第15回 『てくろ君』と『ぼくろ君』

※受け取りようによっては怖い話なので、苦手な方はお避け下さい。



 これは幼稚園に入る前から小学校一年生くらいまでの話である。


 もうあまり姿も思い出せないのだが、私には「てくろ君」と「ぼくろ君」という兄弟の友達がいた。

 二人ともあまり似てはいないが、同じ学年だったので双子だったと思われる。


 この二人の本名は覚えていない。ただこの二人の母親がこう呼んでいたから、そのまま私もこう呼んでいたのだ。

 てくろ君の方が兄で、ぼくろ君は弟だった。

 恐らく、てくろ君は「たくろう君」だったような記憶がなくもない。


 物心ついた頃、私は社宅住まいをしていた。

 十階建ての建物が何棟もある、超巨大な社宅群だった。

 大きな公園も敷地内には備わっていて、おりしも最後のベビーブーム世代だらけで、どこでも子供達が遊び回っていた。


 てくろ君とぼくろ君も、その社宅の住民だった。

 大体いつも子供達が先に仲良くなり、親もそれに連動して仲良くなる場合が多かったと記憶している。

 だがこの兄弟の母親は周囲に嫌われていて、一切外で姿を見なかった。父親のことは誰も知らなかった。


 この二人と遊びに行くというと、母親はあまりいい顔をしなかった。

 母親が一度、私がよく遊んでもらっているのをご両親に感謝しようと、兄弟の部屋まで菓子折を持って行ったのだが、中から音はするのに誰も出て来てはくれなかったのだ。


 この兄弟は結構暴力的で、いつもてくろ君とぼくろ君が殴り合っている姿が印象に残っている。

 その殴り合いは大体喧嘩ごっこのようなもので、私が近くによると、彼ら二人とも私に殴りかかってきたので、私も思いきり殴り返した。

 でも、不思議とおかしな爽快感しかなかった。

 お互いムキになる事も無かった。ただ、子供の残酷さそのままに、相手を力一杯殴れるという快感だったのかもしれない。


 てくろ君はとても真面目で、私やぼくろ君が道路に飛び出ようとしたら捕まえて殴ったりはしたが、幼稚園の年中で始まった文字の勉強などではいつも先生に花丸をもらうほど、テキストをどんどん先に進め、とにかく先生に良く褒められているという印象が強かった。

 ぼくろ君は逆に先生や社宅の管理人さんによく怒られていた印象ばかり強かった。

 駐輪場に止めてある他人の家の三輪車を勝手に使っては怒られても悪びれず、女子に殴りかかることもしばしばあって、てくろ君がその度に拳を振るって制止していたのだ。


 この二人の兄弟とは殴り合いをしたことも、大人数でだるまさんがころんだをしたことも、我が家や他の友達の家で一緒にファミコンをしたことも覚えている。

 幼稚園に入園する日から、小学校に上がって私の家が海外転勤になって引っ越すまで、彼らとの時間を過ごした記憶が残っているのだ。




 だが、それはおかしいのだ。


 私は年長に上がった際、私立のスクールバスで通う幼稚園から、より近くにある年長のみの幼稚園に転園している。そこに一緒に転園していたとしてもおかしくはないだろう。


 だが、その幼稚園に転園してからしばらくして父が家を買ったので、私は東京23区の南西にある社宅から北西部へと引っ越したのだ。


 なのに、てくろ君とぼくろ君は気づけば私が転園した同じ幼稚園に通っていたのである。

 幼稚園の指定ポンチョを着て、二人とも組こそ違えど、同じ幼稚園の字の先生の授業を受けていたのだ。


 思い出してみると、分からないことだらけだ。

 社宅住まいの頃、あの兄弟の家に行ったこともあるが、母親は引き戸で隔てられた四畳半の部屋に閉じこもっていて、「ああ、もう、ああ、もう」か、「てくろ! ぼくろ!」という声をずっと上げているだけだった。姿を見たことすらなかった。

 母親と菓子折を持って行った時、ついに姿を見られると思っていたのに、出てこないので見られずじまいだったのだ。


 私は愚かなことに、引っ越し先でも兄弟が近くにいて、しかも一緒に遊び続けていたことが、おかしいとは思わなかった。

「家を買う」ということは、社宅の他の人達も同じ場所に同じ時期に買うものだと思い込んでいたのである。もちろん、兄弟とまた一緒に遊んでいたからだ。


 やがて小学校一年生になり、私もだんだん彼らの、特にぼくろ君の粗暴さに嫌気がさし、頻繁に遊ぶこともなくなっていた。

 そして、一年生の終わりくらいになって遠く米国へと引っ越し、完全に交流は途切れた。

 しかし、遠く異国の地でふと彼らのことを思い出すと、やはり寂しさが勝って手紙くらい書きたくなった。

 だが、てくろ君とぼくろ君に手紙を書こうにも、住所が分からなかった。

 社宅の住所はいつも暗記していたので覚えている。当時のてくろ君とぼくろ君の家はそのX番棟の4XX号室なのも覚えている。

 だが、彼らは私と同時期に同じ地域へ引っ越していたはずである。

 引っ越した後は一度として二人の家へは行っていない。いつも私が彼らを家に招待していた。声しか聞いた事が無い彼らの母親が怖くてしかたなかったからだ。


 そこで文通相手になっていた社宅時代の友達に住所を聞いたのだが、返ってきた返事は素っ気なかった。

 兄弟とは私と一緒にいない時は遊んだことがなかったというのだ。皆、二人の暴力的な兄弟が嫌いだったそうだ。

 そして、引っ越したかどうかなんて知らず、いつの間にか見なくなったそうだ。


 このことをふと思い出した十数年前、母親にも疑問に思わなかったかと聞いてみたのだが、母親は引越先でてくろ君とぼくろ君を見たこともなかったし、そもそも新しい我が家に来たことがあるわけないと言い切られてしまった。


 だが、私には鮮明に引越先の家まで来たという記憶がある。彼らとは何度も遊んだ。

 そしてあらゆる場所で遊び回っていたことも、ぼくろ君に突然殴られて、鼻血を流しながら帰ったこともあった。


 他に覚えていることといえば、引越した先の友達も兄弟のことを、特に弟の方を嫌がっていたことくらいだ。


 彼らが今どこで何をしているか、当然だが分からない。

 父にも聞いたが、兄弟が誰の子だったかは知らなかった。万を超える社員数の会社では当たり前のことだったが。

 そして、同じ場所に引越した社員は知らないとも言われてしまった。

 そもそも名字も覚えていない私が悪いのだが。


 あの兄弟の記憶について、願わくは彼らの存在は単なる私の妄想が記憶を偽造しているだけであればと思う。

 しかし色々な経験が、単なる記憶の捏造だと結論づけることを拒む。


 記憶はあまりにも鮮明だ。

 一年生になっても殴り合いをして痛かったことも、あんな奴等と遊ぶなという周りからの忠告も。


 てくろ君とぼくろ君。

 彼らは誰だったのだろう。あるいは、『何』だったのだろう。

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