第24回 テレビの人
先日、久々に母の実家で会った姉がふとこんな話をした。
「昔テレビの人とよく話してたじゃん?」
断定的に言うので「誰それ?」と尋ねると、
「だからテレビの人だよ」
と言うのだ。
そこでやっと思い出した。
私が幼稚園の年中で姉が小学一年生の頃、姉は突然、テレビが消えているのが嫌いになったのだ。
姉はテレビが消えているとすぐに点けて、鬼気迫る雰囲気で一日10時間以上はピアノを弾くことすらあった。
その間、私はテレビを片耳イヤホンでなんとか見るという日々だった。テレビを消すと、ピアノを弾く姉が睨んでくるので消せなかった。
ピアノ英才教育を受けていた姉はその頃から急に上達し、有名な先生から更に有名な先生を紹介されるというレベルにまでなっていた。
それくらい、何かから逃れるようにピアノを弾いていたのだ。
「テレビの人ってどんな人だったの?」
正直、私も姉も不可思議な現象は身近なので、聞き方が適当になってしまうところがある。
その辺はリアリティを感じないかもしれないが、実際そうなのでご勘弁いただきたい。
「何人かいたからよく分かんない」
「じゃテレビの人達じゃん」
「うん」
「怖くなかったの?」
「ちょっとね。そのうち二人だけになって、一人は手伸ばしたら叩いてきたし」
「はぁ?」
物理攻撃をしてくるとはさすがに驚いた。
残った二人はテレビの中へと誘い込もうとする優しい声の人と、近寄るなと怒鳴る人だったそうだ。
姉は何度も優しい人の声に惹かれてテレビに入ろうとしたが、そのたびに怒鳴る人に殴られたのだという。
「は? 叩かれるのになんでしつこく入ろうとしたの?」
「意地になってたんだよ」
姉は私と同じで恐らく脳に問題はあるものの、私よりもずっと高IQだ。
六大学を卒業し、花形職種の会社に勤め、突然プー太郎をしつつフリーランスの翻訳家をしているかと思ったら、有名な外資系コンサルに入社していた。
姉は意地になると危険なほどのめり込んでとんでもないことを成し遂げる人間だった。
しかしそんな姉でも、当時我が家にあった小さなブラウン管テレビに入ることはできなかったようだ。
「なんか優しい人がいなくなっちゃったんだよね。近寄るなって人だけになっちゃって」
「ふぅん」
「でも近寄るなって人も奥に引きずり込まれてからテレビがすごく怖くなっちゃった」
「はぁ!?」
他の人が自然消滅していったのとは違い、怒鳴る人は後ろへと急に引っ張られるように消えてしまったのだという。
それから姉はしばらくテレビそのものが怖くて仕方なかったらしい。
その後、小さなテレビは米国にも持って行ったのだが、当然仕様が違うのでファミコン専用のテレビになっていた。
しかし、アメリカへ移ってから洪水が発生し、地下室に設置していたそのテレビは水に濡れて壊れてしまった。
姉は私が知らないところで、そのテレビを捨てることをやたらと嫌がったらしい。
あんなに怖がっていたのに不思議だが、テレビの人がまだそこにいるのではないかと思っていたようだ。
テレビの人が何者かは無論分からない。
姉の妄想だったのではないかと言ってしまえばそれまでだ。
姉がストレスのはけ口としてこんな妄想をする余地はいくらでもある。
親は教育ママ・教育パパという訳ではなかったのだが、ピアノの先生方が姉の才能に対して過度な期待を抱き、過度な課題を課していたのは確かだ。
毎日ピアノを一定時間以上弾かなくてはならなかった姉が友人を家に連れてくることは少なく、外で遊んでくることも少なかった。
もし、テレビの人がいなければ、姉のストレスは全て私にぶつけられ、私は一層辛い幼少期を過ごしたかもしれない。
その意味では、私はテレビの人に感謝すべきかもしれなかった。
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