第22話 あなたの知らない私の事を-3

 何も知らないままでいたなら、もしかしたらあんな風にならなかったかもしれない。何も知らずに、ただの好きであれば、私はあの子を傷つけずに済んだのかもしれない。好きには変わりないのに、なんて差があるのだろう。あの子が好きなことには変わらないのに、なんで私は、あの子を傷つけることになったんだろう。


 ただ、同性のあの子が好きってだけで。ただ、少しの思い出が欲しかったというだけで、私はなんで、あの子の人生をめちゃくちゃにすることになったのだろう。


 今更考えても遅いことだ。解決策があっても実行に移せないし、傷つけたことには変わりない。


 好きなのに、なんで傷つけたんだろう。


 誰が悪いなんて言わない。私が悪いのだ。


 理絵の音をききながら、そう思う。


 昨日もらったのだ。理絵のオリジナルの曲。ずっとやりたかった音楽が詰まっている、その曲。


 透き通った理絵の声には、説得力がある。洗練されたギターの音は、不幸せと幸せは同時に存在しなくてはならないと、雄弁に語るようだった。


 私は耳を傾ける。あの子を思い出しながら、静かに聞いている。


 雪葉は、いまどうしているのだろう。私を訪ねてきて、私に、何を言うのだろう。私を殺したいなら、それでいい。私のやるべきことは、自分の遺体を見つけられない場所を探して、そこで殺してもらうだけ。


 でも、それ以外なら、私は何をすればいいのだろう。


 もし、雪葉が、私を許してくれたとして。


 もし、雪葉が、今幸せだったとして。


 じゃあ、私は、何をすれば彼女に贖ったことになるのだろう。


 このまま一生、自分を戒めて、幸せを拒み続けるべきなんだろうか。


 一分半の曲が終わる。フルコーラスは、理絵が作るまでお預けだ。


 そうして、私は気付く。


 私は、彼女に不幸せであってほしいのか?


 「あ、大月先生。生徒が呼んでますよ」隣の同僚が教えてくれる。


 指さした方をみると、和泉さんが所在なさげに立っていた。


****

 

 母からの電話の、次の日。その放課後。和泉さんに引き留められて、私は彼女の教室まで先導される。どことなく不機嫌そうに見えた。

 理由は、思い当たる節がある。理絵とあっていたところを見られたのかもしれない。


 教室に着くと、和泉さんは向き直る。夕焼けを背景に、無理に笑った。


 キスされたことを思い出す。抱き合ったことを思い出す。


 顔が赤くなりそうだった。


 「何聴いてたんですか?」


 ついて、和泉さんはそう訊いた。なるほど、たぶん私がヘッドフォンをしている隙に、やってきたのだろう。悪いことをした、と思った。


 「…知り合いの子が作った、曲。良かったよ。聞いてみる?」


 機嫌を取ろうと、私は努めて笑顔でそう言った。そうすると、和泉さんはさらに不機嫌そうに、表情をこわばらせる。「…奏先生」


 「どうしたの?」

 「先生、私のこと好きでしょ?」

 「…は?」

 「好きなら好きって言ってよ」

 「いや…いやいや。よくわかんない。なんでそうなったの?」


 私は首を傾げた。ばれたか、と少し緊張する。


 そうしたところで、和泉さんが私に詰め寄ってきた。顔がすぐ近くにきて、和泉さんは言う。


 「私以外に、そんな顔しないで…ね?」


 和泉さんは私の両手を取って、拘束するようにした。それから、私にまた、キスをした。


 「…っ!」


 今度は、私の舌に絡ませてくる。

 やめて、と抵抗しようとするが、思った以上に手を掴む力が強い。


 「んっ…はあ…ひゃめ…ん」


 そんな声しか出なかった。さらに言うなら、それ以上拒めない。

 夕方の教室の茜色が目に入る。しばらくの間、くちゅくちゅという舌を絡ませる音とお互いの息の漏れる音が私の耳に入ってくる。こんなところを誰かに見られたら終わりだと思う。


 和泉さんが少し離れる。それでもまだ額がふれる距離だった。彼女の顔が目に入る。

 頬は紅潮し、目は涙をためている。


 「…せんせい、顔赤いよ」

 「…っ」


 きっと、私もこんな顔をしているのだろう、と恥じ入って、さらに顔が赤くなる感じがした。


 「なんで…こんなこと」

 「先生。奏先生」


 和泉さんは耳元で囁いた。そのひそやかな声と、耳にかかる息だけで、すべてを許してしまいそうになる。


 「ねえ、先生。私、なんか足りないかな? なんで私には何も言ってくれないの?子供だから? でもあの人だって年下だよね、見た感じ。まあ私よりは年上だけど…じゃあ、生徒だから? 私が奏先生の教え子だからいけないの? だから辛いとか嬉しいとか、嫌だとか楽しいとか、何も言ってくれないの? 生徒と先生の間には感情があっちゃいけないの? もしそうじゃなくて、私に問題があるっていうだけなら、なおすからさ。先生、お願い。言って? 私のどこがいけないか言って? そうじゃないと私、納得できない。先生が私に何もいわないで、あの人にだけ言うのが許せない。先生、私のこと好きでしょ? 好きになってるでしょ? 知ってるよ。二三日前…いや、一週間くらい前からかなあ、私に対して否定的なこと言ってこなくなったよね? 受け入れてるよね。それって、私のことが好きだから、言うのが辛くなったんでしょ? わかってるよ。全部お見通しだから。なのに、先生のスタンスは全然変わらないよね。私のことは別に好きじゃなくて、生徒でしかないってこと。ねえ、何で? いいじゃん、好きで。お互い好きあってるんだから、解決だって思わない? 好きな相手になんにも言えない人なの、先生は? それとも、それは私の勘違いで、先生は前と変わらず私のこと嫌いなの? そんなはずないよね、今だって、この距離で何も言ってこないし、それに、言うならちょっと嬉しそうじゃない。私、先生のそんな顔が見たかった。それはともかく、私に相談してくれたっていいじゃん。なにも言ってくれないくせに、私のこと好きっておかしいと思う。私は先生に全部話してるのに、先生だけ何も言わずに逃げるんだ? 今まで私の事待たせておいて、いざ好きになったってなると、私の事避けるんだ? 駄目だよ、許さないからね。私はずっと奏先生のこと好きだし、奏先生のことを全部知りたい。いや、全部じゃなくてもいいや。でもせめて、辛いことは知っていたい。それで、一緒に解決したい。ねえ、駄目? 先生。お願いだよ。やっとここまで来たの…一緒に、幸せになろうよ」


 和泉さんの声が、矢継ぎ早に私の中に入り込む。何で責められているのかも、なんでキスされたのかも、もはやどうでも良くなって、私の意識は、和泉さんが私の事を知りたがっている、という一点に尽きる。


 「ねえ、和泉さん」

 「はい」

 「和泉さんは、なんで私のこと好きなの?」

 「え…」

 「今まで、あんまり接点なかったのに、なんで私のことをこんなに好いてくれるの?」

 「それは…」和泉さんは言い淀んでから、「先生が先生だから、っていう回答じゃダメですか」

 「…私が和泉さんを好きになったのはね。優秀だし、綺麗だし、どこか儚い印象だけど、気取っているわけでも無く、誰にでも優しく接しているから、良い子だなあ、って思ったのがきっかけだよ。それで、キスされて、本気になっちゃったんだ」

 「……」

 「でも、和泉さんからはまったく、そういうのが見えてこない。なんで私の事好きなの? 私が私だからって、それは理由じゃないよね」


 私は言ってから、あの子を頭に留めながら言う。


 「…ねえ、あなたの好きは、何を指してるの?」

 

 「わたしは…」和泉さんは言いかけてから、「なんで気付かないかなあ」

 「え?」

 「先生に、助けてもらったんですよ。何度も」

 「助ける?」

 「多分覚えていないのでしょうね。それはまあ、態度からわかりますけれど」


 和泉さんを助ける。この私が、誰かを助ける。そんなことをした覚えは、まったく無かった。


 和泉さんと会ったのは四月ごろだから、それから、まだ数カ月しかたっていない。そんな期間のことを忘れるはずないし、なにより、和泉さんのことを入学式の時からなんとなく気になっていたから、何か劇的なことがあったなら忘れない。


 「ちょっと、期待していたのですけれどね」


 泣きそうな表情で、和泉さんは言う。私を責めるのではなく、ただ、悲しいという感情だけが、表にでる。


 そんなに私に気付いてほしかったのか。


 そう思うと、どうしても愛おしい。駄目だと分かっていても、つい、和泉さんが欲しくなる。


 『あんたのせいで…!』


 私のせいで、傷付いた女の子。その影が差す。


 それでも、それを振り切ってでも。


 「ねえ…和泉さん」私は問いかける。「ねえ、もし、私の暗い部分を知っても、あなたは離れて行かない?」

 「暗い部分…」和泉さんはぽつり、確認するように呟いた。「それって、先生が、悩んでる事」

 「あなたがね、私にアプローチをかけるたびに、いっつも感じてた、後ろ暗い部分。あなたにはまったく関係ないけど、ねえ、聞いてくれるかしら」

 「…聞かせてください」


 和泉さんは言ってから、少し離れ、私と視線を合わせた。その表情は嬉しそうに、私の事を見つめている。


 「さっきも言いましたけれど、私は、先生と一緒に、幸せになりたいんですよ」

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