第5話 別件聴収

 L字型の家屋の長い部分、その二階の端が僕の部屋、そして隣がリュウの部屋だった。リュウの部屋は書斎みたいに開かずの間にはしていないけど、彼がいなくなってから僕は一度も入っていない。

 横開きの戸をがらりと開けて、神無月さんに入るよう手で促した。探偵さんはにっこりして先に足を踏み入れる。

 僕の部屋と同じ北向きの六畳の和室。廊下を挟んだ南側の部屋はほとんど改装してあるけど、北側は窓をアルミサッシにしただけであとは古いままだ。

 真冬に数枚だけ木にぶら下がっている枯葉のような色の砂壁。リュウと話しながらこの壁をかりかり掻いてはがしていたら、そんなことをすると怒られるよとよく笑われた。でも僕がやったってリュウが言いつけたことは一度もなかった。

 正面の窓側には机と本棚、そして右側の押入れの前にはベッドがあるだけ。本棚には大学で使う教科書や資料らしい本以外は何もない。リュウは読みたい本は買わずに図書館を利用しているみたいだった。机の前の床には通学に使っていた灰色のリュックがある。僕は目を細めてそれを見やった。

 神無月さんは小さな頭を動かしてぐるりと室内を見回した。


「夏生さんはこの部屋によく入っていました?」

「そうですね。読書や勉強してる龍ノ介の邪魔をしに」


 おどけて言うと、神無月さんはふっと笑顔になり机の前の椅子を指さした。


「じゃあ龍ノ介さんはここに座っていて」

「はい」

「夏生さんは、どこに?」


 僕はぴょんとベッドに乗ってあぐらをかいた。リュウがいたとき、いつもそうしていたように。


「僕と龍ノ介はこの位置でよく話をしていました。ほとんどは僕が一人でくだらないことをしゃべっていただけなんですけど」


 神無月さんは椅子を引いてすとんと座る。座面の下のレバーを引いて座高を上げ、くるりと一回転した。さっき父さんたちのいる座敷で見せたのとは全然違う、子どものような動きに僕はおかしくなる。


「何か面白いことでもありました?」


 神無月さんが怪訝な顔で訊くので、僕は顔をひきしめていいえと答えた。

 探偵さんは机に頬杖をつき窓の外を見やる。桜の木が風に揺らされ葉擦れの音をたてている。


 そうだ、桜が満開のときはまだリュウがいた。二年生になって専門科目の講義が増えて楽しくなってきたなんて言っていた。

 葉桜の頃、僕がリュウと同じ大学を志望してるって言ったら、まだまだ上を目指せるだろうって笑っていた。リュウの言う通りだとわかっていたけど、わざと悪びれて勉強なんて面倒くさいと答えた。

 梅雨の雨が葉を濡らす日、リュウに彼女はいないのって訊いたら別れたばかりだと言われた。そんな素振りは全然見せなかったから僕はちょっと驚いた。


「夏生さん」


 可愛らしい声で呼ばれ、僕ははっと顔を上げる。


「わたしが一方的に思ってるだけかもしれないのですが、夏生さんはずっと龍ノ介さんのことを話したがっていませんでした?」


 そう、そうなんです。だって繁伯父が死んじゃってあっという間にリュウまでいなくなっちゃって。伯父さんは病気だったから仕方ないかもしれないけど、若くて元気なリュウが急にいなくなるなんて考えられないでしょ? どうしてみんな不思議に思わないんだろう、簡単に受け入れられるんだろうって僕はずっと言いたかったんです。


 神無月さんは椅子をくるくると左右に揺らしながら僕の答えを待っている。

 ゆっくりと深呼吸してから僕は口を開いた。


「父は伯父の死と脅迫の関係が一番気になってるようです。そのついででかまわないんですが、龍ノ介のことも調べてもらえたらいいなって僕は思っていました」

「龍ノ介さんも何か関係してる、と?」

「それはわからないんですけど……」


 神無月さんは天井を見上げる。じっと一点を見つめているのでクモでもいるのかなと僕も目を上げた。


「調べてみないとはっきりしたことは言えませんねえ。――そういえば夏生さんからお話を聞くのをすっかり忘れていました」


 虫らしきものは見えなかったので僕はまた探偵さんに視線を戻す。

 神無月さんは何かを追うように目線を天井から壁へと移動させる。そして僕の顔へ固定した。


「繁さんがお亡くなりになる前、特に変わったことはありました?」


 助手みたいな立場だったと勘違いしていたけど、そういえば僕も関係者の一人だった。妙に照れくさいような気持ちになって僕は誤魔化すように軽く微笑み、それから真顔に戻って思い出しながら答えた。


「脅迫めいたことは今年の春くらいからあったみたいです。さっきもお話したとおり、僕は電話を受けたことはありません」

「では、郵便や宅配便は?」

「それも話で聞いてるだけです」


 宅配便……そういえば封を開けた繁伯父だけがおかしな物を見たってこともあるかも?


「伯父宛ての封書や荷物を書斎に持っていったことはあります。いちいち確認はしてないんですけど、ダイレクトメールや銀行などからばかりみたいでした。あと、通信販売のサプリメントらしきものを持っていったこともあります。亡くなる一週間くらい前かな」

「サプリメント? どうして中身がわかりました?」


 神無月さんは人差し指でこんこんと自分のこめかみを叩き始める。何かのスイッチが入ったのかも。


「差出人が製薬会社でしたし、品名が薬っぽい名前でした。もちろん手書きではなく印字されてて。台所にまとめて置いてあったのを僕が持っていくと言ったので、ひとみさんも覚えているかも」

「ふーむ……それは間違いなさそうですね」


 叩いていた指の動きが止まる。一瞬、神無月さんの口元が微笑んだように見えたのは気のせいだろうか。


「では、龍ノ介さんについて気になるところは?」


 気になるところ? 僕にとっては気になるところだらけだ。

 でも何から話していいのかわからなくなって、僕はしばしの間唇を噛んだまま何も言い出せなかった。

 神無月さんはじっと僕の言葉を待っていたけど、


「龍ノ介さんが落ちたという歩道橋、ここから近いのですか?」


 お薦めデザートのお店を訊ねるような気軽な口調でそう訊かれた。


「いえ、うちからもリュウの大学からも離れたところです。電車の路線も違うし……」

「事故に遭われたのは夜でしたよね。なぜそこに行っていたのでしょう。買い物か何かでしょうか」

「さあ……」


 ずっとそのことを考えていた。リュウが落ちたのは大きな幹線道路で、住宅や大型店の並ぶ場所。でも買い物や食事だったら電車を使えばもっと便利なところがいくらでもあるし、図書館や美術館などの施設があるわけでもない。僕は聞いていないけど友達が近くに住んでいたのだろうか? この日誰かに会ったという話は出てはいなかったはずだけど。


「龍ノ介さんの様子におかしなところはありました? 繁さんが亡くなって悲しんでいるのはあるでしょうが、それ以外に」

「どうだったかな。リュウはいつも落ち着いてて、伯父が亡くなった後もあまり変わりはないようでした」

「そうですか」


 僕は何度も何度も思い出そうとした。そしていろいろ考えた。

 リュウは伯父さんの死にショックを受けていた? 同じ家にいたのに助けられなかった罪悪感があった?

 もしかすると犯人がいて、その心当たりがある? あるいは脅迫を受けていたとか?

 ――でも何もわからなかったし、見つかることもなかったんだ。

 僕はすっかりふさぎこんで項垂れる。せっかく探偵さんに話を聞いてもらえるチャンスがきたのに、何も手がかりらしいことを言えやしない。


「夏生さん、この写真は?」

「はい?」


 顔を上げると神無月さんはいつの間にか立って本棚を眺めていた。

 手に取ったのはリュウが飾っていた黒いフレームの写真立て。青い湖が写っている。


「去年の夏、旅行に行ったときにリュウが撮ったものです。僕と二人で自転車に乗ってその湖の周辺を一周してきました」

「自転車で? お買い物用のじゃないですよね?」


 神無月さんはママチャリを思い浮かべているんだろうか。僕はくすっと笑った。


「マウンテンバイクってやつで行ったんですよ。キャンプの道具も積んで、暑い中汗だくになって走りました」

「うわあ、楽しそうですね。……わたしは体力がないので絶対に無理そうですが」

「僕だってそうです。休み休みで走りました。リュウは写真を撮るのが好きなので、休むたびにあちこち写していましたよ」

「それは楽しかったでしょうね」


 神無月さんは写真立てを戻し、お祈りするみたいに顔の前で軽く両手を合わせた。

 リュウとの自転車旅行。まだ一年しか経っていないのにすごく昔のことみたいだ。こんな風にリュウの思い出はどんどん薄れていくのかな。僕はリュウがいなくなったことさえ実感できてないっていうのに。


「……あ、そういえば」


 ふと呟くと神無月さんが振り返って僕を見る。


「また行こうってリュウが言ってました。事故のほんの少し前だったと思います」

「この部屋で?」

「はい。伯父が死んじゃって勉強に身が入らないって理由つけてぼーっとしていたんです。するとリュウが『来年受験が終わったら自転車旅行にまた行こうな』って」

「……夏生さんのこと、元気づけようとしたのかもしれませんね」

「そうかも」


 僕は窓の外に目をやった。リュウの声を思い出そうとしたけれど、びゅうびゅうという風の音にかき消される。

 さっきより少し暗くなった気がした。夜が一度訪れ始めるとあっという間に真っ暗になってしまいそうな日だ。でも重たそうな雲は風が追いやったみたいで、空にはちょこちょこと青い部分が見えている。


「さて」神無月さんも空を見上げる。「そろそろ帰らせていただきます」


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