第16話 手とか繋ぎたい-3

 時刻は十二時前。ショッピングモールから出た私は、右手にアパレルショップの紙袋を持っていた。


 あの後、店員に和泉さんの身体的特徴を訊かれ、おすすめの服の紹介を三十分くらい聞いた後、秋っぽいワンピースを買ったのだった。私が着る用ではない。和泉さんのための服だ。


 何故買ったし。

 笑うし。

 いや、笑えないわ。


 「…何やってんだ私は」


 入口付近の柱にもたれかかって、項垂れる。唯一救いがあるとしたら、値段が他と比べて良心的だったところだろうか。五千円いかなかった。他の店は大体二万円とかするから、まあ、希望を見出すならそこか。


 これ、いったい何のために買ったんだ。あげるのか、和泉さんに。いや、無いわ。あげる理由もないし、振ったし。誕生日とか知らんし。いや、誕生日だとしても一人の生徒に服のプレゼントって、何考えてんだ。でも間違っても自分では着れないしなあ。いや、色は抑えめなのだけれど、デザインが完全に私には似合わない。長袖嫌いだし。


 「…まあまあ」


 まあ、気落ちすることは無い。飾っておけばいいさ。

 

 教え子にぴったりの服を。

 

 …変態か!

 

 とりあえず、混み合ってくる前にお昼を取ろう。ファストフードで構わない。


 「ジーザス…」

 「ん?」


 柱から、そんな声が聞こえる。もちろん、柱が話すわけがないから、私と同様に、柱の違う面にもたれかかっている人が言ったのだろう。

 その方を見ると、先ほどぶつかった彼女がいた。私の視線に気付いたのか、目があう。


 「あ、おねーさんさっきの」

 「…さっきのチャラい子」

 「チャラいって酷いなあ」


 はは、と彼女は笑った。


 「服かったの?」

 「ええ。というか、洋服屋さんしかなくない?」

 「それな。私CD買いに来たんだけど、あんま良いの置いてなかった」

 「あら、最近はダウンロードで買うんじゃないの?」

 「私、小説は紙派、音楽はCD派、ゲームはソフト派、スケジュール帳を持ち歩いて、通販苦手なアナログ人間だからね」


 彼女は誇らしげに言った。そうは言うけれど、今の時代、その性格じゃあちょっと生き辛そうだなあ、と思う。

 その矢先、彼女の手元にスマートフォンがあるのに気づいて、ああなんだそれは使うのか、と少しがっかりした。


 「私は特に目的もなく来たんだけれどね。こんなもん買っちゃった」

 「こんなもんって…どんなん買ったんだよ」

 「変なもんなじゃないんだけどね。私のじゃないんだよね」

 「? ふうん?」

 深く追求しなかったので、少し助かった。

 「どーすっかな」彼女は呟いてから、しばらく静止する。そろそろ行かないと混んできちゃうなあ、と思ってきたところで、彼女が、「そだ。いいこと考えた」と、にやっと私の目を見る

 「ん? 私に関係ある良いこと?」

 「大いに関係あるねえ。おねーさん、音楽に興味ある?」

 「まあ、人並みにはあるけれど…」


 逆に、今の時代で音楽にまったく興味がなく、一度も音楽に触れたことのない人間なんていないと思う。今の文化の主流といえば音楽だろう。分かりやすいし手ごろだからだろうか、知らないけれど。


 「おねーさん、今暇?」


 少し考えるそぶりを見せてみる。目的もなくこんなところへ来たのだから、暇以外の何物でもない。「ええまあ。全然暇よ」


 「じゃあちょっと、私に付き合ってくれない?」

 「付き合うってどこに?」 

 「スタジオ行こうよ。練習スタジオ」

 「ギターの?」

 「ギターの。というかバンドの」

 「そういうところはバンドで入るもんじゃないの?」

 「そうなんだけどさ」彼女は苦々しく、項垂れるようにして手元のスマートフォンを示した。「たった今、バンメンから振られたところだよ」

 「振られた」今の私はその言葉に敏感である。

 「急にバイトが入って、今日の練習はおじゃんですよ。参った参った。もうスタジオの予約しているのに」

 「ああ…大変だね」

 「暇になっちゃった。ねえ、おねーさん、一緒にスタジオ入ろうよ」


 スタジオか。まあ、カラオケみたいなものだろうか。今日少し喋っただけの人とカラオケみたいな密室に二人だけというのは、少し危険な気がしないでもない。しかしまあ、この子は良い子そうだし、それも結構楽しいかもしれないなあ。


 「その前に、お昼を食べよう」


 私はそう言って頷いた。


*****


 ハンバーガーショップで空腹を満たした後、彼女の案内で件の練習スタジオへ向かう。予約は三十分後だという話なので、もっとゆっくり食べてもよかったけれど、あんまり長い時間かけると眠くなって帰りたくなってしまうので、軽く済ませて置いた。


 彼女はずんずん進み、その歩幅に合わせるのは少し大変だったけれど、いくらか雑談しながら向かう。


 「ここだ!」


 大仰に彼女が示した。


 「へえ」私は少し驚く。「失礼な話だけれど、こういう音楽スタジオって、路地裏にあるものだと思ってたよ。道路に面したこんな大通りにあるなんて」

 「でしょ。私も音楽始める前はそう思ってた。音楽スタジオは路地裏のじめじめしたところにあって、麻薬の密売が行われていると」

 「私はそこまで思っていなかったけれど」

 「裏切ったな…じゃあ、いこっか。安全だから」

 「その一言が余計に不安になる」


 手動の扉を開くと、すぐエントランスだった。結構広い。音楽関連のフリーペーパーがおいてあったり、アーティストのものと思しきサイン色紙が飾ってある。うん。音楽だなあ。


 彼女は顔見知りらしき店員に軽く挨拶をしてから、「人数かわっちゃったんですけど、今から入れます?」

 「お前、またバンメン切ったのか?」

 「違いますよ、失礼な…急にバイトが入ったとかで集まれなくなったんです。それにほら、今日はそこのおねーさんがいるから、一人じゃないんですよ」

 店内を見回していた私は、急に水を向けられて少しうろたえる。「えっと、さっき捕まりました」

 「へえ…ナンパ?」

 「はい」

 「そりゃ災難な」


 店員の男性はからかうように言った。


 「いや、別に災難じゃない。災難じゃないですよね、おねーさん」

 「…ははは」

 「何その愛想笑い!?」

 「まあまあ…それで、今から入れるけれども、どうする?」

 「ああ、入ります入ります」


 彼女は誤魔化すように何度か頷く。

 私はそこで思いつく。


 「ここって、ピアノあります?」


 実はピアノが弾けたことを思い出した。まあ、大分前のことなので腕は鈍っているだろうが、ギターと合わせるくらいのことはできるだろうと思う。


 「ああ…ピアノはないですが、キーボードなら貸し出してますよ」

 「じゃあ、貸してもらっていいですか?」

 「かしこまりい」

 「あ、じゃあついでにマイクとケーブル貸してください」

 「はいはい…先、部屋行っとけ」


 そう言うと、店員の男性は後ろに引っ込んでいった。


 付いて来て、と合図されて、私は彼女の後を歩く。受付の奥にある重そうな扉を開くと、いくつもの部屋があって、彼女は一番手前の部屋に入った。


 結構広いな。やっぱりカラオケとは違うみたいだ。いくつかのスピーカーと、ドラムセットが一台あった。


 その中の一つに彼女は近寄り、何やら準備を始めた。よくわからないので、離れて、店員を待つことにした。


 「…へえ、なんか格好良いね」黙々と機材を弄っている彼女に言う。

 「そう? まんざらでもない」


 えへへ、と彼女は笑う。年相応の幼さが垣間見えて、なんだかほっこりする。


 「おねーさん、ピアノできるの?」

 「ああうん。教員免許取るのに必要だって聞いて頑張ったんだ。けど、高校の先生には必要なくて…ひっさびさに弾くわ」

 「ああ、そうなんだ。取れた?」

 「免許?」

 「うん」

 「無事に取れたよ。これでも、結構生徒に人気あるんだぜ」

 「…ん?」彼女は首を傾げる。「あれ、えっと…ん?」

 「どうした?」

 「いや…あれ、もしかして、学校の先生?」

 「もしかしなくてもそうだけど」

 「…ずっと大学生だと思ってた」

 「それは無理がある気がするけれども…」

 「マジか…えっと、歳、いくつか聞いても良い?」

 「年齢は訊くもんじゃないぜ…二十八だけど」

 「答えるんかい」彼女は軽く突っ込んでから、「え、私今まで年上の人にため口聞いてたの?」

 「いやうん、まあそうなるけど…」

 「ごめんなさい…」

 「いやまあ、別に良いんじゃない…私あんま気にしないし」

 「ええ…学校の先生がそんなこと言って良いわけ?」

 「良いよ。仕事は教師だけど、今日は休みだしね」

 「そっか…そういうものかあ」

 「まあね」私は適当に頷いてから、私だけ言うのは不公平だな、と気付いた。「あなたはおいくつ?」

 「えっ、えーっと…いくつだっけ」

 「どういうこと…」

 「いや、大学二年なんだけど、早生まれだから…えっと…」

 「順当に行けば、十九ってことか。留年していなければ」

 「してないよ、大丈夫だよ」

 「なら良かった」


 そこで、店員の男性がキーボードを運んできてくれた。ありがとうございます、と応じる。とは言ったものの、スピーカーへの接続とかには詳しくないから手は出せず、近くであわあわしていた。


 その間にも、大学生と発覚した彼女はギターとスピーカー、アンプというのか、を繋いで、音出しを始めている。


 「…エレキギターってそんな音だったっけ」


 ちゃらん、という感じの、丸っこい音だった。CDとかでよく聞く音とは少し違う気がする。エレキギターといえば、ぎゃーんて感じの音だと思っていたが、生で聞いたらこんなものなのだろうか。


 「今更だけどおねーさん、ライブとかって見たことある?」

 「ライブ…オーケストラとは違うよね」

 「うん。もっと下品な方」

 「下品て…あ、学生時代に一回行ったかな。軽音部の知り合いがやるっていうんで、行ったんだ…思いだしてきたぞ…そうだ、なんかちっさい会場で暗かったような…いや、照明はうるさかったような」

 「うん、そっちの系統かな。…正直な話、どうだった?」

 「どうだった…? んー、演奏の上手い下手は解らなかったけれども、うーん…そうそう、そんなスピーカーが置いてあったんだ…音が、割れていたことは憶えてるわ」

 「いまからその音が、ここから出ます」


 彼女はギターの繋がれたスピーカーを指さした。


 「え、でも今出てんのはちょっと違う音のような」

 「これで、音を変える」


 言って、足元の機械を踏んだ。


 すると。


 ぎゃーん。


 いや、ぎゅわーんって感じかな。


 「っきゃ」


 その乱暴な音に、年甲斐もなくそんな声が出た。きゃ、とか。最後に言ったの何年前だ。驚いたの自体久しぶりだわ。


 「可愛い声出るね」彼女は冗談めかして言う。「今の録音したいな」

 「私もしたい」

 「なんだそれ」


 彼女は少し笑って、ギターをぎゃんぎゃん吠えさせる。店員の男性がキーボードとマイクのセットを終え、出て行くころにはその音にもなれて、心地良いとすら感じるようになった。


 成る程、確かにこれは、魅せられる人の気持ちもわからなくもない。格好良いとはまた違う、無様でもあるが、確かな芯がある音だった。


 「こんなもんかな」彼女は一つ呟いて、こちらを見た。「じゃ、やりますか」

 「うん」


 私は一つうなずいて、数年ぶりに鍵盤に向かった。


****


 どのくらいの時間入っていたのかわからないけれど、夕焼け空になっていた。空が燃えているかのように錯覚する。雲が、空に浮かぶ火の玉のようで、特撮映画に出てきそうだと思った。


 一昨日、和泉さんに告白された時もこんな時間だった。可愛かったような気がする。


 「…キスしたかったよなあ」

 「ん?」

 「何でもないよ」私は適当に誤魔化してから、「今日は楽しかった」

 「そっか…ならよかった」

 「久しぶりだよ、あんなに歌ったの」

 「私も、ギター弾いててあんなに楽しかったの、久しぶり。ってか、初めてかもしんない」

 「そうなの? バンドやってるんじゃ」

 「そうなんだけど…バンドなんかやってると、メンバーの意思とか尊重しないといけない場面が結構多くてさ」彼女はぽつりと、呟くように語る。「いや、それもバンドの醍醐味なんだけど、自分を殺せるようなら始めっから音楽なんかやってないってか」

 「うん」

 「要するに、やりたいことできないんだ。逆に、やらなきゃいけないことをやらなくちゃいけない。…私はコピーバンドなんかやりたくないんだ。オリジナルの曲を、オリジナルの自分の感情を、歌にしたい。じゃないと、存在証明ができないでしょ?」

 「存在証明?」

 「そう。コピーなんて、誰もやってるじゃん。まず全国流通しているし、自分の意思じゃなくて、作った人の意思だから、そこに自分はいないんだ」

 「…わからなくもない」

 「メンバーは、聞いてるバンドとか、好きなジャンルとか、結構被ってるから、私一人の意見は通らない。私は曲作れるけど、私の曲じゃあやらないって。…ほんとは私、エモロックがやりたいんだよね」

 「エモロック? っていうと」

 「えっと…グリーンデイの『Oh Love』みたいな曲って言って、伝わるかな? 日本だとそんなに浸透してないか」

 「いや、わかるよ」


 グリーンデイは、前の学校の生徒に好きな子がいて、勧められて何曲か聴いたことがあった。激しい曲が多くてあまり好きなジャンルではなかったけれど、一曲だけ、気になった曲があった。それが件の曲である。


 まあ、その勧めてくれた生徒に伝えると、『その曲は遅いうえに長くて好きじゃないんですよね』といういまいちな反応だったけれど。


 「でも、バンドメンバーはみんなハードロックとかメタルとか、おせおせどんどんな曲が好きなんだよね。私はエモロックしか作んないから、認めてくれなくてさ…最近あんま楽しくないんだよね」

 「そっか」

 「まあ、これまでに何回か自分で作ったバンドを壊してきたから、今度こそ大事にしなきゃ、って思ってさ」

 「…そっか」

 「ごめんね。なんか、おねーさんとやってたら楽しくって、ちょっとセンチメンタルになっちゃった」

 「ああ…なるほど」私はうなずいてから、何を言おうかと考える。「…なんで、エモロック、が好きなの?」

 「聞いてくれる?」それまでの暗い顔が一転、にぱ、と笑顔になった。「あのね、明るいだけじゃないんだよ。この音楽はね、前向きになれるんだけれど、それだけじゃなくて、暗い部分も認めてくれるの。暗い部分もあって良くて、でも前を向くための、エネルギーをくれる。だから、好き」

 「それは…なるほど、わかるかもしれない」


 それは確かに、分かる気がした。人の多面性ではないけれど、明るいだけの人も、暗いだけの人もいない。その中で、明るくならなきゃ生きて行けない。だったら、暗い部分もある明るい音楽に共感するのも、分かる気がする。


 「明るさは消しちゃいけないんだけど、暗い部分も無視しちゃいけない、って思う。だから好き」

 「そっか。それ、なんかわかる気がする」

 「そう? なら、嬉しい」えへへ、と彼女は笑う。

 「うん」私はうなずいてから、「…まあ、あなたのバンドメンバーを大事にしたいっていう思いは、もっともだと思うよ。私はバンドのこととかよくわからないけど、一朝一夕でまとまるものじゃあないと思うし。みんなでなにかやるっていうのも、楽しいものだしね。…月並みなことしか言えなくてごめんね」

 彼女は何度か頷いた。「ううん…うん。ありがとう、おねーさん。もうちょっと頑張ってみる」

 「うん。いいと思う。でも、自分でもやってみたらいいって、おねーさんは思うな」


 自分でおねーさんといったことがとてつもなく恥ずかしくなって、思わず顔を覆った。


 「あああ」

 「どーした?」

 「いや、何でもない…」

 「…自分でもやってみるって?」

 「あ、えっと…あなた、良い声だったじゃない?」

 「え」

 「歌もうまかったし、ギターボーカルだと思っていたけれど、ギターだけなんでしょう?」

 「うん、まあ」

 「なんか、もったいない気がするんだよね。あなたの歌、良かったから。もし一人でもできるなら、バンドにこだわらなくても打ち込みとか、バンド活動と並行して、自分でもやってみたら? まあ、私もパソコンに強いわけじゃないから解んないんだけど、なんなら協力するからさ。…我慢するのも良いけど、やりたいことやるのも良いことだと思うよ。折角だし」

 「せっかくだしって?」

 「せっかく、やりたいことがはっきりしていて、それが近くにあるならってこと」

 「なるほど…」

 「うん。まあ、なるようになるよ。ほんと、月並みなことしか言えなくてごめん」

 「んーん、嬉しい。真剣に答えてくれて、ありがとう、おねーさん。生徒に人気があるっていうのも、なんかわかる気がする」

 「はは」


 まあ、好かれ過ぎてこの前キスしてきた子もいたけれど。


 「…ありがと、おねーさん。本当に」

 「いえいえ」


 よくよく考えたら、今日会ったばかりの名前も知らない女の子と何を話しているのだろうか、私は。こんな説教じみたことを言われたくて話してくれたわけでは無いだろうに、申し訳ない気分になった。


 「ねえ、おねーさん」

 「ん?」


 教師として軽い自己嫌悪に陥っていたところに、彼女が言う。


 「連絡先、交換しよ。なんか、今日だけじゃもったいない気がする。セッション楽しかったし、うん、もっといろんなことしようよ」

 「ああうん」頷いてから、知らない人に連絡先を教えるのはやや危険だろうか、と頭をよぎる。


 しかし、そんな考えも彼女の顔をみて、打ち消された。


 夕陽に照らされた横顔が、光を反射するその瞳が、とてもきれいに見えた。


 「…あなた、可愛い顔するんだね」

 「え」

 「無邪気っていうか、素直っていうか」

 「え」

 「いいよ、私も楽しかったし。あなたともまた会いたい」

 「あ、うん、ありがとう」


 彼女は照れたような笑ったような、何とも言えない表情で応じた。

 適当に人のない場所で止まって、お互いのスマートフォンを操作する。


 「ライン?」

 「うん」


 ラインか…しばらく弄っていないな。あんまり筆まめな方ではないから、こちらからは滅多に送らないし、返信も遅い。こういう会話形式のものなら、もう会話すりゃいいじゃん、と思ってしまうのだった。


 久しぶりに開いたからか、アプリケーションが勝手に更新を始めた。終わるまで、彼女に待ってもらって、ようやくラインが起動すると、珍しくメッセージが着ていた。


 誰だよ、と呟きながら見ると。


 『朱音です。ライン始めました。斎藤先生から連絡先を訊いたので気持ち悪くないですよ! よろしくお願いします。』


 和泉さんからの、そんなメッセージだった。


 懲りないなあ、と思わず笑ってしまう。


 「どうしたの?」


 目の前の子がそう訊く。おっと、と口元を抑えた。


 「なんでも無いよ」


 私は言って、起動したことを伝える。

 お互いの連絡先が行き交って、私達はつながる。

 一方的に送ってきた子の後だからか、目の前のこの子が酷く誠実に見えた。人は見かけによらないなあ、と改めて思った。


 「おおつきかなで、の読みであってる?」

 「うん、そのままだけどね」私は言ってから、自分の方の画面を見た。「あなたの方は、星詠理絵ほしよみりえ、でいいのかな?」

 「うん」

 「綺麗な名前だね」

 「私も気に入ってる。特に、星詠ってとこ。なんか、楽譜を読んでるって感じしない?」

 「言われてみれば、確かに。そう思うと格好良いね」

 「…ありがとう、奏さん」

 「あ…」

 「ん?」

 「いや、なんでもない…」


 奏さん、とは、和泉さんに呼ばれた名前だった。反応しすぎだろうか。分からないけれど、それほど私が和泉さんのことを気にしていることがわかる。


 まあ、服まで買ってしまった時点で、そうだよなあ。


 「奏さん、なんか嬉しそうだね」

 「そうみえる?」

 「うん。さっき演奏してた時と同じ顔してる」

 「そっか…確かに、さっきは楽しかった」


 私は何度か頷いた。理絵は、行こうか、といって、私はそれに従う。進んでいくと、やがてT字路に差し掛かって、右を行けば私の自宅だった。


 「私こっち。理絵は?」

 「逆の方だなあ…」

 「じゃあ、ここでね」

 「うん。今日はありがとう。本当…色々ありがとうね、奏さん」

 「私の方こそ、良い休日になったよ。ありがとう。じゃあ、またね」

 「うん、また。また連絡するから」

 「うん。待ってる」


 言って私は、そのまま右へ曲がって、自宅を目指した。


 一人になって、右手に持った紙袋が目に入り、少し思う。


 もし、この場に和泉さんがいたら、この服をプレゼントして、やっぱり付き合いましょう、とか言ってしまうのかもしれない。


 今日一日、遊んでいて分かった。何をしていても和泉さんのことが頭をちらついていた。ショッピングモールにいるときも、スタジオにいるときも、和泉さんを想っていた。


 どうしても、私は和泉さんが気になってしまうなあ。


 「…でも、でもね」


 私は自宅のドアの前まで来て、言い訳がましく呟いた。


 「私が好きになったら不幸になっちゃうから」


 私が不幸にしてしまった子に、申し訳ないから。


 「あなたに、好きだって伝えるわけにはいかないんだよね、やっぱり」

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