第5話 不穏な黒雲

 かえでは祖母に頼んでお握りを作ってもらうと、岳斗がくとの手を引きながら学校へ戻っていく。

 すでに慎太しんたたちはそろっており、みんなは手にお握りの包みや、れたての野菜を持ってきていた。


「あれえ、もっちんはどこに行ったんだろう」


 かえでは校庭を見回す。


「うん。ぼくが一番のりだったけど、誰もいないよ」


 慎太は新聞紙に包んだ野菜を見せた。


「あっ、みかんだ!」


 寛治かんじが朝礼台を指さすと、首から下げたひもを宙に浮かせながら、だいだい色のみかんがこちらに走ってくる姿があった。

 すぐ後ろから真ん丸なもっちんが、トテトテと駆けてくる。


「おーい、もっちーん」


 岳斗が両手を振る。

 はあはあと息をつきながら、もっちんはみんなの前で立ち止まった。


「みんな、来てくれただか」


「当たり前だよ。だって約束しただろ」


 慎太が紙包みを差し出した。


「お腹へってるんじゃない? もっちん」


「あーっ、わたしも」


 照美てるみがお握りを入れたわっぱを出す。

 かえで、幸吉こうきちも食べ物をもっちんに渡す。


「ありがとう、みんな。でもおらもみかんも、ご飯はいらないだ」


「遠慮しないで。と言ってもそんなにご馳走じゃないけど」


 かえではお握りを目の前にかざした。


「おら、みんなの気持ちだけで、とっても嬉しいだ。でも本当にいらないだよ」


「食べないと、死んじゃうよ」


 岳斗が悲しげな声で言う。

 もっちんは、そんな岳斗に微笑む。


「大丈夫だ。それならあとでおやしろにお供えしといてけろ」


「後で食べるんだね」


 夕子ゆうこが安堵したような口調で胸を撫でおろす。


「よし、それなら後で、みんなでお社へ行こう。さあ、今日はどんな組で戦おうか」


 慎太はその場を仕切ると、幸吉にみんなが持ち寄った食べ物を朝礼台の上に置いてくるように指示する。


 その日も太陽が西に山に隠れるぎりぎりまで、みんなで遊んだ。

 

 もっちんがみかんの紐を持ち、校舎の裏からお社のあるお山の中腹まで全員を従えて登っていく。

 かえでは無論このお山に登るのは初めてであった。なだらかな山道を進んでいくと、小さな朱い鳥居が目に入った。

 町にある神社の鳥居と比べると、とても小さい。

  

 左右に小さな石灯籠いしどうろうがあり、数十歩先に木を組んで作られたお社があった。

 誰かが掃除をしているのだろう。やや広い境内というか広場のまわりは桜の木が濃い緑の香りを放っている。

 花が満開になれば、辺りは薄桃色に染まるのだろう。

 お社のすぐ後ろには太く大きなスギの木が一本だけ、天に向かって幹を伸ばしていた。

 かえでは精一杯首を傾けてその先端を見上げる。


「ここにもっちんは、独りで住んでるの?」


 かえではもの珍しげに周囲を見渡す。


「んだ。みかんと一緒だ」


 へえっ、とかえでは鳥居から登って来た道から下をながめる。

 校舎の屋根があり、見慣れた田畑や家屋が俯瞰ふかんできた。その先には花咲川が流れている。


「じゃあここへお供えしておくね」


 慎太はお賽銭さいせん箱の横に、みんなが持ち寄った食べ物を置く。


「ありがとう。みんな、気をつけて帰るだ。明日も遊んでけろ」


 もっちんは全員を見上げた。


「うん。また明日ね」


 照美が手を振る。

 もっちんとみかんに見送られ、かえでたちは帰途についた。


 翌日もかえでたちはもちんとみかんを交え、楽しい時間を過ごしていく。

 不思議なことに、もっちんは度々午前中にも校庭で遊んでいるのだが、中間なかま先生にはまったく見えていないこと。

 また村の駐在ちゅうざいさんが話を聞きつけてお社や周辺を探索しても、そんな浴衣ゆかた姿の子供や子犬は発見されなかったことをかえでは知る。

 それでも子供たちにとって、もっちんは数少ない友達のひとりであり、みかんはかわいい愛玩犬であった。

 

 ~~♡♡~~


 春の穏やかな時候から、そろそろ梅雨の時期に入り始めた。

 

 雨が降れば、子供たちは学校で遊ぶことができない。

 

 ある日、夕暮れ前にかえでは祖母からご近所へのお使いを頼まれる。

 ご近所と言っても田舎の事、目指す家は学校のそばであった。

 かえでは傘をさしながらぬかるんだあぜ道を通り、学校の近くまで行った。

 ふと校庭に視線を向けた。

 雨の降りしきるなか、もっちんがみかんと追いかけっこしているではないか。

 かえでは傘をさしたまま走った。


「もっちーん!」


 もっちんは雨のしずくがついた丸眼鏡を向ける。


「あっ、かえでちゃん」


 みかんも気づいたのか、尻尾を振って走ってきた。


「こんな雨が降ってるのに」


 かえではしゃがんでポケットから出したハンカチで、もっちんの顔をふいてやる。


「みんなは、遊びにこないだか」


「うん。だってこんなに雨が降ってちゃ遊べないもの」


 もっちんは下を向く。


「んだな。ならお天道てんとうさまが出てきたら、みんなまた遊んでくれるだか」


「そうね。でも梅雨に入ったから、しばらくは遊べないかも」


 かえでの言葉に、もっちんは寂しげにうなずく。


「もっちんも風邪引いちゃうよ」


「おら、大丈夫。そんだらまたお天道さんが出てきたら、一緒に遊んでけろ」


「うん、わかった」


 もっちんは細い目でにこりと笑うと、みかんを連れて走って行った。


 ~~♡♡~~


 ハンドルを握る美由紀みゆきは、ちらりとバックミラー越しにかえでを見る。


「それがもっちんと間近でお話した、最後なのよね」


「えーっ、どうしてえ」


 里香りかは驚いて声をあげる。

 車いすに揺られながら、かえでは寂しそうな表情を浮かべた。


「そうね。それが最後。その日から雨がどんどん強くなっていってねえ。あんな豪雨は経験したことがないわねえ」


 かえではよく見えぬ目で車窓から外を見やる。

 まばゆい太陽の光が、過ぎ行く緑の景色を浮かび上がらせる。


「雨はどれくらい降ったかしら。学校も休校になって、畑のお仕事もできないくらいだったわ」


 三人を乗せた乗用車は、下り坂に差し掛かる。


「あっ、見えてきたよ、ママ!」


 緩やかな下り坂、その先には十数台の重機が谷を整備するために置かれている。

 すでに切り崩された部分は高台になり、住宅を建てる準備に入っていた。


「ここは元々の花咲はなさき村から名前をとって、グリーンヒルハナサキとして閑静な住宅地に生まれ変わるのよ」


 美由紀は娘に説明する。

 かえではその言葉を耳にしながら再び美由紀曾孫里香に語り出した。


(第6話へつづく)

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