第18話 嫌いな今の運命論-2

 「くんなやー!」私は走りながらそう叫ぶ。

 「え、なに、どうしたん?」隣を走る同級生の高崎雫が訊いた。


 翌日、部活の時、ウォーミングアップのジョギング中だった。陸上部に所属している私は、走っているとき、こんなふうに不満を叫ぶことが多い。何と言うか、走ってストレスを発散し、それに加えて叫ぶことで、効率の良いリフレッシュができるのだ。

 気分的に。

 

 「今日さー…従姉妹の子が来るんだけどさー…」

 「ほお…折り合い悪いの?」

 「悪くはないんだけど、苦手ではあるんだよねー…」

 「へえ…そういうもんかね。私は一人っ子だからちょっと解らん」

 「一人っ子でも従姉妹くらいいるっしょ」

 「いやー実は両親も一人っ子でさー、一人っ子のサラブレッドなんだよねー私」

 「一人っ子のサラブレッド…やべえ格好いい」

 「どうもっす」

 「流石、憂色の貴公子」

 「ちょ、やめてもらえますか、恥ずかしいあだ名で呼ぶの」

 「あんたが格好いいのが悪い」

 「格好いいのが悪い…なるほど、罪な女ってわけか」

 「何言ってんのあんた」

 「…すみません」


 この前まで大事な人がいなくなったとかって理由で落ち込んでいた彼女だが、軽口が言えるまで回復してくれてよかった。

 亡くなったのかなあ、やっぱり。大事な人が亡くなるのは辛い。


 「まあまあ、でも、年に何回かしか会わないんでしょ、その従姉妹ってのは」

 「いや、そうなんだけどね。そうだったんだけどね。…これからずっと、うちに居るって」

 「…どういう事情か分からないけれど、お気の毒に」

 「部屋片づけなきゃー」

 「へえ、いつもきれいにしてるってイメージだったけど、そうでもないん?」

 「いやまあ、ある程度はちゃんとしてんだけど…有害図書が」

 「ああはい、成る程」

 「うん…」私は一つうなずいてから、「え、てか、憂色の貴公子も有害図書持ってるわけ?」

 「いや…もしかしたら、綾乃の持ってるやつとは違う系統かもしんないけど」

 「へえ、マニアックな」

 「普及はしているけれどね」


 なるほど、大衆寄りの。


 「って何の話だ」雫は恥じ入るように言った。それから、「まあ、辛くなったら良いなよ。うちなら、いくらでも泊めてあげるから」と、寂しそうに言った。

 「ありがと…でも遠慮しとく…雫のファンに殺されたら困る」

 「そんな前例があるみたいに…」


 雫は、はは、と笑う。


 まあでも、と思う。そこまで嫌いなわけじゃない。むしろ好きなくらいだが、苦手というだけなのだ。だからきっと、嫌になることは無いのだと思うけれど。


 だた、来ないでほしい…。


****


 帰り道、真っ暗い道を一人で歩く。帰りは大体、いつもこんな具合の景色である。瞳孔が広がって、なんとなく、目が楽な気がする。歩いていると時々見えるコンビニの明かりがやや痛いが、それ以外で言うなら、やはり夜は快適だ。自分と周りの境目があいまいで、溶けてしまいそうだった。そのまま溶けて行ってしまって良いと思える。いや、やっぱりさすがにそれは嫌だった。

 見慣れた土地をぼーっと歩いて行く。家が近づいているな、と思った。


 「……」


 どこからか、笑い声が聞こえてくる。あたりの静けさにはややミスマッチとも思えるそれが、なかなかどうして、心地いい。

 わおーんとどっかの犬が吠えた。うちにも猫みたいな何かがいるけれど、太り過ぎて猫なのか毛玉なのか、判然としないときがある。たまに鳴くので、生き物ではあるらしいが、「にゃー」ではなく「げあー」みたいな声だ。げあー、と鳴く猫なんてやだ。


 「おっと」いつの間にか自宅を数メートルほど通り過ぎていた。参った参ったと自分の惚けぶりに呆れつつ、来た道を少し戻った。


 がちゃりと開錠し、扉を開いた。


 「ただいま」

 「お、あやちゃん、お帰り」

 「…樹希ちゃん、ただいま」


 今から脱衣所へタオルを運ぶところだったようで、すぐに樹希ちゃんと顔を合わせる。前来たときは、高校三年生になったばかりで、だから一年くらいしか経っていないのだけれど、なんだか少し大人びたように感じる。


 「いつもこの時間なんだ?」樹希ちゃんは笑って言う。笑顔はあまり変わっていなかった。

 「ああうん、そうなの…」私は曖昧に頷いてから、「今日からよろしく」

 「うん。よろしく」


 おとと、とと言いながら、彼女はその方向へ消えて行く。私もそっちなんだけどなーと思いつつ、とりあえず自分の部屋にバッグを置いてくることにした。

 とんとん、と階段を登る。これから、あの部屋は私だけのものじゃないのだと思うと少し気が重い。しばらく、自由時間が無くなっちゃうな。やだなあ。

 がちゃ。扉を開く。


 「……」


 すでに樹希ちゃんの布団が敷いてあった。


 私の机には、件の書籍が敷いてあった。


 「…え?」


 戦慄の一瞬。私は状況が呑み込めなかった。した後に、ぶわ、と冷汗が身体中を支配する。心臓が締め上げられ、気道が狭まっていく。

 はあはあはあはあ。

 誰だ。次に考えたのはそれだった。誰がこんなつるし上げのようなことをしたのだ。

 これを見る限りにおいて、おそらくは布団を敷いたものが犯人だ。誰だ。母親、樹希ちゃん、この二択だろう。父親はたぶん家事はしないから、二者択一だ。

 ただ、犯人が絞れたところで両者に直接聞くわけにはいかない。まず恥ずかしすぎる。その次に、違っていた場合、自分の性癖を知らしめることになってしまう。いや、三次元萌えはないけれど、それはあまりにハイリスクすぎる。


 「…考えろ、考えろ」


 さながら安藤のように考える。腹話術は使えないけれど。


 「…あ、あやちゃん。ごめんね、布団敷いちゃった」


 上がってきた樹希ちゃんは言う。私を探していたのかもしれない。

 布団敷いちゃった。

 犯人は樹希ちゃんだ。

 ぎろ、と睨んでみる。


 「…?」困ったように首を傾げた。それから、私の机に目を移した。「これは…?」


 戸惑った声を出す。その様子から、樹希ちゃんじゃないのかもしれない、気付いた。じゃあ母親か? いや、そう断定するには早すぎる。希望としては、樹希ちゃんが犯人のがベストだ。母親はこれからもっと長い期間一緒にいるけれど、樹希ちゃんは一定期間を乗り切れば、そう頻繁には会わない。


 「『創作姉妹百合』…?」

 「音読しないで…!」


 やべえ、恥ずかしい、死にたい。いなくなっちゃいたい…! 樹希ちゃんでも結構つらいな…もうやだ、もうやだよ…もう生きたくない…。


 「ほうほう」樹希ちゃんは読み始める。このころには、私は顔を覆って声にならない声がおしゃべりになっていた。


 やめて…! 読まないで…! 理解しようとしないで…! こういうやつに限ってすぐ批判するんだ。理解しようとするやつに限って、理解できないものに直面すると途端に顔を歪めて、『理解できない』というんだ。ふざけんな。お前のための作品じゃないんだよ。理解できないなら黙っとけ。

 そんな経験はないけれど!


 「なるほど…こういうやつかあ」

 「…う、ううぇ、うぇえええ」

 「え、ちょ、どうしたの? 泣かないで?」

 「むりだよお…いつきちゃんにばれたあ…もうだめだあ…おしまいだよお…」

 「え、なんで?」

 「気持ち悪いって、ぜったい思うじゃんかあ…」

 「いやいや、思わない思わない。大丈夫だから。私は、あやちゃんがどういう人でも、気持ち悪いって思ったりしないからね」

 「その上から目線がすでにだめじゃんかあ…」

 「えっと、言葉の綾で…社会にはいろんな人がいるからさ、一概にこういうものだ、って決めちゃうと、みんな生き辛くなっちゃうんだよ…だから私は生き辛いのはやだなあ、って思って、なので」

 「もーだめだあ…もー終わりだあ…」

 「いや、大丈夫、大丈夫だから」


 そこで樹希ちゃんは私をぎゅっと抱いた。懐かしい香りがするが、今はそれどころではない。なにをする、という思いが先行した。


 「大丈夫大丈夫、私はあやちゃんを嫌うことはないからね」

 「うそだあ…ほんとうのことをいえぇ…」

 「いやいや、ほんとほんと」

 「いつきちゃんはいつもそーだ…」

 「いつも?」

 「適当なこと言ってはぐらかすんだからあ…」

 「そんなつもりはないけれど」

 「んもおー…いつきちゃんなんかきらいだあ」

 「それは困った」


 困んないでよ。嫌って言ってよ。そう言うと、多分樹希ちゃんは嫌って言ってくれる。でもそれは私が要求しただけで、結局、本心で言うと樹希ちゃんは困るだけなのだ。

 もっと深いところで話したい。だからって性癖を暴露したかったわけでは無いけれど。


 「…一応注釈しとくけど、私自身は女の子好きとかそういうのはないから」

 「そうなんだ?」

 「そういうもんだよ。だから樹希ちゃんは安心してていいからね」

 「うん」樹希ちゃんは頷く。それから、私の頭を撫でながら言う。「私は、まあ、あやちゃんなら昔から知ってるし、良いけどね」

 「え…」


 良い、ってなに?

 同性愛者でも気にしない、ってこと?

 それとも、付き合ってもいい、ってこと?

 もし、後者なら、それって…。

 えう、とか、あう、とか嗚咽みたいな声を出して、私は反応に困ってしまった。

 「もう平気?」

 年上然とした態度で、そう訊く樹希ちゃんに、私は、まだだめ、と首を振った。





 ところで、犯人は結局母親だった。


 ****


 「おはよー、あやちゃん」


 私より早く起きて、すっかり準備を終えている樹希ちゃんが、起き抜けにそう迎えてくれた。なんでいるねや、と一瞬思ったけれど、すぐに事情を思い出す。

 大学生だから当たり前だけれど、私服に着替えているところが、高校に入ったばかりの私からすると、やっぱり大人っぽいなと思う。


 「はよ、樹希ちゃん。…お早いお目覚めで」

 「そうでも無いよ。さっき起きたばっかり」

 「バッグを肩にかけていう台詞ではないねえ」

 「ははは」

 「もう行くの?」

 「うん。行ってきます」

 「行ってらっしゃい」


 寝起きの朦朧とした意識で、私はそう手を振った。

 一人になって、昨日のことを思い出す。


 「…私なら、良い」


 考えれば考えるほど、どつぼにはまっている気がする。樹希ちゃんとしては、私の面倒くさい態度をかわすために言ったのかもしれない。それが解っていながら、こんなふうに考えてしまう私は、もしかして。


 「…いや、そんなわけないか」


 ただ、思春期だからというだけだろう。自分で言うのも何だけれど。言葉の裏を勘ぐるのがこの年代なのだ。これはまあ、自然なことだろう。


 「……」


 そう分かっていても、気にしないことは出来なかった。

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