた。いや、笑っていたのは他の三人だけで、樹希ちゃんはなんだか疲れた様だったけれど。そこまでは普通だ。各々好きなものを頼んでいた。


 問題は会計の時に起こった。他の三人は早々に店外へ出て、樹希ちゃんは当たり前のように代金を支払う。

そんな光景を目の当たりにしたのだ。


 どす黒い塊みたいなものが腹の中に溜まる。


 思わず飛び出していきそうになったが、もしかすると、仲間内で決まったルールがあるのかもしれない、と思い、踏みとどまった。


 例えば、当番制で、その日たまたま樹希ちゃんの奢りだったとか。あるいは、大学で何か四人に借りを作って、その清算のために奢っているとか、そんな事情があるのかもしれない。


 なんて、こじつけ臭いけれど、なんにせよ、樹希ちゃんに確認してからじゃないと、と思った。


 珍しく冷静だったのだ。


 「…樹希ちゃん」


 私はベッドに横たわって、樹希ちゃんの帰りを待つ。ここにいない彼女の名前を呼んでみた。胸がきゅうっと締め付けられる。


 この感覚は嫌いじゃないみたいだ。


 「はーい?」

 「おわっ!」


 帰ってきてた!


 私は上体を起こそうとするが、すぐ頭上に樹希ちゃんの顔があるからそれもできない。そのまま、私は話す。


 「お、お帰り」

 「あやちゃんは本当に私のこと好きだねえ」

 「は、は!? 好きじゃねえし! むしろ嫌いな方だし!」

 「そうなんだ…」

 「冗談だよ!」

 「知ってる」


 そう笑うと、樹希ちゃんは私から離れた。


 「もうお風呂入った?」

 「う、うん。さっき上がった」

 「ああ。だからそんなに顔赤いのね」

 「そ、そうだね。たぶんそうだよ」


 おめえが帰ってきたからだよ!


 とは言えない。さすがに言えない。


 「…良かった」

 「…? 何が?」

 「いや、私昨日、あやちゃん怒らせちゃったみたいだったから、嫌われたらどうしよう、って思ってたんだ。普通に話してくれて、良かった」

 「…何故蒸し返す」

 「あ、ごめんね。忘れて、今の」


 樹希ちゃんには珍しく、慌てたような感じで言う。


 可愛い。久しぶりに見たなあ、こんな樹希ちゃん。


 「…ねえ」


 私は、今日あったことの真相を聞こうと思った。帰ってきたばかりじゃ駄目だろうかとちょっと思ったが、樹希ちゃんと一緒にいる時間は、意外と、この時間しかないのだ。夕飯後から、眠るまでのこの時間だ。


 だから、これを逃すと、明日に先延ばしになってしまう。


 「あのさ、今日、街で樹希ちゃん、というか、樹希ちゃんたち見たんだよね」

 「…そうなんだ。声かけてくれればよかったのに」

 「いや、私も友達といたからさ」

 「友達って、この前の子?」

 「いや、別の子。雫と一緒だったら声かけたかも」

 「そっか」

 「そんで、見かけたんだけどさ…樹希ちゃん、他の人のお金、払ってた?」

 「……」

 「もしかしてあれ、押し付けられてたり、する?」

 「…しないよ」


 明らかに、声が震えていた。動揺しているのだ。それに樹希ちゃん自身も気付いたようで、驚いたように口元に手をやる。それから、私の方を向いて言った。


 「ほんとに、何でもないの…ただ、たまたまみんな手持ちがなくて、私が立て替えているだけで…」

 「それ、今までどのくらいあった?」

 「……」

 「一回でも、返ってきた?」


 樹希ちゃんは黙ってしまった。きっと、その返答がノーだったからだ。


 今までに偶然とは思えないほど多くあったし、立て替えとは名ばかりで、返済されたことは一度もなかったのだろう。


 思った通りだ。


 樹希ちゃんは、無理に払わされている。


 「…あんな人たちと一緒にいるの、やめなよ。樹希ちゃん、楽しい?」

 「いないよりはマシ…」


 樹希ちゃんはついに、否定的なことを言った。


 樹希ちゃんにしては悪感情が強かった。


 「大学ってね、一人だと、思った以上に不便なんだよ。グループ活動の時にあぶれたり、仕事をもらえなかったり。そんなことになると、当たり前だけど、成績落ちるし、就職にも響くかもだし…ここで我慢してないと、たぶん人生に影響するから」

 「…でも、樹希ちゃん、辛いんじゃないの?」

 「まあ、たかだか四年間のことだし。それに、あやちゃんがいるから、良いよ」

 「ど、どういうこと…」

 「つまりほら、友達には苦労しないってこと。あやちゃんがこうやって話し相手になってくれたら、なんとかやってける気がするよ」

 「…それはまあ、光栄というか」私はぶつぶつと言ってから、「なんか、もっと怒るかと思ってた。勝手につけてたわけだし…」


 言っていて思ったが、まあ、樹希ちゃんが怒るなんてするわけないよな。今までそんな所見たことないし。


 「ああ。まあ、つけるのは良くないけど、ほら、私、人のこと言えないじゃん。あやちゃんが隠してたこと、勝手に探ったし、お相子ってことで、ここは一つ私の件も許してほしい」

 「なるほど…そういうこと…」私は静かに頷いてから、少し赤面する。私の趣味のことを言われたのが恥ずかしいというのもあったし、樹希ちゃんの力になれるのがうれしい、というのもあった。「私…もう怒ったりしないから。樹希ちゃんのこと、ゆっくり解っていくから」

 「…? うん。ありがと」

 「だから、なんかあったら絶対言ってね。できる限りのことはするから!」


 樹希ちゃんは、え、と言ったきり、しばらく停止した。再び動き出したころには、顔が赤くなってしまっていた。


 「う、うん…ありがとう」

 「……。樹希ちゃんが、照れてる?」

 「そりゃ、照れるよ。そんな熱いこと言われたら、なんか、こう、っていうか、初めて言われた」

 「……」


 そんな風に言って赤面する樹希ちゃんを見る。笑っているような、困っているような、よくわからない表情だった。少なくとも、単なる笑顔とは違う。


 私は堪らなくなる。何とはなしに、込み上げる。のどまで来た。やめろ、と思ったのも束の間だ。


 「…好きだよ、樹希ちゃん」

 「うぇ」

 「あ、いや、嘘。嫌い」

 「嫌いなの…?」

 「え、いや、嫌いではない。嫌いではないけど、あれ、他意はないよ。全然。普通の好きだから。特別なやつではないから」

 「…特別なやつって?」

 「いや、言わせる? 普通」

 「言いたくないの?」

 「…特別なやつじゃないから、それが何かは言わない。い、樹希ちゃんが自分で考えるべきだと思うな、私は」

 「…そう?」

 「そう」


 そこで、お母さんの声がした。樹希ちゃんにさっさとお風呂に入ってほしいようだった。それで話がうやむやになったので、助かった形になった。これ以上追及されたら、私は何を言うか解らない。


 言っても良かったかもしれないなあ、と思ったのは、その何日か後だった。

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