第6話 私たちの始まり-3
「おはー。さーちゃん」
「ああ、おはよ、智咲」
校門で才川さんに会って、私はそう挨拶する。さーちゃん、と呼んだのに普通に返してくれたことに、私は若干にやけてしまった。
この前は不機嫌な顔をされただけで終わってしまったから、これは大きな進歩と言える。
才川さんが私を受け入れてくれたのは、うれしい限りだ。
最近、多くの生徒のなかで、才川さんだけ輝いているようだった。いや、実際のところ金髪だから陽光に照らされてきらきらしているのだけれど、そうではなくて、どことなく私の目にうつりやすいようになっている、という意味だ。
彼女の輪郭だけ縁取りされているような、彼女の声だけ聞きとりやすくなっているような、そんな具合だった。
いつからだろう。いつから彼女は、私の中で特別になったのだろう。
「今日は一人?」
さーちゃんこと才川さんは私の周りを見渡してそう言った。
彼女の言う通り、いつもは登校途中に誰かしらと会うことが多い。そしてそのまま一緒に登校して、だからまあ、才川さんとこうして会ったとしても軽い挨拶くらいしかできないのだ。
けれど今日に限っては、幸いと言うのか、一人だったので私は彼女とちゃんと話せるのだった。
会って早々才川さんの隣について、歩調を合わせた。
「うん。才川さんと話したくって…さ」
「…へえ」
私は素直にそう言った。
うん、確かに今思っていることだが、なんか照れる。
いや、なんかではないか。こんな口説くようなことを同級生に言うのは、普通に考えて恥ずかしいことではあるのか。
私も私で恥じ入るけれど、才川さんの方も顔が赤かった。
「…なんか、智咲の周りにはいっつも人がいるよね」
「羨ましい?」
「いや…別にそうでは無いけれど…学校ではあまり話さないな、と思って」
「んーまあ、人気者ではあるよね」
「言うなあ、おい」
「人当たり良いし、コミュ力あるし、優しいし」
「自分で言うとすべてが台無しになるね」
「台有りだよ!」
「脊髄反射で会話すんのやめよう…?」
えへへと笑って私はごまかす。とことこ、と並んで歩く私たちは、まるでずっと前から友達だったかのように笑い合う。
「…っ」
ふと、才川さんの横顔を見ると、私の心臓は跳ね上がった。大ジャンプした。
まるで何か見えない矢で射貫かれたかのように、ぎくりとする。
どきどきどきどき。
心拍数が上がって、そのせいで顔が紅潮してくるのが鏡を見なくても解った。
この感覚は、何かに似ていた。
「どうした?」
「いや…なんでもない」
これ、不味くないかと私は思う。
友達にこんな感情、抱いて良いのかと、私は危惧する。
「何でもない…なんでも」
私は必死に誤魔化して、私は必死を誤魔化して、才川さんにはバレずに済んだ。
しかし、それが急場しのぎにしかならないことはよくわかっていた。
今この瞬間だけこんなふうに才川さんを見て、これきりというわけにはいかない種類の情念だろう。
「……」
どきどきどきどき、と当分収まりそうにない拍動を聞きながら、やめてよ、と思う。
こんな想いのせいで友達じゃいられなくなったら、それこそ馬鹿みたいじゃないか。
****
「この子さ、ちょっと元気になった?」
才川さんは猫を撫でながら言った。
放課後、別に待ち合わせをしていたわけではないけれど、当然のように私たちは公園で話していた。
最近はずっとこんな調子で、だから、家に帰る時間も結構遅くなってしまうことが多い。
「ああ、そーかもね。毎日ご飯あげている甲斐がある…」
私は少しどぎまぎしながら答える。
私は今立っていて、才川さんのワイシャツの中身が、上からだと見えてしまうのだ。
ちらっ。
…鎮まれ、私の邪っ。
じゃあ座れと言う話だけれど、私までしゃがむと才川さんと膝がかち合うのだ。
それはそれで…私の中の何かが暴走しかねない。
「これでよし」
「…?」
私が目を空にやっている間に、才川さんは猫に首輪を付けたようだった。緑色で、ハートのチャームのついた首輪だった。チャームには『my cat』と書いてある。
my cat って、だからなんだよ、首輪ついてる時点で飼い猫であることはわかってるよ、という感が半端じゃないな。
しかし、どこから持ってきたのか知らないけれど、もし買ったのなら私も半分くらい出したい。
そう、申し出ようと思った時だった。
「これであなたは今日から、正式に私たちの子だよ」
「…!」
にこ、と微笑んで猫に言う。そのまま才川さんは私を見上げて微笑みを向けてくれた。
その表情に、私はまた見惚れてしまう。
私たち。
今、私たちの子って言った?
いやまあ、二人で世話してるからそれで合ってるんだけれど、私も含めてくれたことに、感動にも近いものが湧いた。
ぐるぐる、ととめどなく私の体をめぐる。
そうか、私たち。
私と才川さんでこの子の世話をしたのか。
私たちの手で、この子の命を支えたのか。
言い換えれば、私と才川さんがいなければこの子はここで鳴いていなくて、私と才川さんが出会わなければ、今はもう存在しなかった命、ってことになる。
だから、私と才川さんの子。
それはなんだか、奇跡のように繋がった出来事のように思えた。
「どうした?」
なでなで。
才川さんの金髪を撫でてから、少しかがんで、才川さんの手に収まっている猫を撫でた。
私と才川さんが出会わなければ、ここにいなかった命。
この命がなければ、ありえなかった出会い。
今までにない高揚感が、私を襲う。
「私は…私はね」
「…ん?」
才川さんは上目遣いで私を見た。
下を向いた私と、彼女の目が合う。
その視線に私はまたどきりとして、自分の感情がそのまま、言葉を考えることもなく出そうになった。
「あ、あの…えっと」
本当にこんなこと言っても大丈夫なんだろうか、と。
そんなわけないだろう、と。
理性は、無慈悲な回答を自分へ向けた。
そうだよ。そんなわけがない。こんなこと言ったって、才川さんを困らせるだけで、才川さんと縁が切れるだけで、何もいいことなんてないのだ。
ここは、我慢しないといけない。いくら大切な感情だとしても、才川さんに会えなくなるのなら、それは本末転倒だから、そんなことには絶対なりたくないから。
たまらず私は、才川さんの瞳から目をそらす。名残惜しい気持ちもあったけれど、このまま彼女を見続けていたらおかしくなりそうだったのだ。
逸らした先には、才川さんのワイシャツの中身があった。
それを見て、私は冷静になる。
いや、あの、誤解しないでほしいが、決して彼女の下着を見て落ち着いたわけでは無い。
「…ねえ、それなに?」
鎖骨のあたりが黒ずんでいた。
最初は私の影がそう見せているのだと思ったけれど、影と言うには色が違うことに気付く。
肌の反射が陰で暗くなっている、というよりは黒紫色に変色している、といった具合だ。
例えるなら、そう、傷んだ桃の様で、痛々しく見えた。
「あざ…?」
痣、だろう、それは。いや、才川さんの肌が白桃でできているというのなら何かに触れたから傷んじゃったんだね、と納得できたが、彼女の肌に触れた感じ普通の人間の様だったので、それは痣だろう。
どこかにぶつけたのか、それとも何かをぶつけられたのか。鎖骨のあたりなんて偶然でぶつけることはあまりないので色々と想像ができてしまう。
「あざ…ああ、これね…この前、箪笥の角にぶつけてさ…」
才川さんはなんでもない風に言う。この様子だと、本当になんにもなかったのか、それとも隠しているのか。
…ん、いやまて。
「…ってあの、足の小指とかなら解るけれど、鎖骨を箪笥にぶつけることがあるの?」
「え、ないの?」
「普通は」
「へえ…変なの」
「いや。いやいや。この件に関しては才川さんの方が変でしょうよ」
「変って……というか、服の中とか覗かないでよ…変態」
「…。……。…変態じゃない!」
「その間は何なの…」
「いや…うん、変態じゃない…? うん、変態じゃないよ! おそらく…!」
「…まあまあ」
才川さんは猫を連れたまま、黙って私と距離を取った。
じろ、と疑惑の目を向けてくる。その間にワイシャツのボタンを上まで留め、私から目を逸らさなかった。
にゃおんと猫が一つ鳴いた。
「いや…私は安全だから…お嬢ちゃんもっとこっち来なよ…」
「何故あえて変態的にふるまう」
「冗談冗談…冗談だから、あんま離れないでよ。寂しい」
「…そういう恥ずかしい事、よく言えるね」
才川さんは言いながら、しゃがんだままで寄ってきた。ざっざっざっ、と公園の砂利が鳴る。
才川さんは少し照れたようだったが、その表情は笑っていた。
「……」
なんだかうまい具合に話が逸れたが、やはり何か、隠したいことがあったのだろうかと邪推してしまう。
才川さんのきれいな横顔を見て、この子を侵す何かがあるのだろうか、と心配になった。
この表情をずっと見ていたい。心からそう思った。
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