カナリヤの虹彩

鳥遊里サナ

第1話 教室

 南大阪の、或る閑静な住宅街の一角に、豪奢なレンガ造りの校舎がある。白を基調としたファサードの両脇に、満開の桜が並び、外壁には、白い装飾の施された窓枠が並んでいる。

 午後の日差しが、厚い窓硝子を通して、教室の床を照らしている。

 ここは、皐月丘(さつきがおか)高校――府内でも指折りの難関校で、生徒の多くが医者の子供であることでも有名な、私立の高校だ。生徒のほとんどを男子が占めているが、英語を中心に学ぶ国際科だけが共学となっている。

 国際科の教室は3階の東側にあり、今、そこでは放課後の特別講座が行われている。講座の対象は、一学期の初日に行われた模試から、各学年の上位、十名の優秀者に限られ、毎週、火曜の放課後に実施される。今日は、今年度の第一回目の講座だ。

 窓際の、最前列の席に着いた一年生、佐野 尚也(ひさや)は、帰路に就く同級生たちを眺めながら、小さくため息をついた。

 受講者たち全員が席に着き、暫くして、チョークが黒板を叩く音が教室に響いた。

「講座の担当になりました、椿です。今年いっぱいは俺が担当やから、よろしくお願いします。今日はプリントで演習をします。時間は決めへんから、終わった人から教卓に置いて、各自解散、ということで」

 そう言うと、担当教師――椿は、慣れない手つきでプリントを配った。彼は新任らしく、黒板に書かれたチョークの文字もまだ覚束無い。

 受講者たちは、プリントを解き終えた者から解散、という言葉を聞いて、活力を漲らせた。椿からプリントを受け取ると、みな必死にペンを走らせた。

 プリントを配り終えた椿は、濃紺の背広にかかったチョークの粉を払い落とし、その手でセルフレームの眼鏡を押し上げた。

 静かな教室に、ペンと消しゴムが紙に擦れる音だけが響く。

 最初にペンを置いたのは尚也だった。

 尚也は特待生で、模試の成績も学年一位の秀才だ。職員会議で、事前に尚也の名前を聞いていた椿は、尚也の答案に目を通し、感心した。三年生をしのぐ速さで解いたにも関わらず、全ての欄がうまっているのである。

「分からんところ、無い?」

 椿が訊くと、尚也は不器用な愛想笑いを浮かべて、はい、大丈夫です、と少し掠れた声でこたえた。それから、ペンケースを革のスクールバッグにしまい、静かに椅子をひいて立ち上がった。かつ、かつ、と音を立てて歩き、教卓にプリントを置くと、椿に軽く頭を下げ、さようなら、と低く掠れた声で、しかしどこか少女のような調子で言った。

 さようなら、と返す椿と、教室から出て行く尚也の背中を、交互に見つめる二つの宝石があった。

 二つの宝石の持ち主――三年生の葛城 大和(やまと)は、急いでプリントを仕上げ、勢い良く立ち上がり、さよなら、と短く言って、尚也のあとを追った。

 椿は、プリントの向きを揃え、”葛城”という字に目を落とした。

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カナリヤの虹彩 鳥遊里サナ @takanashi37

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