第19話 嫌いな今の運命論-3

 学校でも、なんとなく頭の隅には樹希ちゃんのことがある。今日は何時に帰ってくるのかな、とか、いつまでいるのかな、とか。色々なことを頭をめぐって、あまり集中ができない感じだった。

 それもこれも、あんな事を言われたからだ。


 『…まあ、あやちゃんなら良いけどね』


 うう、と思う。


 「どういう意味よお…」


 そんなことを一日中考えていると、いつの間にか放課後で、こんな日に限って部活が休みだった。雨が降っていたから、グラウンドが使えなかったのだ。

 走れない。叫べない。


 「もー…!」

 「どうしたー、なんかご機嫌斜めじゃん」憂色の貴公子こと、高崎雫が言う。

 「しずくー…からおけー」

 「カラオケ? いきたいの?」

 「いきたーい…」

 「どうしたの、IQが恐慌起こしてるけど」

 「起こしてねえわあ…あ、あ、あいすくりーむ」

 「食べたいの?」

 「んーん」

 「重症だね」雫は笑ってから、「よし、じゃ行こう。部活無い日は、やっぱり暇だしね」

 「しずくでもそーなのかー」

 「そーだよー。告白されんのもめんどくさいし、すぐ帰るんだけど、家にいてもねえ」

 「告白されるのもめんどくさいし」

 「…何?」

 「いやいや。じゃあ雫、私のストレス発散に、悪いけど付き合ってもらえる?」

 「ああうん。大歓迎だよ」


 雫のこういうところ、本当に好きだ。事情を深く訊かずに、ただこちらに合わせてくれる。参ってしまっているときは、それが一番ありがたい。


 まあ、それゆえ彼女の困っていることは見つけづらいということがあるけれど。雫は明らかに落ち込んでいたけれど、結局何が原因か、周りの人間には解らないまま立ち直ってしまったからな。

 立ち直ってしまったという表現もあれだけれど。


 「…ありがと」

 「全然いいよ」雫は言うと、にこりと笑った。


 ****


 カラオケボックスは、駅から数十分行ったところにあり、私たちの学校は駅から三十分歩いたところにある。だから、学校と駅の中間くらいにある。学校帰りに寄るには打ってつけの立地だった。幸い、うちの学校には寄り道禁止の校則はない。


 そういうわけで、いつもこの時間帯は混んでいるのだけれど、そこは、陸上部の脚力をなめないでほしい。


 「ごめんねえ、今満室で。三十分くらい待ってくれたら空くんだけれど」


 陸上部は私たちだけでは無いことを失念していた。


 「そうですか…」

 どうする、と雫を見遣る。「私は待っても大丈夫だよ」

 「そう? じゃあ、ちょっと待たせていただきます」

 「了解しました」


 待合室、というか、エントランスにあるソファに腰かけて、待つことにした。家に帰っても大したことをするわけではないし、雫も時間が空いているなら、別に急いでいるわけでは無い、待っても問題なかった。


 「いやあ、運が悪かったねえ」雫がそう笑う。「まあ、当然っちゃ当然かね」

 「そーねー…敗因は、私たちが自分たちの脚力をうぬぼれていたところかしらね」

 「頑張んなきゃね」

 「頑張んなきゃねえ」


 こんなところに来てまで陸上の話題を持ち出すとは、私たちは一体どれだけ走るのが好きなのだろうか、と自分で思う。普段は絶対しないのだけれど、やっぱり自分の得意分野で負けたとなると、少し後ろめたい気分になるのだろうか。


 「…そういえば、雫」

 「ん?」

 「このまえ、ってか昨日、辛くなったらいつでも泊りにきて良いって言ってくれたじゃん?」

 「ああうん。そうね」

 「…本当に泊まることって、可能?」

 「可能だけど…ギブアップ早いな。いや良いんだけどね」

 「思ったより大丈夫だったんだけど…新たな問題が浮上して」

 「ん…なに?」

 「…有害図書をがっつり見られた」

 「最悪やんけ」

 「ね! 最悪だよね! …そして親にも見られた」

 「家出するしかない」

 「分かってくれる?」

 「正直わかんないけど」雫は何故か突き放す。「えっと…まあ、うちはいつでも大歓迎だよ」

 「…ほんと? そんな適当なこと言って、ほんとに泊まっちゃうから」

 「良いよ。今日からでも良いくらい」

 「…家の人は?」

 「大丈夫。ほぼ帰ってこないから」

 「なるほどね」


 素直に羨ましかった。親に干渉されずに、自分の時間を自由に使ってみたいと、いつも思っている。まあ、一般的な両親だとは思う。大して干渉していないのかもしれないけれど、一人の時間はまったく無い。


 だからちょっと、雫が羨ましい。


 よし。


 雫の一人の時間をぶち壊してみようかしら。


 「ねえ、今ちょっと物騒なこと考えなかった?」

 「考えてないよ。ただ、雫の自由時間をぶっ壊してやろうと思っただけ」

 「ぶっ壊すて」

 「今日から! お世話になるからね!」

 「…マジか。家全然片付けてない」雫は困ったように笑った。

 「ほら! 適当なこというからいけないんだからね! こっちは真剣なのに!」

 「そうか…そうだね…じゃあこっちも真剣に行こうか」雫はふ、と謎の気合を入れた。「よし。片付いてない家で良ければ、今晩から泊めてあげよう」

 「…え、マジ?」

 「真剣じゃなかったのかよ」

 「いや、実際許可がでるとさ…」

 「引いてんじゃねえ」

 「…でもありがと。…甘えて良い?」

 「ぜひぜひ」

 「じゃ、じゃあ。よろしくお願いします」

 「うん」雫は頷いてから、「あでも、綾乃のご両親には許可取ってね」

 「あ、はい…この保守派め」

 「一人娘を預かる責任的なね」

 「…雫ってたまに、言うことおっさんっぽいよね」

 「おっさんって…失礼な」


 そこで、一室から団体の客が出てくる。お、空いた、と私たちは小さく歓喜する。結局三十分も待っていなかった。それに、話しているとあっという間だ。

 出てきたのは大学生くらいの団体だった。女の子の仲良しグループといったところか。


 「…ん?」


 その中の一人が、樹希ちゃんに激似だった。


 「…あ、あやちゃん! 偶然だね!」


 というか、本人だった。そりゃ、こんなに似てる人がいたらびっくりだよ。本人以外ありえないよ。


 「樹希ちゃん…」

 「ぐーぜんだねーこんなところで会うなんて。…そちらは、高校のお友達?」

 「ああうん」

 「高崎雫って言います、こんにちは」

 「こんにちはー。私はいとこの襲樹希です。よろしくね」樹希ちゃんはそうやって、少し会釈した。

 「襲さん、その子、だれ?」


 樹希ちゃんと一緒に来ていたグループのうちの一人が首を傾げる。

 綺麗な人だった。髪が長くて、少し茶色がかっている。服も大して華美でもなく、化粧もあまりしていない。


 しかし、どことなく嫌な感じがした。初対面の人に失礼ではあるけれど、厭らしい雰囲気があって、警戒してしまう。


 「…いとこの、篠宮綾乃です。樹希ちゃんがお世話になってます」

 「私は、仁科っていいます。よろしくね、綾乃ちゃん」

 「よろしくお願いします」


 もともと人見知りではあるから、初対面の人に警戒するというのは、私の対人におけるデフォルトである。だから、樹希ちゃんや雫は慣れたものだった。


 「…あそうだ、樹希ちゃん」


 仁科さんから視線を外して、樹希ちゃんに言う。


 「ん?」

 「今日、この子の家に泊まるから」雫の方を指さした。

 「ほお…そっか。美幸さんにはいった?」


 美幸とは私のお母さんの名前である。「いや…まだ言ってない。まあ、一回帰るから、そんとき言うよ」


 「そっか分かった…あやちゃんをよろしくね、雫ちゃん」

 「あ、はい」

 「うん」樹希ちゃんは満足そうにうなずいてから言う。「じゃ、私たちはもう行くから。じゃあね、二人とも」


 樹希ちゃんたちは会計を済ませて、カラオケ店を後にする。

 受付のお姉さんが、しばらくお待ちください、とそそくさと中に入って行った。


 きらきらとした音楽が流れる中、私はやや怖い思いをしていた。仁科さんのことである。あの嫌な感覚はなんだったのだろう。いや、ただの人見知りならそれでいいが、いつものそれとは違う、別の緊張感があったように思える。


 しばらくして、私は雫に言う。「…ねえ、さっきの仁科さん、どう思う?」


 「どう思うって…綾乃の従姉妹さんの、友達だと思っているけれど。印象としては、人当たりが良くて良い人って感じかな」

 「そっか…」

 「どうしたの? 体調悪い?」

 「いや…そうじゃ無いんだけど。まあ、ちょっと緊張しただけかな」

 「人見知りは厄介だよねえ。私も治すまで結構かかったもん」

 「治せたんか。すげえな」

 「運だね」


 控えめに雫が笑ったところで、店員に準備ができたと呼ばれた。

 まあ、と思う。

 嫌な感じなんて、誰に対してもある程度は感じるものではある気がする。気にするほどのものでは無いかもしれない。


 「……」


 いざとなったら、私が樹希ちゃんを守ればいいだけの話だ。

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