第9話 真相披露

 神無月さんが来ていた夜、僕は父に電話して書斎の鍵を開けておくのを伝えた。

 学校をさぼったのがいつの間にやら耳に入ったらしくこっぴどく叱られる。仕方ないので次の日からは一応真面目に通うことにした。


 朝、家を出たところで誰か来たと思ったら土谷さんだった。挨拶すると「神無月さんに重要な役目を仰せつかりまして」と聞いてもいないのに話してくれる。鍵を開けに来たのかな?

 気にはなったけどそのまま学校へと向かった。




 次の週、家に一通の葉書が届いた。


 宛名は「水倉家御一同様」

 差出人は「探偵協会本部」


 裏を返すと行書体で印刷された文面。僕だって水倉家の一員だしと思ってためらいなく読む。



   謹啓

   仲秋の候、皆様におかれましてはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

   平素は格別のお引き立てを賜り、有難く御礼申し上げます。

   さて水倉喬様に御依頼いただいた調査の件ですが、小社所属の探偵・神無月理久により完了いたしました。

   ご多忙中誠に恐縮でございますが、小社の規定により関係者の皆様にお集まりいただき、御清聴を賜りたい次第でございます。

   今後とも一層のご愛顧、切にお願い申し上げます。

謹白


        記

   日時  九月二十二日 午後八時

以上



 ふうむと僕は顎に手を当てる。

 要するに神無月さんが探偵小説みたいに推理をご披露するわけなんだ。電話で一言伝えればいいものなのに、わざわざこんな葉書を送ってくるなんて探偵協会って変わってる。

 父さんと母さんも来るんだろうなと思うと、僕の胃はちょっとだけ重たくなった。




 指定された当日、探偵協会さんの言う「関係者」が家に集まった。

 この家で一番広い座敷。座卓を囲んで障子側には父さんと母さん、それから僕。廊下側には充伯父と多恵伯母さん、その隣にひとみさん。僕はなるべく座卓の端に寄って座った。

 父さんは相変わらず気難しい顔、母さんは涼しい顔で横に控えている。

 充伯父さんは気楽にあぐらをかいてだらけたご様子。多恵伯母さんはちょっと緊張した顔でちょこんと座っている。

 一番神妙な顔つきなのはひとみさんだ。この前の瓶のことが話に出るから仕方ないだろう。


 時間ぴったりに襖が開き土谷さんが現れる。続いて神無月さんが一礼して入ってきた。

 床の間の前、上座の席に案内されて探偵さんはしずしずと進む。今日は白いブラウスの上にコルク色のワンピースを着ていた。肩紐の部分だけ革になってる珍しいデザイン。肩からはいつもの革のポシェットを提げている。手には黒いチェック模様のバッグを持っていた。

 座布団の前で立ち止まったとき、神無月さんの腰のポケットから小さな小さな茶色い兎が顔をのぞかせているのが見えた。ただの飾りなんだろうけど、僕はどきりとする。あれは何かの暗示?

 

「本日はお忙しい中お集まりいただき、感謝いたします」


 恭しく挨拶してから神無月さんは腰を下ろした。

 土谷さんは少し後ろに下がって控えている。まるで探偵さんの助手……っていうか執事みたい。


「水倉喬さんよりご依頼いただいた繁氏の死に関する調査が終了いたしました。まずは皆様のご協力に感謝いたします」


 もったいぶったところがなんだか探偵らしいなあ。でもわくわく感が増していいかもと無責任に僕は考えた。


「結論から申しますと、繁氏の死に事件性はありません」


 ほう、と軽いため息がいくつか漏れる。たぶん母さんと多恵伯母さんだ。


「ただし……」


 神無月さんはぴっと人差し指を立てた。この場にいる全員が食い入るように見つめる。


「繁氏の死を望み、できるだけ早めようとした人物が特定できました」


 それはどういう意味なんだろう? 事件性がないってことは殺人には至らなかったわけだし、死を望むとか望まないとか、そんなのは人の気持ちの問題だ。僕だって繁伯父さんがちょっとわずらわしいと思ったことは何回かある。だからってそれをわざわざ指摘しても仕方ないんじゃないかな。


「神無月さん、どういうことか具体的に仰ってくれませんか」


 父が落ち着き払った態度で話を促した。まるでドラマで話を進める役を与えられた俳優さんみたいに自然な口調で、僕は違和感を覚える。


「証拠に近いものはありますが、その行為が実際に繁氏の死に繋がったのかは証明できません。それでも構いませんか?」

「ええ、どうぞ」


 神無月さんは頷き、革のポシェットから何かを取り出した。透明のビニール袋に入ったそれは――思った通りあの茶色い小瓶。


「繁氏の死の前とその後で、一箇所だけ書斎に変化がありました。それはこの瓶がなくなっていたということです」


 僕は目の前に座るひとみさんに目をやる。ひとみさんは神無月さんの方を向いて言葉の続きを待っているようで、戸惑いも怯えもなかった。


「ではその瓶を持ち出した者が……」


 父の言葉を探偵さんは「いいえ」と遮る。


「瓶が持ち出されたのは繁氏が病院に運ばれたのとほぼ同時、またはすぐ後でしょう。でもその目的は自分の犯行を隠すためではなく、ある人をかばうためだったのです」

「ある人とは?」

「夏生さんです」


 神無月さんは微笑んで僕に視線を向けた。

 他のみんなも一斉に僕を見るけど、僕は予想もしてない展開にきょとんとなるだけ。

 僕をかばう? いったい何のこと?


「このサプリメントは繁氏が亡くなる少し前に通信販売で購入したものです。家に届いてから部屋まで運んだのが夏生さん。ひとみさんはそれを知っていたから、瓶に何か細工したんじゃないかと思ってしまったんですよね?」


 今度はみんなの目はひとみさんに向けられた。ひとみさんは落ち着いた顔でこくりと頷く。

 ……じゃあひとみさんは僕をずっと疑ってたってこと?


「あなた、夏生がそんなことするわけないでしょう! 失礼にも程があるわ。本当に信じられない」

「すみませんでした」


 母さんの叱咤にひとみさんは素直に頭を下げた。母さんはまだ何か言おうとしたけど、父さんが肩を叩いて止める。

 僕はショックを隠すので精一杯で何も考えられない。それでも神無月さんの話を聞き逃さないよう、耳だけは働かせた。


「でも夏生さんは狭心症に関してそれほど知識はないようでした。ニトログリセリンを服用すれば発作は収まることもご存知なかったですし、ましてやサプリメントについてもあやふやで。それに……」


「それに?」と父さんが続きを促すと、神無月さんは袋から小瓶を取り出した。


「それは後にお話することにして、まずは聞いていただきたいことがあります。これ、中身は一見白い錠剤で同じように見えるんですが、よくよく見ると中に違う物が混じっていたんですよねえ」


 蓋を開けて神無月さんは中の錠剤をいくつか手のひらに載せた。


「みなさんからはあまり見えないかと思いますが、違う錠剤があったのでうちの本部で調べてみました。本来ならビタミンCだけ入っているはずなのですが……」


 ごくり、と固唾を呑む音は僕だけが発していたんだろうか?


「ビタミンD。それに強心剤もご丁寧にあったわけだろ」


 突然の低い声。その主がわかっているのに、僕は恐る恐る顔を向ける。


「その両方がセットで揃えば発作が起こりやすくなる。死因を誘発するきっかけにはなったかもな」


 充伯父さんが悠然と言った。隣にいる多恵伯母さんは目を瞬かせながら見つめている。


「ご説明ありがとうございます」神無月さんはにっこりとお礼を口にする。「充さんの仰る通りで、繁氏がビタミンDと強心剤を同時に飲んでしまった可能性があります。ですが……」

「兄貴はとっくに荼毘に付された。服用したかどうかはもう証明できない」

「そうなんですよねえ」


 がっかりしたように神無月さんは頬に手を当てた。その暢気な仕草は話の内容にそぐわない。僕の中で反感に近いような感情が湧き起こる。


「探偵女史の証拠に近いものはそれで終わりか? 案外あっけなかったな」

「いえいえ、まだ終わりとは申しておりません」


 充伯父の揶揄するような言葉に、神無月さんはふふっと笑いながら軽くポケットの兎を撫でた。


「この瓶ですけど、いろんな方々の指紋が出てきました。ひとみさんと繁氏はもちろん……」


 神無月さんはポシェットから出した物を次々と座卓に並べる。宝物を見せる子どもみたいに楽しそうに。

 まずは二枚の白い紙片。

 そしてバッグからは四角いタッパーとアルバムを出して置いた。


 充伯父さんと多恵伯母さんからもらった名刺、ひとみさんが作ってくれたロールキャベツが入ってたタッパー、僕が貸したアルバム。


 ――これが意味するのは?


「喬さんたちは同居していませんから除外して、この家の方々の指紋は全て採取させていただきました。瓶に夏生さんの指紋はありません。ですが……」


 ついていた指紋は誰の? と僕はみんなの顔を見回す。

 同じように目をきょろきょろさせるのは女性陣で、父さんと充伯父さんは向かい合ったままお互いを見つめていた。


「充さん、あなたの指紋が瓶にも蓋にもしっかり残されていました」


 うそ、と小さい叫び声が聞こえたような気がした。母さんも多恵伯母さんもそっくりな仕草で口に手を当てている。


「ちょっと興味があったから触ってみただけ、と言ったら?」


 伯父さんは悠々と返す。神無月さんもゆったりした笑みのままだ。


「全然構いませんよ。ただ、一つ気になることがありまして。そちらの方もご説明いただきたいのです」

「何だ?」

「あの書斎ですが、繁氏が亡くなってすぐに喬さんが鍵をかけられました。それからわたしが調査に来た日にだけ開けていただきました。その後どうなったか、これからお話したいんですが」


 先週は神無月さんが調査したいと言うからまた鍵を開けたはず。それがどうしたっていうんだろう。

 僕は座り直して次の言葉を待った。


「充さんと多恵さんにお会いした日、喬さんに開けて欲しいと伝えていただくよう夏生さんにお願いしました。夏生さんはすぐ連絡してくれて、次の日に土谷さんが鍵を開けてくれました。そしてひとみさんにも一つお願いごとをしたのです」


 ひとみさんに? そういえばあの日、神無月さんは何か耳打ちしていたっけ。


「書斎の鍵が開けられたら、ドアのノブ、机や書棚など、人の指紋がつきそうなところはしっかり拭いておいてくださいねって」


 一瞬にして部屋の空気が張り詰めた。誰もが疑わしそうにお互いの顔を見やっている。

 ただ一人、神無月さんだけが普段の調子そのままで緩い雰囲気をまとっていた。


「今日のお昼、ひとみさんしかお宅にいらっしゃらないことを確認して、本部の人間に指紋を採取させました。出てきたのは……」


 駄目、言っちゃ駄目だ。神無月さん、お願いだから。


「充さんのものでした」


 完全なチェックメイト。

 僕は伯父さんの顔が直視できなくて俯いた。


「ドアノブとこの瓶が入っていた書棚のガラス。それからまだ中にあったいくつかの瓶にも。これがどういう意味か、ご説明できますか?」


 もういい、説明なんて聞きたくない。

 僕はすぐに立ち上がってこの場を離れたかった。でも足が石になったみたいに動けない。


「俺もサプリメントが飲みたくなって取りに来た、なんて言い訳が聞きたいか?」

「それでも別に構いませんよ。わたしは犯罪の立証をしているわけではありませんし」

「無粋なことはやめておく。俺は探偵女史の罠にまんまとはまったわけだしな」


 罠? どこが罠だったんだろう。

 神無月さんが伯父さんたちに会った日の会話を何とか思い返そうとする。


「あら、罠ってほどでもないんですけど。――わたしはあのカフェから出る前に、わざと聞こえるように『鍵を開けておいてください』と夏生さんに言いました。だって、ひとみさんを除けば疑わしいのは夏生さんと多恵さんとあなただったんですもの。書斎が入れるようになれば必ず証拠を隠滅しに来ると思いまして」

「なるほどな。――俺の完敗だ」


 充伯父の一言が胸に突き刺さった瞬間、僕の肩に母さんがもたれかかってきた。

 びっくりして顔を上げると、母さんは真っ青な顔で目を瞑っている。


「母さん?」

「朝子! しっかりするんだ」


 ひとみさんが素早く座卓を回りこんできて、座布団を枕に母さんを横に寝かせた。それから「気付けになるものを持ってきます」と座敷を出る。

 父さんは母さんの額に手を当て、僕は片手をぎゅっと握った。弱弱しいけど握り返してきたので少し安心する。

 土谷さんも恐る恐る父さんの後ろから見守っていた。

 落ち着いてくると充伯父がぶつぶつと呟く声が耳に入ってきた。


「……昔から兄貴にかなわないのはわかっていた。だから真正面から対峙しても無駄だろうと諦めていたんだ。兄貴は兄貴で放っておいてくれれば良かったんだが、喬が朝子と一緒になって、頭角を現してきてからは何かにつけて小言を言うようになった。俺はそれを気にしないつもりでいたが、段々と鬱陶しさが増してきた。それで少しベッドでおとなしくしてくれりゃいいと思ったんだろうな……」


 ひとみさんが戻ってきた。僕と二人で母さんを起こし、コップに入れたものを飲ませる。たぶん度の強いお酒だろう。


「そんなとき、龍ノ介さんがサプリメントについて話すのを聞いちゃったわけなんですねえ」

「そうだな」


 母さんは軽くむせる。それでも顔色が良くなってきたので、僕はほっとした。


「探偵女史、もしかすると疑っていたのは俺だけなんじゃないのか?」

「あら、鋭いですね。だって充さんが飲んじゃいけないサプリの話をするんですもの」

「それは口が滑ったな」

「あなた、おしゃべりなんですよ」


 父さんも安堵した表情で母さんの背を撫でた。

 それから神無月さんへと顔を向ける。


「どうもお騒がせしました。――以上で調査内容は全部ですか」

「あ、はい。脅迫についてですが、郵便物は繁氏が処分されたそうで証拠がありません。電話の方は通話記録を調べられれば良いのですが、警察の介入がなくては電話会社は教えてくれないのです。しかし繁氏が亡くなってからは何も起こらないそうですので、今のところ無関係かと思われます」

「そうですか。了解いたしました」

「ではわたしはこれで失礼いたしますので、どうぞお大事に」


 神無月さんはぺこりと頭を下げ立ち上がる。

 そこでようやく僕は部屋の様子を見た。

 土谷さんは先導するように慌てて襖へ向かう。充伯父さんは最初見たときそのままの姿勢でゆったりと座り、多恵伯母さんは力なく項垂れている。ひとみさんは僕の隣で心配そうに母さんを見つめていた。


「どうも、夜分遅くに失礼いたしました」


 神無月さんは一礼して部屋を出て行った。土谷さんがその後を追ってゆく。

 最後に見えたのはポケットから頭を出した小さな兎。


「充……探偵が今言ったことは全部本当なのか?」


 父さんが静かだけど威厳のある太い声で問う。急に座敷の空気が凍りついた。


「ああ、本当だ」

「そこまで愚かだとは思わなかった」

「魔が差しました、としか言いようがないな」


 一見すれば、罪を犯した男とそれを責める義弟。悲しむ妻とショックで倒れる妹。

 だけどみんながみんな、妙に芝居じみていると思うのは僕だけ?


「社長が本当に死んでしまうとか考えなかったのか? 子どもじみた悪戯にしてはタチが悪すぎる」

「考えたような考えなかったような。発作が起こるとまで思わなかったのが正直なところだ」

「開いた口がふさがらないとはこのことだ」

「もう……もうやめて……」


 多恵伯母さんのかすれた声に二人とも黙り込んだ。

 伯母さんの眩しいくらいの明るさはどこへ行っちゃったんだろう。

 こんな結果がわかるくらいなら、始めから調査なんて頼まなきゃ良かったのに。

 いや、僕だって面白半分で付き合っていたんだから父さんを責める資格はない。


「充、今後は……」

「わかってる。会社から俺は手を引く。後のことはお前に任せた」


 父さんは無言のまま頷いた。

 その横顔を僕は眺める。一瞬だけ頬が緩んだように見えたのは気のせい?

 充伯父は立ち上がり座敷を出た。伯母さんもその後に続く。涙で濡れた頬が痛々しい。


 何か、何かが変だ。

 神無月さんの推理とそれから伯父さんに仕掛けた罠。

 父さんの叱責。

 自然なようでいて芝居じみた光景。


 僕はすっと母さんの手を離す。


「夏生……?」


 かすれた声に呼ばれ、僕は「すぐ帰るから」とだけ言い残して小走りで廊下に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る