第20話 あなたの知らない私の事を-1

 ぶぶ、という振動で、目が醒めた。設定しておいた時間より、やや早い時間だった。不思議と眠気はなかった。

 スマートフォンの画面をみると、メッセージが二件着ていた。それぞれ別の子からだった。


 『おはようございます、せんせい!』

 『おはよう、奏さん』


 前者は和泉さんから、後者は理絵からだった。ラインのやりとりができるようになってからは、二人から毎日この挨拶メッセージが来るようになっていた。可愛いものだな、と思った。素直に嬉しいし。


 『おはよう、理絵』

 「……」


 しかし、私は和泉さんには返信できないでいた。


 だめかな、と思った。それは、教師だからということもあるが、私は、これ以上和泉さんに本気になってはいけないのだ。


 彼女のことが好きだということは、もう認めるしかない事実にしても。


 私は彼女を不幸にできない。だから、私は彼女と一緒にいられない。


 私が好きなった人は、不幸になってしまう。


 和泉さんを巻き込みたくない。不幸にしたくない。


 不幸になったあの子に、示しがつかない。


 「…あーあ」


 和泉さんも、好きになったのが私なんかじゃなくて、もっと他の、例えば真智みたいな子だったらもっと幸せだったかもしれないのに、何故私なんだろう。


 私なんか、和泉さんに数学を教えていただけで特に何もしていないのだけれど。それだって、和泉さんは割と教えられなくてもできるから深く教えてもいない。


 「…あまり喋ってないよなあ」


 疑問符は募るばかりだった。


****

 

 「せんせい。おはようございます」

 「……」


 和泉さんは当たり前のように教師用の玄関で私を迎えた。まあ、生徒が立ち入ってはいけないというきまりはないので、不思議はないのだけれど、一体いつからいるのだろう。


 「…おはよう」

 「実は私は二回目です」

 「はあ」


 何言ってんだ、と思ったが、なるほど、ラインで来たあれか。


 「返信してください…」


 眉が八の字になって、目が三角になる。庇護欲がそそられてしまった。


 「ごめんね、朝はちょっと忙しくて」

 「昼も夕方も夜も深夜も未明も明け方も送っているのですけれど…」

 「…寝なさい。そして着信音で私の眠りを妨げないで」

 「ごめんなさい…最近は眠れていますか?」

 「…。…まあ、おかげさまでね」


 掛け値なく、本当に和泉さんのおかげだったりする。いつも夢に見るのは彼女のことだったのが、ここ最近は和泉さんのことばかりだった。


 まあ、それだって大半が悲劇だが。しかし途中で起きるようなことが無いのは、和泉さんといられるというだけで、私は幸せだったりするからだ。


 気持ち悪いよなあ、と自分で思う。


 「どうしたんですか、いきなり暗い顔をして」

 「いや…まあ、ちょっとね」


 私は靴を履き替え、職員室へ向かう。和泉さんが何も言わずに隣に着いた。

 二人並んで歩くと、小気味いい音が響いて、眠気が再度襲ってくる。

 そんな私をたしなめるのは当たり前だが和泉さんだった。


 「えい」

 「…!」


 和泉さんが私の手を握ったのだ。心臓が跳ねて、かっと体が覚醒する。


 「…なに?」

 「寒いですよね」

 「……」まあ、人によってはそうかもしれない。


 私は結局何も返さず、そのままにしておいた。

 和泉さんと手を繋いでいる。その事実だけが、私を赤面させて、体を熱くした。


 「すぐ振りほどかれるかと思った」


 和泉さんは意外そうに呟いて、上機嫌に笑った。

 私だってそうしたいところだけど、けど。心のなかで言い訳する。


 『あんたのせいで…!』


 そんな想いを抱いたところで、あの子が責め立てる。

 う、と視界が揺れる思いがした。こんなふうに受け入れていることが、とてつもない罪であるかのように感じた。


 今すぐ手を離さないと、あの子に怒られる。和泉さんがあの子になる。

 でも、と頭が勝手に嫌がる。

 このまま、できる限り手を繋いでいたい。さらに言うなら、和泉さんを拒絶したくない。


 「…っ」


 なんでよ、と思う。

 少し前まで、和泉さんにきつい言葉をかけることに躊躇も無かったはずだ。いや、少しも抵抗が無かったかと言えばそうではないが、言えない、ということまではなかった。


 どうしよう。


 夢に頻繁に登場するようになってから、私が和泉さんのことを好きと自覚するようになってから、私は和泉さんを否定できなくなっているみたいだった。


 「…せんせ? 体調悪い?」

 「え…」


 和泉さんは心配そうに言う。


 「顔色が、すっごいわるい」


 和泉さんはそう言うと、廊下に設置されている姿見を指さした。

 確かに、白粉でも塗ったかのようになっていた。血の気が引いている。


 「……」

 「…私のせい?」

 「…えっと」


 私は何も言えないでいた。否定もできないし、肯定もできない。何を言っても和泉さんに負担をかける気がした。


 「…言って、先生」

 「……」


 立ち止まって、私の目を見てそういう。

 なんて言ったらいいのだろう。正直に言ったらいいのか。

 いや、そんなわけない。私の後ろ暗い点を聞いて、和泉さんは何を返せばいいのだ。困るに決まっている。


 そこで、ぶぶ、とスマートフォンが震えた。助かった、と少し思う。


 「ちょっとごめん」和泉さんの手を離して、両手でスマートフォンを操作する。


 理絵からだった。『きょう練習なくなった! 奏さん、もしよければ、仕事終わりに会わない?』とある。


 「…誰ですかこれ」

 「人のスマホ勝手に見ないで頂戴」


 言って、私は早足で廊下を進む。


 「誰ですか?」

 「…この前知り合った女の子よ。男じゃないから安心しなさい」

 「安心して良いんだ?」

 「…失言」


 職員室の入口の前を通り過ぎそうになって、少し行ったところで止まる。


 「それじゃ、また授業でね」

 「…はい。またです」


 大人しく下がってくれたことにほっとしつつ、寂しい気分になった。

 何人かの教員に挨拶しながら自分の席に座ると、理絵に返信する。


 『いいよ。四時には終わるけど、駅で待ち合わせしようか』


 打ちながら、思う。

 私の暗い部分を、仮に和泉さんにぶちまけたとして、もしかしたら和泉さんはそれを受け入れてくれるんじゃないだろうか。


 私の暗い部分を受け入れて、それでも好きだと、言ってくれるんだろうか。


 好きだと言われて、私はどうする?


 正直言って、今の私にそれを拒絶できるわけがない。

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