第36話 貴族社会と元奴隷

「もう、いつまでもねないでよ」


「別に拗ねてません!」


 ベアトリクスにそう返しつつも、俺は思い切りへそを曲げていた。だって、説明不足にも程があるだろ?俺がどれだけ緊張したと思ってるんだ。


 そういえば、俺が研究所にやってきたばかりの頃、お茶も出さずに本題に入ろうとした事があったなこの人。今考えれば、あれはせっかちなんかではなく、天然がさく裂した結果だったのではないだろうか?


 そんな事を考えながら、俺はちょっと明るめなブラウン色で、現代でいう所の、今風のショートボブヘアーの、ベアトリクスの方を見た。小首をかしげながらこちらを見ている。くそー、美人はずるいな!


「本当に拗ねてませんよ。それよりもテレジア閣下に早くご報告しましょう」


 いつまでもふてくされていても仕方ないので、俺はベアトリクスに、新法案の閣下への報告作業の続行を提案した。


 俺の言葉に頷いて、ベアトリクスはテレジアに書類一式を渡した。そして詳細については俺が説明する事になっている。説明つっても、研究所でフェルテンやルーカス、そしてベアトリクスと一緒に話し合ったことをそのまま報告するだけなんだけどね。


 なので、リバーウォールに居た頃から、もう何度繰り返して来たかわからない著作権システムに関する説明をテレジアに行った。手慣れたもんで、ほとんど引っ掛かる事無く説明できたと思う。


「うん、いいじゃない!これでいきましょう!」


 一通り書類にも目を通したテレジアは、ご機嫌でOKを出して来た。


「なんか、これまでに無い風がリバーランドに吹きそうな予感がするわね」


 代々受け継がれてきた伝統を誇るリバーランド城の大幅な改装などを、平然とやってのける人に言われると、なんか本当にそうなる気がしてくるな。


「では、シン・コレナガ、発案者としてのサインを書いてちょうだい」


「サイン・・・ですか?」


「そうよ、新しい法案には「発案者」「許可責任者」「執行者」のサインが必要なの。この場合、あなたが発案者だから、あなたのサインが必要ってことね」


 ちなみに許可責任者はベアトリクス、執行者はテレジアとなるようだ。


「この法案は、リバーランドの経済の歴史を塗り替えるものになりそうよ。あなたの名前も国中に響き渡りそうね」


 おおおお・・・。シン・コレナガの名前がリバーランド中に・・・。いやまだ、実際に施行されたわけじゃないんでわからんけどな。少なくとも日本じゃ可能性にすら引っ掛からなったよなあ。


「で、来週にでも、新法案の発表会をやるから。まずは貴族への発表からやるべきかしらね」


「それがよろしいかと。平民を一緒に呼ぶと色々とうるさい貴族がいますから」


 やっぱそういうのあるんだねえ。テレジアが領主のこの地でもそういうのがあるんなら、他所はもっとなんだろうね。貴族の前で発表か。考えただけでぞっとするね。


「では、今週中に発表の為の資料は揃えておくようにね。それと、ちゃんと発表の練習しておくのよ、シン・コレナガ」


「はい?」


「はい?じゃないわよ。きちんと練習しときなさいって言ったのよ」


「いえ、そこじゃなくてですね!もしかして私が発表するのですか?貴族の方々の前で?」


「そうよ」


 じょ、冗談じゃねーよ!平民より先に呼ばれなきゃ不満を言うような奴らにだよ?平民の俺が説明したって誰も聞きはしねーっつーの。しかもここに来る前は3級奴隷ですよ。そう、元奴隷って言うのが凄く問題なんだ。実は昨日、ルーカスやフェルテンと、談笑してた時の事だったんだが・・・。


**********


「そういえばコレナガって、この辺りじゃ聞かない家名だけど」


 このルーカスの何気ない質問から、この世界での常識を再確認することが出来たんだよな。


「家名?」


「うん、どこの地方の貴族なのかなって」


「いやあ、僕は平民の出だし、この前までは3級奴隷やってたぐらいだから・・・」


 そう馬鹿正直に答えたルーカスの顔ったらなかったね!口をあんぐりと開けてってのは、まさにこういう顔を言うんだろう。何よりびっくりしたのは、普段から不愛想で表情の無いフェルテンでさえ同じ顔をしていた事だ。


「えっと、今の話は他の人には?」


 ルーカスの言葉に俺は首をブンブンと横に振った。二人の表情からして、俺は言ってはいけない言葉を発してしまったんだろうなとは、すぐにわかった。


「コレナガは、あまりこの国の現状に詳しくないみたいだから教えるけど、この国は貴族社会なんだ」


 ああ、まあそうだろうとは思ってたよ。大体、こういうファンタジー世界ってのはそうだよね。


「でね、これも言い難いんだけど、貴族ってのは平民を見下しているところがあるんだ。それが奴隷ともなれば、そりゃあ人間扱いなんか絶対期待できないよ」


 そ、それは身に染み過ぎるほど知っています・・・。てか、結構快適な奴隷暮らしをしてたもんだから、最初の頃の劣悪な環境だった事とか忘れてた!


「そもそもこの研究所に、元奴隷だと言う君が入れたことが僕には信じられないよ」


「そんなにですか?」


「だって、ここの所員の9割は貴族だからね」


「ええー!」


「王国が管理する施設の職員は、ほとんどが貴族だよ。雑用係に平民が起用されるくらいでね」


 まじかよ~。ってことは、俺が元奴隷だってばれたらえらいことになるのか・・・。あれ?9割が貴族って事は・・・。


「あの、お二人も、もしかして高貴な家柄のお方とか?」


「まあ一応ね。ただ二人とも、下級貴族の家柄だから、あまり権力とかは無いんだけど」


 イケメンのルーカスはともかく、フェルテンまで貴族だったか。しかも「高貴な」ってとこは否定もしなかったな。それだけ貴族が絶対ってのは常識って事か。


「と言う事はお二人も、元奴隷の僕が研究所員になったことは、あまり嬉しくないのでは・・・?」


「いやあ、それがさあ、直接君の口から聞いた今でも半信半疑なんだよねえ。だって、あんな聞いたことも無い法案を思いつく人が、元奴隷だなんて!」


 まあ一応20年近く社会人やってきた43歳のおっさんだからね中身は。しかも、特許のパクりだし。


「はは、まあ色々ありまして・・・」


 それにしても、初顔合わせの時に「元奴隷のシン・コレナガです」とか自己紹介しなくて本当に良かったよ。言ってたら、まともに取り合ってくれなかったかもな。


 そう考えると、テレジアとベアトリクスは俺が元奴隷と知ってる上でのあの対応なわけで。まあ、テレジアなんか、出自なんかどうでも良いってオーラ隠してないもんな。


 まあ、そんなわけで、俺が元奴隷だなんて事が貴族様のお耳にでも万が一入ったりしたら、この法案そのものが無くなりかねない。


 いくらテレジアでも、大多数の貴族が反対する中強硬は・・・するかもしれんが、出来れば俺としては、王家の鳴り物入りでの強引な導入は避けたい。だって、正当に評価されたいじゃん?なので俺はテレジアに、ある提案・・つーかお願いをした。


「閣下、実はお願いがございます」


「何よ改まって」


「この法案、発案者は「経済研究所」名義でサインして頂きたいのです」


「・・・理由を聞きましょうか」


 テレジアが聞く姿勢を見せてくれたので、俺は平民の自分が考えた案だと、貴族の方々の反対が強まる可能性が高い事、そして万が一、俺が元3級奴隷だと言う事が判明した場合に、大問題になる可能性がある事をテレジアに説明した。


「そんな物、関係ないわよ」


 確かにこの姉ちゃんなら強引に押し通そうとするかもな。でもそれは俺が嫌なんだよ。日本で何も無し得なかった俺には自信という物が全くない。なので、普通に採用されて、成功する所が是が非でも見たい!


「いえしかし、閣下が画期的とまで言ってくださったこの法案、私は絶対に成功させたいのです」


「あなたの功績ではなくなるのよ。それでいいわけ?」


「私にとって一番大切なのは、この法案が滞りなく施行され、リバーランドが発展していくことです」


 嘘は言ってない。


 リバーランドがこの法案で経済的にさらに豊かになれば、法案の発案者が誰であるかを知っているテレジアからの、俺に対する信頼度はさらに高まるだろう。それに、すでに一度おじゃんになってるからね。何としても成功させたいんだよ。もう日本に戻ってやり直すことは出来ないんだから尚更ね。


「わかったわ。発案者には「研究所」名を記入してちょうだい。そして発表も、他の人間に任せる、これでいい?」


「すみません、我がままを言ってしまって」


「別にいいわよ。でも、あなた変わってるわね」


 そう笑いながら話すテレジアの顔は、何がそんなに面白いのかってくらい愉快そうだった。

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