第11話 雨音の終わり-2

 ぱぱんぱぱん、と二人分の拍手がさびれた神社に響く。神社、というか空き地みたいなものだけれど霊験あらたかなお社が置いてあるから、多分神社だ。

 才川さんと来るのは初めてだった。来るの自体は二回目だ。


 才川さんと幸せに過ごせますように。


 なんて、才川さんからしたらちょっと重いだろうか。私は彼女にとってしてみれば数時間前に恋人同士になったに過ぎない、ただの他人すれすれの人間だ。そんな関係性のやつに幸せなんて願われても、という感じだろう。


 ちらりと、隣を盗み見る。目を瞑って、真剣に何かを祈る才川さんが目に入った。


 綺麗な人だと思う。見かけもそうだけれど、内面も可愛くて、そんな人を守りたいと思うのは当然のような気もした。

 何でも良いから彼女を不幸にしないでください。

 できるなら、私も傍にいさせてください。

 そう願った。


 「…ふい」


 才川さんは一つため息を吐いて、合掌を解いた。それから、私を見る。

 

 「こんなとこあったなんて、知らなかったよ。でも、言っちゃあなんだけど、ここに神様がいるのかどうかちょっと微妙じゃない?」

 「そうかな。この寂れ具合がなんかこう、威厳ない?」 

 「そういうもんかね…」

 

 才川さんは首を傾げながら言って、あたりを見回すと、ぎゅっと目を瞑った。

 なになに、と困惑する。

 

 「早く出よ。暗い…」

 「…ねえ、才川さん、もしかして怖いの?」

 「…は!? そんなわけないし!? やめてよね」

 「そっか…怖いんだね…。ごめんごめん。大丈夫だよー、私が付いてるから」

 

 私は才川さんの頭を撫でて、あやすようにした。才川さんは目を瞑ったままで顔を赤くする。


 あらー…これは、これは不味いぞー…キスしたい。自分でやめとこうって言った手前、今するわけにはいかないのだけれど…。

 

 「ちょっ…うん、あ、ありがとう」

 「うんうん。手も繋ごう?」

 「う、うん…」


 大人しく私の手を握り返した才川さんを見て、最初に会った時のことを思い出す。


 いや、詳しく言うなら、最初に接点を持ったとき、と言った感じだが、その時の威圧的な雰囲気と比べて、大分柔らかくなったと思う。まあ、私が恋人になったから態度が変わるのも必然な気もするが、人が違うようにすら見える。


 いや、言いすぎた。普通に才川さんに見える。


 けれどなんだか、私専用の才川さん、というか、私だけの才川さんになったような気がする。私への対応が、私用のもの、というか。

 人には見せない一面を私にだけ見せてくれる気がしていた。


 それでも私は、才川さんの三分の一も、まだ知らないままなのだろう。


 彼女のことを全部知りたい。彼女に関する事実を、余すことなく、全部。


 「…なにお願いしたの?」


 神社を出てしばらくすると、街灯の多い道に出て、才川さんが目を開いたところでそう訊いた。街灯の明るさに目を細めている。


 「んー…」思いだしている、わけはないから、言おうか言うまいか悩んでいるような感じだろうか。「…たぶん智咲と同じことだと思うよ?」


 悪戯っぽく言う才川さんに、どきりとする。こんなやんちゃな表情もするんだと嬉しくなった。同時に、言葉の意味を考える。私と同じ願い。私と同じ。


 私に幸せになって、っこと? できるなら私と一緒に幸せになりたいってこと?


 逸る気持ちは手を握る強さに反映される。


 「…いたたたた」

 「ご、ごめんごめん」


 慌てて手を離した。


 「なんか変なこと考えたでしょ」

 「かん、考えてないよ」

 「…変態」

 「違うって」私はただ、あなたと幸せになれれば、それって最高じゃない? と思っただけ。「いや、この状況がね、なんか奇跡みたいだな、とふと思っただけ」

 「ああ…それは確かに、私も思ってるけど」

 「あと、才川さんの表情が何かエロいな、と思っただけ」

 「変なこと考えてんじゃねーか」

 「それで、才川さんの願い事…私と同じなの?」 

 「多分ね」才川さんは言ってから、前を向いて言う。「…当たるといいな、三億円」

 「…ん?」

 「今度買ったサマージャンボがさ。当たんないかなーって。まあ、十枚しか買ってないからどうかな。神の力のお手並み拝見と言ったところかな」

 「…他人に喋ったら、願い事って叶わないらしいよ?」

 「そうだった…」


 才川さんは肩を落として言う。いやいや。私と同じって言うから、私と同じって言うから。

 軽くショックなんだけれど。恋人の絆がどうとか思っていた自分が馬鹿みたいじゃないか。私が才川さんとの幸せを願ったのに、当の本人は宝くじの当選を願っていたとは…。


 いやまあ、彼女らしいと言えば彼女らしい。良くも悪くもマイペースな人だから、思考が読めないところはある。

 そこも好きだから、それでもいいのだ。


 「智咲は、何をお願いしたわけ?」


 才川さんはにやっと訊いた。


 「私は願いを叶えたいから、絶対言わない。絶対言わないから!」


 いいもん。私一人が願っていれば、うん、きっと才川さんは幸せになってくれる。ついでに私も一緒に、きっとなる。

 というわけで何を言われても絶対言わない。


 「ふうん…ありがと」

 「なにがっ?」

 「…なんでもないよ」


 才川さんには解ってしまっているのだろうか。私が何を願っているか、私が何を望んでいるか。私は才川さんの願い事が全然わかんなかったのに、私の願いは筒抜けなのか。


 自分のことを理解されているように感じて、私は嬉しくなる。同時に、気持ちが全部知られているような気がして恥ずかしくなって、最後には不公平感に少し腹を立てた。


 「んもう!」

 「はは…可愛いな。食っちまうか」

 「…何言ってんの才川さん…食われたくないよ」

 「そっか…まあ、まだね。まだまだ」

 「いや…何にせよ、優しくして欲しい」

 「…お、おう」


 そんな風に話していると、私と才川さんの帰路の分かれ道に差し掛かった。ああ、ここで今日はお別れか。そう思うとなんだか寂しくなって、私は申し出る。


 「家まで送ってくよ」

 「いや、悪いよ」

 「いや、もう暗いし、不安でしょ?」

 「いやいや、大丈夫だよ。智咲こそ、もう帰らないと親御さんが心配するって」

 「…送らせてください」

 「え、泣くほど…?」

 「…お、おく、送らせ、てください」

 「わかった、分かったから、泣かないで」

 「う…うん」


 しばらくの間ぐすぐすとやってから、私は嘘泣きをやめる。


 「……」


 才川さんは今日、私が好きだと言ってくれた。私はずっと才川さんのことが好きで、だから、怖いのだ。この恋人関係が今日だけのものなんじゃないかと、明日になったら何事も無かったかのようにまた普通のクラスメイトに戻って、私はまた才川さんとただの友達になっちゃうんじゃないかと、そう思ってしまう。


 そんなわけはないと思っていても、漠然とした想像は消えず、不安は絶えなかった。才川さんと離れたくない。ずっと一緒にいたい。できれば恋人のままで、ずっと一緒に。


 だからこんなふうに引き留めてしまったわけだけれど、本当を言うならこのまま才川さんの家に泊まりたいくらいだった。


 でもまあ、今日の今日でさすがにそれは距離を詰め過ぎだ。まあ、知り合って次の日にあだ名で呼んでおいてなんだ今更という感じだけれど。


 「女って怖い…」才川さんは不意に呟いた。

 「才川さんも女でしょ?」

 「そうだけど…うん。私にはその業、使えないな」


 嘘泣きがばれた!

 どうしようどうしようと、あわあわしていると、才川さんは私に手を差し出して言った。


 「…私はたぶん智咲のことずっと好きだよ」私の心情を見透かしたかのように、才川さんは言う。「送ってくれる以上、ちゃんと手は繋いでおいてね」

 「…う、うん」


 私は言って、差し出された手を握った。今度こそ力を入れすぎないようにと気を配る。


 ああもう、ああもう。


 急激に恥ずかしくなった。何もかもお見通しじゃないか。もしかして、私が才川さんのこと好きだって、告白する前から分かっていたのかな。それがわかっていたからこそ告白してくれたんだろうか。

 そんな突飛な考え方も、才川さんなら普通にやってのけそうな気がした。


 「んもう…」

 「今日それ多いな…」


 才川さんは苦笑いで応じる。

 手を握る力が強くならないよう、気を配りながら、私は才川さんの隣を歩く。


 私は、なんて幸せ者なんだろうなあ。


 こんな状況を感じて思う。

 こんな恋、実るはずないと諦めていた。というか、無かったことにしようとしていたくらいだ。才川さんにも迷惑だろうし、自分も傷付くと思ったからだ。


 けれど、今こうして、恋人として才川さんの隣にいて、手を繋いでいる。


 「…うれしい、うれしいうれしい」

 「私もだよ、智咲」才川さんは言ってから、顔をしかめた。「…あれ、私の家」


 才川さんの家はごく普通の一軒家だった。まあ、マンションに住む私からしてみれば一軒家と言うただそれだけで羨ましいものがあるけれど、この焦げ茶色の家は、一般的には普通だ。

 それほど大きくもなく、二階建てくらいだろうか。

 いつか上がらせてくれるだろうか。いや、今日、上がらせてくれるろうか。


 「…じゃ。ここで。またあした」


 ああ、やっぱだめか、と残念に思った。


 「まあ、そんな顔しないでよ…明日もまた会えるじゃない」

 「…そんな顔してないもん」

 「そう?」


 私は才川さんから手を離して、来た道を戻る前に言った。


 「ねえ、明日も私のこと好き…?」

 「うん、好きだよ。ずっと好きだよ、智咲」

 「…ありがとう、才川さん。…もう不安じゃないよ」

 「そう…よかった」

 「それじゃ、また明日…」

 「また明日」


 私たちはそう言って、手を振り合う。離れたくないと思った。もっと一緒に居たいと思った。けれどまだそんなわけにはいかない。まだお互い高校生だし、実家暮らしだし、ずっと一緒に居るのは難しい。


 大学になってもまだ才川さんが私のこと好きだったら。


 同居するのもいいなあ、と勝手に想像した。


 「またあした」


 もう一度言ってから、私は背を向けて、来た道を戻った。


 「智咲」

 「……」


 振り返らずに、私は立ちどまる。


 「あの…話せるようになったら、絶対話すから、ね」


 それは才川さんが痣をたくさん作っていることに関して言っているのだろう。その時が来たら良いと、切に思う。私はあまり人に執着しないし、されないタイプだから、その人の核心の部分を知ることは少ない。しかし才川さんに関しては、すべてのことを知りたい。才川さんに関する、良いことも悪いことも、全部知りたい。


 才川さんは、私がそれを知ってしまったら離れて行く、なんて言っていたけれど、きっとそんなことにはならない。

 何故なら私は、才川さんが好きだからだ。


 「うん…ありがとう」

 「じゃ、またね、智咲」

 「またね」


 私たちはもう一度そう言い合って、今度こそ私は帰路へ着いた。



 *******



 そんな別れの、次の日の朝だった。登校して教室内を見回して、才川さんの姿がないことに気付いた。才川さんはそこまで真面目な生徒じゃないから、しょっちゅうではないにしても寝坊して遅刻なんてことをしても平気なひとである。


 だから私はこの時あまり気にせず、友人と話していたのだけれど、三時間目が終わった時点でも、才川さんは登校して来なかった。


 さすがにどうしたのだろう、と焦る。昨日あんな話をした後だからか、余計に気負って、軽い恐怖を感じていた。

 

 もしかして、一日経って冷静になって、私に会うのが気まずくなったとか。


 本当は私のことそこまで好きじゃなかったとか。


 まあ確かに私は自分に、同性愛の重みを背負うほどの価値があるとは思っていないけれど、一度そういうことを言っておいて。


 云々。


 考えれば考えるほど才川さんを疑ってしまう。どんどん辛くなって行く一方なので、思い切って先生に訊いてみた。


 「才川さん今日休みですか? 何で休んだんですか? 具合悪いんですか?どこが悪いんですか? お見舞い行っても大丈夫ですか?」

 「ちょ…一気に訊くな」

 「じゃあ最初のやつから順にお願いします」

 「はいはい…えっと、まず、休み。それから、体調不良。まあだから、具合悪いんだろうね。どこが悪いかは解らん。お見舞いは自由に…まあ、本人が対応できるかは解らないから、事前に連絡を取った方が良いと思う」

 「…んむう。あれですか、風邪かなんかですか」

 「そこまでは知らんけど…今日は動けないとか言っていたね」

 「…んむう」

 「どうした。そんなに気になるか」

 「気になります。私、気になります!」

 「なんで言い直したのかは解らないけれど…んー」

 「…なんか事情があるんですか?」

 「んー…」


 先生は確実に何かを言いあぐねていた。やはり才川さんには何か事情があるんだろうな、とわかる。

 それを私は、知って良いのだろうか。私は才川さん以外の口から聞いても大丈夫な話なのだろうか。


 才川さんは私に話してくれなかった、けれど。


 「おそらくって話だけれど…まあ、詳しくは話せないな。才川に直接聞くか、もしくは俺に暴力を振るうことで無理やり聞き出してくれ」

 「…それはどういう意味ですか?」

 「教師の身の上なもので一応責任があるけれど、暴力を振るわれたなら話しても仕方ないよね、みたいな」

 「私は先生に大事な話をしないことを今決めました」

 「決めましたか」 


 その先生の態度から、今日の欠席はそれほど重要な話なのだと分かる。

 才川さんの体にあった痣に何か関係があるのだろうか。もしそうなら、気付いていながら何もしない私は、一体どうして才川さんの恋人だと言えるのか。


 大事な人が傷つくと解っていながら何もしないほど、私の人間は腐っちゃいない。


 一緒に解決できればそれがいいだろう。才川さんを少しでも楽にしてあげられれば、それがいい。


 「…暴力を振るったら、話してくれますか?」私は握りこぶしを作って言う。

 「本当に振るわなくていいぞ、智咲」

 

 *******


 家庭内暴力だと、先生は言った。いや、詳しく言うならそれは正しくないのだろうけれど、言葉の暴力という意味ではそれで合っている。日常的に罵詈雑言を浴びせかけられている、という話だった。


 「…母さんが亡くなって、父親と二人きりになったんだ。そしたら、このざまだよ」


 才川さんの家に、お見舞いと言う名目で押しかけた私は、どうにかこうにか、才川さんの口を開かせる。

 家に上がった一度目がお見舞いだなんて、縁起が悪いなあ、と思う。


 才川さんは体中に痣を作っていた。色が薄かったから、きっと出来て間もないものだろうと分かる。


 これは先生に聞いていた話と違う。先生が言っていたのは、暴言を吐かれ、世話をさせられるが殴られたりはしない、という話だった。しかし、これは明らかに昨日今日で出来た痣だ。昨日別れた時点ではこんなにできていなかったから、おそらくその父親に作られたものだろう。


 そのことを指摘すると、才川さんは俯き加減で話してくれた。


 「…最近までは全然、殴られるとかはなかった。何を言われても、大学出たかったし、父親は体裁を気にするから、学費は出してくれる。我慢すればいい話だったから大丈夫だったんだけれど…これは参ったよね」

 「……」

 「今日休んだのはこれのせい。昨日散々殴られて、むっちゃ痛くて、全然寝らんなかったんだよね。もうびっくりした。朝になってもじんじんしてて、動けなくてさ。何とか電話のとこまで移動するのがやっとだったよ」

 「…今は大丈夫なの? その、座っているけれど、お尻とか」

 「大丈夫大丈夫。大分痛みは引いたし、まあ、引いたってことは折れてはいないかな、と。だから心配しないでよ、智咲」

 「…そう言われても、心配だよ」


 相談所には学校を通じて話しているらしい。でもそれは才川さんの意思ではないのだという。つまり才川さんは第三者の介入に父親との関係の悪化を恐れたのだ。学費さえ払ってくれなくなったら、と言っていたと先生から聞いた。


 「ごめんね、心配かけて。明日はちゃんと行くから」

 「…うん」


 そう返事をしたが、昨日殴られたから今日は大丈夫という保証はないんじゃないかと思う。また明日も痛みに喘いで学校に来れなくなるのでは、と危惧した。


 「…先生には、このこと言った?」

 「まだ言ってないけど…でも、父親が原因で休んだってことは察されているんじゃないかな」

 「そっか…相談所には、頼りたくないの?」

 「できれば、私だけで解決したいとおもうけど…」

 「……」

 「今回ばかりは…どうかな」

 「辛くなったら、いつでも言ってね。いや、今にも言ってね。いや、もう私の家くる? 才川さんくらいなら泊めてあげられると思うのだけど…?」

 「ん…ありがたいし、智咲と一緒に寝泊りなんて魅力的だけど…まあ、やめとくよ。あんまり勝ってしても、父親怒らせるだけだし」

 「…どうしてそんなに」


 私は言うが、できるなら大学に行きたいと思うのはごく普通のことだった。私にしてみれば、これは確かに『できるなら』の範疇を超えてしまっているけれど、才川さんは暴言にずっと耐えてきたのだ。


 きっと、今更暴力が増えたところで、とか思っているのかもしれない。


 だから誰にも頼らず、耐えるだけで良いなら大学に行きたい、となってしまうのだろう。


 「まあ…ともかく私は大丈夫だよ。大丈夫。出欠に関しては、まあ先生が何とかしてくれるらしいし」

 「そういう問題じゃ…!」 

 「解ってるよ…心配してくれてありがとう、智咲」


 才川さんは微笑んで頷いた。微笑んでなんてほしくない。辛いなら辛いとちゃんと言って欲しいのに、才川さんは私の前では本音を言ってくれない。


 「…才川さんが辛いと、私も辛いよ」

 「…うん」才川さんは言ってから、「自分勝手かもしれないけれど…でも私は、智咲が傍にいてれるだけで、なんとかなるんだよ。辛いのは今だけだ、って思える。大丈夫。智咲がいてくれれば、なんとかなるよ」

 「……」

 「ほんとだよ。嘘じゃない」

 「…才川さんって意外と、良いカッコしいだよね」

 「そうかな…?」

 「うん。でも、その割には良く甘えてくるよね…本当、方針を決めようよ」

 「甘えるとか、そんなこと…ないし」

 「でも、甘えてくれるならそれが良い…もっと私に弱いところを見せてよ」

 「……」


 私は言って、才川さんをそっと抱く。あまりしっかり抱擁すると痣が痛いだろうから、努めて優しく、触れるように抱きしめる。


 才川さんが消えてしまうのではないか、と危惧する。


 私の大事な恋人が、こんなくだらない理由で、暴力なんかで、あっさりと潰されてしまうのではないか、と怖くなる。


 取り返しが付かなくなる前に何とかしたいけれど、今の私にはこんなことくらいしかできなかった。


 「…好き。大好き。絶対、離さないから」

 「…うん」


 なんて、我ながら白々しいと思う。絶対なんて無いことは解っている。何も出来ない私にしてみれば尚更、馬鹿みたいな表現だ。


 力もないくせに、と自分で思った。


 しかしそれでも、言葉にすればなんとかなるんじゃないかと、誰かが何とかしてくれるんじゃないかと思っていた。


 たとえば、神様かなんかが、私たちを幸せにしてくれるんじゃないかと、そんな風に。


 「智咲」

 「ん?」


 私は返事をしながら、才川さんの方へ顔を向けた。


 すると。


 「ちゅ」

 「!?」


 ふに、と唇に柔い感触が当たる。才川さんの潤った唇は気持ちが良かった。

 え、なになに、と一瞬間戸惑うが、キスされたのだと、やがてわかる。


 かなり恥ずかしかった。けれどそれを圧しても才川さんとのキスは嬉しいものがあった。

 私は今この瞬間、誰よりも才川さんの近くにいる。それを許されている。その事実がたまらなく、私を高揚させた。

 これなら別に公園でしていても良かったかな、と思う。


 やがて才川さんが離れると、それを名残惜しく感じる。ああキスって結構、良いものだなと初めてのくせに思った。


 「…ごめん。やだった、よね」

 「ん、んーん。全然」

 「ほんと…? 無理してない?」

 「全然…むしろ嬉しかったよ」


 私は微笑んで、今度は私の方からキスをした。


 何かが行き来するような感覚に襲われた。なんだなんだ、と考えてみると、これはたぶん、愛情が移動しているのだと思う。


 私の愛が才川さんに流れて、才川さんの愛が私に入る。


 それがたぶん、キスの正体だ。


 「…今日のこと、ずっと忘れない」


 才川さんが少し涙ぐみながら言う。ああ良かった、才川さんは本当に私のこと好きなんだと、ここでようやく理解した。


 「私も、絶対忘れないから」


 もしあなたと離ればなれになってしまったとしても。


 私は絶対にあなたを忘れたりしない。諦めたりしない。


 「……」


 だから、ずっと一緒にいさせて。

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