第24話 好きな私の空回り-2

 樹希ちゃんは九時前には帰ってきた。遅くなるかもしれない、とお母さんには言っていたようだけれど、そうでもなくて、私は少し安心したのだった。


 できれば、大学の友達とかいう、あの人たちとは一緒に居てほしくない。


 私が一緒に居られなくなるから、ということもあったけれど、嫌な予感がある。あの人たちには、なんとなく嫌な感じがする。厭らしい感じがする。樹希ちゃんが傷つけられるような、なんとなく、そんな感じが。

 

 まあ、それはただの予想でしかないから、杞憂であるとは思うのだが、不安になるのは確かだ。


 だからこんな時間に帰ってくれるのはうれしいことだった。大学においては仕方がないにしても、それ以外の時間ではあまりあの人たちと一緒に居てほしくないのが本音だ。


 しかしなんだか、樹希ちゃんが疲れているようなのが気になった。いや、もしかするといつも疲れているのかもしれないが、樹希ちゃんがそんな風に疲労感をにじませているところを、私は見たことが無かったのだ。

 感情を表に出していることがまず珍しい。デフォルトで笑っているから。

 そんな疲労感のなかでも、やっぱり笑っていたけれど。


 「ふああ」

 「ふああ」


 樹希ちゃんと私の欠伸が重なって、私は一人で赤面する。


 時刻は十一時十分。寝る支度も終えて、私たちは部屋にいた。私も樹希ちゃんも本を読んで寛いでいる。


 樹希ちゃんとは大体、こんなふうにしていることが多い。あまり会話がないのだ。まあ、良い風に解釈するなら、無理に会話をする必要はない、ということになるのだろうが、もっと話してみたいという気持ちも否定できない。


 本に隠れて、ちらりと樹希ちゃんを見る。


 樹希ちゃんがどういうつもりでああいったのか、今、聞いてみようか。


 「……」


 静かに文庫本を閉じると、私は声を出す。


 「い、いつきちゃん!」

 「はーい?」


 樹希ちゃんは笑顔で本から顔を上げる。


 こ、こっちみた…。


 「え、えっと…」私は言いあぐねてから、「い、言いたいことがあってね」

 「うん」

 「ま、まずひとつ!」私は人差し指を立てて言う。

 「はいはい?」

 「私、別に樹希ちゃんのこと嫌いだから避けていたわけじゃないからね! 樹希ちゃんのことは、むしろ好きだから! 勘違いしないでよね!」

 「ああうん」樹希ちゃんは曖昧に頷いてから、「ってか、やっぱ避けられてたんだ、わたし…」

 「ち、ちが…! 何でそこをフィーチャーすんの!?」

 「冗談冗談」樹希ちゃんは悪戯っぽく笑って、私はかわいいなあ、と思う。「嫌われてないって、薄々気づいてたよ」

 「あ、ああ、そう?」

 「うん。だからまあ、安心して、って私が言うのは変かな。誤解はしてないから」

 「そっか、そっかそっか。まあ、はい、安心しました…」私はうなずいてから、本丸に切り込む。すう、っと息を吸ってから、切り出す。「あ、あとね、聞きたいことがあってさ…」

 「んー?」

 「し、雫、泊まらせてもらってた友達の名前なんだけど、その子の家に行く前にさ、ゆ、百合の趣味ががっつりばれたじゃん…?」

 「ああうん」樹希ちゃんは頷いてから、得意げに言う。「あれから結構読んで、なかなか詳しくなったんだよ!」

 「…え?」

 「私的には、このcitrusってのが、可愛くて好きだなあ」

 「ああ、citrusは商業の中でも人気だしクオリティが高いよね…じゃなくてね?」

 「クオリティ高くなくて、人気じゃないの?」

 「じゃない、はそっちにかかるんじゃなくてね? えっと、え、なに、読んだの? この部屋にあるやつ?」

 「全部読んだよー」

 「そうなんだ…隠してたんだけど、よく見つかったね?」

 「うん。美幸さんが、全部見つけてやろうぜ、っていって探してた」

 「あのやろー…」


 さっき居間で話してた時はそんな素振り一瞬たりとも見せなかったくせに…。


 「あ、でも私も読んでみたかったし、ちょうどいいな、って思って」

 「それなら私に言ってよ! なんだって無断でそんな…」

 「ごめんね。それは確かに、駄目だったよね。でも、あやちゃん、この話題に触れるの嫌そうだったし、聞かない方が良いのかなって思ってたんだけど…」

 「……」まあ確かに、聞かれても教えないと思うけれど。でもだからって、私に無断で勝手に探して読むのはどうかと思う。


 と、そこまで考えて、ようやく気付いた。


 「…ん、全部と言ったか、樹希ちゃん?」

 「うん。掛け値なしに全部読んだよ」

 「ぜんぶ…あの、十八禁とかあったんだけど」

 「うん。読んだ」

 「…死ぬしかない」

 「え、なんで?」

 「だ、だって! 家族に性癖バレたんだよ!? 隠してた趣味に加えて、性癖までばれたんだよ!? 逆に、この状況で平気なやつなんかいないよ! もしいたらそいつはただのサイコパスだよ!」

 「あー…そういうことか。いやでも、そんなえぐいの無かったよね? 純愛系が多かったような」

 「分析すんな」

 「あ、あと姉妹系も多かったね」

 「やめろ!」私はさけんでから、顔を覆って呟く。「むりむりむりむり…これもう…むりむりむり…」

 「むり? 生きるのが?」

 「そうだよ!」

 「まあまあ、落ち着いて。死んじゃヤダよ?」

 「…うう」


 なんて、樹希ちゃんはそんなことを言う。家族として当然のその言葉は私にとっては特別で、特別なのは私だけだと解っているから、それが余計に私を混乱させた。


 「そ、そんなこと言うなら、何だって読んだりしたのさ!」

 「えっと…あやちゃんのことを、少しでも知りたくて」

 「…!」

 「…白状しちゃうと、最近、あやちゃんのこと、ちょっと解り辛くてさ…ごめんね」


 うう、と声をもらしたところで、樹希ちゃんが頭を撫でて、抱きしめてくれる。いや、これもっとロマンチックな状況だったら良かったのだけれど、性癖がばれて取り乱した私をいさめている最中だと言うのだから、ちょっと決まりが悪い。

 けれども。


 「……」


 訊くなら今しかない、と思った。丁度、樹希ちゃんの胸で顔が見えない状態にあるし、話が逸れてしまっているからそれを正すためにも、ここで訊かなければ、もうチャンスはない。


 「…ねえ、樹希ちゃん」

 「んー?」

 「私がこんな趣味持ってても、何でそんなに優しいの? わたしなら、引いちゃうかもしれないのに…」

 「んー。引いちゃうんだ?」

 「うん。だって、女の子なのに、女の子と女の子がいちゃいちゃしてるの見て、喜んで、なんか、変じゃん」

 「変かどうかは人によるけれど」樹希ちゃんは言ってから、「あ、じゃあもしかして、今のこの状況にも、もしかしてきゅんきゅんしてるの?」

 「ま、まあね」

 「あははーそっかー」


 勇気をもって私は本当のことを言うが、しかし、樹希ちゃんは軽く笑って流した。


 「…私、樹希ちゃんに訊きたいこと、まだ訊けてない」

 「ああ、そうだね。じゃあどうぞ?」そう言って、樹希ちゃんは私を離しにかかるが、このままが良い、と駄々をこねて、その場にとどまった。

 「あ、のね。樹希ちゃんさ、私に百合の趣味があるって分かった時に、『あやちゃんなら良い』って言ったじゃん?」

 「言ったっけ?」

 「言ったよ」やっぱり深い意味は無かったんだな、と少しがっかりしてから、「あの意味を、聞きたかったんだけど」

 「ああ…えっと、意味って?」

 「いや、そのまま。どういう意味で言ったのかな、って思って…」

 「……んー」


 樹希ちゃんは困ったように笑う。私の顔は真っ赤で、動悸は激しかったが、気付かれる心配はなかった。


 それから、いくらか時間が過ぎる。すぐに返事なんか来るとは思っていなかったから、この時間は想定内だ。樹希ちゃんはその間にも、えー、とか、んー、という困ったような声を出しつつ、首を傾げていた。


 「…えっと」樹希ちゃんは息を吸って、言った。「何でもないよ…あやちゃんが取りたいように取ってくれれば」

 「……」


 ある意味樹希ちゃんらしい解答だと思った。しかし、私は食い下がる。


 「そうじゃなくて、樹希ちゃん自身がどういうつもりで言ったのかが知りたい」

 「いや…わかんないけど。あやちゃんの好きなように思ってくれればいいよ」

 「……」


 会話が成立していなかった。


 というか、察するに、樹希ちゃんは成立させる気さえないようだった。


 物言いからして、私が尋ねた言葉を覚えていないのだろう。


 けれどそれなら、適当に返事をするんじゃなくて、きっぱり、覚えていない、と言ってくれたほうがいい。


 それなのに、樹希ちゃんは。


 「ほんっと…樹希ちゃんって…」


 もしかしたら、樹希ちゃんは私が樹希ちゃんに恋をしてしまっていることを気付いているのかもしれない。それで、傷付けないようにと配慮をして、こんなふうに曖昧というか、解答ではない解答を繰り返しているのかもしれない。しかしそうだとしても、私に対しては明らかに逆効果だった。


 苛立ちが募っていく。それは思い通りにならないことに対してでなく、樹希ちゃんが私に踏み込んでこないことに対してだった。


 私を傷つけない言葉を、ただ淡々と繰り返す。それに何の意味があるのかというと、何の意味もない。


 ただきっと、私のこの質問が面倒なだけなのだ。


 「……」


 私の好意が、ただ面倒なだけなのだ。


 「…もういいよ」


 私は言って、樹希ちゃんからようやく離れた。


****


 「ああああああああ」

 「どうしたんだよ、今度は…」


 雫は優しいなあ、と改めて思った。


 学校についてそうそう項垂れて、突っ伏していたらようやっと涙が出てきた。そう言うわけで呻いていた。そうしていたら、雫が私の席まで来て声をかけてくれたのだ。


 優しい。何と良い友なのだろうか。


 「アホみたいな声を出しちゃって」

 「アホって言うなよ!」


 優しい、のだろうか。分からなくなってきた。


 こんなやさしくないやつに事情を話してもいいのだろうか、とちょっと考えたが、誰かに話さないと昇華できない。気持ち悪い。


 「うわ、泣いてる…どうしたの?」

 「えっとね…」


 そう言うわけで、事情を話す。ただ、樹希ちゃんのことが好きだとは言っていない。説明するとき、樹希ちゃんと仲良くなりたい、に留めた。まあ実際、確かに仲良くもなっていない気がする。


 切ないな…。


 「仲良く、ねえ…あのお姉さん、見た目には普通に優しそうだったけれども」

 「そうだよねー…一般的には優しいんだよねー…樹希ちゃんは」

 「じゃあ、一般的でないのは綾乃のほうだということになるね」

 「一般的でないとか言うなよ!」

 雫は、んー、と息を漏らしてから、「まあ、根本的に合わないんでしょうよ。その人のいい部分が認められないということは、その人の魅力に気づけない、ということだからねえ」

 「むー…」魅力に気づけていない相手に恋をしている私は、じゃあなんなんだよ。どこを見たら好きになるってんだよ。「でもー…仲良くしたいんだけどなあー…」

 「嫌いなのに?」

 「嫌いではないんだよなあ…」

 「じゃあ、それはもう、価値観のすり合わせを行っていくしかないのでは? …新婚の夫婦のように」

 「新婚の夫婦のように」


 解決策というよりは、半ば投げっぱなしのアドバイスをいただいて、しかし私は、納得する。まあ確かに、これをすればすべて解決、とか、そんなダンジョン攻略みたいなこと起こるわけはないよなあ。


 「地道にやっていくしかないかあ…」


 私はつぶやいて、ため息を吐いた。

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