第21話 あなたの知らない私の事を-2

 駅で、理絵の姿を待つ。時刻は午後四時だった。けだるいなあ、と思うが、これから理絵と会うと思うと、それも少し和らいだ。この時間である、人はたくさんいた。うちの生徒も下校時刻なので大勢いる。しかし、その中から理絵を見つけるのはきっと容易い。


 何も考えず、ただ雑踏を見る。ぼーっとする時間もあまりなかったな、と思う。

 ぶー、とスマートフォンが震える。最近はよくバイブを使用しているな、と考えながら、それをみると、まさかの実家からだった。

 わちゃわちゃしながらそれを受ける。


 「は、はいはい?」

 『あ、かなでー? 今大丈夫?』


 声の主は母親だった。


 「大丈夫だけど。どうしたの、急に?」

 『お父さんが入院した』

 え、という声すら出ない。が、直後に、『腱鞘炎の手術で』

 「…一大事だけども! 死ぬかと思ってびっくりしたわ! やめてよね!」

 『ごめんごめん』母親はからから笑ってから、『ひさしぶりにあんたのことを思い出して、元気してるかなあ、って』

 「娘だってことは憶えてる?」

 『なんとか』

 「……」

 『そんでね、なんで思いだしたかっていうとさ』

 そのあと母親は、えっと、と唸ってから、『昔さー、あんたが仲良かったさー何て言ったっけ』

 「…こう見えても、仲良かった子は結構いたんですよ」

 『一番仲良かった子よ』


 そう言われて、私は彼女のことを思い出す。

 私が傷つけ、傷付いた、彼女のことだ。


 「…雪葉のこと?」


 『そー。ゆきちゃん』母親は声を高くする。『途中で転校したんだっけ。来なくなったんだっけ』

 「その子が? どうしたの?」

 『いや、この前、あんたを訪ねてきてさ』

 「…っ!」


 その言葉を聞いて、戦慄する。胃が下に押さえつけられ、浮遊感を覚えた。

 私が傷つけた女の子。一方的に傷つけた女の子。一番仲が良かったのに、最もひどい仕打ちをしてしまった女の子。


 そんな子が、いったい私になんの用があったのか。少し考えるだけだと、まずは復讐の文字が浮かぶ。

 復讐。人生をめちゃくちゃにされたことへの、復讐。


 何をされるのだろう、と自分勝手な恐怖が襲う。もう昔のことじゃない、と思う。


 『まーだからさ、いっちょー言っとこうかなあ、って』母親の楽観的な声は続ける。『近いうちに帰って来なさいよー』


 その言葉で締めくくり、通話が途切れる。ツーツー、という正弦波がやけに心地よかった。


 「…殺される」


 のかもしれない。そう思った。いや、よく考えれば、十年以上も経っているのだ、もはや許してもらっているという可能性も充分にある。


 しかし、私のしたことを考えると、何年たっても許されることなのか、と思う。対して、自分の中には、私は悪く無い、と思う心もあった。

 せめぎ合う。殺されたくない自分と、受け入れなければいけないという自分が、せめぎ合う。


 心がすれる。


 「…かなでさーん。ごめん、遅れたー」

 「理絵…」


 背の高い、紫色の髪をした女の子。どこか尖った印象の彼女だったが、しかし、私はどうしようもない安堵があった。 


 あの頃の私とは違う。この子の中に居る私は、二十七歳の私だ。だから、あの子とは関係ない。私の中にしか、あの子は存在しない。


 「…体調悪そうだね?」理絵が心配そうにこちらを見た。「大丈夫?」

 「…だいじょばないかもね」


 血の気が引いた。だから、貧血気味なのかもしれない。視界に靄がかかっている。さらに言うなら、立っているのも辛い。

 ちょっと、胸貸して。そう言うこともできずに、私は体面の理絵に寄りかかった。


 「ごめん」

 「いいよ。どっか座る?」

 「しばらく、このまま」


 目をつむったまま、理絵に甘えるようにしてそういう。慰めて、と言わんばかりでいやだなあ、と自分でも思うが、体調の悪いときはみんなそうだろう、と割り切った。


 「いいよ」そういうと、私の頭を撫でる。「いたいのいたいのとんでけー」


 別にいたくないのになあ、と思う。いや、もしかすると心が痛い、という比喩からくるものかもしれない。


 「ありがとうね、理絵」

 「よしよし」


 理絵は言いながら、私の頭を撫でる。年上なんだけど、とも言えず、ただ、心地よかった。


 昔を思い出す。


 楽しかった思い出がよみがえる。


 彼女との思い出は確かに最低な結末を迎えたけれど、楽しかったことは確かにあって。


 それをうやむやにしてしまったことが、一番いけないのかもしれない、と思った。


 それから数十分が経過して、意識も大分はっきりする。理絵に抱き付いている現状を顧みて、急激に羞恥が襲ってきた。


 「…も、もう大丈夫」

 「そう?」


 そう言って離れると、理絵は何とも無さそうに首を傾げた。


 「…なんかあったの?」

 「いや…えっと」


 理絵には知らないでいてほしいな、と思った。しかし、情けない姿を見せてしまったからには、ある程度は説明しないとな、とも思う。


 「えっと…嫌なこと…じゃなくて、なんていうんだろ」

 「?」

 「ちょっと、昔のことを思い出して」

 「…嫌な思い出?」


 そう訊かれて、違うと言いたかった。けれど私は、何も言えずに口をつぐむ。俯いてしまう。

 終いには、泣きそうになってしまった。


 「…無理して言わなくてもいいよ。ごめんね、奏さん」理絵は優しく言ってから、「じゃあ、どこいこうか? カフェとか?」

 「ああうん…えっと。クーポン持ってる」

 「お。ナイス。じゃあそこで!」


 言ったきり、理絵はそれ以上何も聞かなかった。

 年下の子に気を遣われてしまったが、不思議と悪い気がしないのは、相手が理絵だからだろう。何故だか理絵には、安心する。


 だからこうして、付かず離れずの距離でいることが、少し心細かった。


 「ね。手を繋ぎましょう?」 

 「ど…どうしたの、急に」

 「いえ。人混みだから、はぐれたら困るなって思って」


 言うが早いか、私は理絵の手を取って、そのまま同じ歩幅で歩いた。


 「い、いいけどさ…なんかなあ」

 「どうしたの?」

 「いや、なんだか変な感じがする」


 理絵は言いながら、顔を赤くしていた。それがなんか愛おしく、もう少し距離を詰めた。

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