第10話 雨音の終わり-1

 「…私、智咲のことが好き」


 それは私からではなく、まさかの才川さんからの告白だった。それも、なんの雰囲気もなく、いつものように公園へ向かう道中で、信号待ちの時に言われた。


 え、なに、どうしたいきなり、と思った。才川さんは普段そういうことをあまり言わないので、頭でも打ったのかと少し心配した。才川さんを盗み見ると、強張った顔つきで頬を染めている。


 おいおい乙女だなあ。可愛いなあ、おい。


 そう茶化すことも出来たけれど、顔が真剣そのものだったのでこれは真面目に受け止めるべき話なんだな、と察した。

 多分友達以上に好きって意味なんだろうな、ということは辛うじてわかる。


 その言葉を考える以前に、なぜ今? という思いが強かった。そういうのはもっと、劇的な何かがあって、その後で、誰もいない二人きりの場所でロマンティックに言うものでは無かろうか。あなたに会えて良かった、とか前置きしてからやるものであって、押しボタン式の信号に文句を言ってから言う言葉ではないだろう。


 「えっと…それは、友達以上に?」


 才川さんの表情から分かったけれど、一応訊いた。

 才川さんは黙って一つ頷いた。


 「…付き合って、ください」


 なるほどなるほど。私は何度か頷いた。つまり才川さんは私を恋人にしたいわけだ。


 …うん。


 いよっしゃああああああ。


 遅れて歓喜がやってきて、人目も気にせずにガッツポーズを決めた。信号が青になったので、私と才川さんは連れ立って横断歩道を渡る。


 おいおい。マジか。マジかよおい。ん…? いやマジじゃない? これ、からかわれている? いやいや。才川さんの表情からしてそんなはずはないし、まず冗談自体、才川さんは全然言わない。

 だからきっと、これはからかわれていない。


 これは本気の告白だ。才川さんが私に向けた、全身全霊の想いを告げてくれたのだ。

 私は自己完結的に喜んでいた。そしてそれを声や態度に出さないからか、公園に着くころには才川さんが涙ぐんでいた。


 「…嫌、なら、嫌、って言ってくれて、いいよ? 智咲…?」

 「あ、違う違う。ごめん、違う。…告白ありがと、嬉しい」

 「『でもごめん』…?」

 「違うから。嬉しい、から、謹んでお受けいたします」

 「…ほんと?」

 「ほんと」


 私は言って、才川さんの手を取って、彼女に向き直る。


 「これからよろしくね、才川さん」

 「うん…! よろしく、智咲…!」


 私たちは公園の入口付近に突っ立って、笑い合う。やっぱり才川さんの笑顔は綺麗だなあ、と思う。そしてこれが今日から私のものだと思うと、感動的に思った。

 しかしよくよく考えて、ちょっとばかり腹が立った。


 「あの、才川さん、でもこれだけは言わせて…?」

 「え、なに?」

 「もし、これ断られてたら私との縁が切れちゃうわけだけれど、才川さんはそれでも良いと思ったわけ…?」


 私は才川さんとの関係を終わりにしたくなかったから臆病にも好きだと言わなかったわけで、だから私としては才川さんから告白してくれたのは幸いだった。しかしながら私が躊躇したのに才川さんがさらっと告白してきたのは、ちょっとだけ不服だ。


 私と友達じゃなくなってもどうでもいいってか。


 …いや、めんどくさいことを言っているというのはわかっている。


 「え、断られたら縁が切れちゃうの?」

 「うんまあ…普通は。だってほら、自分を好きだって相手と友達付き合いしてくのって、無理じゃん?」

 「無理なの?」

 「え…まあ、たぶん」

 「…全然そんなこと考えてなかった」才川さんは言ってから、「智咲と離れるの、やだ…」


 私の彼女可愛い…。いや、いきなり恋人面するのもなんだろうか。


 「私、智咲に伝えたくて…突っ走っちゃった。…もっと考えたらよかったよ」

 「いや、いやいや、私ちょっと意地悪だったね。ごめん、ありがとう。告白してくれて。たぶん才川さんの方からしてくれなかったら、私諦めてたかもしれないし」

 「…そうなの?」

 「うん…というか、うん、実は結構序盤で、才川さんの事好きになってたんだよね…」

 「序盤って…どのあたり?」

 「えっと…どのあたりって言われても、いつの間にか、だし…強いて言うなら、才川さんが猫ちゃんの首輪かってきた辺りから…」

 「…結構前じゃない」

 「だから…序盤からって。だからさ、なんとなく、これ以上仲良くなる前に離れようかな、って思ってたんだけど…」

 「ど?」

 「…つい。一緒にいたくて」

 「きゅうぅぅん…智咲が可愛い。かつてないほど…やば」

 「その言い方はどうなの?」

 「やば…キスしたい」

 「早い! まだ早いよ! まだデートもしたことないじゃん」

 「そうだっけ…覚えてない。いや、もうしたかもしんない。したじゃん、先週の日曜」

 「してないよ! 二人で出かけたことなんて一度もないよ!」

 「そうだっけ? …っていうか、そっか、二人で出かけたことなかったっけ…マジか…」

 「まあ、そうね」

 「そっか…お互い、どこを好きになったんだろうね、そんな間柄で…」

 「……」


 うーん、と少し考える。確かに、二人で出かけたことが無いって言うのは、一日一緒にいたことがない、ということだ。才川さんとは学校ではあまり喋らないし、だから、共通の時間を持つのは猫の世話をしているときしかない。そんな短時間で才川さんの何が解るのか、という話ではある。


 でも、好きなものと接しているときの才川さんは、可愛いのだ。緩んだやさしさに満ちた笑みを浮かべて、猫を撫でている彼女はとても魅力的で、だからそれに魅了されたのかもしれない。


 好きなことをしているとき、案外人はさらけ出してしまうものだ。才川さんは猫が好きだから、私は才川さんが好きだから、お互い惹かれ合ったのかもしれない、と思った。

 私は才川さんのことなら、何でも知っているような気がした。


 「…私は、才川さんの割と全部が好き」

 「お、おう」

 「愛想の悪いところも好き」

 「それは悪口だ」

 「長い髪も、若干吊り眼のところも、白い肌も、胸が大きいところも好き。私に優しくないところも、一人でなんでもやっちゃうところも、二人きりの時はちょっと甘えん坊になるところも好き」

 「ちょ…甘えてないし」

 「才川さんは…私のどこが好き?」

 「……」才川さんは照れつつ考えてから、「…割と全部好き。大概のことに適当なところとか、大体のことにいい加減なところとか」

 「いや…それ悪口だし、同じこと言ってるよね?」

 「…冗談」才川さんは悪戯っぽく言った。「顔も好きだし、仕草も好き。私のことちゃんと見てくれるところが好き。私に笑ってくれるところが好き…だから、多分、全部好き」

 「ありがと」私は笑って言う。

 「だから、うん。そっか。デートしたことなくても、全然、大丈夫なんだ」

 「うん。…まあ、したいとは思うけれどね」

 「私は今確実にキスがしたい。駄目…?」

 「ぐぬぬ…っ」


 上目遣いで甘えたような声を出す才川さんに、私は気圧される。こんなに眼を潤ませたりされると、私の方もキスしたくなってくるじゃないか。なまじ好きなところを言った後だと特にやばい。

 しかし私は、恥ずかしさが勝って、折衷案を出す。


 「…だ、抱き合うくらいで、まずは、お願いします」

 「…チキン」

 「ごめん…」


 才川さんは手を広げて、私は包むように抱きしめた。私もそれに応じる。こんな時間が私たちの間に訪れることは一生ないと思っていたから、なんだか夢心地で、才川さんの感触を確かめると、涙しそうになった。


 夢が叶った。想いが叶った。私は才川さんに才川さんに触れて良くて、才川さんは私が好きで、もうそれだけで、私は幸せだった。

 幸せなんてこの人生の中で感じたことは無いけれど。

 これは確かに幸せだった。


 「あー…これが智咲の感触か…柔いな…」

 「才川さん、ちょっとおじさんっぽいよ」

 「これが智咲の匂いか」

 「ちょっと…! 嗅がないでよ…!」

 「良い匂いだよ」

 「ぐぬぬ…! 才川さんも良い匂いだもんね…!」

 「ありがと」

 「効いてない…」

 「智咲、腰細い。大丈夫? こんなんで」

 「才川さんだって…ん?」


 負けじとなにか恥ずかしいことを言ってやろうと思って、才川さんの体をまさぐっていると、背中が腫れているのに気が付いた。中に着ているシャツがまあまあ厚いのではっきりとは解らないけれど、背中の一部分だけ腫れているように感じる。

 試しに、その部分を少し押してみた。


 「…つ」


 声を抑えたようだけれど、才川さんはやはり痛がった。


 「…ねえ、才川さん?」

 「ちょ、智咲、人の体そんな触んないでよ…変態」

 「へ、変態じゃない!」

 「まあ、もう付き合ってるし、多少変態でも許すけどね」

 「……きゅん」

 「ふふっ」


 才川さんは上品に笑った。その声が耳元で響くので私は狼狽える。う、うわ、色っぽい、と変態という称号を裏切らずに思った。


 けれど今はそんな場合じゃない。才川さんの鎖骨のあたりに痣があるのを前にも一度見たことがある。それだけではなく、最近では腕だったり首だったり、見える部分にも痣を見つけることがあった。才川さんは結構な頻度で痣を作っているのだ。


 「…ねえ、才川さん?」私は才川さんから体を離して向き合おうとするが、拒むように体に引き寄せた。「ど、どうしたの?」

 「…訊かないで」才川さんは静かに言う。

 「……」

 「智咲に、嫌われたくない」

 「…嫌わないよ、何があっても」

 「うそ…きっと私がちゃんと話したら、智咲、私の事避けるもん。…そんなのやだ。やだよ…」

 「大丈夫だよ」


 私は努めて優しい声を作る。才川さんに隠し事をされたくないというのもあった。才川さんが隠し事をしなければならない人間になりたくないというのもあった。どちらも私の勝手であるということは解っている。それでも私は才川さんにとって意味のある人物になりたかった。


 もしかしたら受け止めきれないことかもしれない。けれど、表面だけは動じないふりをしようと決めていた。


 私は覚悟するが、才川さんはやんわり言った。


 「…ありがとう。ありがとう、智咲。でも、私は、まだ駄目」

 「私のこと、信じられない?」

 「違う。そうじゃ無い。これ、あんまり人に言ったことないから、どんなことになるか、全然わかないから…怖い。取りかえしのつかないことになったら、って思ったら、怖いの…」

 「そっか…うん、良いよ、今はまだ。話したくなったら、話せるようになったら、絶対、話してね」

 「うん、うん。ごめん、ごめんね、智咲」

 「謝らないでよ」


 私は言って、才川さんに向き直った。


 「ね…そういえばここ、公園だよね。人いっぱいいるね」

 「あ」


 少し見まわしただけで、視線が私たちにあることは解った。これはもっと早く気付くべきだった、と才川さんと後悔する。


 「猫ちゃんに餌やって…今日はもう帰ろっか」

 「うん…居づらい」


 才川さんは何とも言えない表情をして、肩を落とした。

 

 その背中を見て思う。


 才川さんはどれだけのものを背負っているのだろう。どんな苦しみを持っているのだろう。

 

 私はそれを半分でも、一緒に持ってあげられるのだろうか。

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