第7話 明朗夫婦

 地下鉄の出口を抜けると秋晴れの陽に包まれる。午前中のうちはまだまだ涼しい。アスファルトの照り返しに目を細め、僕は神無月さんの姿を探した。

 雑居ビルの日陰に隠れるように探偵さんは立っている。今日はカフェオレ色のギンガムチェックのワンピース。その上にバタークリームみたいな小さなニットベストを着ていた。あのデザインはかぎ針編みってやつかな。頭にはベストとお揃いらしきヘアバンドをしている。

 僕が近づいても神無月さんは気づく様子はなくあさっての方を向いている。笑いをこらえながら声をかけた。


「お嬢さん、一緒にお茶でもいかが?」


 ふっと振り向き見上げた顔は、木に登って周りをうかがう小リスみたいだ。


「……夏生さん?」

「はい」


 ぱちぱちと瞬きして、それから神無月さんは僕を上から下まで眺めた。


「別人みたいですね。すぐにはわかりませんでした」

「そうですか?」


 僕はちょっとはにかんで笑ってみせる。

 先週会ったときはポロシャツにチノパンでいかにもお坊ちゃんな格好だったけど、今日は全然違う印象の服を着てきた。ロールアップの袖がついた茶色いカーディガンは裾が斜めにカットされ、お腹の部分から紫のタンクトップが少し見えている。パンツはチェックの七分丈で、その下は足首までの黒いブーツ。


「全部多恵伯母さんの見立てなんです。外で会うときは自分が選んだコーディネイトじゃないと納得してくれなくて」

「と、いうことは、」


 神無月さんが上目づかいで軽く睨んでくる。いたずら小僧を咎めるような視線に僕は肩をすくめた。


「多恵伯母さんに案内役を仰せつかりました。どうぞこちらへ」


 僕はわざとらしく右手で道の先を指し示す。神無月さんは不服そうな表情で歩き始めた。「お母様との約束があったのに」とぶつぶつ呟く声に聞こえない振りをして、僕も歩き出す。


 探偵さんがうちの店に来るそうよ。

 それを多恵伯母さんに聞かされたのは一昨日の夜のこと。

 道がわからないかもしれないから駅から案内するよと僕が言うと、多恵伯母さんは笑顔でお願いねと言った。

 母さんと神無月さんで何か約束があったかもしれないけど、そんなの僕には関係ない。それに伯母さんに聞き込みするときだけ立会人がいないなんて不公平だ。


「夏生さん、学校は?」


 夏休みはとっくに終わってる。そういえば今日は平日だったかも。


「えーと、開校記念日です」

「……なるほど」


 探偵さんはそれ以上追及せずに前を向いた。




 広い道を五分くらい真っ直ぐ進み、左へ曲がって裏道に入った。道の両側に喫茶店や雑貨屋、ファーストフード店が並んでいて楽しげな通りだ。

 数軒通り過ぎてから、僕は「ここです」と白い壁のビルを指差した。

 一階は半地下になったカフェ。ガラス越しにフローリングの床が見える。

 二階より上は建物の外にある階段から入るようになっていて、六階まで女性ファッションのお店が入っている。

 僕が先立って階段を上がった。上りきってすぐガラスの扉を開け、神無月さんに先に入るよう促した。探偵さんは物珍しそうな顔で足を踏み入れる。

 中は白い壁に白い床。衣服が並ぶ棚も全部白だけど、カラフルな服が所狭しと並んでいる。

 正直、男の僕としては女の人のブティックなんて入りづらい。全然知らない店ではないけれど、居心地の悪さを抱えながら多恵伯母さんの姿を探す。

 服を畳んでいたお店のお姉さんが、僕らにいらっしゃいませと声をかけた。伯母さんはトルソーの後ろからひょいと首を出す。にっこりと笑いかけこっちに歩いてきたので僕はほっとした。

 多恵伯母さんは朱色を基調とした幾何学模様のワンピースにシャツジャケットをはおっている。華やかな服に負けることなく、そこにいるだけで周りを明るくさせる人だ。


「ナツくん、ご苦労さま。……もしかしてこちらが?」

「話していた探偵さん。ちゃんと連れてまいりました」


 僕は横にいる神無月さんを紹介する。


「神無月さん、叔母の水倉多恵です」


 紹介の順序が逆だったなと反省。

 神無月さんは例によって伯母さんに深々と頭を下げた。


「お仕事中お邪魔してすみません。神無月理久と申します」

「あらあら、こんなところで立ち話もあれだし、お話は下でゆっくりと、ね?」


 多恵伯母さんは軽く振り向いてお店のお姉さんに手を挙げてみせ、僕らを外へと促した。




 一階のカフェは開店したばかりで客はほとんどいない。僕らは奥の窓側の席に案内される。大きなガラス窓の向こうは小さな中庭があり、植えてある木はまだ青々とした葉をつけていた。

 僕ら三人は丸いテーブルを挟んで等間隔に席に着いた。僕と多恵伯母さんはコーヒー、神無月さんは苺のヨーグルトドリンクを注文する。

 注文を告げてウェイトレスさんが去るや否や、多恵伯母さんは身を乗り出すようにして神無月さんに顔を寄せた。


「噂には聞いたことあったけど、探偵検定を持った探偵さんなんて初めて見た!」


 神無月さんは一瞬きょとんとし、それから小さな革ポシェットから何かを取り出した。


「忘れていました。どうぞよろしくお願いします」


 両手で差し出したのは名刺だった。シンプルに縦書きで名前が書いてあるのが読み取れる。

 伯母さんは「あら」と反射的に両手で受け取った。

 神無月さんは僕の方をちらりと見て、少しばつの悪そうな表情を作る。


「実は水倉さんのお宅に行ったときは忘れちゃってて。次にお伺いするときにちゃんと用意しておこうと思っていたんです」


 見た目はどうあれ、神無月さんも立派な社会人なんだなあと僕は妙に感心した。

 伯母さんも自分の名刺を取り出し神無月さんに手渡した。


「それにしても」

と、伯母さんは僕と探偵さんを見比べるようにちらちら視線を動かす。


「こんなに可愛らしい探偵さんが来てくれるなんて。ナツくんたら、なーんにも言ってくれないんだから」

「古ぼけたコートのオジサンを想像してた? それともパイプをくわえてステッキを持った紳士とか」

「何それ」


 くすくすと伯母さんは楽しそうに笑う。神無月さんもつられたように微笑んだ。

 ウェイトレスさんが来て飲み物を置いてゆく。三人とも軽く口をつけ、それから口火を切ったのは神無月さんだった。


「多恵さんはご存知かと思いますが、わたしは喬さんの依頼で繁さんの死について調べております。亡くなられたときは多恵さんは居合わせなかったそうですが、何か気になることがありませんでしたか?」

「気になることってたとえば?」

「脅迫のような電話などがあったと聞きました。それ以外でも、繁さんに関して何かあればお聞きしたいのですが」


 神無月さんの真剣な顔とは対照的に、多恵伯母さんはあっけらかんと答える。


「なーんにも。多少大きい会社になれば恨みは買うものだと思うし、脅しみたいなことなんてよくある話じゃないの? わたしは繁お兄さんは病死で間違いないと思うけどね」

「そうかもしれませんし、そうでないかもしれません」


 伯母さんの言葉は、神無月さんの調査なんてまるで無駄だと言うようなものだ。僕ははらはらしたけど、横を見やると探偵さんは少し頬を緩めた。

 伯母さんはカップを持ち上げ、軽く睨むようにコーヒーをじっと見る。


「喬さんが神経質になるのはわからないでもないけど。これから会社を背負って立つ人だもの」


 くいと勢い良くコーヒーを飲み、それから伯母さんは僕の方を一瞬見た。

 あれ? と僕は奇妙な既視感に包まれる。

 ちょっと考えた後でああそうかと納得した。伯母さんもいずれは僕が会社に入るものだと思っているらしい。


「ねえねえ、それより神無月さん、今までどんな事件を解決したの? S級探偵ってことは協会の中でもトップにいるんでしょう。お話聞きたいなあ」


 伯母さんの遠慮のない様子は店の経営者というより女子高生みたいだ。

 神無月さんは「そんなたいした経験はないんです」と辟易する。


「あ、そういえば土谷さんが神無月さんに助けられたことがあるって言ってましたよね」


 僕がぽろっと口に出すと、探偵さんは途端に顔色を変えて目の前で手を振った。


「あ、あの、そのことは……」

「え? 本当に? そんなの聞いてない。なになにどんな話?」

「僕もまだ詳しく聞いてないんだ。神無月さん、教えてくれませんか?」


 僕と伯母さんが両側から問い詰めるように身を寄せると、神無月さんは小さい体をますます縮めて困り果てたご様子。


「随分と楽しそうだな」


 いきなり頭上から低い声が振ってきた。

 伯母さんは「あら」と顔を上げる。


「神無月さん、うちの主人です」


 身なりはいいけど一見すると年も職業も不詳の男――伯父の水倉充がすぐそばに立っていた。ノーネクタイでシャツの第一ボタンを外し、海外ブランドの黒いスーツを普段着みたいに着こなしている。繁伯父や僕の父さんみたいな威厳は感じないけど、一筋縄ではいかない雰囲気を持った人だ。

 神無月さんはぱっと立ち上がって自己紹介、それからお辞儀をした。さっきみたいに名刺を取り出し充伯父さんと交換する。


「探偵から名刺をもらうなんて初めてだ」


 胸ポケットに名刺をしまいながら、伯父さんは神無月さんにウィンクを送った。堂々と気障ったらしい態度をとる伯父に僕はすっかり呆れるけど、伯母さんは気にならないようでにこにことしている。

 神無月さんはといえば、どぎまぎした様子で瞬きしていた。充伯父を前にすると女の人はたいてい同じような反応を見せる。美少女探偵でも例外ではないらしい。

 伯父さんはウェイトレスさんが移動させた椅子に自分も腰掛ける。そして伯母さん同様、興味深そうな目つきで神無月さんを見た。


「喬が呼んだって聞いたから、てっきりしかめっ面のジジイが来たんだと思ってた」

「それ、どういうイメージ?」


 伯母さんがくすくすと笑いながら訊くと、伯父さんは大真面目な顔で「二時間サスペンスドラマ」と答えた。本気かふざけているのかわからないのはいつも通り。

 神無月さんは頬に片手を当てて首を傾げてみせた。


「大先輩たちはちょうど依頼の最中でして……なんだか申し訳ないですねえ」

「いや、気難しいオッサンじゃちっとも面白くないからな。忙しくて何よりだ」

「それは恐れ入ります」


 二人の奇妙なやり取りに僕は我慢できなくて吹き出す。神無月さんの丸っこい目が僕の方を向いたので、なんでもないと言う代わりに手を振った。


「で、探偵女史の調査は進んでいらっしゃるのかな?」


 運ばれてきたエスプレッソに軽く口をつけ充伯父は問う。


「はい。家族の皆さんには繁さんの様子に変わった点がなかったかお聞きしています。充さんにも何か思い当たることがあればお話願いたいのですが」

「変わったところ、か……」


 カップをソーサーに置く。意識しているようには見えないけど、決して無作法な音を立てたりはしない。充伯父の小さい動き一つ一つは常に優雅で、否が応でも育ちの良さを感じさせた。


「今年からだったか、変な脅迫めいた電話やら何やらあったらしいな。そのせいか兄貴は苛立っているようには見えた。――ま、会社のことでギスギスしてるのは年がら年中だったが」


 会社の一員であるのは充伯父も同じ。でもまるで他人事のように語っている。僕はちらりと伯母さんを盗み見たけど、優しげな表情で伯父さんを見守っていた。


「繁さんは苛立っていらっしゃったのですか。そういうストレスって、お体にあまり良くなさそうですね」

「それで頭に血が上って発作が起きた……とでも?」

「可能性の一つとしてあり得るかもしれません」


 伯母さんは顔を曇らせ伯父さんの袖をくいっと引っ張った。


「悪い。ほんの冗談だ、忘れてくれ」


 繁伯父さんはどんな毒舌にももう言い返せない。ちょっと不謹慎だったかなと僕も思う。

 神無月さんは充伯父の言葉が聞こえなかったのか、人差し指をこめかみに当ててじっとテーブルの一点を見ていた。


「兄貴は食う物に気をつけたりしてたからな。発作が起こったのは運が悪かったんだろう」

「リュウくんが調べてあげてたみたいよね。お兄さんの体にいい食事とか」


 多恵伯母さんからリュウの名が出て、僕の心臓はどきんと鳴る。でも顔色一つ変えないように意識して気をつけた。


「そういえば龍ノ介が言い出してからか? 兄貴が栄養剤をやたらと集めるようになってたな」

「サプリメントですね。龍ノ介さんのアドバイスがあったと伺いました」

「ああ。ビタミンだのカルシウムだの話してるのを聞いた事がある。あいつの大学には医学部もあったからそこで聞いてきたのかもしれない」


 伯父さんの声は少しだけ優しく聞こえて、僕はちょっとだけ項垂れる。リュウが繁伯父さんのために栄養について調べていた。僕だけかと思っていたけど、充伯父もそれを知っていたんだ。


「逆にこれは飲むなって話も聞いたな」

「まあ、それは気をつけないといけませんねえ。充さんは覚えています?」

「強心剤……とビタミンDだったか。強心剤の効果が強まるとか言っていた」


 ふむふむと神無月さんは頷き、「勉強になりました」とにっこりした。


「あと一つ、充さんと多恵さんは脅迫の電話とか直接受けたことはありました?」


 二人とも同時に首を振って否定した。

 神無月さんは残念そうな様子もなく軽く頷く。


「話はこれだけで終わりか?」

「はい。他に気になることがもしあれば……」

「あるにはある」


 神無月さんも僕も充伯父の方に顔を寄せた。伯父さんは口の端を上げてにやりとする。


「俺が来る直前、探偵女史を囲んでどんな話をしていた? それがさっきから気になって仕方ない」


 神無月さんはぎょっとして身を引いた。

 多恵伯母さんは楽しげに手を叩く。


「そうそう、土谷さんがねえ」

「あ、あの、わたしはそろそろ失礼させていただきます!」


 探偵さんがぱっと立ち上がるので僕もつられて腰を上げる。


「そうだ神無月さん、この前はすぐ帰ってしまいましたし、今日はお昼を一緒にどうですか?」


 僕の提案に神無月さんはこくっと頷いた。ここを出られるなら、と反射的だったかもしれないけど、僕は気づかない振りをする


「良かった。ちょっと行ったところにお勧めのお店があるんです。ローカロリーのメニューなので女の人には人気あるんですよ」


 そこで僕は充伯父に顔を向けた。


「そういうわけで、探偵さんのために援助をお願いしたいんだけどな」


 にっこりしてみせると、伯父さんは苦笑して内ポケットから財布を取り出した。「ほらよ」と渡してくれたのは諭吉さん。僕は両手を合わせてぺこっと頭を下げてみせた。


「ありがと。これで恥をかかないで済みます」

「まったくお前はちゃっかりしてる。……龍ノ介とは大違いだな」

「えっ?」

「あいつはガキらしいところは一度も見せなかった。兄貴にはどうだったか知らないが、本当に可愛げがなかったな」


 口調は冷たいけど伯父さんの目は優しかった。

 僕の胸にぽっかりと空白が生まれる。なんだろう? と思った瞬間、背中をばちんと叩かれた。


「ほらほら、行くんならさっさと行きなさい。しっかりエスコートするのよ」


 目をやると多恵伯母さんが僕を軽く睨みつけている。僕は頷いて、神無月さんに目で合図をした。

 一、二、三歩と進んだところで急に探偵さんは立ち止まる。勢い余って僕の胸に長い髪が当たった。


「あ、思い出したんですけど、書斎の鍵はまたかけられてしまいましたか?」


 神無月さんは首だけ向けて僕に訊いた。


「え? さあ、どうでしょう」

「また調べてみるかもしれないので、開けていてもらいたいのです」

「じゃあ父に伝えておきます」

「お願いします。急に言い出しちゃってごめんなさい」

「いえいえ」


 ではこれで、と神無月さんは伯父さんたちに告げ、僕らは店の出口に向かう。

 これから探偵さんをうまく誘導しなくちゃ、と僕は気を引き締めた。

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