第23話 好きな私の空回り-1
「た、ただいまあ…」
雫の家に泊まらせてもらってから、一週間が経過した後、私はようやっと自宅へ帰るのだった。雫には多大な迷惑を掛けたなあ、と出るとき軽く謝ったが、逆にやや寂しそうにしていた。
そんな雫を振り切ってなぜ帰ってきたかというと、気持ちが落ち着いたから、という理由もあるが、どうしても樹希ちゃんの気持ちが気になったのだ。いや、たぶん樹希ちゃんはそんな大したことは思っていないのだろうけれど、それならそれで、私の気持ちを伝えたい。
雫の家にいる間、雫と色々話して、自分の気持ちに整理が着いたのだ。
多分私は、樹希ちゃんに恋をしちゃっている。いやなんでやねん、と自分でも思うけれど、しかし、こればかりは仕方がない。
百合を嗜むものなら誰しも分かってくれると思うが、女の子と女の子が付き合うことの葛藤は、並大抵のものでは無い。さらにそれが、血のつながった従姉妹であるというのなら、尚のことである。
だから、あやちゃんなら良いよ、とそう言われた時、うっかり恋に落ちちまったんだと思う。樹希ちゃんは何気なく言ったのかもしれない。というか、その可能性が高い。しかし、そんな側面を知ってしまっている私は、樹希ちゃんの言葉がどうしても嬉しかった。
それに。
それに、樹希ちゃんがそんな風に、いいよ、とか、自分の立場をはっきりさせた物言いをするのは、珍しいことだから。
「お、おっかさん、ただいまです…」
居間に明かりがついていて、いや八時前なので当たり前であるけれども、恐る恐る様子を窺いつつ、私はそう挨拶するのだった。
「おっかさんって」おっかさんは少し笑う。「おかえり。なんか、ずいぶん久しぶりな感じがするわ」
「あはははは」
「そんなに笑うことではないと思うのだけれど」お母さんは戸惑ったような声を出してから、「なんかビビってんな?」
「…っは!? そんなわけねえし!? お母さんごときにビビる私じゃねえし」
「…ごとき?」
「お母さんのような高貴なお方に怯えるなんて畏れ多い」
「よろしい」
どすの効いた声を久しぶりに聞いたので、胃の入口が締め上げられるような感じがした。何かが上がってきそう。
「で? 私は別に怒ってはないないよ。ただ普通に、友達の家に泊まりに行ったんだなあ、と思っただけで。でも、そんなに怯えているということは、何か後ろめたいことがあるんだな? 言え?」
「いや…いや無いと言ったら嘘になるんだけどさ…」
「けど?」
「けど…ちょっと樹希ちゃんがうちに来た時期と重なっちゃったから、なんか気にしてないかな、と思って」
さも偶然重なってしまったかのような口ぶりで、さも申し訳なさそうに言った。
「ああ…それは、そうね」
「樹希ちゃん、何か言ってた?」
「いや、それっぽいこと言ってたな、と思って」
「え」
「『あやちゃんにきらわれてるのかなあ』つって」
「嫌ってない!」私は思わず声を高める。
「それを言ってやんなさいよ」
母は冷静に私をなだめる。私は予感が的中して、若干の高揚感を覚えながら適当に何度か頷いた。それから、当の樹希ちゃんがあたりに見当たらないことに気付く。
「…いつきちゃんは?」
「あー、大学のお友達とお食事ですってよ」
「むか」
「は?」
「あ、いや、なんでもない」
「さみしいか? お? さみしいか?」
「やめろぅ! はやし立てるのはやめるんだ!」
「いや、寂しいなら寂しいでいいじゃん」
「くっ…」
いや、はずかしいじゃん。この歳になっておねえちゃんがいないから寂しいとか。
好きとか、知られるわけにもいかないし。
「まあ、そういうわけだから。今日の晩は適当に食べて」
お母さんは主婦らしい言葉を吐く。本人はもう食べたようだった。
「お、ほんと? 出前とろ」
「ほれ」
お母さんは近所の定食屋のメニューを取って、渡してくれる。折りたたまれたチラシのような紙に中華と和食の料理名が並んでいて、私は昔から中華が好きだった。
「ねえ、綾乃?」しばらくしてから、お母さんが口を開く。
「…ん」
私は少し警戒した。私の事を名前で呼ぶときは大抵、私に不利な内容の時が多いからだ。
「あんた、いっちゃん襲ったりしないでよ?」
思わず、そのメニュー表を真っ二つに破りそうになって、ぐっとこらえる。
何だいきなり、と思うが、そういえば雫の家に泊まらせてもらうことになった一因に、お母さんに趣味がばれたというのがあったと思い出す。
……。急に気まずくなってきたな。
「な、なによ、いきなり…」
「いや。一応言っとこうと思って。あんた、樹希ちゃんのこと結構好きっぽいし、万一そういう目で見ていたら困るな、と思って」
「…いやいや。樹希ちゃんは対象外だわー。っていうか、私は百合が好きなだけであって自分自身がビアンってわけじゃないし」
まあ、そのスタンスも樹希ちゃんのせいで崩れつつあるけれど。
「そう。まあ、それならお母さんも保護者として安心だけどね」お母さんは言う。
ごめん、お母さん、と心の中で謝った。
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